п»ї 新しい農業スタイルが見えてきた!『教授Hの乾坤一冊』第12回 | ニュース屋台村

新しい農業スタイルが見えてきた!
『教授Hの乾坤一冊』第12回

12月 27日 2013年 文化

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教授H

大学教授。専門は環境経済学および理論経済学。政府の審議会の委員なども務める。「知性は、セクシーだ」が口癖。趣味は鉄道(車両形式オタク)。

初めから告白してしまうと、これから紹介する本の著者は、私のゼミの卒業生である。このことを書こうかどうか迷った。だが後からフェイスブックなどで関係が知れて、「なーんだ、だから書評に取り上げたのか」などと言われたら面白くない。私は著者を知っていようがいまいが、良い本と思えば『ニュース屋台村』に取り上げる、それまでのことなのだ。

さてその本とは、久松達央著の『キレイゴトぬきの農業論』(新潮新書、2013年)である。著者は、一度は大手繊維メーカーに就職したものの有機農業に一大転身を図るというユニークな経歴の持ち主だ。ずぶの素人から農業を始め、今では立派な主業農家として自立した。茨城県土浦市を拠点に年間50品目以上の有機野菜を栽培し、自らが代表を務める「久松農園」の会員に直販している。ビジネスは大はやり、大成功だ。

久松農園は有機野菜を中心に生産販売する有機農園である。にもかかわらず著者は有機農業を神話化することに異議を唱える。有機だから安全、有機だからおいしい、有機だから環境に優しいなど、環境派ならずともついうなずいてしまいそうなフレーズを著者はばっさり切り捨てる。

有機農業だから安全ということもないし、有機だから環境に優しいということもない。有機農業とおいしさは別ものだ。また適正に農薬を使っている限り危険ということもない。世の中には、野菜工場まで含めて色々な農法があり、それぞれ長所短所がある。どの方法を選ぶかは、農家の考え方次第だと著者は言う。ではなぜ著者の久松氏は有機農業を選んだのか。

著者の答えはこうだ。「生き物の仕組みを生かす農業」が有機農業であり、生き物の力を借りて栽培をするのが合理的であると著者は考えるからである。「作物を健康に育てるためには、畑の生き物の多様性を保つのが近道」なのだと著者は言う。つまり、著者にとって有機農業が理にかなった(つまり合理的)農法なのであって、別に有機農業の神話とは何の関係もない。

◆創意工夫と努力、これぞプロの農家

久松農園の野菜は正直おいしい。最近の例で言うと、小松菜のおいしさは破格である。これが本物の小松菜の味なのか、とため息がでるほどだ。しかしそれも著者に言わせれば当たり前のことなのだそうだ。

野菜のおいしさを決める主要因は、栽培時期(つまり旬であること)、品種、鮮度の三つなのであって、これさえ満たされればおいしい野菜ができる。適切な品種を選び、旬の野菜を生産し、そして鮮度を保つために有機農産物宅配サービスで配送する、だから抜群においしい野菜が家庭に届くのである。

著者は有機農業神話には懐疑的だが、有機農業の工夫に関しては革新的だ。「畑の生き物を保つことが、作物を健康に育て、質の高い作物を安定して作るポイント」と著者は主張する。実際、太陽熱処理技術と防虫ネット技術をうまく組み合わせることによって殺虫剤も除草剤も使わずに従来型の農業と同じくらい虫食いのない野菜が育てられる。

ただこの考え方も、「農薬が良い・悪い」のゼロ/イチの議論から来る帰結なのではなく、「どこまで守るためにどこまで手を入れるか、という費用対効果を考えた経営判断」から来るのだと言ってのけるところがいかにも著者らしい。どこまでも経済的に合理的な判断をした結果、有機農業の道を選びとっているということなのだ。

こう書くと著者が何か徹底的に功利主義的人間のように聞こえるかもしれない。だが実のところそうでもないのだ。やはり畑の生命力を感じ取れる環境の中で仕事をできることに著者は無情の喜びを感じているのである。「地下足袋で土を踏みしめる感覚や、畑全面に色とりどりに広がる作物を吹き抜ける風の匂い。そういう身体的な感覚が、農業を続ける上で僕には重要な要素なのです」などというくだりは、もう詩と言っても良いほどである。

著者は自分にはセンスもガッツもないと言っているが、これはウソだ。センスもガッツもなくて、ずぶの素人がここまで有機農業を成功させられるわけがない。「消費者の引っかかり」(つまり多様な関心のポイント)を大事にする点、自分の商品の価値をわかってくれる客筋を見極めることのできる点、不利な条件を逆手に取って他の農家にはできないことをやってしまう点、ITの情報受発信をフルに利用して消費者のニーズを把握する点など、著者の創意工夫と努力には驚かされる。

著者のような農家こそがプロの農家なのだ。彼は自然の感覚をこよなく大切にしながら、他方でビジネス感覚を研ぎすまし、工夫に工夫を重ねて生産・販売をする。JA農協のしがらみにどっぷり浸かり、昨日と同じ明日が来ると信じて疑わない農家、創意工夫を怠るアマチュアの農家とは大違いだ。本書に書いてあることは、すべてのプロの仕事に当てはまる。農業に関心がある人もない人も、是非読んで欲しい一冊である。

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