п»ї 「半沢直樹」に見る日本の金融非常識『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第6回 | ニュース屋台村

「半沢直樹」に見る日本の金融非常識
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第6回

10月 04日 2013年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住15年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

いまや「半沢直樹」は日本の社会現象である。日本から4500キロ離れたこのタイの土地でも「半沢直樹」は昼食時の話題となる。なぜそんなに人々の琴線にふれたのであろうか?

世間的には怨嵯(えんさ)の的となる銀行員の以下の醜い姿であろうか?
 
・出世のためには平気で人を裏切り、部下には罪をなすりつける
・そのために派閥を作り、強烈な派閥抗争をする
・中小企業に代表される弱者には強くあたる
・一方で金融庁などの権力には極端にへつらう
・自分の利権のためには、時として悪質な不正を行う

こうした悪らつ銀行員に対して正義を貫こうとする「半沢直樹」の時代劇ばりの勧善懲悪思想が、視聴者の心をつかんだと見るのが一般的な意見のようである。

それでは、「半沢直樹」の中で描かれた銀行員の姿は、銀行界独持の異常な世界なのであろうか? 私にはそうは思えない。

半沢直樹に描かれた銀行員の姿は、風化しつつあるが、第二次世界大戦時の軍隊の兵隊の姿と瓜(うり)二つである。人間が生死の極限状態に置かれた時に、実際にどのような行動をとってきたのであろうか? 「生き残るためには、人を切り捨て、長いものにはまかれて自分の得だけを考える」。そうした人間の性(さが)を描いた戦争小説は枚挙にいとまかない。

平和ぼけした日本だからこそ、あの銀行員の姿がもの珍しく映る。

しかしちょっと待てよ!こんな平和な日本の中で、あんな人間像が描かれる日本の銀行界は少しおかしいのかも知れない。

◆減点方式と貸付信用保証制度

第二次世界大戦後、日本の金融業界は、他国とはかなり異なった発展の仕方をしたと言えよう。

第二次世界大戦によって国富を失った日本は、復興に向けた資金の手当てに苦労した。ここで大きな役割を担ったのが、当時の大蔵省主導による銀行保護政策―護送船団方式である。

大蔵省の擁護のもとに銀行を潰さないと半ば確約をし、国民から預金を広く集めたのである。国民は、銀行は絶対潰れないものとの「信仰」を持ち、銀行員は預金集めが最も重要な仕事になったのである。

銀行員は潰れない安定した職業であり、多くの若い優秀な人たちが、その職務に就いたが、一方で、やる仕事は〝お願い″をくり返す預金集め。預金集めで大きな差がつくわけでもなく、銀行員の出世競争はミスによる減点方式となり、日本の銀行員から積極性が失われていった。

戦後の復興を語るにもう一つ忘れてはならないのが、当時の通産省主導で行われた中小企業育成策である。

広く国民から預金を集めた銀行は、その資金をもとに民間に貸し出す業務へと向かうわけであるが、銀行から積極的に中小企業に資金が流れるように中小企業を潰さないための保護政策をとったのである。

この政策のもっとも先鋭的なものが、信用保証協会による貸付信用保証制度である。担保が無くても、銀行から融資が受けられるという世界でも例をみないユニークな制度が出来上がったのである。

この制度は、日本の産業復興上、きわめて有効な政策であったことは歴史を見れば明らかである。しかし、日本が復興を成し終えた以降、現在まで続くこうした制度が、日本の産業界・会社界にモラルハザードを引き起こしたと私は考える。

銀行はリスクを取ること無く、損失は信用保証協会に押し付ける。思考能力を停止してしまった。企業家は、自分の資産を投げうたなくても無担保で銀行から金を借りることを当たり前と考える。いい加減な姿勢で会社を継続出来るのである。

◆潰れそうな会社に金を貸すのが一流の銀行員?

「晴れの日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」。これは、銀行の姿勢を揶揄(やゆ)した言葉である。「業績が悪い会社でも将来を見極め、積極的に無担保で金を貸すのが一流の銀行員」とマスコミや学者先生は煽(あお)る。しかしちょっと待って欲しい。

こうした貸し付けの原資は、国民から広く預かっている預金である。銀行にはこれら預金を安全に運用する義務がある。冒険主義的に貸し出しを行い、預金が毀損(きそん)しても良いと言うのであろうか? ましてや世界の非常識である無担保融資など、業績の悪い会社にはもってのほかである。

日本振興銀行のごとく、日本には破綻する金融機関が出始めている。リスクを積極的に取るのは、自己資金で行っているファンドの役目であり、銀行の使命ではない。銀行は安定的な資金の供給者であるべきなのである。

◆「信用」が金科玉条 利益への発想失う

いつの頃から日本の銀行にミスが認められなくなったのであろうか? 私が、10年駐在した米国では、銀行員という職業は、決して高く評価されず、主に中層以下の人たちの働き口であった。銀行のミスは日常茶飯事。人々は銀行を信用していないため、クレジットカードの支払いも自動引き落とし制度を採用していない。クレジットカードの明細には二重計上もあり、油断もすきもないのである。

これまで15年過ごしているタイでも、銀行員は人間だからミスは当たり前。タイでは、銀行の立場が強いため、一般の人は泣き寝入りである。しかし、日本では 銀行のミスは許されない。多分、「銀行は潰れない」という信用イメージをつくる過程の中で、ミスも許されなくなってきたのであろう。

「銀行では、支店内の現金が1円でも勘定と合わないと残業をしてでもこの1円の原因を探す」と広く知られている。私も若い頃、支店勤務の中で、こうした「洗礼」を何度も受けてきたし、これに対して何の疑問も持たなかった。

しかし初めての米国勤務で、米銀との取引で 1ドル不一致になった時、相手方の米銀担当者が自分の小切手で1ドル送付してきた時に仰天した。相手に問いただしたところ、「1ドルの原因を探すより、自分の金で補填(ほてん)した方がより効率的」との回答を得て、日本の銀行の常識を初めて疑った。

そもそも日本の銀行は、戦後復興行政の延長線上から抜け出せず、「信用」を金科玉条として利益への発想を失っている。また、世間も同じように銀行をその枠組みにとどめようとする。そのため、銀行が少しでもリスクを取って他行と異なることをするとマスコミは疑惑の念をもって受け止める。いまや銀行もあえて冒険をせず、横並びの施策しかしないのである。

◆世界の金融界の常識からかなり外れたドラマ

リスクを取らず、ミスを避ける銀行員は、出世のために相手を追い落とすことに専念。そうした人物像が描かれたのが「半沢直樹」に登場する銀行員である。しかし、日本の銀行員は今までに見てきたように、かなり特殊な世界で「飼いならされた」人間たちであることはお分かりいただけたであろう。

一方、正義を前面に押し出し、悪らつ銀行員に対抗する「半沢直樹」も健全な銀行員なのか、と問われれば、銀行本来の社会的使命から考えると、かなり極端なような気がする。

世界の金融界の常識から見るとかなり異常な銀行員たちが描き出されているのが、ドラマ「半沢直樹」なのである。

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