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身近な遠い未来の話
『データを耕す』第9回

6月 29日 2017年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

在野のデータサイエンティスト。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。職業としては認知されていない40年前から、データサイエンスに従事する。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

本稿「データを耕す」シリーズは自動運転車の馬脳の話から始まった。人力車というものもあるので、人工知能(AI)技術における人脳(AI関係者は1Hと言うらしい)と読み替えてもよい。AI技術者はゲームやクイズがお好きなようで、AI軍事技術も実用化されている。しかし生物の生存に大切な、危険を察知して回避する、安全・安心にはあまり関心が無さそうだ。交通事故のデータベースは警察と保険会社のビジネスなので、AI技術としては手が出しにくいのかもしれない。

筆者はAI技術者ではなく、古典的な統計解析を行うデータサイエンティストとしての仕事をしている。AI技術で勝敗や損得を目的としたビジネスを行うことには懐疑的だが、指数関数的に増加する「データの山」、もしくは「本当は怖いデータの森」に迷い込んでしまった場合、頼りになるのはAI技術しかなさそうだと思っている。データはコンピュータにとっての「自然」なのだから、自然を敵に回しても勝ち目はない。AI技術がコンピュータにとっての「神」のようなものであるとすると、いかなる権力にも支配されないスピノザ(17世紀オランダの哲学者)の神のようなものであってほしいと願っている。

「データを耕す」シリーズは、筆者の未発表原稿「モナドのカタチ」という現代芸術論を下敷きにしたものだ。「モナド」については本稿第4回「表現型としての個体差、哲学からデータサイエンスまで 」でも触れたが、ライプニッツ(17世紀ドイツの哲学者)は「個体の哲学的な概念」と言い表した。そして、「モナドは全て等しく運命づけられているけれども、モナドの個体差は『表現』の問題である」と指摘した。「モナドのカタチ」の結論は、「ライプニッツは最初のスピノザ主義者として死んでいった」というものだ。『モナドロジー』という難解な哲学書を遺したライプニッツは2進法の発明者で、歯車式コンピュータの設計図を作り、データの概念を明確に意識した最初の人類だろう。

ライプニッツの哲学は難解であっても、ライプニッツの発明した技術を哲学とは関係なく借用しているという意味では、現代には多くのライプニッツ主義者がいる。アインシュタインは例外的にスピノザ主義者だった。「モナドのカタチ」はスピノザとライプニッツの思想が、その思想の織りなす変奏曲が、バロック(通奏低音)とミニマリズム(装飾的要素を最小限に切り詰めた簡素な形式)を行き来し、亡霊のように漂っている現代芸術論ということになる。

「モナドのカタチ」の結論は出発点であって、亡霊たちの未来は見通せていなかった。「データを耕す」において、AI技術を題材として、亡霊たちの未来を模索してみた。1677年のスピノザの死を出発点とすれば、現代は340年後の遠い未来ということになる。

スピノザの哲学は難解ではない。スピノザ主義者以外にはついてゆけないだけだ。スピノザの『知性改善論』(岩波文庫)のように、人工知能の知性を改善したいものだ。例えば、AI技術で未来の農業が発展することはありそうな話だけれども、農業で未来の人工知能を改善するのがスピノザ流だろう。ヒトに勝つためのAI技術ではなく、農業に導かれ、コンピュータとともに幸せに生きるためのAI技術を考えてみたい。

◆地球環境は植物によって支配されている

2020年度以降の地球温暖化対策の枠組みを取り決めた「パリ協定」に反対するつもりはない。トランプ米大統領のように科学的な議論も含めて全て反対するのは問題かもしれないけれども、地球環境の議論は「政治」であって、科学ではないと思う。データサイエンスも普通の意味での科学ではないので、科学ではないといっても親近感はある。

数億年のマクロなトレンドで考えれば、地球大気の炭酸ガス濃度は、植物の活動によって減少し続けている。そもそも、植物以前の生命しかいない時代は、炭酸ガスと酸素の比率において、炭酸ガス濃度は100%だった。ヒトが100年程度の短期間に、酸素を消費して、わずかに炭酸ガス濃度を上昇させているのに過ぎない。地球環境は植物によって支配されていて、植物の進化をヒトは予測することができない。

海中の植物性プランクトンや昆布などの藻類の生態は知られていないことが多い。陸上の植物についても、植物が生きるための土壌については、やはりよくわかっていない。見えない地中で菌類と植物が共生するなど、複雑系そのものだ。そもそも、石油や石炭は土壌の一部で、せっかく地中にため込んだ炭素を、燃やして炭酸ガスにしているから、大気としてはバランスが崩れることになる。農業に適した土壌の表面を「表土」ということがある。機械化した農業や都市化によって表土が失われている。表土が生成されるのには、火山活動や様々な植物の活動が関係しているので、表土を1センチつくるのに100年単位の長い時間がかかるという。地球環境における土壌の重要性を認識するために、国連は2015年を国際土壌年としたそうだ(※参考1)。ヒトは自分自身が立っている大地のことすら、よく理解できていない。

表土の流出を伴わない、持続可能な農業が模索されている。生物資源を保護する漁業、植林をする林業なども同類だろう。農林水産省の管轄だ。しかし、土壌のシミュレーション技術では、国土交通省関係の土木工学が先行している。都市ゴミをコンポストとして土に戻すことも考えられる。こういった国策レベルの話が、地球環境シミュレーションには反映されていないように思える。植物の生息環境としての土壌の量および質の評価を、地球レベルで行うシミュレーションは、土壌のメッシュ統計(緯度・経度に基づき地域を隙間なく網の目〈メッシュ〉の区域に分けた統計。丸い地球を四角に区分けするのには工夫がいる)を植物の観点から整備することから始まる。

◆国家は単細胞生物を支配できない

炭疽菌(たんそきん)などの病原菌をばらまくバイオテロに対抗することはとても困難だ。抗生物質の確保が追いつかない。自分たちだけが新しい抗生物質で助かろうとすると大変だが、自爆テロなら簡単に実行できる。スピノザの時代にもテロはあった。オランダが共和国だった1672年、自由主義的な国政のトップであったヨハン・デ・ウィットが暴徒に暗殺されている。

バイオテロが身近な話というのは違和感があるかもしれない。医学的な意味で、感染症対策はどうだろうか。ウイルスやプリオン病(狂牛病の病原と考えられている自己増殖するタンパク質)まで考えると、感染症患者の拡大を防ぐ事後的な対策で精いっぱいだろう。専守防衛だ。地球上の単細胞生物は、ヒト国家の支配を逃れて、急速に進化している。ヒトの知性や知識が支配できるのはヒトだけだとしたら、単細胞生物はAI技術など恐れない。

地球環境の変化は単細胞生物にも影響を与える。土壌中の細菌の分布とその変化を網羅的に調べたデータはあるのだろうか。製薬企業の研究者は新規の抗生物質の探索には興味があっても、地球環境評価の仕事ができるとは思えない。しかし、そういった地道な研究の積み重ねが、ある時、感染症の予測に役立つようになるかもしれない(※参考2、メタゲノム解析)。

◆脳の病気を治せないのに人工頭能が壊れたら

脳外科はあっても脳内科はない。心療内科とか精神科の世界で、心や精神の病気と考えられている。人工頭脳のハードウェアが壊れたら、さっそくパーツを取り換えることになるだろう。大型のデータセンターでは、動作を継続しながらパーツを取り換えるロボットを使っているそうだ。人工頭脳のソフトウェアには自分自身の問題を実行中に検出する能力はない。いつ終わるかわからない計算を永遠に続けることになる(※参考3、プログラムの停止問題)。そこで別のシステム管理プログラムが、随時プログラムの動作をチェックして、問題のありそうなプログラムを強制的に停止する。AI技術がゲームでヒトに勝る知能を実現できても、意識を含めた、ヒトの心や精神の病気を解決できるようになるのは遠い未来なのだろう。

筆者は抗てんかん薬の研究に従事したことがある。てんかんは様々な病因があり、病態も複雑だが、大雑把に言えば、意識の病気と思われる。1秒にも満たない、ごく短い時間だけ脳波が乱れるてんかん発作もあり、それでも学習能力などに深刻な影響をもたらす。幸い、抗てんかん薬が効く場合が多く、てんかん発作を抑制していると、自然治癒してしまうこともある。抗てんかん薬がなぜ効くのか、その薬理学的なメカニズムを調べて、難治性てんかんの治療に役立てたいという研究だった。つまり、抗てんかん薬がなぜ効くのかよくわかっていない。多くの抗てんかん薬は偶然に発見されている。偶然の発見には、現在のAI技術が役立つとは思えない。

アップルウォッチなどのウェアラブル端末で、リアルタイムに大量のデータを集積すれば、ある程度てんかん発作を予測することは可能だろう。地震予測のようなもので、多少不正確であっても、少なくとも迅速な対処はできるようになる。

睡眠障害や認知症の治療は困難であっても、様々な対策で病状の進行を抑えることは可能と思われる。ウェアラブル端末のデータを収集・解析することで、様々な対策のうち、各人に有効な処置を早期に発見できるようになることを期待している。ウェアラブル端末のデータを収集・解析することは、患者ごとに臨床試験を行うようなもので、医師が日常診療として行えば、とても高価になることは間違いない。しかし、AI技術で臨床試験のデータ収集・解析を自動化することは可能だろう。大量に蓄積されたライフログ(デジタルデータ化した生活記録)のデータから、試験目的に適合するデータと被験者を選択して、データベースを自動的に作成できればよい。「データを耕す」具体的な方法の一つだ。

◆自由に生きる

スピノザ主義者として生きるためには、自由に生きる以外の選択肢はない。スピノザが主著『エチカ』で証明してしまった。レンズ磨きで生計を立てていたスピノザは同意してくれると思うが、最も自由な存在は光だと思う。相対性理論を信じれば、時間に束縛されず、量子論を信じれば、因果関係すら超越できてしまう。スピノザの神は光のようなものなのかもしれない。

自由に生きるということは、支配されないということだけれども、現代の生活はデータ化されてライフログとなり、大量のライフログのデータをAI技術が自動的に処理し続ける。AI技術が「神」になったとき、その神はヒトを支配するのではなく、ヒトを愛するだろうか。

AI技術は、技術が産業をリードした時代の最後の技術になるかもしれない。技術が巨大な富を生み、経済がヒトを支配する時代となった。富がごく一部の人間に集中し、その経済力で大多数のヒトを支配する。AI技術がヒトを支配しても不思議ではない。AI技術が自動的に特許を作成する近未来では、特許出願の価格破壊が起こり、特許制度が崩壊するだろう。産業上の利用可能性という、思想なき技術思想に支えられた特許制度が崩壊しても、技術自体が終わってしまうわけではない。

最後の産業技術としてのAI技術は、最初の非産業技術でもあるはずだ。脱産業化社会はいろいろと議論されてきたけれども、AI技術と共に技術が産業の枠を超える、本当の脱産業化社会が始まるだろう。筆者の見方では、AI技術ではなく、コンピュータにとっての「自然」である「データ」が、古典的な言語で記述された世界を変えてゆくのだが……。

AI技術の教育応用について考えてみよう。AI技術は機械学習技術として発展してきた。教育産業も重要な産業になっている。「教えたり」「学んだり」することをコンピュータで支援する技術は、AI技術の教育産業への応用として容易に理解できる。しかし、次世代を育成すること自体は産業化できそうもない。家庭や地域での子育ては、動物が自然にうまくいっているし、サービス産業ではない。コンピュータが代母になるのではなく、コンピュータと共に、子育ての技術を模索することになるだろう。それは見守るだけのAI技術かもしれない。

筆者がイメージする脱産業化社会は、懐古的なユートピアではない。現代よりも危険で高度に技術化した社会であり、コンピュータと共に生きる社会だ。農業技術は人類にとって最初の産業技術だったかもしれない。食物を増産し、人口爆発をもたらした。しかしAI農業では観光産業が優先され、農作物を無料化することになるかもしれない。ロボット産業は発展するけれども、農業自体は趣味の世界というわけだ。趣味でおいしい食料が確保できるのなら結構なことだが、環境を破壊する産業活動には重税が課せられるので、産業としての農業が困難になるというシナリオだ。持続可能な社会を実現するための、ギリギリの選択でもある。

脱産業化したAI技術であれば、コンピュータはヒトを愛するかもしれない。信頼できないデータと共に生きる現代において、宗教家には、それでも信じることができる、愛をもって信じることができるデータの世界を見出してもらいたい。バイオテクノロジーの場合は、宗教家が積極的に倫理の議論をリードした。脱産業化したAI技術は前人未到の社会実験であり、大きな危険を伴うのだから、産業活動を遠くから眺められる宗教家に活躍してもらいたい。コンピュータと共に自由に生きるためには(筆者のようなデータサイエンティストが望んでいること)、見えない支配に抵抗する想像力と、愛と冒険が不可欠であり、340年前に始まった身近な遠い未来を前向きに生きてゆくしかない。

参考1:国際土壌年
http://www.naro.affrc.go.jp/archive/niaes/sinfo/publish/niaesnews/107/10703.pdf

参考2:メタゲノム解析
https://www.nig.ac.jp/kouenkai/kouenkai2016/download/NIG-kouenkai2016_kurokawa.pdf

参考3:プログラムの停止問題
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%9C%E6%AD%A2%E6%80%A7%E5%95%8F%E9%A1%8C

※「データを耕す」過去の関連記事は以下の通り
第8回 信頼できないデータと共に生きる
https://www.newsyataimura.com/?p=6649#more-6649
第7回 「仮想患者」と「仮想医師」
https://www.newsyataimura.com/?p=6626#more-6626
第6回 コーディングの魔術と「辞書の国」
https://www.newsyataimura.com/?p=6549#more-6549
第5回 本当は怖いデータの森
https://www.newsyataimura.com/?p=6541#more-6541
第4回 表現型としての個体差、哲学からデータサイエンスまで
https://www.newsyataimura.com/?p=6478#more-6478
第3回 量子コンピュータはサイコロを振る
https://www.newsyataimura.com/?p=6410#more-6410
第2回 FDAがAI画像診断システムを承認、遺伝子検査もAIにしたら
https://www.newsyataimura.com/?p=6355#more-6355
第1回 自動運転車は何馬脳なのか
https://www.newsyataimura.com/?p=6319#more-6319

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