п»ї インターネットで加速する虚構の世界 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第85回 | ニュース屋台村

インターネットで加速する虚構の世界
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第85回

1月 13日 2017年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住19年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私たちがこの「ニュース屋台村」を発刊したのが2013年8月である。お蔭様で投稿記事数も累積600本を超え、定期読者数も6千人を超える水準になって来た。

「ニュース屋台村」の立ち上げにあたっては、本紙の編集主幹である山田厚史氏をはじめ、数名の有志が集まり、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を約2年行った上で発刊した経緯がある。当初の発起人はインターネットに無縁なアナログ世代ばかりであり、新聞発刊の目的や運営方法、紙面記入方法など熱心に議論を続けたもののなかなか全員のコンセンサスが得られず、最後は「えい、やー」で始めたのが昨日のように思い出される。

2年間にわたるあの熱い議論を通じて今の「ニュース屋台村」がある。現在のニュース屋台村の執筆陣には思想性には大きなバラツキがあるとはいえ、「新たな事実や認識を自己の責任を持って読者に伝える」という矜持(きょうじ)がある。

◆ DeNA「WELQ」炎上事件

ところが、インターネットの世界では我々とは全く違った動機で情報発信するグループが存在する。その実態を明らかにしたのが、「DeNA」が運営をする医療まとめサイトである「WELQ」の炎上事件である。検索機能の代名詞となったグーグルの発達により人々はインターネットを使い、様々な情報を得られるようになった。しかし、あまりに多くの情報が錯綜(さくそう)したため、人々の興味を引く項目を集め一覧にしたものが、まとめサイトであった。当初は「2ちゃんねる」のように個人の書き込みが中心のまとめサイトであったが、こうしたサイトへの閲覧が多くなるに伴い、広告料収入を期待した「DeNA」などの企業が参入してきた。こうした企業は広告料収入の増加を狙い、読者の興味を引く内容の記事を自らが書くようになる。

「WELQ」炎上事件以降、多くの雇われたライターが告発記事をのせているが、その告発内容は以下のとおりとなっている。

①まとめサイトの記事は1千字以上で1本5千円から1万5千円でライターに請け負われている。

②医療サイトの場合、ライターは医学部のインターン生であったり、フリーの雑誌記者であったりするが、全く医療知識のない人も存在する。

③ライターが自分の収入を増やすためには、短時期に多くの記事を書く必要があり、文書の盗用は日常茶飯事となっている。また内容の捏造も多く行われている(これが今回の炎上の主な理由)。

④ライターを雇用している会社は、グーグル検索に引っかかりやすい体裁を整えるため、マニュアルを準備している。例えば1本あたりの記事は1千字以上にし、かつキーワードを多数回使用するなどのテクニックがある。

⑤また文書の盗用に対する著作権被害を逃れるため、外国に別途インターネットサイトを設け、一度記事を海外に移し替えたあと、この海外サイトがコピーした形式で著作権逃れを意図的に行っている。

これらの告発の真偽のほどは明らかではないが、いかにも起こりそうな話である。

実は昨年(2016年)初めに、「ニュース屋台村」はシステム会社のアドバイスを受け、マイナーなデザイン変更を行った。この時、「ニュース屋台村」の閲覧数を増やす方法についても相談してみた。せっかく良質な記事を書いているのだから、より多くの読者の方に読んでもらいたいという気持ちからであった。この時にシステム会社から得た回答は以下のものであった。

①記事の閲覧件数を増やすためには、グーグルなどの検索などで記事が上位に掲載されるようにする。具体的には、人を雇って「カラ検索」を繰り返したり、検索のキーとなる語句を検索会社から購入したりして、他の記事より検索に引っかかりやすくする。

②特定企業の宣伝記事を書く。こうした宣伝記事はその企業が営業目的で使用することにより、閲覧件数が増加する。

こうしたシステム会社からの提案に対して、私たちはもちろん、お断りをした。「ニュース屋台村」の目的は新しい事実や認識を皆様にお伝えすることであり、単純に閲覧件数を増やすことではない。いわんや企業の宣伝記事を書くようであれば、「自らの責任で記事を書く」我々のモットーに反してしまう。しかしインターネットで収益を稼ぐ経済活動が目的ならば、システム会社の提案も理屈がたつものだと納得出来る。

◆特性と危険性

そもそも私たちが「ニュース屋台村」を立ち上げた時は、「インターネットは誰にでも開かれた自由な意見交換の場」という期待があった。確かにインターネットの発達により私たちが知りうる情報量は格段に増加したし、会話に参加する機会も増えた。生活の利便性は大幅に向上した。しかし実際には、私たちの知らないところで情報操作がなされており、かつ偽りの情報が平気で流れているのである。

それではこうしたインターネットの問題点は、一部の悪徳業者によってもたらされているのであろうか? 私はそうは思わない。こうしたことはそもそも人間の性(さが)に由来するものと思っている。著名な米国の心理学者であるアブラハム・マズローの欲求5段階説によると、人間には

①生理的欲求(食欲、性欲、睡眠欲)

②安全の欲求(健康、金銭など)

③社会所属の欲求(社会の一員となる)

④社会からの尊重の欲求(他者より上位に位置する)

⑤自己実現の欲求

の五つの異なった形態の欲求が存在する。また脳科学者である中野信子氏によれば、上記の五つの欲求のうち自己実現の欲求を除く四つの欲求については現時点でもドーパミンやノルアドレナリンなどの快楽をつかさどるホルモンの働きで十分に説明が可能なようである。

インターネット上には道理で、食べ物やレストラン情報、恋愛やセックス情報、健康情報さらには金儲け情報が氾濫(はんらん)しているわけである。これらは人間の本来的欲望に依拠しているからである。こうした情報を意図的に流せば多くの人たちはその情報を求めてやって来るのである。たとえその情報が間違っていたとしても。

また、フェイスブックやラインに代表されるソーシャルネットワーク(以下SNS)の発展により、人々はインターネットを通してコミュニティーを形成していくが、このSNSで使われる「いいね」機能が人々の社会的欲求である「他者からの承認」にヒットし快感を覚えるのである。人間の欲望を知り尽くし、インターネットを巧妙に操る輩(やから)がその目的を意図的に隠してインターネットを利用しているのが現実である。

さらにインターネットには「容易に操作可能な伝達手段」という特性から派生する危険な側面がある。まず第一にSNSでは短い言語のやりとりが一般的である。

SNSでは手紙や論文などとは異なり論理的な思考を要求しない。自分の感情(好き、嫌い)を中心とした会話となる。二番目の特性は「誰でも簡単に参加出来るということ」である。これを裏返して考えれば、参加出来るものの選択肢も多いということである。具体的に何が起こるかといえば、自分と趣味趣向が同じ人たちで集まり、そのサークルの中だけで「いいね」を繰り返し承認欲求を満足させるのである。

こうしてインターネットの世界では論理的思考が排除され、異なった意見の人たちによる議論がなされなくなるのである。人間が持つ「理性」と「感情」の二つの本源的機能のうち一方が軽視されるのである。当然「理性」の軽視から来る咎め(とがめ)が待っている。インターネット上のいじめ――「炎上」である。一方的に感情のみで相手に攻撃を仕掛ける「炎上」は、時として事実関係すら確認せずに攻撃を繰り返すのである。

田中辰雄氏と山口真一氏の共著である『ネット炎上の研究』(勁草書房、2016年)では、6万人にのぼるアンケート調査の結果を踏まえネット炎上の仕組みを解説している。この本によると炎上加担者はインターネットユーザーのわずか0.5%にしか過ぎない。炎上加担者は「男性」「若い」「収入の高い人」などの特徴があり、会社の主任課長職以上の人たちが3割以上もいるのである。炎上加担者は決して愉快犯などではなく、一般人が価値観の違う意見に対して感情的に攻撃を仕掛けているという実態が明らかになっている。

インターネットの炎上事件は副次的な問題も引き起こす。マスコミや報道機関がインターネットでの炎上を恐れて消極的な報道に流れ、社会に斬新な意見が出てこなくなっているのである。こうした消極的な姿勢は一般企業も同様であり、大胆な広告が控えられるとともに炎上を起こしかねない人や番組へのスポンサーから降板してしまう。匿名を利用した一部な野放図な感情的意見だけがまかり通り、誰もこれに対して静止できないという構図が出来上がりつつある。

私たちは今一度インターネットの持つ特性とそれから派生する危険性について認識をし直す必要がある。幸い私たちの参加する「ニュース屋台村」は、SNSとは異なり感情の発露ではなく論理的に構築された意見を述べる場となっている。また企業からのスポンサーシップも募らず自分たちの手弁当で運営しているため、誰にも気兼ねせず自分たちの責任の下で意見を述べている。

「ニュース屋台村」の記事の大半は、人間の欲望に訴えかけているものではない。それでもここまで多くの読者に読んでいただけるほどに成長してきた。「こうしたインターネットの使い方もあるんだ!」と、私自身、改めて認識するとともに、「屋台村」発起人の一人としてその責任の重さをかみしめている。

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