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中国人とは誰のことなのか? 優位に立つ漢族
『時事英語―ご存知でしたか?世界ではこんなことが話題』第25回

12月 08日 2016年 文化

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SurroundedByDike(サラウンディッド・バイ・ダイク)

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勤務、研修を含め米英滞在17年におよぶ帰国子女ならぬ帰国団塊ど真ん中。銀行定年退職後、外資系法務、広報を経て現在証券会社で英文広報、社員の英語研修を手伝う。休日はせめて足腰だけはと、ジム通いと丹沢、奥多摩の低山登山を心掛ける。

今回紹介するのは、英誌「エコノミスト」11月19日号(印刷版)に掲載された「中国人とは誰のことなのか? 優位に立つ漢族」と題する論考である。

一般的に報じられてきた内容と異なる目新しいものではないが、かなり具体的にこれでもかこれでもかと畳みかけている。中国の今後の少数民族問題への向き合い方にあまり安心とか甘い期待はできないことを示唆する内容である。

この記事から浮かび上がるのは、中国は実は漢族以外の民族を包含し、真に多民族、複合文化を擁し、それを尊重する超大国として発展していく覚悟がないのでは、との疑問である。むしろ、力による統制がより現実的だと判断しているのであろう。

そして外から見れば、異文化との共生の難しさについては、日本にも似たところが大いにあるのではと感じさせられる。すなわち、問題が、実は人種、宗教、歴史が違うのだから、と自分たちを特別視したがる点においてである。

以下は全訳だが、「◆北京による指令」の項の「(中国の)政府……」で始まるパラグラフの最後の1センテンスは原文に対する邦語への訳出が難しく、あえて割愛したことをお断りしておく。

◆中国本土人口の92%を占める漢族

[2016年11月19日 青海、カシュガル、香港発]興隆する世界の超大国中国は、その民族性と国としてのありかたについて、国の内外を巻き込まずにはいられない特別な考えを抱いている。

香港で書店を営む男性5人が2015年後半に謎めいた状況のなかで失踪(しっそう)した。うち1人は、中国本土からの諜報(ちょうほう)員によって香港から神隠しにあったとみられ、もう1人はタイから誘拐された。のちに全員が中国の指導者たちに関するわいせつな書物を販売した罪で本土の刑務所に姿を現すことになった。

書店主の1人は英国の、別の1人はスウェーデンのそれぞれパスポートを持っていたのであるが、体制を怒らせた中国市民として、2人とも同様に(外国人として受けるべき)司法手続きを無視した扱いを受けた。各々の国の大使館は何週間もの間、彼らへの接触を拒絶された。中国政府は2人を本来的には「中国人」であるとみなしたのである。

この一件は、中国がもっとスケールの大きな事柄に対して示す態度を表している。中国は香港の書店主にとどまらず、すべての中国からの移住者に対し、ある程度の(司法権の)権限を主張したのである。

中国外務省は、英国のパスポート保有者であるリー・ボー氏が「何よりもまず中国市民」である、と宣告した。政府は、香港での永久居住者に対し発行される「母国訪問許可証」が彼の保有する外国のパスポートに優越すると考えたのである。香港は1997年に中国に返還されて以来、中国人を祖先に持つ香港人は中国国民であると見なしている。タイから連行された「グイ・ミンハイ氏」は、おそらくは強要されたであろう自白のなかで「私は真に自分が中国人であると感じている」と述べた。

中国は二重国籍を受け入れないため、このような措置が取れるとした。しかし、その関連法はあいまいである。該当する法律は外国のパスポートを取得した人物は「自動的に」中国国籍を失い、そしてここが矛盾するところであるが、その人物は国籍を「放棄」、すなわち(世帯登録書類とパスポートを返却)せねばならず、またこうした放棄は認可を受けねばならない、とする。

グイ氏の娘によれば、父は市民権を放棄する手続きを行った。しかし、中国当局は、彼の外国パスポートよりも出生地と民族属性が優越すると判断したのである。グイ、リーの両氏とも、中国本土人口の92%を占める漢族である。

彼らの民族性は、中国が中国であることの独自性を主張するための中核的な要件である。それこそ(世界中の)ほとんどの人が(いわゆる)中国人と呼び、中国本土だけでも12億人存在する漢族のことを指すのであって、1億1千万人に上る少数民族はそれに含まれない。

中国の漢族たちにとって、「民族性」と「国籍」のどちらの言葉を使っても同じ意味になったと、オーストラリア・メルボルンにあるラトローブ大学のジェイムス・リーボールド氏は述べる。その(本来異なるはずの二つの概念の)混合こそが根源的に重要なのだ。その混合は漢族とその他の民族との関係を定義づけている。

中国の合法的な労働市場がほとんど完全に漢族の子孫だけに限定されていることによって、その民族が中国の経済と発展を形づくるものとなっている。そして、そのことが外国との関係にひずみを起こすのである。何世代も前に他国へ渡った漢族の家系であっても、中国政府と国民の両方によってしばしば同じ中国人と見なされるのである。

漢族の人々は自らの呼称を、紀元前3世紀の王朝名から採っている。しかしこんにち、漢族と識別される習慣は20世紀初期になってからできた、と香港大学のフランク・ディケッター氏は言う。過去650年の半分超の期間、現在中国と呼ばれる領土の多くの部分が外国勢力によって占有されてきた(すなわち、北はモンゴルから北東部の満州まで)。中国の歴史では、中国最後の王朝の清を治めた満州が「中国化」された、としているのであるが、最近の研究結果が示すところでは、満州は固有の言語と文化を保持し、かつ清は複数民族で構成された、さらに大きな帝国の一部を占めていたのである。

◆長城

西側の帝国主義のもとでは、人種はしばしば人々を分割するのに用いられた。しかし、清国が1911年に滅びた後、新エリート階層はそれに服従するお互いに理解できない言葉を話しかつ多様な伝統と信条を持つ中国人の国家を隅々まで支配するための理論的名目が必要となったのである。

父系制がすでに中国の大部分において強く守られていた。それぞれの一族が自分たちはみな共通の祖先にたどることができると信じていた。それは中国の国家主義者たちをして、漢族は皆5千年前の「黄帝」の子孫であるとの考えを発展させたのである。

いわば民族が、中華人民共和国を束ねる中心原則となった。中国の国民党を創った孫逸仙(孫文)は、「共に同じ血を分け合った仲間」という考えを普及させた中国国家の「父」として広く認知されている。

それから100年を経たのち、習近平も同じことを言い続けている。彼が台湾は中国の一部であると主張する根拠のひとつが「血は水よりも濃し」である。彼は2014年の演説のなかで持論をさらに拡大させている。すなわち「海外の中国人は何世代にもわたって、彼らの母国と彼らの起源あるいは彼らの血管を流れる中国の血を忘れていない」と。

こんにちの多くの中国人が中国人は見てすぐわかる、と言う。そして漢族としての見かけも本質的に識別に使われるひとつに違いない。北京で見かける幼い子供であれば肌が白い、あるいは黒い通行人をはばかることなく指さし、外来人だ(すなわち、文字通りの翻訳で「外国から来た人」)と叫ぶ。外国生まれで中国に住む漢族は、周りから北京語をもっとうまく話すべきだと言われる(一方、漢族以外の人たちは、たまにほぼ余興で変な発音で話しているだけなのに褒められるのである)。

中国人は、こんにち皆が極端に同質である。それはそこで生まれて中国人にならない限りほぼ完全に新参者を閉ざすことによって維持されるのである。中国国民の子供でない限り、どれだけそこに長く住んでいようと、どれだけカネを稼ごうと、あるいはどれだけ税金を納めようとも、中国市民になることは事実上不可能である。

中国人と結婚する人は理論的には市民権を得ることができる。実際にはほとんどの場合そうしない。その結果、2010年の国勢調査によると、地球上の最大人口の国に総数でわずか1448人の帰化人しかいない。移民に敵対的であることでよく知られる日本においてさえ、毎年およそ1万人が新たに帰化している。アメリカではその数字が70万人である。

漢族と国家としてのアイデンティティー(固有性)とが混合されていることが中国市民の多数派民族と少数派との間の不安な関係の根底にある。お役所的には建前として、少数民族派を平等に扱い、ある特権さえ与えている。しかしながら、実際には特に外見も異なる中国辺境出身の少数民族は差別されており、彼らの地域に漢族が入り込んでくるにつれ、ますます限界的な存在となりつつある。国が後押しする移住計画により、新疆の人口の漢族の占める割合は1949年に4%であったのが、今では42%に達している。内モンゴルでのモンゴル人の比率はわずか17%である。

中国で漢族以外のグループはせいぜい「愛嬌」と「物珍しさ」で人々の歓心を買うだけである。雲南省はその少数民族文化を売りとして繁盛する観光事業を築いた。少数民族のことは、技術分野で優れる漢族と対比させ、民俗的伝統で楽しませる人々として紹介される。

(新疆ウイグル自治区の)首府ウルムチの博物館にある「新疆の民族」展示会場でただ1人普通の服装をしているのが漢人であり、そこでの展示解説文は中国のウズベク人は「いろんな小さな帽子が格別に好きなのです」とか、中国のカザフ人の生活は「歌声とリズムであふれています」などと説明している。

中国は文化に対する彼らの無神経さが民族間の対立に転ずるリスクを冒している。辺境地域において固有文化を明らかに表すことは犯罪と見なされてきた。新疆ではウイグル族の男性があごひげを長く生やすことができず、ムスリムの人々はラマダン期間中に絶食することを禁じられることがある。内モンゴルとチベットの遊牧民たちは強制的に定住させられてきた。チベットと新疆では多くの学校で、その地域では実際に話す人の数が足りなくても北京語での授業が行われている。

そんな事情のもと、日常生活での偏見は当たり前のことになっている。「漢族はみんな俺たちを粗野で野蛮と思っている」と、漢族が支配するチベット高原青海省の省都西寧(せいねい)のチベット人ガイドは言う。彼の漢族の隣人のうち、せめて「こんにちは」のあいさつを言ってくれるのも1人だけである。中国ではチベット人とウイグル人は、彼らの土地以外ではよくホテルから宿泊を拒まれる(中国人としての身分証には民族種別が記載されている)。

アルバータ大学(カナダ)のレザ・ハスマス氏は、少数民族に属する北京の労働者は通常、教育程度が高いにもかかわらず給与は漢族の同等の労働者よりも低いことを調査結果として知っている。少数民族地域の最も有利な仕事は漢族のものとなってしまうのだ。

中国人たちは今や労働の権利、男性同性愛者の権利、環境問題のための抗議活動をささやかに組織化しつつあるものの、漢族の人々が力を合わせて自分たちと異なる民族の同僚たちを守ろうとする兆しはほとんど見られない。おそらく、そのような行為は(中国の)分離を支持すると見なされる恐れがあるから当然のことではある。実態はむしろ理想とは逆行している。政府の口上は、特にイスラムの危険性に関してのそれは、すでに存在する分離を激しくさせている。

ムスリムのホイ族はこれまで長く中国の多文化主義の顔である。彼らは漢族文化にうまく溶け込み、広く存在している(そして大事なことであるが、彼らは北京語をうまく話し、外形もそんなに目立って漢族と違わない)。それでも、多数派中国人はイスラムへの恐怖心を募らせており、特にネット上ではそれが顕著に表れる。ソーシャルネット上の書き込みでムスリムのホイ族に対し「中東へ帰れ」と呼びかけている。7月に習近平氏はホイ族の本拠地寧夏省への訪問の機会をとらえ、中国のイスラム教徒に対し、「非合法な宗教浸透活動」に抵抗し「愛国的伝統を前進させるよう」警告した。それは、彼がこのグループを離反の経緯を持つ中国辺境域の人々に対するのと同様に懐疑心を抱いて見ていることの証しである。

中国の多くの市民が平等に扱われていないのにもかかわらず、外国のパスポートを持つ外国人としての漢族系の中国人は歓迎され、特別なステータスを与えられる。(外国人であっても)中国人の祖先をもつ者であれば誰でも就業ビザ取得に際し法的に優遇される。中国人を親に持つ外国生まれの子供たちは、大学へ入ろうとする際に有利である。

このような措置が中国経済を助けてきた。過去10年の国内に向けての投資の多くが華僑によりなされたのである。多くの中国系アメリカ人2世が中国で起業をしている。しかし、「中国の家族」の一員でいることは、習近平氏が述べるように期待も負っているのである。去年の12月にサンフランシスコで催された、中国人の子供を養子に迎えたアメリカ人家庭のためのレセプションで、中国領事はその子供たちに向かって、黒い瞳、黒い髪そして浅黒い肌の色に言及し、「あなたたちは中国人である」と念を押した。領事は「中国人魂」を持つよう励ました。

中国政府の目からすれば、外国にいる中国人の使命は文化的なつなぎ役を超えて、国そしてさらに共産党への忠誠にも及ぶべきと考えるのである。外国の漢民族の多くが中国を代表して発言するのが彼らの義務であると感じるよう仕向けられるという。

今年の初め、豪州移民の中国人は中国の南シナ海岩礁の所有権主張に関して「母国」を支持する「正しい態度」をとるよう促された。豪州の前中国大使は最近、豪州における中国の動きが、中国人学生への「監視、指示そしてしばしば威圧」にもおよび、また豪州国籍の漢族ビジネスマンが中国の利益のためになるような主義主張への賛同確保を試みたりしている。1990年代の初めにはほとんど例外なく中国に批判的であった豪州国内の中国語メディアは今では肯定的に変わっており、チベットとか法輪功のような紛糾しやすい話題も避けている。

中国は、外国に移民した中国人の子孫たちが中国の国益を反映させる義務を感じないことを受け入れるのに抵抗を感じるのである。2011年から14年にわたって最初の中国系アメリカ人大使として北京に駐在したゲーリー・ロック氏は、自らの務めを果たすことに対して繰り返し中国の政府系メディアによって非難された。すなわち、たとえ中国の国益と対立する場合においてもアメリカの国益を代表せねばならない、という(当然の職務に関しても)である。中国在留の漢族系外国人記者たちは、公安局によって不忠義を非難されるとか、「中国人としての血」を忘れるなとの警告をされると報じている。

香港(中国が統治しているが)と台湾(中国の一部と主張としているが)との緊張した関係は、すべて同一民族であることがその強烈な原因としてはたらいている。それぞれ、漢族系中国人により支配されてはいるが、双方ともますます「中国人」であることよりも、それぞれの国の人間であることの方が大切であると思うようになっている。香港の香港中文大学によるアンケートによれば、回答者の9%が自分のことを中国人であると意識していると述べているが、これは中国への返還時の1997年の32%から下落している。台湾に関しても似た状況である。

◆北京による指令

中国政府は、漢族系の外国市民へのある種の法的管轄権を主張することによって外国政府と紛争になるリスクさえも冒している。昨年、漢族系人口比率が25%を占めるマレーシア政府は、「中国は『中国の国益』や『中国系市民の権利』が冒とくされたら手をこまねいているわけにはいかない」と明言した中国大使を非難した。その中国大使が予見して恐れたのは、ほとんどの商人たちが、漢族系ではあるが中国国籍ではないという地域で計画され、過激な暴動になる可能性をはらんだマレー系支持を叫ぶ抗議運動であった。その運動とは別のケースではさらに激しい騒ぎもあった。中国で生まれて外国に帰化したアメリカ市民の逮捕あるいは拘留は二国間の関係の上で長く対立の種となってきたのである。

中国の漢人を中心に据えた世界観は、難民にも向けられるのである。2009年以来、ミャンマーでの少数民族系軍隊と政府軍との一連の抗争において、中国政府は一貫して、漢族ではない人々のカチンからの避難への支援よりも人口の90%を漢族が占めるコーカンから脱出し中国に逃れようとする何千人もの難民の支援により尽力した。(※原文ではこのあとに1センテンスあるが割愛)

(中国の)政府や非政府組織(NGO)は世界の他の紛争地点から難民を受け入れることを示唆することはない。1949年以来、中国への大規模な人口流入を受け入れたのも対象は漢族のみであった。1978年から1979年にかけておよそ30万人のベトナム人が「中国系」であることを理由に迫害を受けることを恐れて国境を越え避難した。中国はその際、他の民族の流入をほぼ完全に拒んだ。ベトナムからの難民団を除くとわずか583人の難民を認定しただけである。中国の億万長者の数はそれを上回っている。

おそらくほとんど誰も中国に住みたいと望まないので、中国の鉄の移民政策、難民政策はほとんど関心を集めることがないのであろう。ベネズエラ出身のビクター・オチョア氏は自分のことを「赤いおむつをはいた赤ん坊(共産主義の恩恵を受けて育った子供)」と称している。すなわち、1960年代に社会主義理想郷をつくる手助けのために中国に来た外国人専門家の子供である

彼は建築を北京で学び中国に残った。それでも、彼は40年間毎年ビザの更新をしなければならなかった。今や彼は引退したいのに、中国に居残るための手段がないのである。「自分はここで病院を建設した。今、自分のアパートでくつろいで本を読んでいたいだけだ。しかし、それが許されない」と嘆いている。

外の人間の多くは中国を機会に満ちた地と見る。そしてある人々はここに留まることもある。しかし、政府はこのような人々に厳格な態度をとっている。何万人もの中国人男性がベトナム、ミャンマーあるいはラオス出身でしばしば自分と同じ非漢民族の女性たちと正式な届けをせず結婚している。当局は長い間こうした事情に見て見ぬふりをしてきたのであるが、今それら女性の多くが送還されるようになり、身分証明書も没収されている。

(広東省の)広州特別市当局は不法移民取り締まり3年計画を立ち上げた。特定のターゲットは明らかにはしていないものの、ビザ期限を過ぎても「チョコレート市」と地元民に呼ばれている広州特別市の一部に残留する50万人に及ぶアフリカ人を照準としている可能性がある。

何十年も前であれば中国政府は、新移民を受け入れるには人口が多すぎ、また貧しすぎると主張したことであろう。今、中国の女性は人口維持のための水準をかなり下回る平均1.6人の子供しか生まないし、2012年には生産年齢人口が初めて縮小した。

しかし中国は、多くの国が豊かになり労働世代の教育程度が高くなる過程で初めて遭遇する問題にすでに悩み始めている。中国人のみんながやりたがらない福祉関係の職員、ケア・スタッフ、看護士などの数に深刻な不足をきたしている。それらの不足の程度はこれからの人口の高齢化に伴いますます深まることが見込まれる。たいていの富裕国ではそのような職種には移民を呼び寄せている。だが、この9月に中国政府は非熟練技能者とかサービス従事者へのビザは「厳しく制限される」と繰り返している。

外に対し自らを閉ざす中国は世界に存在する専門家集団へのアクセスを自ら制限している。政府は驚くべき少数のビザしか発行しない。世界銀行の調査によると2010年において全人口の中国在留の外国人比率は、アメリカの13%に対し0.05%しかない。海外からの人材を集める目的で10年前に「グリーンカード」制度を始めたが、このデータを取り始めるようになって最近時点の2013年ではわずか8千人に資格が与えられていただけである。北京のシンクタンク、中国グローバリゼーションセンターの王フイヤオ氏によれば、その資格取得者たちの多くが外国のパスポートを持つ元中国市民であるという。

◆絹とカネの国

同時に多くの中国人たちが外国を目指すのである。毎年何十万もの中国人が海外で留学あるいは働くために国を離れる。その多くの中国人は仕事をするために国に戻り、イノーベーションとハイテク技術発展の原動力となっている。

そしてさらにその多くが帰国しない。中国教育省によれば、1978年以来、海外留学した4百万人の中国人のうち半分が戻っていない。しかし、中国は二重国籍を認めないので出生、財力あるいは居住などの要件を満たして外国のパスポート発行が許されるようになると選択を迫られるのである。その結果、頭脳流失は一方通行となる。何千人もの中国人が市民権を放棄するが外国人が中国人になるのが極めて難しいため、その流失を補う逆の流れはない。

中国の漢族中心の世界観は単なる歴史的に珍しいものとして片づけるべきものではない。それは世界にその成長力を活用する方策において決定的な力となるのである。すなわち、自国内および外国においても平等や市民としての自由のどちらも尊重しない国家である。経済の点でいえば、経済成長の重要な資源への道に対して自らを閉ざし、少数民族を差別することで資源を無駄にし、人材資源の有効活用を不可能にしている。

民族間対立を悪化させることで自らが恐れている分離化をあおることになる。そして、外国の市民を国籍でなく先祖の出生地で差別することによって、その外国市民を「自らの市民として保護」しようとあるいは不忠を理由に罰しようと、いずれにしても、中国は他国との衝突を起こすリスクを冒しているのである。

過去の世紀において中国成立の神話は強さの源であった。しかし、これからを展望するとき、中国は止めどなくその過去に引き戻されるリスクを冒しているのである。

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