п»ї 「リベラル能力主義」について考える(その2) 『視点を磨き、視野を広げる』第59回 | ニュース屋台村

「リベラル能力主義」について考える(その2)
『視点を磨き、視野を広げる』第59回

5月 09日 2022年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに―リベラル能力主義が持つ問題

・リベラル能力資本主義

米国の経済学者ブランコ・ミラノヴィッチは、その著書『資本主義だけ残った―世界を制する資本主義の未来』において、米国型の資本主義を「リベラル能力資本主義」と呼んでいる。

―「リベラル」は、すべての人に機会の平等が保証されるべきという考え方だ。「能力(主義)」は、誰もが能力と努力によって評価されることをいう。したがって機会の平等が必要だ。両者は基本的な価値観(法の支配、人権、民主主義)のもとで一つのシステムとして機能し、能力主義的平等を求める。

―「資本主義」は、グローバル市場の中で活動する市場志向の資本主義である。テクノロジーを武器に市場システムの中での効率性(生産性)の追求を特徴とする。したがって理性主義的なリベラル能力主義と相性が良い。

ミラノヴィッチは、グローバル化によって先進国の高所得層と新興国の労働者(中所得層)が所得の上昇という恩恵を受けた一方で、先進国の労働者(中所得層)が所得低下や雇用の喪失によって没落したと指摘し、「エレファントカーブ」と名付けた。先進国における現在の格差拡大の根底にグローバル資本主義を見るのである。

ただし格差の拡大は、グローバル資本主義だけではなく、リベラル能力主義が大きな影響を与えているという。グローバル資本主義という下部構造がその経済的恩恵を受ける層と受けない層を生み出すとともに、上部構造としてのリベラル能力主義がそうした選別を効率的に促進する役割を果たしていることを明らかにするのである。

ミラノヴィッチは、能力主義による選別→所得格差→資産格差→格差の一層(いっそう)の拡大という因果関係の連鎖を説明する。能力主義の利点は、頑張れば誰でも出世の階段を駆け上がることができる点にあり、社会の移動性の高さが特徴だ。しかし現実は、上記の連鎖の構造化によって上位層の固定化が進み、能力主義の正当性を毀損(きそん)していると分析する。ミラノヴィッチはシステムの転換は代替するものが無いので困難だとみる。現実的な選択肢は弊害緩和策―富裕層への課税強化(再分配の強化)、公教育への公的支出の拡大(機会の平等の徹底)など―だという。

・サンデルの問題提起―能力主義の暗部

米国の哲学者マイケル・サンデルの考え方は異なる。能力主義そのものに道徳的な問題があると考えるのである。ミラノヴィッチが機会の平等の徹底を訴えるのに対して、サンデルは機会の平等原則そのものが持つ暗部―能力の専制―を指摘する。

能力主義の理想は―誰もが自分自身の能力と努力によって出世する真に平等な機会を手にした社会―である。ここから、機会が平等であれば勝者(敗者)はその勝利(敗北)に値するという能力主義の原則が導かれる。勝者は優れた能力と努力の結果、それにふさわしい成果(お金と地位と称賛)を得たのである。一方、敗者は、能力か努力、あるいは両方が不足した結果だと見なされる。いわゆる「自己責任」の論理である。

しかしサンデルは、能力主義における自己責任に関して、全ての人が「自分の運命に全責任を負っていると想定」することは間違っていると言う。そしてキリスト教における神の恩寵(おんちょう=神が人間に与える恵み)と人間の無力という教えの原点に立ち戻り、能力や選択を超えた幸運や機会があることを知らなければいけないと諭す。

これは勝者であるエリートに対する諌(いさ)めの言葉である。しかし敗者に向けられた癒やしの言葉となりうるのか。現代の敗者が失ったのは、所得だけではなく労働の尊厳である。敗者が求めるのは、所得再分配という経済的補填(ほてん)だけではなく、自らの労働に対する社会の承認である。そこでサンデルは、所得の多寡ではなく社会に対する貢献によって労働が評価されるべきだと主張するのだ。

米国の政治思想は個人の自由を重視する自由主義(リベラリズム)を基本とするが、自由な経済活動の結果、格差が拡大すれば、むしろ個人の自由を守るためには政府の介入が必要だという考え方が生まれる。現在では前者を保守、後者をリベラルと呼んでいる。したがってリベラル派は、「(人種やジェンダーに関わりなく)誰でも成功のチャンスが与えられるべき」だと考えて、政府の介入による機会の平等(例えば教育や雇用における機会の平等)の拡張を主張する。能力主義を一層徹底すべきだということである。サンデルの主張は、こうしたリベラル派を批判するものである。なぜなら―リベラル派は人種やジェンダーの平等に熱心であるが、白人低学歴労働者の没落に関しては無関心であった。少なくとも経済格差の補填の問題としてしか考えなかった―からである。そして、能力主義に基づく市場の評価に代わって、共同体への貢献の重要性を訴えかける。

・絶望死の増加という衝撃

サンデルは能力主義の必要性を否定しないが、それがもたらした弊害を深刻に受け止めて能力主義の行き過ぎを批判している。サンデルに影響を与えているのは、彼が著書の中で取り上げている低学歴白人の絶望死の増加という衝撃的な事実にあると思われる。「絶望死」は、米国の経済学者アンガス・ディートンとアン・ケースの造語である。2人は共著である『絶望死のアメリカ―資本主義が目指すべきもの(Death of Despair and The Future of Capitalism)』で絶望死の増加を明らかにし、その背景を分析している。

そこで今回は本書によって、現在の米国の能力主義が生み出した問題の深刻さを知るとともに、どこに原因があるのか、対策は何かについて著者の主張に耳を傾けたい。そしてそれは日本に何を教えているのかについて考えたい。

◆絶望死とは何か

・絶望死の発見

ディートンとケースは共にプリンストン大学名誉教授である(2人は夫婦)。ディートンは2015年にノーベル経済学賞を受賞(*注1)している。2人は偶然ある調査で米国北西部のモンタナ州(州全体に占める白人比率89%)の自殺率の高さに気がついて調査対象を全米に広げる。

その結果たどり着いた事実は―

・中年の白人(非ヒスパニック白人)の死亡率が2000年以降増加に転じた

・最も増加率が高い死因は三つ(自殺、薬物の過剰摂取、アルコール性肝疾患)である

(2人はこの三つの死因を「絶望死」と名付けた)

・絶望死の増加は、4年制大学の学位を持たない人たちに顕著に見られる

・死亡率は都市部に比べ地方が高く、地域的には東海岸、西海岸と比べ中西部、南部が高い

本書がいうように―豊かになるということは平均寿命が伸びること―である。それを示すように、米国の各年代の死亡率は長年低下が続いていた。しかし2000年以降、中年白人の死亡率が増加に転じた。これは先進国では異例の現象である。伸び続けていた米国の平均寿命は2014年から2017年にかけて3年連続で縮んでいるが(*注2)、白人の平均余命の減少が大きな影響を与えているとしている。

本書によれば、米国での絶望死は15万8000人(2017年)である。内訳は自殺4万7000人、アルコール性疾患・肝硬変4万人、薬物過剰摂取7万人だ。ちなみに同年の交通事故死4万人、殺人による死亡2万人と比べて絶望死の数の多さが分かる。三つの死因は絶望の中から生まれたものであり、相互に関連しあっている。その現象が世界の最富裕国である米国で生起しており、しかもその多くが中年の非大卒白人に起きているのである。

なお、米国の人口は3億2700万人(2018年)であり、うち労働年齢人口(25〜65歳:学位の有無を比較するために25歳以上としている)が1億7100万人で、その中の非ヒスパニック白人(以下白人)は1億600万人(62%)と最大の割合を占めている。また、この白人労働人口のうち4年生大学の学位無しが6570万人(62%)と3分の2近くいることから、著者は米国社会全体に与える影響が極めて大きいと考えて問題を深刻に受け止めていると思われる。

本書では、絶望死増加の要因として、経済環境の変化による雇用の劣化を挙げる。かつては米国の製造業の繁栄を支えていた労働者が、安い輸入製品や工場の海外移転によって失業したり、サービス業、物流業に転職することで収入の低下だけではなく、働くことの意味を奪われていったりしたことを描き出す。その影響を最も受けたのが、ブルーカラーの非大卒白人労働者であった。雇用の劣化の中で、彼らは酒や薬物に助けを求めるようになっていく。やがて離婚して家族を失い、社会の一員としてのよりどころは失われる。自分の居場所を失い心身ともに疲れ果てて絶望死への歩みが始まるのである。

絶望死を分析する本書の主張の特徴は、問題の背景に経済的要因だけではなく、米国の固有の背景―米国人が抱える「痛み」という国民病、欠陥のある健康保険制度、医療業界のレントシーキングの横行―を見る点にある。日本人にはなじみがないものもあり、それらの要因に関しての本書の説明を参考に整理しておきたい。

・痛みと薬物過剰摂取

米国で生活すると、ドラッグストアに並ぶ鎮痛剤の棚のスペースの広さとテレビコマーシャルの多さに驚く。当時は背景を深く考えなかったが、本書を読んで、米国人にとっての「痛み」―偏頭痛、バックペイン(背中や腰の痛み)を訴える人が多かった―は慢性といえる病だと知った。

本書では、1億人以上の米国人(人口の約3分の1)が慢性的(最低3カ月続く痛み)な痛みを患っているという。米国人はそうした痛みから逃れるために鎮痛剤を常用する。やがて市販薬では効かなくなるので処方薬を求めるようになる。その代表が本書で批判する「オピオイド」である。オピオイドとは合成麻薬のことで、鎮痛効果だけではなく精神的な高揚感を与えてくれる。しかし依存性があり、どんどん強い薬を求めるようになっていくので中毒につながりやすい。そうなると自分自身だけではなく家族も崩壊していく。

そして、オピオイドなど薬物による過剰摂取死の約90%は、4年制大学の学士号を持たない米国人の間で起こっているという。本書はそこに、営業至上主義の製薬会社と診療報酬のために安易に過剰処方する医者たちに食い物にされる、雇用の劣化と家族の崩壊に直面し、心身の痛みに苦悩する非大卒中年白人の姿を見るのである。

本書ではオピオイドが全米に広がっていることから「パンデミック(大流行)」と表現しているが実際、2017年の1年間に最低1度はオピオイドを処方された患者は5700万人、処方件数は合計で1億9000万件と報告されている(*注3)。なお、コロナ禍によってオピオイド問題の状況はさらに悪化したとされ、2020年の薬物中毒死は9万3000人(前述のように2017年は7万人)に増加している(*注4)。その一方で、薬害批判の高まりを反映して全米で訴訟が続いている(*注5)。

・米国の医療制度の問題点

本書では、絶望死の責任の大きな部分は医療制度にあると主張する。米国は、医療費にばく大なコストを使っている(国民1人当たり1万ドル強=軍事費の約4倍)にもかかわらず、米国人の健康状態は先進国中最低レベル(他の先進国比平均寿命が短い)だからである。しかも医療費は増加傾向が続いている。この医療費の増加が低学歴労働者の賃金低下と労働環境の悪化に大きな影響を与えているというのである。ちなみに、米国の対GDP(国内総生産)保険医療支出(2018年)は16.9%と先進国中の断トツで、本書の主張を裏付けている。なお、日本は10.9%である。また、1人当たり医療費を日本と比べると米国は2.2倍も使っている(*注6)。

こうした著者の主張の背景を知る必要がある。米国には日本のような国民皆保険制度はない。公的医療制度は高齢者(65歳以上)向けのメディケアと低所得者向けのメディケイドがあるが、この対象者以外の大部分の国民は勤務先企業が加入している民間医療保険―オバマ大統領時代の医療制度改革で従業員50人以上の企業に提供義務―に入る。企業にとっては、医療保険は人件費コストである。金融やI Tといった給与水準が高い企業では、医療保険の内容を充実させて従業員獲得のための武器としている一方で、安い給与水準の職場では、企業がコスト削減のために医療保険の内容を低下させる(対象となる治療方法や利用可能な医療機関の範囲を縮小する)誘因が働きやすい。ちなみに、企業による民間保険の加入状況を見ると―従業員200人以上の企業の付与率はほぼ100%であるが、10〜199人では75%前後、10人未満では50〜60%(*注7)―である。小規模企業の付与率が低いことがわかる。

米国勤務時代に感じたのは―米国人が最も恐れるのは、リストラによって雇用とともに医療保険を失うこと―である。皆保険制度の日本では会社を辞めても国民健康保険(保険料減免制度あり)があるが、米国では違う。景気が良くないと再就職先はすぐに見つからないので、自分で民間保険に入るしかない。後者の場合家族プランの保険料は毎年上昇を続けており、現在では年間2万ドルを超えている(*注8)。米国人は結構所得が高い人でもカードローンを回転させて生活しており、現預金が乏しいので、リストラにあえば2万ドルの支払いは簡単ではない。無保険者になる可能性が高まるということである。米国の無保険者は、医療制度改革によって減少傾向にあるが、それでも2750万人(2018年、総人口の8.5%)もいる。

問題の解決方法として、著者は皆保険制度の導入を主張する。ただ、オバマ政権時代の医療改革でさえ難事であったのである。さらに今回の新型コロナ禍で米国はばく大な医療支出を強いられた。皆保険への道は容易ではないと思われる。

◆まとめ―本書の主張

本書が絶望死の原因として挙げるのは―

①市場志向型の資本主義:グローバル資本主義が生み出す経済格差、雇用の劣化が労働階級を破壊した

②能力主義が生む格差:学歴格差が所得格差を生む。敗者は自己責任の論理で逃げ場がない。非大卒に絶望死が多いが、学歴と所得の格差は健康格差(肥満、痛み、喫煙、飲酒)につながりやすいことが背景にある

③医療保険制度の欠陥:米国には国民皆保険制度がなく、企業が付与する医療保険に依存している。高額で毎年上昇を続ける保険料は、企業にとってはコスト負担が大きく付与率向上の障害となっている。無保険者も多い

④医療産業の問題:米国は医療に巨額の費用をかけているが、先進国で最低レベルの効果しか出せていない。製薬会社や医師といった医療関係者からのレントシーキング(企業が政府に働きかけて政策を変更させ利益を得ること)によって、薬や医療費が高額に設定されている。実際に米国の医療費は「サプライズ請求」という言葉があるように、日本と比べて驚くほど高い。製薬会社は高収益をあげ、医師の給与は他の先進国比高い。下から上への所得再分配が起きている。

上記の①と②は―グローバル化とテクノロジーが、工場の海外移転、業務のアウトソース、作業の機械化などによって米国の製造業の労働者の良質な職場を奪った。雇用の喪失や劣化が起き、非大卒の低スキル労働者が最も大きな影響を受けた―ことを指す。ここまでは先進国に共通する問題である。しかし、米国では絶望死が増え、欧州では絶望死は起きなかった。その原因は③と④にあるというのが本書の主張である。最も批判されるべきは収奪側に立つ製薬業界と医師であり、それを看過した(医療業界に甘い)政治であるということだ。

本書は、資本主義や能力主義への過度の批判には「迷い道」に入るとして反対している。これらは、本来は豊さや公平さという恩恵を与えてくれる制度であるからだ。たとえマイナス面を持つとしても、先進国にはその影響を軽減する仕組みがある。しかし米国で絶望死という悲劇が生まれたのは、その仕組みに欠陥があったからだと考えるのである。

こうして本書は、問題の焦点を米国の医療産業や医療制度に当てる。そして、問題解決にあたっては、早急に理想論に走るのではなく政治的に合意を得やすい形で「修正リスト」を作り、できることから解決していこうという現実主義的アプローチを説く。修正すべき点として―医療分野における市場機能への規制強化、皆保険の導入、最低賃金の引き上げ、レントシーキングへの規制(医療業界の政治的影響力排除)、新たな雇用の創出策など―を挙げる。そして、これらは課題として従来から議論の蓄積があり、次のステップとして実行に向けて動き出すべき時だと訴えるのである。

本書の問題把握と解決への現実的アプローチは納得性があるものだと思われる。また著者の誠実で真摯(しんし)な態度にも感銘を覚える。問題解決へ向けての道は難路が予想されるが、努力が実ることを信じたい。

なお、本書では「白人が痛手を受けているのに顧みられないのは、手厚い保護を受けているマイノリティと比べて不公平だ」という見方が非大卒白人に多いとしている。一方、リベラル派からは、黒人の死亡率は依然白人より高く平均寿命は短いのであり、黒人を含めたマイノリティの機会の平等が最優先の課題であるべきだという意見がある。本書は、そうした左右両派からの批判に対して次のように述べている―経済・社会の大きな構造的変化(脱工業化=工業からサービス業への移行)の被害を先に受けたのが1970年代の北部都市部の黒人であった。同じことが1990年代以降の産業構造の変化で低学歴白人に起きたのである(→先に黒人、次に低学歴白人)―。絶望死の直接の原因といえる医療制度の機能不全は、放置すれば人種を問わず災厄として降りかかるので、米国民全体の問題として協力して改善に取り組むべきだと言いたいのである。

格差と貧困は世界共通の問題であるが、絶望死は米国の市場志向型の資本主義のひずみ―市場への過度の依存―からくるものだと考える。今後日本が医療分野において「規制緩和」を行う場合には、この教訓を忘れてはならないだろう。

◆本書を読んで考えたこと―働くことの意味

若い頃、人間は何のために働くのかという疑問に悩んだことがある。思い浮かんだ答えは―

①生活のために働く

②自分が好きなことをするために働く

③生きがいを見つけるために働く

④社会のために働く

当時は答えが見つからないまま就職してしまった。それ以来40年以上働いてきたのだから答えは見つかっていてもよさそうだが、今も見つかっていない。おそらくこうした問いに「答えはない」というのが答えなのだろう。

しかし今回、絶望死の物語を読んで、働くことの意味について改めて考えさせられた。

上記の①「生活のために働く」は、そうしないと生活できない普通の人間にとって当たり前のことを言っているだけであり、働くことの意味という問いに対する答えではないだろう。②と③は、自分のために働くと言うことである。自由に生きて自己実現を図るというリベラルの理想を追求することだ。これに対して④は、サンデルがいう社会全体にとっての善を求めるという立場に近い。自由に生きるということは素晴らしいことであるが、サンデルは、個人主義が行きすぎると利己主義に陥るので、そこには一定の歯止めとなる倫理観が必要だとする。その倫理こそが、社会という共同体全体の利益(共通善)を優先に考えるという価値観なのである。

サンデルは、自己実現を求める個人主義を批判して私たちに倫理の重要性を訴える。能力主義的平等(機会の平等)を追求していくと、能力主義の敗者を生み出し続けるしかないと警告するのである。

今回は能力主義の敗者の物語を見たわけであるが、これを敗者だけの問題と考えてはいけないと思う。なぜなら、勝ち組であっても、リベラル能力主義+資本主義のシステムが要請する機会の平等と効率性(生産性)の徹底は、労働における際限のない「選別と序列化」に行き着く可能性がある。能力による選別を勝ち抜いても「生産性で人を測る=評価」を通じての「序列化」の際限のないプロセスが待ち構えているからだ。これに対して自分らしく自由に生きて自己実現を図るというリベラルの価値観に忠実であろうとすれば、自己崩壊を起こすかもしれない。今こそ働くことの意味を取り返す時なのだ。サンデルはそう言いたいのではないか。

さて、現在の格差拡大の原因はグローバル資本主義にあるという理解から出発して、能力主義にも原因があるという説について考えた。そして、下部構造としてのグローバル資本主義と上部構造としてのリベラル能力主義が結合したシステムという視点は説得力に富むと考えた。ただ、ここまでの議論は米国を対象に書かれた本を参考にしている。そもそも日本と米国では歴史や文化が異なるので、米国の論理を安易に日本に当てはめるだけでは現実と乖離(かいり)してしまう。そこで次稿では、日本における能力主義の物語について考えたい。

<参考書籍>

『資本主義だけ残った―世界を制する資本主義の未来(Capitalism, Alone)』(ブランコ・ミラノヴィッチ著、みすず書房、2021年6月初版)

『実力も運のうち―能力主義は正義か(The Tyranny of Merit – What’s Become of the Common Good?)』(マイケル・サンデル著、早川書房、2021年4月初版)

『絶望死のアメリカ―資本主義が目指すべきもの』(アン・ケース、アンガス・ディートン著、みすず書房、2021年1月初版)

(*注1)アンガス・ディートン(1945〜)は米国・英国国籍(生まれは英国)の経済学者で、プリンストン大学教授。「消費・貧困・福祉」に関する分析で2015年ノーベル経済学賞を受賞した。(出所:Wikipedia)

(*注2)米国の平均寿命は2014年の76.4歳(男)/81.2歳(女)をピークに2017年の76.1歳(男)/81.1歳(女)へ減少している。一方他の先進国では増加傾向が続いている。(資料:国立社会保障・人口問題研究所「主要先進国の平均寿命」)

(*注3)日本貿易振興機構(ジェトロ)「鎮痛剤オピオイド問題、経済や産業へも大きな問題」(2019年9月17日)。原資料はC D C(米国疾病予防管理センター)

(*注4)「アメリカを揺さぶるオピオイド危機④」(山岸敬和南山大学教授、2021年8月3日付S P Fアメリカ現状モニター)

(*注5)「米オピオイド訴訟、2.9兆円で和解案 企業と自治体」:医療用麻薬「オピオイド」を含む鎮痛剤の中毒問題の訴訟をめぐり、ニューヨーク州などの司法長官は21日、米製薬大手ジョンソンエンドジョンソンと医薬品卸・流通大手3社が最大260億ドル(2兆9000億円)を各州や自治体に支払う和解案を公表した――と報じている(2021年7月21日付日本経済新聞)

(*注6)「医療関連データの国際比較―OECD Health Statistics 2019―」(日本医師会総合政策研究機構 前田由美 2019年9月17日)

(*注7)ジェトロ「米国における医療保険制度の概要」(2021年6月)

(*注8)同上

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