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「地政学」について考える(その3)ー米中対立(1)
『視点を磨き、視野を広げる』第54回

9月 21日 2021年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに――米中新冷戦

今回は米中対立を地政学的な視点から考えてみたい。地政学が示すのは、覇権国に対して新興の大国が挑戦すると最終的に戦争に至るという歴史上の教訓だ。現在の覇権国米国と新興国中国の対立の構図は同じである。であれば中国は「第1次世界大戦前のドイツ」になるのだろうか。いや、核兵器がある現代においては、大規模な戦争は両国、さらに言えば全世界の破滅につながる。両国はそれを自制する分別をもっているはずである。したがって東西の覇権国がにらみ合った米ソ冷戦のような状態が続くと見て、現在の米中対立を「米中新冷戦」だとする捉え方が一般的である。

米ソ冷戦との最大の違いは、当時と比べてグローバル化が進み、米国と中国の経済は強い相互依存関係にあるということである。そして、米国に挑戦するまでに大国化した中国の発展は、米国の長年にわたる支援の結果であり、両国は「戦略的パートナー」と呼ばれた時期があったのである。はたして、米中経済のデカップリング(分断)という事態は起きるのであろうか。現在の状況が予測させるのは対立のさらなる激化であるが、ここ数年の急激な米中関係の悪化を見ていると、米国側から一方的に仕掛けた印象が強く、中国はそれに反発して関係がこじれているように感じられる。当初はトランプ大統領流の交渉上のブラフかと思われたが、バイデン政権になっても状況は変わらず、むしろ両国の亀裂は深まっている。対立は、経済的な面だけではなく安全保障上の問題と認識されており、また民主主義や人権をめぐる政治的な溝も深く、全面的なものとなっている。

米国は、中国の成長を国交回復後長きにわたって支援してきたのであるが、その間にこうした事態を予測できなかったのだろうか。そしてなぜ長年の方針を急に変えたのであろうか。そうした疑問に答えてくれる本を探していた時に、国際政治学者の佐橋亮(東京大学准教授)の『米中対立――アメリカの戦略転換と分断される世界』を見つけた。選定理由は、分析の対象を米国に絞った本書の狙いは的を射ていると思われたからである。また今年7月に出版されたばかりで最新の情報がカバーされている点も本書の魅力である。

本書は、国交回復後の米中関係は常に米国が先導し、中国がそれに対応した結果だと言う。そうであれば、本書がテーマとする米国の(中国への)関与政策を分析することが、米中対立とは何かを理解することを助け、その将来についての示唆を与えてくれるだろうと思われる。

◆米国はなぜ中国の成長を支援したのか

米国の関与政策――3つの期待

本書は、1970年代の国交回復から現在に至る約40年間の米中関係を米国側の視点から分析している。その間の米国の中国に対する基本方針は「関与と支援」という言葉で表現される。始まりはキッシンジャー大統領補佐官の秘密訪中(1971年)であり、ニクソン大統領の訪中(72年)が続き、79年に国交を回復する。中華民国(台湾)とは国交を断絶し、正式に中国との共存時代に入った。

本書は、米国の関与政策によって中国が得たものは大きく、中国経済の急成長に多大な貢献をしたとする。具体的には――軍事面では非殺傷兵器の輸出、情報協力、科学技術面では留学生受け入れを軸とする科学技術交流、経済面では最恵国待遇、WTO(世界貿易機関)加盟(2001年)など――である。

米国が中国に接近した当初の目的は、当時対立していたソ連への牽制(けんせい)という戦略的な動きだったとされる。しかし、その後ソ連の弱体化が進み、米ソ冷戦は終結に向かう。それでも米中関係が拡大していくのは、米国側により大きな理由があったというのが本書の見立てだ。すなわち米国は中国に対して三つの期待を抱いたという。その期待とは――(経済における)市場化改革、政治改革、既存の国際秩序への貢献――であった。この三つの期待が実現されれば、新しい中国に生まれ変わると米国は考えたのである。さらに、米国がそう考えた背景には、中国には経済的、軍事的に追いつかれることはないだろうという慢心があったという分析である。

●「期待」と「慢心」

著者は、こうした「期待」と「慢心」に米中対立を理解する鍵を見いだす。国交回復後の米中関係は、天安門事件や台湾海峡を巡る緊張激化のように何度も危機的状況を迎えるのであるが、そのたびに批判にさらされながらも、関与政策は基本的な政策として生きながらえていく。それを支えたのが、この期待と覇権国としての慢心だったとするのである。

こうした見方に対しては、米国は世界最高の情報収集能力をもち、それを分析し戦略をたてる能力に優れているにもかかわらず、巨大な人口を有する中国が経済成長を続ければ、米国に匹敵する力を持つことがどうして予測できなかったのかという疑問がわく。本書の答えは、専門家や軍部などから中国への警戒論が出ていたにもかかわらず、国内の利害のせめぎあいの中で関与政策を転換するだけの政治的力を結集することができなかったとしている。「期待」と「慢心」は強く米国を支配していたのである。

◆米国はなぜ長年の方針を急に転換したのか

●「不信感」と「恐れ」

それでは、なぜ米国は長年の方針であった「関与政策」を転換したのであろうか。本書は、変化の兆しはオバマ政権末期から始まり、トランプ政権期に全面的な政策変更が行われたという。そしてバイデン政権でも踏襲されていること、議会における対中強硬論も超党派の賛同があることなどから、大多数が方針転換を支持しているとする。本書は、こうした変化の背景に、「期待」が「不信感」に、「慢心」が「恐れ」に変わったことがあるとしている。

◯期待が裏切られたという不信感:米国は中国の変化を待ったが40年を経ても期待はいっこうに実現されなかった。むしろ中国の習近平政権は近年、その強権的性格を強めている。期待が実現されないことがはっきりして、中国への信頼が失われた。失った信頼の回復は難しい。不信の高まりは、米中対立の長期化を招く重要な要因である。

◯中国の軍事力増強に対する恐怖の高まり:まだまだ大きいと思っていた米中のパワー(経済力、軍事力、科学技術力)の差が、中国の急成長で予想よりも早く接近してきた。米国から中国への権力交代への恐れが増したので、米国の戦略転換が加速した。

そして、覇権国である米国が最も懸念するのは、米国が頂点に君臨する国際システムとその基本ルールや価値観に対して、中国が変更を求め始めたという点にあると指摘する。米国は中国を覇権への挑戦者として認識したということである。こうした分析が示唆するのは、米中新冷戦はすぐには後戻りできないところまで来ており、長期的に続いていくだろうということである。

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本書を要約すれば――国交回復後の米国は中国の発展を支援した。その背景には中国への三つの期待(市場化改革、政治改革、国際秩序への貢献)があった。しかし、期待は実現されず、経済成長を続けた中国は経済力、軍事力で米国に対抗しうる大国となった。この状況に危機感を抱いた米国は長年の関与政策からの転換を図り、それに反発する中国と対立するに至った――となる。

本書は、米国側からみた40年にわたる米中関係を公開資料と文献に基づいて精緻(せいち)に分析しており、その上に組み立てられた解釈――「期待」と「慢心」から「不信感」と「恐れ」への変化――は説得力をもつ。本書によって、米中対立を理解する上でベースとなる知識を得られたといえる。ただ、なぜ米国は中国にここまで期待し続けたのかという疑問への答えとしては、別の視点からの考察を付け加えることでより納得性が増すのでは、と感じた。そこで政治経済学(社会構造の変化から経済現象を理解)的なアプローチ、すなわち経済と政治に関する二つの視点――「グローバル化」と「自由民主主義イデオロギー」――から米中対立を考えることにした。

◆グローバル化と関与政策

グローバル化については、前稿で「経済成長をもたらすが、格差を拡大する」として批判的に捉えた。そのグローバル化の流れの中に米中関係を位置づけることで、対立の経済学的側面に焦点を当てたいと思う。

COSCOのコンテナ

わたしが1990年代後半に米ロサンゼルスで勤務していた当時、中国の経済規模はまだ小さく、GDP(国内総生産)は2000年時点でも米国の8分の1、日本の4分の1程度しかなかった。中国経済が発展しているのは知っていたが、米国とは比較にならず日本に追いつくのもずっと将来の話だろうと漠然と考えていたにすぎない。ロサンゼルスはアジアのゲートウェイ(玄関口)と呼ばれ、中国との経済関係拡大を身近に感じられる街であったが、ロサンゼルス港のコンテナヤード一面に広がるCOSCOのコンテナ群を目にして、初めて大きな変化が静かに進行していることを実感したのを覚えている。COSCOとは中国の国有海運会社である中国遠洋海運集団有限公司のロゴである。このロゴをつけたコンテナを積んだトラックがフリーウェイを行き交っていた。同社はギリシャのピレウス港湾公社への出資など世界の港湾施設への投資、管理を行っている中国の戦略企業である。米国に対抗する中国の地政学的戦略の中核をなす「一帯一路政策」の推進を先導する存在なのである(*注1)。

その後2000年代半ばに、わたしは米国から香港に転勤した。太平洋の反対側にやってきたわけであるが、米中の関係の発展を両岸から見る貴重な機会を得たと思う。当時、自動車部品、電子部品、電気製品などの工業製品が、中国の工場から香港を経由して米国西海岸に運ばれ、米国からは農産品、ICチップ、自動車などが中国に輸出されていたが圧倒的に米国の輸入が多かった。その結果、米国に巨額の貿易赤字を生み出し、両国間の懸案となっていたが、かつての日米貿易摩擦のように、中国も米国の要求に譲歩せざるを得ないだろうと考えていた。

さて、現在の世界の港湾別コンテナ個数ランキング(*注2)をみると、1位は上海、以下10位までのうち8港が中国(香港含む)の港である。そして10位がロサンゼルス港なのである。この数字は、世界のグローバル化を先導しているのは、米国と中国だということを象徴している。なお、かつては上位にいた日本の港は世界20位までのランキングには一つも入っていない。

グローバル化の中から生まれた関与政策

米中関係が本格的に動き出した1980年代は、ケインズ主義的な福祉国家路線を批判して登場した新自由主義思想が支配的になっていった時期である。そして冷戦の終結(1989年)は資本主義の勝利に終わり、自信を深めた米国は新自由主義的な市場開放、規制緩和といった政策をグローバル化の名の下に世界に拡大していく。資本主義は資本が自己増殖を続けるシステムである。したがって、常に新しい市場が必要となる。開放政策に転じていた当時の中国は、新しいフロンティアを探し求めていた米国資本にとって、まさに将来を約束された巨大市場に映ったはずである。中国を世界市場に迎え入れることによってグローバル化は一気に加速していくのである。

米国産業界が中国に期待したのは、安価な労働コストである。中国は人口ボーナス期にあり、労働力は安価のまま(この点が重要だった)潤沢に供給された。米国の製造業は、労働コスト低減のために工場を中国に移し、米国を始めとする先進国向けの製造拠点とした。2000年代に入ると、経済成長の成功で所得が増えて中国市場は巨大な消費市場としての魅力を増し、国内市場をターゲットとした米企業の進出が盛んになった。また、米国の金融業界は、中国の成長の果実の配分を狙って証券投資を増やしたが、さらに自らの強みを生かした投資銀行業務、資産運用業務から得られる収益への期待も膨らんだ。それゆえに中国に市場化の推進、規制緩和を求めたのである。

このように考えてくると、関与政策を支えた米国の「期待」が、40年もの長きにわたって続いた理由が分かる。資本主義という言葉は人間が資本に従属するということを意味しているが、米国による中国市場への関与は資本主義システムにおいては必然の行動だったのである。

●グローバル化の功罪

米ソ冷戦の終焉(しゅうえん)によって、グローバル化は加速していく。それは世界をどう変えたのかを知るために、冷戦終結後の約30年間における世界のGDPの推移を調べてみた。この間の世界全体のGDP総額は、4.6倍に増加している。それに最も貢献したのは中国であり、中国のGDPは同期間に36.1倍に急増しているのである。その恩恵を享受した米国は、GDPを3.6倍に増やしている。一方、日本のGDPは同期間に60%しか増えておらず、2010年には中国に抜かれて世界第3位に落ちた。2000年代半ばに香港にいたときは、日本がやがて中国にGDPで抜かれることは確実になっていたが、正直もっと先の話だと思っていた。しかし、日本は停滞したままなのに中国の追い上げはすさまじく、予想よりずっと早く追い抜かれ、今では後ろ姿も見えなくなってしまった。

上記の表を見て思うのは、経済成長を基準に置けば、グローバル化は正解であったということである。であれば、その一環としての中国への関与政策も正しかったということになる。米国も中国もグローバル化の勝ち組であり、米中対立とは今後の配分を巡っての勝ち組同士の争いということになる。しかし、そうであればそれは愚かな争いでもある。なぜなら、グローバル化には世界秩序の安定が前提条件であり、そのために両国が協力してグローバル化路線を推し進めれば、世界全体の中で両国のみが勝者として利益を得続けることも可能だからである。しかしそれができないのは、グローバル化そのものに問題が内在しているからだ。グローバル化が行き過ぎると格差が拡大して国内に政治的な問題を生み、世界を不安定化させる。グローバル化は成功したがゆえに危機を招来するのである。

●行き過ぎたグローバル化の抑制

グローバル化を支えるイデオロギーが新自由主義である。新自由主義は、自由な経済活動が世界各国の経済的厚生を増大させると考える。そして私達の目には、ヒト・モノ・カネの国境を超えた活動を指すグローバル化は魅力的に映る。世界の人々が自由に交流し、多様性を認め合い、平和に共存していくことの素晴らしさを否定することはできないからだ。そうした世界を実現するためには、自由な経済活動と市場を通じた公正な取引が欠かせない条件となる。こうした「自由」と「公正」の追求は、自由民主主義と相性が良く、それゆえリベラル派にとっても親和性が高い。さらに、グローバル化は上記に見たように世界全体のGDPを何倍にも増やしてくれるのである。

しかし同時に、グローバル化は問題を生み出す。グローバル化で米中両国は利益を得たが、米国でも中国でもその恩恵を受けられる一部の人々と、そうではない大多数の人々の格差を拡大した。問題の根本は、人間労働を他の商品と同じように市場で取引される商品の一つと考える点にある。市場原理からは人間労働はコストとみなされる。グローバル化で競争が激化すると企業は労働コストの削減に走る。先進国の労働者は新興国の労働者とコスト競争を強いられる「底辺への競争」が起きるのである。結果として米国の労働者は職を奪われ、中国の労働者の所得が上昇した。米国では、こうして取り残されたラストベルトの住人の声を拾い上げたトランプは、雇用を奪ったのは中国だと攻撃して大統領になった。バイデン大統領もリベラルな価値観を掲げているが、トランプの対立路線を踏襲しているのはグローバル化が生んだ格差拡大が背景にあるからだ。そして同じように格差の拡大は中国でも問題となりつつある。もはや全世界の単一市場化を目指すという意味でのグローバル化は、国民国家と民主主義を前提にする限り、限界に来ているのである。

必要なのは、行き過ぎたグローバル化をいかに抑制していくかである。トランプ政権とバイデン政権で採られている対中政策の巻き戻しによるヒト・モノ・カネの抑制はそうした流れの中で見るべきだろう。そこでは経済安全保障の観点からの線引きが行われているが、対立の激化で対象業種や品目のいっそうの拡大も予想される。ヒトとカネの分野でも同様である。そしてそれは友好国との取引にも影響を与えるだろうし、多国間の貿易投資協定への波及も避けられないだろう。したがって米中対立は、両国だけの関係にとどまらず、国際的な枠組みに影響を与えるのである。こうした機会を捉えて、現在主要国が取り組む姿勢を見せている国内の格差是正のための政策を、この国際的な枠組み再編と連携させることができれば、問題解決への糸口が見えてくるのではないだろうか。

◆自由民主主義というイデオロギー

現実主義と理想主義

米国は自由民主主義の国であるが、それを普遍的価値だと考えるとイデオロギーになる。それが国内の話であれば問題はないかもしれない。では国際政治においては、この普遍的価値はどう扱われるべきだろうか。前稿でみたように、国際政治には現実主義と理想主義がある。現実主義に立てば、国際関係は各国が国益を追求するパワーポリティクスの世界であり、政治体制に関わらず同盟を結んで力の均衡による平和の維持を目指す。一方、理想主義に立てば、自由民主主義は普遍性を持つので、やがてそれが世界中に広がって国際紛争は抑止され、平和的な国際秩序が実現されると考える。

現実の外交では、建前として理想主義を掲げることがあっても、軸足は現実主義に置かれる。しかし米国は自由民主主義イデオロギーによって、国際政治に理想主義を持ち込む。その結果、リベラルな価値観に基づく国際秩序の確立こそが、世界に平和と安定と成長をもたらすと考えるようになる。中野剛志は『富国と強兵』の中で米国のリベラル派はリベラルな秩序を追求するゆえに戦争をするという意味のことを言っている。すなわち――リベラルな価値観に基づく国際秩序の安定のためには、軍事力を行使しても脅威を取り除かなければならないという考えにたどり着く――からである。本来平和を求めて国際秩序維持に努めているはずが、かえって不安定化を招くことになるのである。

●自由民主主義のイデオロギー化の問題点

拙稿第15回『敗北を抱きしめて』において、著者のジョン・ダワーが指摘する米国の日本占領(1945〜1952年)が残した負の遺産について考えた。その中で、日本だけでなく勝者であった米国にもそれを残したのではないかと書いた。ブッシュ大統領(子)がイラク占領後の民主化プロセス推進にあたって、日本占領時の成功を例に挙げてイラクでの成功の根拠としたことを思い出したからだ(*注3)。日本占領の成功は、民主主義後進国においても米国流の民主化が成功する、すなわち民主主義は普遍的価値だという確信を米国人の意識に植え付けたのである。

米国はそのために手痛い敗北を経験する。それをベトナムにも当てはめて、南ベトナム政府を軍事的、経済的に支援して共産主義への盾にしようとしたのである。しかし南ベトナムには日本にあった民主主義の基盤がなく、無残な失敗に終わって米軍撤退とともに首都サイゴン(当時)が陥落する。先日、それと同じ光景をアフガニスタンからの米軍撤退のニュース映像で見た。米国は、ベトナムの失敗に懲りることなく、アフガニスタンとイラクに軍隊を送り占領した。アフガニスタンで失敗したのは、政治的基盤のない国では民主化が定着しないからだ。イラクの現状をみても民主化が成功しているとは思えない。

ベトナムやアフガニスタンを例に挙げて説明したのは、中国に対する米国の関与政策も発想は同じではないかと言いたいからだ。中国には、長い歴史、地域ごとに違う多様な文化、中央集権国家としての巨大な官僚機構、そしてその上に君臨する中国共産党の存在がある。そうした特徴をもつ中国を、米国は深くかつ多面的に理解するのではなく、自分に都合の良いイメージをつくり上げていく。そして進歩主義史観――経済発展すればどの国も(中国も)民主化していく――に基づいて「期待」する。40年たって、中国は中国であり、米国の価値観を受け入れる気がないことを理解すると、裏切られたと怒る。米国は歴史の教訓を、日本の占領ではなく、ベトナムの例に求めるべきだったのである。

●米中対立の行方

さて、中国は国際関係においては現実主義をとるが、国内的には共産党が絶対的な正義である中央集権的な非民主国家である。そして外交においては、日本が経験したように交渉に長け、一筋縄ではいかない相手である。こうしてみると米国も中国も自分の国の価値観を絶対視している点では同じである。そして両国とも、日本人から見ると(日本と違い)戦略的に動くのが得意で、がっぷり四つに組んだら知恵と力を振り絞って勝つまで戦い続けるだろう。

日本はその両国に挟まれているのである。しかも経済的に深い依存関係にある。両国の対立がどう展開していくかで、日本は経済的な面だけではなく安全保障面でも深刻な影響を受ける可能性が高いのである。次稿では米中対立の行方と日本の選択について考えてみたい。

<参考図書>

『米中対立――アメリカの戦略転換と分断される世界』佐橋亮著、中公新書(2021年7月初版)

『富国と強兵――地政経済学序説』中野剛志著、東洋経済新報社(2016年12月初版)

『新しい地政学』北岡伸一/細谷雄一編、東洋経済新報社(2020年3月初版)

(*注1)中国遠洋海運集団有限公司:中国政府100%出資。持株会社の下に海運、物流、リース、造船などの会社をもつ。海運では船腹量はドライバルク船が世界1位、液体タンカーが世界1位、コンテナ船が世界4位(資料:Wikipedia)

(*注2)公益財団国際港湾協会協力財団「ロサンゼルス港の港湾経営とコンテナ戦略」を参照

(*注3)第15回「『敗北を抱きしめて』――占領と近代主義の全面的受容(3)」で、占領は日本に多くの負の遺産を残したが、勝者である米国にも「占領の成功による過信」という負の遺産を残したと書き、ブッシュ大統領の演説記事(2005年8月31日付日本経済新聞秋田浩之記者)を引用

※『視点を磨き、視野を広げる』過去の関連記事は以下の通り

第15回『敗北を抱きしめて』――占領と近代主義の全面的受容(3)(2018年3月6日)

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