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他者比較と歴史認識―今年のヨーロッパ旅行で感じたこと
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第130回

10月 26日 2018年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住20年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

人が事実を認識していく有効な方法は、他者比較と歴史認識である。私は若いときに、こうした手法をずっと馬鹿にしてきたような気がする。自己の感覚を重視した認識論と、それをベースに整合的に作り上げる論理展開が、私が物事を理解する上での方法であった。このため学生時代に私が夢中になったのは音楽と哲学・社会学であった。私が学生時代に勉強してきた単純な世界歴史観と同様に、ヨーロッパ社会の理解も当時の日本の社会科学で論じられた形式的な理解である。

◆歴史からの事実認識

ところが他者比較の重要性については、初めて米国に赴任した20歳代後半にいやというほど考えさせられた。「人種のるつぼ」と言われる米国である。白人あり、黒人あり、アジア人あり、中東人あり、ユダヤ人あり。否、この分類すら間違えている。白人だってイギリス人あり、ドイツ人あり、イタリア人あり、さまざまである。それが証拠に、私が渡米した頃には、アメリカ人同士ですら相手を知るために「あなたはどこから来たのですか?」と聞き合っていたほどである。

相手の祖先の素性を知ろうというのである。自分と全く異なった境遇・宗教・倫理・世界観があることを知り、私は素直に驚くとともに、その違いに興味を持った。米国の大学の授業には比較社会学や比較文化論など、他者との比較を行う学問がそろっており、私はUCLAの夜間大学などでこれらの授業を取った。また授業中には繁敏に自分の意見を言うことを求められ、「いかに自分のことがわかっていないか」に気づかされた。こうした時に助けになったのが他者比較である。幾つかのものを比べることによって、分析対象の特徴を際立たせる。こうした作業を自分自身の分析にも適用することによって、自己を客体化し、日本の特徴などを米国人に説明する術(すべ)を手に入れた。

歴史からの事実認識については、タイへの赴任が大きな契機となった。たかだか400年程度の歴史しかない米国に比べ、タイは数千年の歴史を持つ。またタイの風土と民族・宗教・文化の歴史は必ずしも一致しない。こうしたものが複雑に入り組むことによって現在のタイ社会やタイ人がつくられている、ということに気づかされたのである。さらに4年前から始めた夏のヨーロッパ旅行によって、各国の歴史を理解することの重要性を一層理解した。

今年のヨーロッパ旅行では、私が従来持っていた西洋史観の稚拙さにがく然とした(拙稿第129回「崩れ落ちた誤解だらけの私の西洋観」ご参照)。今回はこの夏のヨーロッパ旅行で感じたことを通して、日本との違いを考えてみたい。

◆他者を警戒する風土

ヨーロッパに行ってまず感じるのは、ヨーロッパの人達は初対面の人に対して決して笑わないことである。陽気なアメリカ人とは大違いである。レストランに入ってもウェーターが無愛想に近寄ってくる。これを日本人は「ヨーロッパにはおもてなしの心がない」と言う。果たしてそうであろうか? 幸いにして私は食べることが大好きだし、英語にもそれほど困らない。このためヨーロッパ旅行中は観光ガイドに頼ることなく、自分の鼻を信じて地元レストランに入る。

幸い私は鼻がいいらしい。おいしい料理にありつける確立が高い。しかし地元のレストランに行って日本人の客と会うことはほとんどない。地場の料理をよくわからないし、外国語のメニューに慣れていないからだろう。時には私だって、レストランのウェーターが英語が話せないケースに遭遇する。メニューがフランス語やイタリア語だけの時だってある。それでもウェーターとなんとか会話しながら料理を選びおいしい料理にあたった時の喜びはこの上ない。

私たち夫婦は高齢なので、それほど多くの量を食べられない。サラダとメインディッシュを一品ずつ頼んで夫婦でシェアすることがほとんどである。しかし、ヨーロッパの高級そうなレストランであっても、こうした私たちの事情をウェーターに話すと、最初は無愛想だったウェーターが快く応じてくれる。わざわざ一人前を二つの別々の皿に分けて持って来てくれたり、「メインディッシュのソースが2人で使うには足りないだろう」と言って追加して持ってきてくれたりする。そして幾つかのレストランで言われたのが、「私は日本人とこうしてフランクに話をしたのは初めてだ」という言葉である。「相手に少しは受け入れてもらった」という気持ちが起こり、正直うれしくなる。

しかし何度かこの言葉を聞くうちにわかってきたことがある。我々日本人がヨーロッパに行き不慣れなレストランで身構えているのと同様に、相手のウェーターも我々に対して身構えているのである。

民族も文化も違い、古代より戦争によって殺戮(さつりく)を繰り返してきたヨーロッパ。我々日本人はローマ人、ケルト人、ゲルマン人、ラテン人、スラブ人、マジャール人などヨーロッパ人の人種の違いなどほとんどわかっていない。これら異民族の人たちが生き残りのため富や土地支配をめぐって殺し合いを続けてきた長いヨーロッパの歴史。チェコの有名な画家であるアルファンス・ミューシャの「スラブ叙事詩」には、虐げられてきたスラブ民族の魂の叫びが描かれている。決して異民族との戦いでだけはない。「宗教戦争」といわれる三十年戦争の時にはドイツ人同士の戦いにより当時1800万人いたドイツ人の人口が700万人になったと言われている(戦争の死者は400万人程度で、残りはペストによる死者という見解もある)。

またフランス革命では、490万人の犠牲者が出たが、「大半は革命を起こした民衆同士の内紛によるものだった」とフランス人ガイドから聞いたことがある。いずれにしても、同じ民族同士と言えども信用できない悲惨な歴史がある。こうした経験が血となって他者を警戒する風土となっている。他民族との闘争のなかった日本人には計り知れないヨーロッパ人の血である。

◆他民族の許容と排除

次に私が思うのが、ヨーロッパ人の他民族の許容と排除である。ドイツ人、フランス人、イタリア人などの呼び名があるが、これはそれぞれの国に居住している人、もしくはそれぞれの言語を話す人々の意味で、長いヨーロッパの歴史の中で幾つもの民族が同化している。オーストリアに暮らすドイツ人も、ケルト人、ゲルマン人、バイエルン人、マジャール人の融合でドイツ語を話す人という意味である。これが北部ドイツに行けばゲルマン人の世界となる。イタリア人はローマ人、ラテン人、フェニキア人、ギリシャ人、ケルト人の混血、フランス人だってラテン人、ケルト人、ゲルマン人の混血なのである。こうした他民族融合の歴史があるため、ヨーロッパ人は中東難民の受け入れにも寛容である。

ところがこれとは全く真逆な動きをすることがある。特にゲルマン人にこうした傾向が強いと感じるのは私のうがった見方であろうか? 中世の十字軍派遣の際、ドイツ諸侯はイスラム教徒ではなく同じキリスト教徒であるスラブ人やマジャール人を襲ったことは、日本ではあまり知られていない。

また第2次世界大戦時、ユダヤ人迫害やスラブ民族の追放、ポーランド進攻などもゲルマン民族の血のなせる業のような気がする。その報復として第2次世界大戦後は、ポーランド、チェコ、ハンガリーなどでドイツ人追放が相次いだ。いまだに民族内の憎悪も根強く残っているように感じた。こうした自分とは異なる他者を受け入れるため、ヨーロッパでは「ルールの制定」に力を注ぐのであろう。他者のみならず「自分の属する民族や所属体が行ってきた過去の所業」をも信じていないからこそ、「性善説」信仰のアジア人とは大きく異なる。

「このようなヨーロッパ人の遺伝子が作用し、ヨーロッパ人は会話を重視している」というのが私の次なる仮説である。ヨーロッパの人たちは驚くほど会話を楽しんでいる。レストランやバーでは、家族、友人、恋人などいろいろな人たちが、皆途切れることなく話を続けている。ところが日本やアジアではこうはいかない。携帯電話をいじっている人ばかりなのである。一方ヨーロッパでは、レストランやバーで携帯電話を持ち出している人は皆無である。他人が自分と同じではないからこそ、会話を通じて他人を理解しようとしているのではないだろうか? 異物が混在しているヨーロッパだからこそ、他者を理解する努力が必要となってくる。

◆内向きな日本人が日本を貧しくする

最後に私が今回の旅行で、一つ残念に思ったことを書きつけておきたい。それは今回の旅行中ほとんど日本人旅行客の姿を見かけなかったことである。ハンガリーのブダペスト大聖堂で日本の大手旅行会社企画のツアーに遭遇した。20人以上のツアー客のほとんどは私と同じ高齢な方ばかりである。先頭に立つ「現地のツアーガイド」の説明を聞き、規則正しく行動している。その一番後ろには日本からの旅行会社の添乗員らしき人が、旅行会社の旗を持ちながら一生懸命大聖堂の写真を写している。この若い添乗員はブタペストが初めてらしい。ツアー客そっちのけで、自分の写真撮りに専念している。こんな添乗員が日本から付き添ってくるのでは、このツアーに参加する人たちも不安になるのではないかと、私は余計な心配をしてしまった。

私が日本のツアー客を見た別の機会はファストフード店のベンチシートである。たまたまその日は、朝食後にウィーンの有名なチョコレートケーキを食べておなかが重かった。そのため軽い昼食で済まそうと、現地のファストフード店に入った。カウンターで指差しで料理が注文でき、既に調理されている料理が皿に盛られて出てくる比較的安価なカフェテリアのような形式のお店である。何とここに、何組もの日本人ペアがいたのである。多分ツアーの団体行動ではなく、自由時間中なのであろう。それぞれの夫婦が別個に席について、勝手に食べて勝手にお店を出ていく。やはり高齢な人ばかりである。この光景を見て「なぜ現地レストランで日本人を見ないのか?」合点が行く気がした。

それにしてもオーストリアにまで来て、こんファストフード店でばかり食事をしているのだとしたら、本当に残念な話である。素晴らしくおいしいオーストリア料理を経験せずに、人生が終わってしまうのだから。

これまでロンドン、パリ、フランクフルトでは日本人の姿を時々見かけた。さすがにオーストリア、チェコ、ハンガリーなどの中欧諸国にまでは、日本人は来ないのかも知れない。ところが今回の旅行中、韓国人及び中国人の旅行客は多く見かけたのである。特にびっくりしたのが、若い女性の韓国人旅行者たちである。私たちはオーストリアのザルツブルグからチェコのチェスキークロムロフまで日帰りの観光旅行をした。このとき現地のマイクロバスを利用したが、その乗客の多くが韓国人旅行客で、ザルツブルグからプラハ、もしくはプラハからザルツブルグの移動にこのマイクロバスを利用していたのである。

この若い韓国人女性旅行者たちはみな1人で旅行しているのである。狭い車内で私たちはこれら韓国人旅行者と言葉を交わしてみたが、皆新しいものを発見して旅行を楽しんでいる。好奇心旺盛なのである。こうした若い観光人女性旅行客は街中や鉄道列車内などいたるところで見受けられた。

これと比較して日本人の若者の旅行者は全くといっていいほど見かけなかった。外国人の訪日観光客が大幅増加しているのにもかかわらず、残念ながら日本人の海外渡航者数は増えていない。特に若い人たちは海外に出かけないという。海外に出かけなくても日本に閉じこもっていれば十分満足な生活ができるからだと解説する人もいる。

しかし今や1人あたりの所得で見れば日本はOECD(経済協力開発機構)諸国の下位国となってしまった。内向きな日本人がどんどん日本を貧しくしている。若い人たちこそ積極的に海外に出かけ、他者に触れ合うことによって「自分たちを客体的に見ること」ができるようになってほしいと、私は切に願っている。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り
第129回 崩れ落ちた誤解だらけの私の西洋観

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