3月11日を語るメディアが当事者に近づくために
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第71回

3月 11日 2016年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャローム所沢施設長。ケアメディア推進プロジェクト代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆上から目線報道

5年前の3月11日から多くのものが変わった。のどかな町並みだった宮城県南三陸町の中心部は全体がかさ上げされて町の丸ごとが古墳になった異様さで、震災の象徴のひとつである鉄骨だけの防災庁舎は古墳の狭間で息苦しい姿を見せている。使われていない復興予算と「復興が進まない」という声の矛盾は巷(ちまた)では解消されていない様子だ。メディアにとっては、福島の原発被害に関する報道が「真実を伝えていない」と指摘されたまま流れた月日でもある。

報道への不信感は、政府発表など権威からの発信を鵜呑(うの)みにしているとの印象を与えたまま、当事者や現場の声が反映されていない、とい意識から抜け出せていない。ニュースや真相は現場にあり、取材は、現場や当事者にどれだけ迫れるかが、大きなポイントなはず。しかし構造上、全国紙は被災現場においては常によそ者である。だから安住の地、東京というホームポジションで大局を語る。大きな羅針盤は混沌(こんとん)の中でこそ、その役割を果たすから、大局も大切なこと。しかし市民からは「上から目線」と嫌われる原因でもある。

その記事・話題が当事者とつながり本質を語っているか、という視点で見れば、地元紙が強さを発揮する。宮城県の被災地では河北新報が地元の声や自治体の動きを取り上げ、さらにきめ細かい声は石巻ならば石巻日日新聞、気仙沼ならば三陸新報というローカル紙が取り上げる。原発問題で言えば福島民友、福島民報となる。

全国紙は政策決定のプロセスを中央官庁や国会を舞台で取材し、世論調査で「声」の塊を伝えているが、時には問題の発信源が置き去りにされ、当事者の生の声はかき消されてしまう。「遠い声」を見た場合、例えば英誌「タイム」3月14日号は、「『祝福された土地』という意味の福島」がいまだに除染作業、避難者も帰れないままの「苦痛の中の泥沼のままにいる」と表現し、彼らが考える「現実」を世界中に知らせている。

◆転電で真実に迫る

遠い声と近くの声。どちらも的確に伝えるのが報道の使命であるが、特に問題の本質を知らせる点で言えば、近くの声にこそ高い価値を置かなければならない。この価値がニュースであり、全国紙はさらに「近くの声」を意識して発信する必要がある。それを阻害している「自社報道」と言うプライドにどれだけの価値があるのだろうか。

すでに世界中のメディアならどこでも、自分たちが取材や情報取得ができない場合は、日常的に転電を行っている。物理的に近くの声を聞けず、取材ができなくても「伝える」という使命感の結果、転電という手法が確立されたのだから、被災地でも全国紙が拾えない声を伝える地元紙の転電を積極的に掲載できないのだろうかと素朴に考えてみる。

国際報道からみると、私が調査したところでは2001年9月11日の米中枢同時テロで、一報を伝える全国紙各紙(同年9月12日朝刊)の記事は、転電の割合がメインの記事中2割以上で、朝日が約17%、読売がなし、毎日が約29%、日本経済が23%だった。それから約14年経った昨年のパリ同時多発テロ事件を伝える各紙12月14日付夕刊では、転電の割合は朝日約39%、読売23%、毎日37%、日本経済28%。つまり約14年もの間、米中枢同時テロが起こって世界情勢が混沌とし、世界で戦争・紛争が頻発しているのに、各社は国際報道に割く人員も環境も変化がなく、転電に2割ほど頼りながら「真実」に迫っているのが現状である。

◆精度を上げるため

震災の事実を当事者の声を踏まえて正確に伝え続けることは、国際報道で行う手法を援用すれば難しいことではない。全国紙が意固地になって「自社の記者による報道」にこだわるのは果たして誰のためなのか。必要な情報を提供するという使命、真実を伝えるという義務を考えた場合、国際報道と同じく、問題の当事者をよく知る地元紙に必要な肉声や事実の掘り起こしがあれば、積極的に活用すべきである。それが地方紙の記者の仕事のやりがいにつながり、地方紙とその記者の質の向上にも役立つはずである。

ファクトには必ず当事者がいて、復興を進める被災地の自治体や被災者に寄り添える関係は被災地にこれからも住まう記者たちが優位にある。当事者の本音を拾い、発信していくことの積み重ねで大局が形づくられているほうが健全である。この積み上げのプロセスに報道が期待される役割は大きい。その結果、国会の議論を経て抽出される政策の精度は上がるはず。そしてメディアリテラシーも同様に上がる。3月11日から考えると、やはりメディアはまだまだ変革することでよくなるはずだと思う。

(了)

「ジャーナリスティックなやさしい未来」での過去の関連記事は以下です。

「震災での知的障がい者」を未来に生かせ
http://www.newsyataimura.com/?p=4220#more-4220

3月の決意、行き届かない支援は続く
http://www.newsyataimura.com/?p=4057#more-4057

■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link

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