п»ї 3つの「しこう」と、小さな生活に向けて『ジャーナリスティックなやさしい未来』第33回 | ニュース屋台村

3つの「しこう」と、小さな生活に向けて
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第33回

1月 09日 2015年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆おかしくないか

午後8時過ぎの東京都渋谷区にある百貨店の地下食品売り場。閉店のアナウンスにせかされるように急ぎ足で買い物を終えた客が、店員の丁寧なお辞儀で送り出されると、店内では警報のようなブザーが鳴る。

営業時間のトーンとは違うその音がフロアに響き渡ると、きらびやかなそれぞれのショーケースの前には大きなゴミ袋がドッカと置かれる。袋の中には、数分前まできれいな照明に照らし出され、客から指名されるのを待ち続けたショートケーキやロールケーキ、豪華なアントルメらが、ぐしゃぐしゃに崩されて詰め込まれている。

客に選ばれなかった生ものたちに明日はない。それぞれのブランドから出される廃棄物の多さには、ケーキ好きの私でなくても頭がくらくらするだろう。「ちょっとおかしくないか」と。

廃棄ゼロを目標に掲げる食品ブランドの支援の仕事で昨年から東京都内の百貨店に出入りするようになってから、閉店後に目にする食品売場の日常的な光景に、2011年3月11日の東日本大震災で沿岸部の田んぼにメルセデスベンツやポルシェなどの高級車が転がっていた風景がシンクロする。

潮風にさらされた繁栄の象徴のモノたちを眺めながら、社会がモノを追い求める限り幸福と不幸をめぐる人々の心のひずみは終わらない、GDP(国内総生産)のプラス成長こそが国の繁栄と信じて疑わない国家の行き先はどこに向かいたいのか、と強い疑義に迫られた日のことを思い出す。

◆自由経済という化け物

「飽食の時代」への自省と警鐘が本格的に語られ始めたのが1980年代。戦後復興から豊かさを追い求めた末の繁栄を享受しながら、私たちは環境を意識し始めた。家庭では電気の節約やごみの分別、企業では製造工程の効率化、廃棄物を出さずに資源を循環させるなどゼロエミッションの追求。それは一定の成果をおさめているのは間違いない。

しかし政治の「志向」、社会の「指向」によってその成果は頭打ちのような気がしてならない。それは自由経済という化け物を追い求める「思考」であり、この思考は「志向」と「指向」の基底であり、結構根強い。自由経済は欲望を原動力とするから、政治が自由経済を志向するのは、それが人の利にかなっており、コントロールしやすい、と考えているから。欲望のサイクルを見直さない限り、百貨店で高級食材が廃棄される光景は終わらないだろう。食品で言えば、おいしいもの、新鮮なもの、清潔なものを追い求める結果、安心・安全が金科玉条の如くに語られる。

私たちが食の安全を語るとき、「中国はひどい」と隣国を軽蔑し、ののしってみるが、自分らの足元でも食品偽装が次々発覚するのも事実であり、今度は「中国とは違う」と叫んでみる。

中国や韓国に反発する言動を呼び起こさせるのはこうした思考であり、これも根にあるのは自由経済という欲望、繁栄のひずみから生み出された優越感と劣等感を基準とした判断である。

これはよくないと思っている人は多いが、どうしたらよいかわからない人も多いと思う。だから私は「どうするか」の答えを考えなければならない。40代前半の私は、バブル崩壊後に就職し、その恩恵にあずかることもなく、その処理に追われ、勝ち組負け組と振り分けられる欲望の価値観に放り込まれ過ごしてきた。

記者として社会正義を志し、経営コンサルタントとして社会的存在を目指し、一人の市民として社会貢献を志向した経験から、そろそろ決心をしなければいけない時に来ている。そんなことを年末の百貨店の食料品売り場を行き交う客を見ながら考えている。

◆幸福の本質に近づく

その決心は「小さく生きる」ことである。「幸せ」というコトの日々を感謝し、モノに別れを告げる。これまでも実践してきたものだが、昨年末に引っ越しをしたことによってなおさらに不必要なモノが多いのに気が付き、その思考はゆるぎないものとなった。

生活を小さくし、拡大路線から平衡感覚を取り戻す。商品やサービスのやり過ぎはよくない、という感覚を大切にする生き方。キンキンギラギラの広告や看板を取り外すことは、個人に限らず組織でも取り組めば、できる。小さな国家や地方自治体単位で街並みを規制し、静寂な雰囲気を維持し魅力を発信している場所があるから、事例は少なくない。このような外への欲望を抑えることで、初めて真摯(しんし)な内面との対話が可能となる。

内面とのコミュニケーションの充実こそ、熟考された「熟成の」アウトプットが出されることにつながる。それはきっと今よりも人の幸福の本質に近いものになるはずである。

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