п»ї 障がい者雇用のでたらめと倫理観という幻想 『ジャーナリスティックなやさしい未来』第147回 | ニュース屋台村

障がい者雇用のでたらめと倫理観という幻想
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第147回

11月 12日 2018年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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一般財団法人福祉教育支援協会専務理事・上席研究員(就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括・ケアメディア推進プロジェクト代表)。コミュニケーション基礎研究会代表。精神科系ポータルサイト「サイキュレ」編集委員。一般社団法人日本不動産仲裁機構上席研究員、法定外見晴台学園大学客員教授。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。

◆束縛の鎖になってしまう!

中央省庁が障害者手帳を持たない人を恣意(しい)的な判断で障がい者雇用数に算入するなどのでたらめを長年続けていた問題や、複数の企業が耐震構造を支える免震・制振オイルダンパーの検査データを改ざんしていた問題も、ともに組織の倫理観が欠如した結果との指摘もあるが、そもそも巨大化した組織に倫理観が存在しているのか、という問いが出てくるのは、あまりにも平然と不正をやってのけてしまうからで、それは社会生活を営む個人が持つべき倫理とは別次元の世界のようにも思えてくる。

私たちは、組織を擬人化して、そこには倫理が備わっていると幻想を抱いているだけで、実は企業や組織にあるのはシステムだけである、のかもしれない。

フランスのテイヤール・ド・シャルダン(1881~1955年)は代表作でもある『現象としての人間』(みすず書房、新版2011年)の中で、当時の欧州で進む全体主義を引き合いにし、人類の危機を訴えた。私たちは「恐るべき束縛の鎖になってしまう!」という嘆きだ。
この嘆きがどこか現代に通じるような気がしてならない。

◆それでも地球は動く!

テイヤールはカトリック神父でイエズス会司祭であると同時に、北京原人の発掘の指導を中国の現地で23年間続けた生物学者としても著名だ。

哲学者、宗教学者でもある思想家であるが、生前はその思想はキリスト教会からは忌避され、出版化されないものが多く、結果的にテイヤールの評価は死後に高まっていった。

先ほどの「束縛の鎖になる人類」の指摘は「細胞の代わりに結晶粒。兄弟的な愛の代わりに白蟻の巣。期待される意識の急激な高まりの代わりに、全体主義の作用から必然的に現われてくると思われる機械化」へと導かれると説いた後、こう叫んでいる。

「それでも地球は動く!」(Eppur si muove!)。

そう、私たちは集合化すると必然的に愛からも離れてしまうし、有機体として反応し続ける細胞は死に、無反応な結晶と化してしまうのだが、地球は動いていることを忘れてはならないのだ。

◆やっかいな現代の怪物

これは希望である。

機械化されるわれわれの構造を理解した上での反転攻勢。

「精神の生成発展における通則のこんなにもはなはだしい倒錯に直面して、われわれが示す反応は絶望することではなく、もう一度心のなかを吟味してみることでなければならない」

という。そのために、うまく制御するために、うまく動かすためにどうするか、だ。

「エネルギーの流れが狂ってくると、技師は動力そのものを問題にする代わりに。それをもっとよく制御する方法を発見するために計算をやり直すだけではないか? 現代の全体主義はこのように怪物的ではあるが、実は崇高な何ものかのゆがみであり、まだ真理のすぐそばに近づいているにちがいないとはいえないか?」

怪物的な全体主義は、現代では人間とテクノロジーが融合した巨大なシステムとなり、ますますやっかいな怪物になりつつある。

◆私たちの向かう方向は?

この怪物ではあるが、テイヤールが私たちの細やかな行為を宇宙の中で位置づけたように、大きなスケールで考えれば、怪物の制御に向けた活路は見いだされていく。

「人間集団という巨大な機械は精神の極度な豊かさを生み出しながら、働くように仕組まれたものであるし、またそのように働かなければならないものである。これは疑うべからざることだ。機械がうまく働かないのは、あるいは物質しか作り出さないのは、機械が逆の方向にまわっているからである」

逆の方向に向かわせているのは私たちだ。彼は最後には問いかける形でこの論考を結んでおり、ここに私たちの仕事がある、と思う。

「われわれは理論と実践において、まず人格に、ついで人格化の力に、正当な場所を与えることをなおざりにしていたのではないか?」

これへの答えとしての思考と実践を続けていきたい。

■いよいよ始まる!2019年4月開学 法定外シャローム大学
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■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
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