п»ї 「グローバル化」の視点から考える(その1):インフレ 『視点を磨き、視野を広げる』第74回 | ニュース屋台村

「グローバル化」の視点から考える
(その1):インフレ
『視点を磨き、視野を広げる』第74回

4月 24日 2024年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープンカレッジに通い始めた。

◆はじめに:「グローバル化」の視点から考える

高校の歴史は、最近まで世界史と日本史の二科目だった。2年前に近現代史だけを括(くく)り出して日本史と世界史を統合した「歴史総合」という新科目が加わった。その新しい教科書(*注1)を成田龍一(東京女子大学名誉教授)が執筆している。わたしにとって成田はオープンカレッジの授業で「総力戦体制論(*注2)」という新しい視点の存在を教えてくれた先生である。近現代史を見る目が広がったことに感謝している。成田が主張する歴史の連続性の重視は、近現代史の一つの流れとなっている。その成田が書いた教科書を使って、近現代史を勉強できる今の高校生は恵まれている。

教科書の冒頭に――18世紀以降の近現代の歴史を「近代化」「大衆化」「グローバル化」という大きな社会変化から捉える――とある。三つの変化は相互に関連しあっているが、時期によって強く現れるものが異なる。そして、20世紀後半から現在までは、「グローバル化」がもたらす変化を読み解く必要があると教えているのである。

現在の世界的なインフレについても、グローバル化が深く関係していると思われる。すなわち――東西冷戦の終結によりグローバル化が加速した。その恩恵を最も受けた中国が経済大国化し、覇権国米国との対立に至った。米中対立は地政学リスクを高めてグローバル化の流れが逆行し始め、従来のコストと効率を最優先するグローバル化は再構築を迫られた――。

そして――突然パンデミックが発生して経済活動が減速した。慌(あわ)てて各国政府は給付金などの形で財政支出を急増させ、金融緩和策が採られた。しかしパンデミックが沈静化に向かうと突然世界中がインフレに襲われた。米欧の中央銀行は政策を転換して金利を引き上げた――のである。この世界インフレの原因については供給制約と需要過剰の二つの要因が考えられる。本稿では、この二説を検討することで、グローバル化が生んだ複合インフレであることを確認したい(論点1)。

また、米欧中銀がインフレ対策の金融引き締めに転じる中、日本だけが金融緩和を続けた。理由は、金融政策の正常化に時間を必要としたことの他に、デフレ脱却を確実にすべきだという意見が依然強いことが挙げられるだろう。本稿では、異次元緩和の評価の違いが、現在の金融政策に関する意見の相違に繋(つな)がっていることを確認したい(論点2)。

インフレの原因を供給制約に求める説を代表するものとして、渡辺努(東京大学大学院教授)の論説を参考とした(巻末書籍を参照)。渡辺はデフレ脱却を優先すべきという立場である。また、需要原因説の代表として野口悠紀雄(一橋大学名誉教授)の論説を参考とする(同)。野口はインフレ対策のために金利を上げるべきだと主張している。

なお、野口は80歳を超えた現在も精力的に本を出版しているが、学者としての業績の白眉(はくび)は1995年発表の「1940年体制」論――戦時期に形成された終身雇用や年功序列賃金、企業別組合などの諸制度が戦後の高度成長に貢献したが、その後の環境変化への日本企業の適応の障害となっているという説――だと思う(*注3)。前述の歴史学者たちによる総力戦体制論を、経済面に焦点を当てて批判的に分析したものと言えるだろう。

◆論点1:現在のグローバルインフレは複合インフレである

渡辺は、世界的なインフレの主原因は供給制約にあると考える。一方、野口は、需要過剰に注目する。それぞれの主張を下記に整理した。

⚫️供給制約」説コストプッシュ・インフレ

渡辺は、現在の世界インフレの主原因はパンデミックがもたらした三つの行動変容による供給制約だという仮説を示す。

①消費者の行動変容:消費の対象がサービスからモノへ移るという急激な需要シフトが起きてモノの供給が不足した

②労働者の行動変容:大離職、大退職による労働参加率の低下で労働者が不足して供給力が低下した

③企業の行動変容:グローバルなサプライチェーン化の流れが逆転した。脱グローバル化は長期的かつ静かに進行する供給ショックであり「新しい価格体系」への移行を示唆している

この仮説は説得力をもつが、パンデミック3年目の2022年夏時点の現象を対象として考察されていることに注意が必要だ。その後のパンデミックからの回復過程でどう変化したかを含めた検証が必要だと思われる。ちなみに米国の労働参加率は、パンデミックによって63.4%(2020年2月)から60.2%(同年4月)に急落した。その後徐々に回復しているが、2024年3月で62.7%と、依然パンデミック前の水準を下回っている(*注4)。構造的な変化が起きているという可能性は否定できないと考えられ、今後も観察が必要だと思われる。

また、渡辺は、金融政策は利上げによって需要を減らすことができるが、供給に影響を与えることはできないことを指摘する。すなわち、需要過剰説に立てば、FRB(米連邦準備制度理事会)の金利引き上げで需要を抑えるという政策が妥当である。一方、供給制約説においては、金融政策で供給をコントロールできないと知りつつ、FRBは(経済への悪影響というリスクを冒して)需要を抑え込むことで強引にバランスを取ろうとしているという解釈になる。渡辺の説は、FRBがインフレ鈍化に手を焼いている理由を説明することができる。

⚫️需要過剰」説デマンドプル・インフレ

渡辺が供給面に注目するのに対して、野口は米国でのインフレの主原因は需要過剰にあるとする。その原因として①リベンジ消費②強制貯蓄の消費化③賃金上昇――を挙げる。

上記①リベンジ消費とは、パンデミックで制限されていた旅行や会食などが回復して起きる消費の増加を指す。②強制貯蓄の消費化とは、コロナ対策で政府から支給された給付金が消費されないで貯蓄され、それが経済正常化で消費に回っているという意味である。また、③物価上昇を上回る賃金上昇が消費増につながっているとしている。こうした消費の増加によって需要が膨らんでいるので、金利を引き上げることで消費を抑制する金融引き締め政策が妥当だと考えるのである。

⚫️「複合インフレ」と考えるべき

今回の世界的な急性インフレの主原因を巡って、供給制約(渡辺)か需要過剰(野口)かで見解が分かれるが、両説のどちらが正しいのかではなく、むしろ複合インフレだと解釈した方が納得性が高いと思われる。パンデミック発生直後は供給制約が強く現れ、回復過程で消費が伸びて需要増がインフレを牽引したと解釈できるからである。また、米欧で見られる賃金上昇の持続性(インフレ長期化の要因)に関しても、渡辺の指摘する労働者の行動変容による労働力の制約が背景にあると考えれば、より納得性の高い説明が可能である。

インフレ長期化の可能性を考えるにあたっては、渡辺が指摘する「脱グローバル化は長期的かつ静かに進行する供給ショック」という視点に注目すべきである。ただし、パンデミック以前から米中対立を背景とした地政学リスクの増大によるサプライチェーン再構築が進行していたのであり、そこにパンデミックによる企業の行動変容が追い打ちをかけたと考えた方が説得力が増す。それは構造的な変化であり、「新しい価格体系」への移行が起きてインフレは長期化する可能性が高いということになる。構造要因によるインフレ長期化説であり、今後の研究成果に期待したい。

以上は米欧での現象である。そこでは需要説に立つ野口も、日本のインフレは海外物価の高騰と円安によるコストプッシュ・インフレだと見ている。したがって、インフレ抑制のためには金利を引き上げて円安からの転換を図るべきだと主張する。金利を上げても、内部留保が潤沢な企業の設備投資に影響はないので景気への懸念はないという見解だ。一方、渡辺はデフレへの逆戻りを懸念し、金利引き上げには慎重な姿勢であり、日銀も同じスタンスのように見える。米欧がインフレ退治に躍起になっているのに対して、同じようにインフレが起きているにもかかわらず(*注5)日本ではデフレが懸念されているが、その妥当性と背景について以下考えたい。

◆論点2:デフレ懸念について

⚫️妥当性:異次元緩和をどう評価するかという問題

デフレ懸念は、異次元緩和をどう評価するかという問題と関係している。異次元緩和を推進したリフレ派の考え方は――①日本の長期経済停滞の原因はデフレにある②デフレは貨幣的現象であり大量にマネーを供給することで脱却可能③金融政策が機能しないゼロ金利制約に関しては、人々の予想に働きかける政策(日銀が物価上昇率をコミットする)で達成可能――というものだ。

これに対して野口は――①日本が直面する問題は「デフレからの脱却」ではなく、経済環境変化に対応した経済構造の改革にある②(日銀の国債購入で)マネタリーベース(日銀当座預金)を増やしても、マネーストック(市中に流通するマネー)が予想したように増えなかった原因は、需要不足にある③予想に働きかける政策は効果が期待できない――という主張である。なお野口は、政府・日銀は、そうしたことは分かった上で異次元緩和を行ったのであり、その本当の目的は物価ではなく低金利と円安だったと考えると「全てが整合的に理解できる」として厳しく批判している。

両者の主張の対立点を整理すると――①デフレは経済の長期停滞の原因か、結果か②異次元緩和失敗の原因は、「物価は上がらない」というノルム(社会規範)の存在か、需要不足か③予想に働きかける政策はゼロ金利制約下で有効か、否か――である。わたしは後者の主張を支持したいが、日銀はどうなのかは立場と本音で違いがあるように感じる。

⚫️背景:日銀の立場と本音

黒田東彦(はるひこ)前総裁の後任探しは難航したといわれる。機能不全に陥っている金融政策を正常化するという難事が待ち受けていたからだと思われる。断る候補者もいたと噂(うわさ)される中で、学者出身の植田和男新総裁が決まった。植田総裁は、2023年4月の就任から1年かけて異次元緩和の幕引きを無事終えた。今年3月にマイナス金利解除、長短金利操作(イールドカーブ・コントロール)撤廃、上場投資信託(ETF)新規買い入れ終了を決めたのである。市場に大きな混乱を起こすことなく金融正常化の入り口に立てたわけである。ここまでは順調であり、市場の評価も高い。ただ、自民党の政治資金問題で、(異次元緩和を支持する)安倍派が弱体化していたという運の良さもあったと思う。

植田総裁はマイナス金利解除時の記者会見で「賃金と物価の好循環の強まりが確認されてきた」ことを解除の理由として挙げている。ただ、「当面、緩和的な金融環境が継続すると考えている」と述べて、追加の利上げをすぐに行わないことを示唆している。利上げを早まってデフレに逆戻りすることを懸念する声を無視できないということだと思う。植田総裁は「(説明は丁寧だが)賛成なのか反対なのかわからない」という人物評を聞いた。本音がわかりにくいということだろうが、「金利のある世界」にすることで経済の活力を復活させる道を開くことが本筋だというのが本音ではないかと考えるがどうだろうか。

今後「金利ある世界」への復帰を図るためには、追加利上げが必要だ。懸念材料としては、為替とインフレが挙げられる。米国のインフレ長期化でFRBの利下げ転換が遠のくという見方が強まることでこれ以上の円安が進むと、日銀が追加利上げを迫られる可能性が高い。その時に(今まで説明に使ってきた)「物価と賃金の好循環」が確実になったと言える状況(実質賃金がプラス)になっていなければ、手足を縛られる。また、利上げ過程では、日銀の財務の問題が顕在化する可能性がある。負の遺産は重いのである。

◆まとめ

⚫️現在の世界インフレは、供給要因と需要要因が重なり合った複合インフレと考えた方が納得性が高い。それに対して米欧中銀は金利引き上げで対応しているが、FRBはインフレ対策に予想以上に時間を要している。グローバル経済の構造変化によるインフレ長期化の可能性には注意が必要だろう

⚫️米欧中銀が金融引き締め政策を採る中、日銀だけが緩和策を維持している。その結果、過度の円安が進み、インフレもなかなか収まらない。一方で、デフレ(逆戻り)懸念からの圧力を無視できない。そうした環境下で植田日銀は金融政策の正常化へ第一歩を踏み出すことに無事成功した。「金利のある世界」を回復して経済の活力を復活させることで道を開くしかないと思われる

⚫️植田日銀の滑り出しは順調だが、今後の追加利上げは、インフレ長期化による米国金利の高止まり、為替(円安)が懸念材料であり、日銀にとってはチャレンジングであることに変わりはない

<参考図書>

『物価とは何か』(渡辺努著、講談社、2022年1月初版)

『世界インフレの謎』(渡辺努著、講談社現代新書、2022年10月初版)

『平成はなぜ失敗したのか――「失われた30年」の分析』(野口悠紀雄著、幻冬社、2019年2月初版)

『日銀の責任――低金利日本からの脱却』(野口悠紀雄著、PHP新書、023年5月初版)

(*注1)『歴史総合』(実教出版、2022年1月発行)。著作者は成田龍一、木畑洋一他

(*注2)「総力戦体制論」は、国民国家が戦争遂行のために物的・人的資源を総動員したことで社会が再編成されたことに焦点を当てる。そうした再編成は国家の体制に関わりないこと(米国もドイツも日本も本質は同じ)を明らかにし、戦後の福祉国家建設の理念に継承されていることを指摘した。山之内靖著『総力戦体制』(筑摩書房)はその研究成果であり、成田は山之内の弟子で山之内の死後、同書の編集を行った。山之内も成田も歴史の連続性を重視する立場である。なお、こうした主張は、日本において支配的であった「戦後民主主義」という思想(日本は敗戦によって民主主義になり社会改革が実現した=「悪い戦前と良い戦後」という歴史の断絶を重視する立場)と対立した。同論への支持が広がりを欠いたのはそのためだと思われる

(*注3)『1940年体制――さらば戦時経済』(野口悠紀雄著、東洋経済新報社)。日本では、戦前・戦中期に総力戦体制構築を目的に労働者の厚生改善(終身雇用制度、年功序列賃金、企業別組合、健康保険制度創設)が行われた。こうした諸制度・慣行が占領期を生き延びて、日本型企業モデルが確立して戦後の経済発展に寄与した。しかし、経済環境の変化(グローバル化、デジタル化)によって変革の障害となっていると主張した

(*注4)ジェトロビジネス短信

(*注5)日本の2023年の消費者物価上昇率(生鮮食品とエネルギー除く、前年同期比)は、4.0%であった。今年2月の消費者物価上昇率(同)は若干低下しているが3.2%であり、米国の同指数と同じ水準だ(資料:総務省)

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