п»ї 「物価」について考える(その8)MMTの問題点(3)「政治」『視点を磨き、視野を広げる』第73回 | ニュース屋台村

「物価」について考える(その8)
MMTの問題点(3)「政治」
『視点を磨き、視野を広げる』第73回

2月 19日 2024年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

◆はじめに

MMT(現代貨幣理論)の問題点の最終稿として、日本の政治がMMTを受け入れられるのかについて考えたい。

まず現在の政治に目をやると、MMTに興味を示しているのが自民党である点が気になる。米国では、MMTの提唱者の一人である経済学者のステファニー・ケルトン(ニューヨーク州立大学教授)が、民主党の上院議員で社会民主主義者を自称するバーニー・サンダースのアドバイザーを務めるように、リベラル色が強い。これに対して日本では主要野党がMMTと距離を置いているのに対し、保守政党である自民党が接近しているというねじれ現象が起きているのである。

自民党には二つの「財政本部」がある。一つは財政健全化を掲げる、岸田総裁直轄の「財政健全化推進本部」、もう一つが積極財政を唱える「財政政策検討本部」である。後者は高市早苗経済安全保障相の下にできたものであり、安倍元首相が最高顧問を務めていた。(*注1)

この「財政政策検討本部」が出した提言(2022年5月)を見ると「成長なくして財政再建なし」を主張しており、MMTを掲げているわけではない。しかし高市(当時は自民党政調会長)はNHKの番組に出演した際に、財務省の矢野康治次官(当時)が与野党の経済政策を「バラマキ合戦」と指摘したことを失礼だとして批判し、日本の国債に関して「自国通貨建てだからデフォルトは起こらない」と述べている(*注2)。また、高市が本部長として起用した西田昌司参議院議員はMMTの信奉者として知られている。

気がかりなのは、自民党の財政積極派がMMTの都合の良い部分だけを切り取って政局に利用するのではないかということである。MMTの貨幣理論は現在の経済や社会の常識を覆すので、政治がそれを論じるのであれば、目指すべき経済や社会の姿を明らかにした上での議論が不可欠であるからだ。

本稿では、MMTの導入が経済や社会に何をもたらすのかについて、「税と財政」「国家」「主権」という三つの論点から探りたい。それら全てに政治が関わっているので、日本の政治が抱える問題が明らかになると考えている。参考にした書籍は巻末に記した。

◆論点1:税と財政

  • MMTの貨幣理論における税と財政

MMTの貨幣理論の代表的な主張である「主権国家の財政支出能力に制約はない」と「税金は財源ではない」は、税と財政の歴史的に形成されてきた常識的理解を否定する。

MMTが主張する貨幣理論の骨子を確認しておきたい。まず、「通貨主権を有する国家の財政支出能力に制約はない」は原理を言っている。MMTにも制約としての財政規律があり、それをインフレ率に置いている。物価が目標水準を上回れば財政支出の削減か増税で需要を調整して物価を下げる。そうした政治的調整能力を日本の政治に期待するのは困難だと言う批判は、前2稿で見た通りである。

次に税金に関して、MMTの貨幣理論では、税金は政府の財源ではないが、貨幣の成立には必要だとする。すなわち――MMTは、貨幣の起源を当事者間の貸し借りに基づく債務証書だとするが、それが流通するには国家の信用という後ろ盾がいる。しかし国が通貨を定めるだけでは流通しないので、政府が法律で納税手段として受け取ることを約束する。そうすれば人々が安心して日常決済に使うので通貨が成立する――と考える。これが、税金は財源ではないが必要だという理由である。

⚫️納税意識と財政規律意識の喪失

税と財政に関する現在の常識は、「納税意識」と「財政規律意識」である。国民は政府に税金を払わないといけないという「納税意識」は、財政支出の原資は国民が納めた貴重な税金なので、政府は国民のために仕事をするという理解があって成立する。そして財政支出の原資は最終的には税金しかないという理解は、政府に財政の持続可能性を保つための規律を要求する。現在の規律は財政赤字水準や政府債務残高の対GDP(国内総生産)比率に置いている。この納税意識と財政規律意識は影響し合っており――納税意識が低下すれば財政規律を保つことは困難になる。財政規律が守られなければ納税意識は低下する――という関係にある。

こうした常識は人々の商慣習や生活慣習の中に根付いており、経済・社会の秩序を維持するために必要な慣習とみなすことができる。その慣習を理論的に間違っているとして制度を変えようとしたら、経済秩序は混乱し、社会秩序は不安定化する。新しい秩序の形成への考察が必要と思われる(*注3)。

常に公益を私益に優先して政治を信頼する国民と、高潔な理想を持って国民をリードする政治家がいれば、そうした事態に至らない可能性があるかもしれないが、日本の政治の現実を見ると、そのような期待を抱くことはできない。特に、過去から続いてきた秩序や制度を「保守する」はずの自民党の有力議員の中からMMTに接近する動きが出ている状況を見せられると、政治への不信を覚える。

◆論点2:国家

すでに見たようにMMTの貨幣理論は、国家の役割を重視している点が特徴である。そうすると、国家とは何かという国家論が必要になる。『富国と強兵――地政経済学序説』の著者で評論家の中野剛志は制度派経済学に基づいて、国家と国民の関係を次のように論じる。なお、ここでいう「制度」とは社会的慣習の集積を指す――

①人間は「社会的存在」であり――他者との関係や社会環境の影響を受けて意図や嗜好(しこう)を形成するもの――と想定する

②究極の制度が「国家」であり、人間は――いずれかの主権国家によって権利を付与され、かつその権利を保障されることによってはじめて、「私」「個人」といった権利主体として存在しうる――と理解する

MMTが想定する国民は、国家という制度に依存する存在である。国家は国民の生命と生活を守るために、国民から人的・物的資源を調達する強い力を持つ。国家はその力によって平時は福祉国家を建設するのであるが、危機時には国を守るために戦うことを求める。

国家と国民の関係を規定する日本国憲法は、国家の権力を制限して国民の権利・自由を守るという近代的立憲主義に立つ。すなわち――「国家」は大きな権力を持つために「個人」にとって危険な存在にもなりうるので、憲法によって国家権力を制限する――という考え方だ。

立憲主義から導かれる国民の視点から考える国家と、国家の視点から国民を見るMMTの国家像は異なるのではないかと考える。もしそうなら、リベラルの支持は期待できないと思われる。

◆論点3:主権

中野は、地政学的視点から現在の日本が置かれた状況を――冷戦期から今日まで要(かなめ)であった日米同盟に基づく既存秩序に対して、急速に勢力を拡張した中国が挑戦しようとしている――と理解する。

そして――戦後の米国による覇権体制の下で、日本は安全保障を考える必要がなかった。しかし米国の覇権が崩壊しつつあるという国際環境の大きな変化の中で、従来のように安全保障や外交を対米依存一辺倒のまま維持していくことは困難になっている。日本のとるべき道は、対米従属から脱して国民国家として自律性を高める道を模索していくしかない。これによって日本は「主権」を回復するのである――と主張する。

中野はMMTを政治経済学として総合的に論じているが、この中野の主張をわたしは次のように解釈している――国家の安全保障という面で見れば、戦後の日本は平和憲法を維持し、国の守りは日米安保に依存した。それは結果として日本に平和と繁栄をもたらしたが、同時に日本人の多くは自ら国を守るという意識を持つ機会を失った。地政学的危機が迫る今こそ自分の国は自分で守るという自覚を取り戻し、日本は自律的な国民国家として再出発する時である。無限の財政力を与えてくれるMMTはそのための強力な武器なのであり、日本が「富国」と「強兵」を実現するためには、MMTが必要なのである――。

もしこの解釈が正しいなら、平和憲法を守りたいリベラルも、憲法は改正したいが日米安保は現状維持を望む保守も、どちらも賛成しないと思われる。したがって、MMTは日本では左右どちらの政治勢力からも支持されないことになる。

◆まとめ

⚫️MMTを巡る政治的ねじれ

米国のリベラルは、すべての人が自由な生き方を追求できるように国家が再分配を行うべきだと考える。そのためリベラルは大きな政府を必要とし、反対に保守は財政支出を抑えた小さな政府を求める。しかし、日本でのリベラルと保守の対立の構図は異なる。保守党である自民党は、かつては公共投資を中心としたケインズ流の財政政策を重視していたし、現在も景気対策を名目に財政支出を政治に利用している。与野党ともに財政支出への依存意識が強いので、米国型の小さな政府への志向は見られない。MMTは日本では、保守に受け入れられる素地はあるのだ。自民党を惹(ひ)きつけた理由の一つはそれだろう。

このように米国型の「大きな政府」と「小さな政府」の対立は日本にはないので、保守とリベラルという分類はなじまないが、他に適当な呼称を思いつかないので、本稿では保守、リベラルと表現している。日本では今でも資本主義と社会主義というイデオロギー対立の残滓(ざんし)があるものの、社会主義が失敗した現在は対立軸とはなり得ない。現在の保守とリベラルの大きな対立軸は、日本国憲法の三大原則――「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」――のうち、人権と安全保障に関するものである。この憲法の背景にある思想を立憲主義と言う。近代立憲主義は――国家権力の制限――である。リベラルはこの立憲主義を掲げて、人権と安全保障の憲法解釈について保守と対立している。

MMTが想定する国家は国民の生命と生活を守るために、人的・物的資源を調達する強大な力を持っている。こうしたMMTの国家像は、日本ではリベラルよりも保守のそれに近いと思われる。

また、中野の主張は、日本の「主権」確立のために独自の防衛力を必要とすると読めるが、そうであれば日本国憲法の「平和主義」の原理と対立することになる。現行憲法維持を望むリベラルからの支持は得られないだろう。保守から見れば防衛力強化は賛成かもしれないが、中野は対米従属からの脱却を主張しており、親米路線堅持の自民党とは相いれない。

中野の問題提起は、憲法議論に還元されてしまうと力を失うのである。そして、保守にもリベラルにも受け入れられないだろう。

⚫️保守主義の危機

日本国憲法は平和主義において世界に比類ない理想主義的憲法と言えるが、一方で安全保障は日米安保によって維持されてきたという現実がある。この平和憲法と日米安保を両輪とする安全保障体制を巡る対立は、戦後日本の政治を規定した。それは現在も続いており、保守対リベラルの対立だけではなく、安全保障に関するリベラル内での対立が続いている。リベラルが団結して保守と対抗できない最大の原因はそこにある。こうした分裂するリベラルという構図は、保守にとって有利に見える。しかし、最近の政治資金問題や旧統一教会問題、本稿で取り上げたMMTへの接近などを見ていると、自民党自体が迷走していると言わざるを得ない。

政治学者の宇野重規(東京大学教授)は著書の中で、今日の日本の状況を――戦後の保守主義は、状況への適応としての側面が強く、保守すべきものの理念は曖昧(あいまい)なままであった。このことがそのライバルの社会主義の後退とともに、今日における保守主義の優位とその無内容化をもたらした。そうだとすれば「保守主義の優位」は、保守主義にとって勝利であるという以上に、危機を意味する――と指摘している。

政治資金問題に関する岸田首相の対応は、それを自民党の危機的状況だと認識しているように見える。しかし、そうではなく保守主義の危機として受け止め、何を「保守する」のかを自問するところから出発しなければ、保守の再生はかなわないのではないか。それができないのであれば、保守主義の危機にとどまらず、日本の危機につながると懸念する。(文中一部敬称略)

<参考書籍>

『富国と強兵――地政経済学序説』(中野剛志著、東洋経済新報社、2016年12月初版)

『MMTとは何か』(島倉原著、角川新書、2019年12月初版)

『憲法と平和を問いなおす』(長谷部恭男著、ちくま新書、2004年4月初版)

『保守主義とは何か――反フランス革命から現代日本まで』(宇野重規著、中公新書、2016年6月初版)

(*注1)NHK政治マガジン(2021年12月24日)“自民党「財政本部」が2つ!? 新たな主導権争いか”

(*注2)日経新聞記事(2021年10月10日付)“高市氏、財務次官は「失礼」、「デフォルト起こらない」”

(*注3)納税意識の喪失がもたらす弊害について島倉は著書の中で言及している。経済思想家・柴山圭太(京都大学大学院准教授)の問題提起から「新しい物語」が必要だとしている。

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