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「格差と貧困」という視点:『ベーシックインカムを考える』その2
『視点を磨き、視野を広げる』第37回

12月 24日 2019年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに

前稿では経済学者の原田泰著『ベーシック・インカム――国家は貧困問題を解消できるか』を参考に、ベーシックインカムについて考えた。原田の主張を要約すると――日本の格差と貧困の問題は深刻である。格差是正については社会保障制度の改革が必要だが、それだけでは深刻化する貧困は解決できない。生活保護受給者は214万人だが、その水準以下で生活している人々は約1000万人と推計され、5人に1人しか救えていないのだ。現在の生活保護制度の問題点は、国際比較で高い給付水準の一方で低所得者のアクセスを制限することで制度をなんとか維持させている点にある。現行制度で全員を救うことは不可能なので、発想を変えて国家が全国民にお金を給付するベーシックインカム(基礎的所得)を導入すべきである。それは財政的に可能だということを示したい――である。

本書で提案しているベーシックインカムは、月額7万円(子供3万円)を、所得や資産に関係なくすべての国民に給付する制度である。夫婦と子供2人世帯で月額20万円である。そして財源は、所得への30%の一律課税とベーシックインカムによって代替される社会保障費や他の予算の削減で調達可能だとする。しかし、ベーシックインカムに対しては、財政的に不可能という思い込みや、貧困の根本解決には社会問題(家庭内暴力、児童虐待など)への対応がより重要といった批判、あるいは誰も働かなくなるのではないか、賃金が下がるのではないかという疑問がある。

本稿では、ベーシックインカムは財政的に可能であるという原田の案の妥当性を検討したい。その上でベーシックインカムは、従来の日本型雇用モデルの見直しと一体で考える必要があることを明らかにしたい。

◆ベーシックインカムの財政的可能性

<必要な予算金額>

・ベーシックインカム給付は、1人月額7万円(20歳未満3万円)とするので総額 96.3兆円① が必要である。本書では、所得税として自分が得た所得に一律30%を課税するとしており 77.3兆円② の所得税収入が得られる。ただし現在の所得税収入 13.9兆円③ がなくなるので、①から②を引いて③を足した 32.9兆円 が必要な額である(図表1)。

<代替財源>

ベーシックインカム導入によって代替される制度を廃止することで21.8兆円④が削減できる。次に一般会計予算や地方自治体の民生費のうち所得維持のために支出されている予算を削減して合計で14.0兆円⑤を捻出する。④と⑤を足すと35.8兆円になり、必要金額を上回る(図表2)。

<本案の評価>

本書では、ベーシックインカムを全員に給付する一方で、所得に一律課税して所得税収入を大幅に増やすことで制度導入に必要な財源の3分の2を確保している。不足する3分の1の財源は、ベーシックインカムで代替される社会保障関係費を充当し、残りは一般会計予算や地方自治体の民生費から所得維持のための予算を削減する。本案のポイントは①重複する社会保障関係費の廃止②所得維持のための予算の削減③一律課税(30%)の所得税導入――の三つである。

まず、①社会保障関係費のうち老齢基礎年金、子ども手当、雇用保険や生活保護費(医療費は除く)は、ベーシックインカムによって代替されるので廃止が妥当である。代替財源として計算に入れていいだろう。なお、生活保護費から医療費部分を除外しているのは、医療制度全体の改革と関連してくるからである。原田はそれを論じるためには本をもう一冊書かなければいけないとしている。

次に②所得維持のための予算の削減は、議論が分かれると思われる。どこまでが所得維持の予算なのかの線引きが難しいからだ。本書でも、費目ごとに1割あるいは3分の1という比率をざっくりと当てはめて削減している。また、削減対象となる地方交付金や公共事業、中小企業、農林水産業予算の背後にも衰退する地方経済の問題が存在する。ベーシックインカムの導入を理由に予算を削減すれば、地域経済が存続できなくなるとして反対論が起きることが想定される。さらに、これらの事業は既得権益層の政治力の強さも忘れてはならないだろう。

最後の③一律30%課税する所得税については、所得階層によって影響が違う点に留意が必要だ。すなわち、ベーシックインカムによってすべての人に年間84万円(子ども36万円)が支給されるが、自分が働いた所得には30%課税されるので。受取と支払の差(「ネット税額」)は、一定の所得を境にして低所得層はプラスになり、高所得層はマイナスになる。本書の試算では、ボーダーラインは年間所得「600万円」である。次に、この「ネット税額」と「現行税制による所得税額」を所得階層別に比較することで、現行制度が得か、新制度が得かをみることにする。こちらは「年収900万円から3000万円」までの層(「中の上」の層)の負担が増え、他の所得階層は負担が減る(現行より得をする)。高所得層は所得税率が現在(最高税率は45%)より下がる恩恵を受けて得をするので、「中の上」の層だけが損をすることになる。累進税率の採用などによって、さらに納得性のある負担配分を検討する必要があるだろう。

◆ベーシックインカムへの批判や疑問と回答

<批判1>ベーシックインカムは巨額の財政支出を伴う

:上記でみたように財政的に可能と考えられ、巨額の財政支出を理由に不可能とするのは思い込みに過ぎないことが分かる。

<批判2>給付金額の妥当性(月額7万円は少ない)

:本書では現行の生活保護水準と比べて妥当性を有するとしている。すなわち、生活保護費は夫婦と子2人の場合、「町村部」は20.9万円であり(*注1)、本案の20万円と変わらないからだ。したがって、「ベーシックインカムは日本国憲法が保障する健康で文化的な最低限の生活を十分に保障できる」としている。また、給付金額を増やすことも可能だ。所得税率を上げるか(本案では一律30%であるが例えばこれを40%にする)、累進課税を採用すれば設計可能である。図表3に見るように、ベーシックインカムの給付水準を大きくするというのは所得再分配を大きくすることであり、政治的立ち位置でいえば社会民主主義の立場に近い。また、新自由主義の立場からは、格差拡大で貧困化する大多数の国民に対して最低限の給付を行うというベーシックインカムもありうるだろう。原田が言うように、「国民の選択」ということになる。

<批判3>貧困とは単に所得がないことではなく社会問題(教育、職業能力、社会的適応力の不足、家庭内暴力、児童虐待、疾病、傷害などの問題)である。それらの問題を解決しないと真の解決にはならない。

:本書の答えは、貧困の問題の大部分を占めるのは「お金がないこと」であり、それが解決されれば、他の問題は、「(余裕ができる)官僚機構がじっくり体力をかけて対処できるようになる」というものである。現在起きている社会問題は、核家族化や少子高齢化といった社会構造の変化を背景としたものが多いが、その根底には貧困の問題が存在するというのが現実だと思われる。原田が言うように、まず貧困を解消するところから、社会問題の解決が始まると考えるべきであろう。

なお本書では、ベーシックインカムと聞いて思い浮かぶいくつかの疑問についても解説している。ここでは代表的な疑問を取り上げてみた。

<疑問1>労働意欲を阻害して誰も働かなくなるのではないか

:本書では、「普通の人々はベーシックインカムだけに満足しないで働くだろう」と楽観的に考えている。ちなみに、フィンランドで実施されたベーシックインカムの実験の結果では、受給と雇用の関係性は認められなかったという(*注2)。日本では、労働そのものや社会とのつながりに価値を見出す倫理観が根強く残っており、誰も働かなくなるという懸念は少ないと思われる。むしろ、ブラック企業でがまんして働く必要がなくなるなど、経済的ストレスから解放されて自由を得ることができるというメリットの方が大きいのではないかと思われる。

<疑問2>企業は生活の最低保証をする必要がなくなり給与を下げるのではないか

:本書では「ベーシックインカムは、人々に企業と交渉する力を与える。賃金を上げなければ労働供給を増やせない」と問題視していない。ベーシックインカムで経済が活性化されれば、むしろ雇用への需要が増えると考えているのである。ただし、今は良いが不況で失業が増えたときには、賃金下押しの圧力が強まる可能性がある。最低賃金など社会的規制による保護制度の整備が重要になってくると思われる。

◆ベーシックインカムは企業を生活保障から解放するのか

原田は、本書の第1章「所得分配と貧困の現実」の副題を「生活の安心は企業ではなく国家が守るべし」としている。その意味するところは――日本では、国民を老後、疾病、失業という不確実性から(雇用を通じて)守ってきたのは企業であった。しかし社会経済環境の変化で、従来システムが機能しなくなっているので、今後そうした生活保障は国が行うべきである――というものだ。本書は、そのためにベーシックインカムを導入すべきだという論理を展開していくので、企業が何からどのように解放されるのかが説明されていない。

そこで、こうした「企業の生活保障からの解放」という考え方を推し進めてみると――ベーシックインカムは、失業時のセーフティネットになるので、雇用規制の緩和が可能になる。企業は、景気変動に合わせて(正規)雇用を柔軟に調整できれば、雇用維持のための負担を軽減できる。さらに、雇用条件の自由度が増して年功賃金に制約されないようになれば、高度IT人材を高給で雇用できるようになって人材活用が進む。一方、労働者も労働条件が悪い職場でがまんしなくても、自分に合った会社を選んで(無収入に陥る心配がなく)転職したり、起業したりすることが容易になる。この結果、雇用の流動性が促進され(従来型大企業から新興企業へ)、人的資源の有効活用が可能になる。こうして企業の活力と個人の幸福感が増し、経済成長につながる――ということになる。しかし、これはプラス面だけをみたシナリオであり、経済環境が悪化したときのマイナス面への備えがなければ社会の不安定化につながる危険性がある。特に終身雇用を前提としていた日本では、失業から再就職への支援が不十分だと思う。

再就職支援については、産業構造の変化に対応して労働者の技能向上を図る再教育制度やカウンセリングの充実が必要だとされる。そのとおりであるが、それだけでは不十分だ。辞めてから再就職までの流れの中での総合的な支援が必要だ。例えばリストラする場合には、再就職支援として、会社が費用を負担してアウトプレースメントを利用できるようにすべきである。アウトプレースメントとは再就職支援サービスのことである。カウンセリングをしてくれたり、再就職用の職務経歴書の書き方を指導してくれたり、求職中の秘書サービス(履歴書を送った会社からの電話を取り次ぐ)を提供したり、再就職後もフォローアップしてくれたりする制度である。米国で一般的なサービスであるが、日本にも専門の会社がある。費用は高いが、それを会社負担とするのである。これは一例であるが、ベーシックインカムによる雇用の弾力化を目指すならは、整備すべき支援サービスが数多くある。ベーシックインカムは雇用と関連する環境整備と一体で考えないと現実的ではないのである。

◆本稿のまとめ

ベーシックインカムは、荒唐無稽でも、単なる理想論でもない。技術的にも財政の面からも実行できる可能性は十分にある制度である。ただし、貧困解決のための手段としては、非常に大掛かりで現行の社会保障制度や雇用に与える影響が大きいために、合意形成は無理があると思われる。むしろ、範囲を広げて社会保障全体の改革や日本型の雇用モデルの見直しといった大きな改革を目指す動きの中で、一つの選択肢として位置づけるべきだと考える。大きな枠組みを決めるためには、所得再分配をどの程度まですすめるのか、労働規制を強化するのか、緩和するのか、政府の関与を強めるのか弱める(市場機能導入)のかといった選択項目を整理して目指すべき姿を示す必要がある。前稿でみたようにベーシックインカムには社会民主主義と新自由主義の二つの流れがあり、それぞれの思想に合わせた制度設計を行えば良いことになる。

上の図(図表4)は、考え方を整理するために、現在の日本を座標軸のほぼ中心において、選択肢を図表化した。格差と貧困の是正、社会的公正の維持という観点からは、日本は左上の方向に進むべきである。一方、日本経済全体の地盤沈下が懸念される中で、経済成長が不可欠だとして、労働市場に市場機能を導入して、雇用の弾力化を通じた経済の活性化を目指すべきだという主張が、経済界や保守派に根強くある。その場合は右下の方向に進むことになる。どちらに進むべきかは、国民の選択である。まだ日本の力が残っている今のうちに、どのような社会を目指すかを決めなければいけないのではないだろうか。

<参考図書>

『ベーシック・インカム』(原田泰著、中公新書、2015年)

(*注1)本書に記載の「夫婦と子供2人」のモデル世帯の数字(都市部及び町村部)を引用したもので、町村部では、生活扶助費17.7万円+住宅扶助費1.9万円+教育扶助1.3万円=20.9万円である。なお、都市部では、生活扶助費22.7万円+住宅扶助費4.7万円+教育扶助1.3万円=28.7万円である。これらは医療費を除いた数字である。

(*注2)フィンランドでは2017年1月から2年間の給付実験を実施した。対象は失業手当の受給者からランダムに選んだ2000人。給付額は月額560ユーロ(約7万円)である。(山森亮同志社大学教授による「ベーシックインカムの展望」(2019年3月8日付日本経済新聞「経済教室」)より

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