п»ї 終わらない戦後『読まずに死ねるかこの1冊』第11回 | ニュース屋台村

終わらない戦後
『読まずに死ねるかこの1冊』第11回

5月 02日 2014年 文化

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記者M

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間120冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味は食べ歩きウオーキング

4月29日の「昭和の日」。東京・新宿の高層ビル群の一角、新宿住友ビルの48階にある平和祈念展示資料館を訪れた。太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)から敗戦、その後の混乱に至る時期に関する本を集中的に読んだ時期があり、かねてぜひ訪れてみたいと思っていた。

総務省が委託して運営するこの施設には、兵士、戦後強制抑留(シベリア抑留)、満州を中心とする海外からの引き揚げに関する実物資料やジオラマが展示してある。僕はちょうど、草柳大蔵の『実録満鉄調査部(上)』(1983年、朝日新聞社)を読み終えたばかりだったので、このタイミングに訪れたのは、展示されている資料などで本で読んだ内容を確認できてよかった。好奇心がおう盛と言えば聞こえがいいが、小さい頃からやたらと野次馬根性たくましい僕は、なんでも見たい、聴きたい、行ってみたいと思ってきた。その思いが今回、また一つかなった。

それにしても、すっかり疎遠になってしまった日中・日韓関係。さらに日ロ関係も、ロシアによるウクライナへの軍事介入とクリミア半島編入の既成事実化で、日本はアメリカやEU(欧州連合)との協調関係を維持しつつ北方領土問題などの進展をにらんで微妙な立ち位置にある。

ローマの歴史家クルティウス・ルーフスは「歴史は繰り返す」という名言を残したが、すでに終わったはずの「戦後」が実は69年たった今も時々、「負の遺産」として外交の場で意図的と思わせるような形で顔をのぞかせる。

最近起きた中国の上海海事法院(裁判所)による商船三井の船舶差し押さえもその一例だろう。日本からすれば、戦争賠償の請求放棄を明記した1972年の日中共同声明で問題は解決済みとの解釈である。

今回は商船三井が約40億円の供託金を支払うことで早期解決を図ったが、司法の判断に党中央の意向が色濃く反映されるといわれる中国で今後、日本企業を標的にした同じような戦時賠償訴訟に飛び火しかねない。さらに、中国の裁判所には近年、戦時中の強制連行に関して日本の政府や企業を相手取り損害賠償を求める訴えが相次いでいる。現在すっかり冷え込んでしまった日中関係を反映して、中国の司法当局が日本の賠償を認める判断を下してもおかしくない状況にある。

もっとも、現在のように日中の首脳双方が「対話のドアはいつも開いている」と言いながら現実はといえば、互いに嫌悪感をあからさまにしたような行為や発言を繰り返している限り、解決の糸口を見いだすのは難しい。展示物を時間をかけてじっくり見ながら、「終わらぬ戦後」を改めて実感した。

◆シベリア抑留者の実態活写

今回紹介する辺見じゅんの『ラーゲリ(収容所)から遺書』(1992年、文芸春秋)は、シベリアに抑留された男たちの物語である。講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞しているが、歴代の受賞作の中でも出色の作品だと思う。僕はある日、社員食堂で昼ご飯をかき込みながら読んでいたのだが、涙が止まらず往生した記憶がある。

ソ連は太平洋戦争で日本の敗戦が色濃くなった1945年8月8日、日本との間で41年に交わしていた日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告し、翌9日に満州に侵攻した。日本はポツダム宣言を受諾して8月15日に戦争は終結。しかし、この日から強制抑留者の苦難の日々が始まった。

約57万5千人の日本人がシベリアの酷寒の地で乏しい食料と劣悪な環境の中で過酷な強制労働に従事させられたのである。ロシア語で「ラーゲリ」と呼ばれる強制収容所はソ連各地に開設され、当時の資料によればシベリアのほか、モスクワや黒海近くのハリコフ、カスピ海近くのクススノヴォドスクなどにも点在した。いずれもソ連の兵士から「ダモイ」(帰国)とウソをつかれ、強制的に送り込まれたのだ。

抑留された軍人、軍属はシベリア鉄道の北側を通るバム鉄道(バイカル・アムール鉄道、総延長4324キロ)の建設などにかり出された。深い森林を切り開いて線路を敷設するという難工事で、枕木1本敷設するために人が1人犠牲になったと言われるほど過酷な工事だったという。これは、ソ連の当時の指導者スターリンがポツダム宣言の内容をほごにして「極東、シベリアの環境下での労働に適した日本軍捕虜50万人を選別する」ことを命令したのが発端である。

ラーゲリでの厳しく貧しい生活は苛烈を極めた。文字通り、筆舌に尽くしがたいとはこのことだろう。

抑留者の引き揚げ船第1船が京都府舞鶴港に入ったのは1946年12月8日。以来、引き揚げ船は計230回運航され、最終船が舞鶴に入港したのは戦後10年以上もたった56年12月26日のことだった。この間、約45万3650人が帰国できたが、約5万5千人が抑留中に亡くなった。本作の主人公も、帰国を夢見ながら、かなえられなかった一人である。

シベリア抑留者を扱った推理小説に、鏑木蓮の『東京ダモイ』(2009年、講談社)がある。江戸川乱歩賞を受けた好著で、『ラーゲリ(収容所)から来た遺書』を読んだあと、推理を働かせながら読んでみてはいかがだろう。

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