п»ї 経済統合に向け「失われた1年」になる懸念『ASEANの今を読み解く』第6回 | ニュース屋台村

経済統合に向け「失われた1年」になる懸念
『ASEANの今を読み解く』第6回

2月 21日 2014年 国際

LINEで送る
Pocket

助川成也(すけがわ・せいや)

中央大学経済研究所客員研究員。専門は ASEAN経済統合、自由貿易協定(FTA)。2013年10月までタイ駐在。同年12月に『ASEAN経済共同体と日本』(文眞堂)を出版した。

◆試される議長国ミャンマーの力量

2014年は東南アジア諸国連合(ASEAN)の経済統合にとって試金石となる年である。第4コーナーにまさに入ろうとしているASEANを誘導する役割を担うのは、1997年の加盟以降、初めて議長国に就任したミャンマーである。本来、ミャンマーは2006年に議長国になるはずであった。議長国はアルファベット順に加盟国で持ち回るが、ミャンマーは他の加盟国からのピア・プレッシャー(周囲の仲間からの圧力)を受けて「辞退」に追い込まれた苦い経験を持つ。

当時、欧米諸国は民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏の自宅軟禁や政治犯の収監など軍事政権の人権侵害を問題視、議長国就任を強行すれば、欧米諸国が関与する拡大外相会議や、政治・安全保障問題の対話を行うASEAN地域フォーラム、アジア欧州会合(ASEM)などをボイコットすると圧力をかけていた。

そのため、加盟国の一部から「ASEANの国際的信用が一加盟国の行動で失墜することは問題」とし、議長国就任に反対した。特にマレーシアは、与党連合国民戦線がミャンマーの議長国停止を求める動議を国会に提出する動きに出た。シンガポールのリー・シェンロン首相はタン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長に直接、議長国就任辞退を促した。

ASEANは設立以降、緩やかな統合体として加盟国の主体性を重んじ運営されてきた。これらは「ASEANウェイ」とも呼ばれ、中でも「内政不干渉」は肝となる原則である。その原則を崩さないようミャンマーの議長国就任を「拒否」するのではなく、同国政府が国民和解と民主化に専念するため、自らの意思による「辞退」という形でその場を収拾した。

あれから8年、議長国就任前夜となる昨年末、テイン・セイン大統領が収監中の全政治犯を恩赦、国際社会から非難されてきた人権侵害問題に一応の区切りを付け、晴れて念願の議長国に就任した。

◆経済統合牽引には役不足か

ASEANの経済共同体(AEC)実現目標まで残り2年弱。残された時間は少ない。そのような中、ミャンマーが議長国として経済統合の船頭役を担えるかが試される。

しかし、2年弱の限られた時間内に実施が求められている措置は、非関税障壁の削減やサービス分野の開放などこれまで実施が難航してきたものばかり。更に、それら措置の実施には、各国国内産業との調整や各種法令の改正など手間がかかるものがほとんど。昨年7月のASEAN日本人商工会議所連合会(FJCCIA)とミンASEAN事務総長との対話で、同事務総長は統合が遅れている理由として、①ASEAN内で合意された事項の加盟各国での批准の遅れ②地域的約束を実施する政治的意志の欠如――を挙げた。

ASEANは現在、かつてのマハティールやリー・クワン・ユー、スハルトなど地域を牽引(けんいん)してきたリーダーが退き、リーダー不在とも言われている。その中で、経済統合の推進には、議長国と加盟各国双方が地域的約束を実現するという強い政治的意志を持ち続けることが重要である。

テイン・セイン大統領は、国内で発揮したリーダーシップを、ASEANにも展開することが期待される。しかしミャンマーは、人権侵害問題には一定の目途を立てたものの、少数民族問題、最大野党・国民民主連盟(NLD)党首のアウン・サン・スー・チー氏にも大統領の道を開く憲法改正問題など国内での課題も山積している。

更には、民主化・経済開放が急速に進んだ結果、経済統合を推進すべき政府の人的資源が極端に不足している。その状況の中、同国が経済統合を牽引出来るか懐疑的な見方が根強い。

2013年末に同国で44年ぶりに開催された東南アジア競技大会(シーゲーム)に続き、ミャンマーが国際社会復帰を内外に喧伝(けんでん)出来る重要な年とはなろうが、経済統合面からは「失われた1年」になりかねないリスクを孕(はら)む。統合に向けASEANは第4コーナーにまさに入ろうとしているが、転んで周回遅れにならないよう願わずにはいられない。

コメント

コメントを残す