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漂流する日本の銀行
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第229回

11月 18日 2022年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住24年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

◆「はみ出し者」が生き延びた

早いもので私の銀行員生活は45年になる。これだけ長い間、銀行員生活を続けられるとは夢にも想像していなかった。私が就職した当時の銀行は55歳が定年、しかもほとんどの人たちは55歳の定年前に銀行が斡旋(あっせん)する第2の職場へ転籍していった。30年以上銀行員生活を送れる人はまれであった。

また銀行と言えば、「お堅い職場」の代名詞であった。私のような「はみ出し者」が生き延びる世界ではなかった。平均10%もの経済成長をした戦後の高度成長期から経済円熟期へと移行していた1977年。私の就職戦争は「団塊の世代」の就職が終わり「就職氷河期」を迎えていた。周りの友人たちの安定志向に影響され、私も気が付けば「銀行員」になっていた。しかし恩師、友人とも私が長く銀行員を続けられるとは思っていなかった。当時の銀行は大蔵省(当時)主導の「護送船団方式」と通産省(当時)主導の「中小企業育成策」の下で、民間から預金を集めさえすればいくらでも貸し出しで利益を上げることができた。このため大学卒の優秀(?)な新入行員も、ただ頭を下げてお願いするだけの「預金集め」に投入され、「人材の墓場」と揶揄(やゆ)されるようになった。 記事全文>>

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