п»ї 「格差と貧困」という視点:「社会保障改革について」その2 『視点を磨き、視野を広げる』第33回 | ニュース屋台村

「格差と貧困」という視点:「社会保障改革について」その2
『視点を磨き、視野を広げる』第33回

8月 19日 2019年 経済

LINEで送る
Pocket

古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

本稿の狙い

前稿では、社会保障は「財政」「雇用」と依存関係にあるため、社会保障改革は「財政再建」「雇用の安定」とそれぞれ一体的に考えていかなければならないとした。特に財政との関係は重要である。なぜなら財政悪化の最大要因が社会保障費の増加にあり、今後も制度を維持するためには国民負担の増大が不可避であるからだ。しかし、こうした専門家の意見と一般国民の認識には大きな落差があるのも事実だ。その点に関し、経済学者の小峰隆夫が書いているように(*注1)、専門家は「国民負担の今後の増大は避けがたい」と考えるが、一般国民は「税源が必要なら、まずは無駄の削減で対応せよ」という考え方が強く、さらに財源に関し専門家は「消費税」が公平で安定していると考えるが、一般国民は「増税するなら法人税」「消費税は逆進的」と考えているのである。

このような認識のギャップが生じる理由の一つに、社会保障制度が巨大(年間約120兆円)で複雑な仕組みをもっており全体像が分かりにくいことが挙げられる。そこで今回、社会保障改革を考えるにあたっての教科書として『教養としての社会保障』(香取照幸著)を選んだ。著者は、元厚生労働省の官僚であり、本の帯に「年金を改革し、介護保険をつくった異能の元厚労官僚」とあるように社会保障制度の専門家である。本書で社会保障制度を「巨大かつ複雑で相互に関連し合う諸制度の集合体」と表現するように、出口のない迷路のようなものなので、著者のような専門家の解説がなければ制度の全体像を正しく把握できないと思う。そうしたプロセスを踏まずに、特定の制度について自分が利用する視点からのみ批判しても整合性のある改革に結びつけることは困難であろう。

本書はまず、社会保障制度という迷路を理解するための指針となる社会保障の基本哲学の説明から出発する。それは「自助」と「共助」であり、その基本哲学が日本の社会保障が誇るべき皆保険制度に結実していると説く。だが現在、経済・社会構造の大きな変化によって制度の前提条件が崩れ自己変革を迫られている。社会保障改革の難しさは、(本書が指摘するように)生活に密着した存在であるがゆえにマクロ(全体最適)とミクロ(部分最適)のギャップが大きい点にある。したがって「マクロの観点から改革案を出しても、ミクロの視点からは反対」ということになってしまう。しかし改革は不可避であり、そのための最終的な合意形成に至るには、政争の具にすることなく冷静に議論を積み重ねていくしかない。本書はそうした議論を展開するための良質なたたき台を提供してくれると考える。なお、改革の基本的な考え方を理解するために必要な制度の特徴や社会構造変化などは、前稿と重なる部分もあるので説明を簡略にした。

社会保障の哲学・特徴

・基本哲学――「自助」と「共助」と「公助」

本書では、社会保障制度は、「自助」を基本として「共助」が補完するという基本哲学をもつことを説く(*注2)。すなわち、①自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本として、②生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完し、③自助や共助では対応できない困窮などの状況を国が助ける公的扶助(生活保護)や社会福祉などを「公助」として位置づける。②と③が社会保障制度を構成するが、中核をなすのは②「共助」である。「共助」とは、自助の共同化とも表現され、医療保険、介護保険、年金保険、雇用保険などの保険制度のことである。なお、日本の社会保障制度は、こうした保険制度を中心に資源が集中的に投入されており、その成果が皆保険制度となって生活に「安心」を与えてくれている。ただしその半面、③の公的扶助に十分に資源が配分できていないという課題をもつ。

こうした「自助」を基本とする思想に対して、何でも個人の責任にする自己責任論だという批判がある。しかし、「共助」の意味は、「誰も一人で負いきれないリスクに遭遇した場合、全部一人の自己責任にすると個人の生活が破壊されるので、リスク回避を共同化する」ことである。したがって、制度自体が社会構造の変化によって改革を強いられた場合には、痛みを共同で分かち合うことが求められる。制度の持続に必要であれば、給付を削るか保険料負担を増やすことが「共助」なのであり、税金を投入する場合は、財源として全国民を対象とした消費税が適しているということになる。

・皆保険制度

日本の皆保険・皆年金制度は1961年に実現したが、まだ貧しかった日本が世界にもあまり類例がない皆保険・皆年金制度を作り上げたことを、著者は「奇跡」だと表現する。なぜなら、全居住者に加入義務を課す保険・年金制度が存在する国は、世界でごく少数にすぎないからである(*注3)。皆保険・皆年金を生み出すもととなった「社会保障制度審議会勧告」が出されたのは敗戦からわずか5年後の1950年であった。人々の生活は戦争の荒廃から完全に立ち直っておらず、日本は米軍の占領下で独立さえ果たしていなかった。同審議会の会長であった大内兵衛(*注4)は、勧告の序文で「諸君は…お前のことばは大言にすぎるというであろう。そうだ、それは私も知っている。」と率直に述べているように、貧乏国日本にとって「無謀とも思える試み」であった。当時の「敗北を抱きしめた」日本人が、平和主義とならんで平等主義(金持ちが没落して焼け野原の中ではみんな平等)に戦後的価値を見出し、そうした一種社会主義的空気の先に朧気に見える福祉国家像に「生きる」希望を託したのだと思う。等しく貧しかった当時の人々の平等への希求が切実に伝わってくるのである。その後、高度成長の配分を得て社会保障制度をどんどん拡充していったわけであるが、豊かになっても当時の「気持ち」を忘れてはならないと思う。戦後日本は世界に誇りうる平等主義的な社会保障制度を作り上げたのであるから、その自己改革もまた可能であると信じたい。

本書では、こうした平等主義が制度の中で徹底されているのが、日本の皆保険の特徴だとする。同じ社会保険制度のドイツやフランスは、「支払い能力のない人は制度の枠から外して別枠で対応する」が、日本の制度では「保険料負担能力がなくても保険に加入できる」からだ。「仲間はずれにせず、保険料を減免し、税金で補填する」のが日本の制度の特徴だとするのである。具体例として、国民年金には保険料減免制度(「保険料免除」は、税金を財源とした給付を半分受けられる)があり、国民健康保険は低所得者の保険料減免制度がある。このように日本の皆保険制度は平等、公平を基本とするが、そのために税金が多く投入されており、今後の少子高齢化の一層の進展に対応して制度を維持していくためには、税金の追加投入が必要となる可能性が高いということは、念頭に置いておきたい。

・職域保険と地域保険の二本立て

保険制度に関し、サラリーマン(被雇用者)は職域で括り、それ以外は市町村で括(くく)る制度が特徴だとする。歴史的には、大企業を中心に健保組合がつくられ、その後職域保険を拡大していき、最後に自営業者は国民健康保険を作って地域で括る形で皆保険が実現したという。年金も大企業の厚生年金から出発して、最後に自営業者向けの基礎年金で皆年金を実現している。制度実現を可能にしたのは、サラリーマンの大部分が終身雇用の常勤社員で雇用が安定していたからだという説明は納得がいく。また、組織集団で異なる国民健康保険が成立したのは、同じ「地域」の住民という連帯意識に支えられていたからだとする。当時は地域社会の機能が維持されていたので子育ては地域社会や家族の助け合いが力を発揮したということだろう。

職域保険と地域保険は皆保険・皆年金を実現した大きな要素であったが、その基盤となる雇用、地域、家族といった前提条件が変化すると制度の限界が見え始める。

前提条件を失った社会保障

・経済の停滞・雇用の変容

高度成長が終焉(しゅうえん)し、経済成長率が低下していく。低成長率は日本だけではなく経済が成熟した先進国共通の現象であり、低い成長率を前提とした社会の諸制度の再設計が必要となってくる。また、経済の停滞が原因となって非正規社員の比率が高まり、終身雇用を前提としていた雇用の安定が崩れる。そうなると雇用の安定の上に構築された年金を始めとする社会保障制度がぐらついてくる。例えば、非正規社員は、厚生年金に加入できない場合が多く、基礎年金だけで将来の年金不安を抱えたまま年老いていく。また、企業の健康保険に加入できないため、国民健康保険に行かざるを得ないが、低所得者が多いことから保険料の低い層が増えて、同保険の財務状況が厳しくなっている、などの問題が顕在化しつつあると指摘する。

・家族・地域のあり方の変化

夫婦(正規社員の夫と専業主婦)と子供世帯が社会保障制度の基本モデルであったが、現在では単身世帯やひとり親世帯比率が高まっている。その結果、家族や親戚の結びつきの弱体化や地域社会の機能の脆弱(ぜいじゃく)化が起きる。また会社では非正規社員が増え、擬似コミュニティーとしての企業内の結びつきが弱くなっている。本書では、「個人のアイデンティティーを支えてきた家庭での役割、地域コミュニティーや企業への帰属意識が揺らぎ、自殺、うつ、いじめなど社会の病理現象が頻発し始める」と指摘する。

本書はさらに、社会保障がこうした問題に対応するには、「限界がある」という前提で、「福祉、医療、保健、生活支援など様々な施策を組み合わせて行くしかない」とする。また、制度だけではなく、「現場の解決能力を高めること」が求められるが、それには人材、カネ、時間が必要であることを指摘し、「社会保障の仕事がどんどん増えている」としている。

・人口減少と高齢化

人口減少のインパクトは、労働力人口が減るのに高齢者人口が増え続ける点にある。社会保障にとっては、サービスの受給者が増え、負担の担い手が減ることを意味するからである。本書では、最も厳しいのは「これから2040年くらいまでの時期」としている。65歳以上人口のピークは2042年の3900万人であり、以後は減少に転じて2060年以降は「高齢者と現役世代のバランスはとれていく」からだ。したがって、「これからの25年を乗り切れるかどうかが社会保障の最大の課題」というのである。

その課題克服のために、年金制度について「積立金の活用とマクロ経済スライド(*注5)で給付を調整」する仕組みにしている。本書では、「日本経済が潰れない限り年金制度は潰れない」という。なぜなら、年金の支給額は、物価や賃金が上昇すると増える仕組みになっているが、その上昇率から被保険者の減少や平均余命の伸び(「スライド調整率」と呼ぶ)を差し引いて年金支給額を決定するからである。「マクロ経済スライド」に対しては批判(物価が上がっても年金はそれほど上がらない)があるが、人口減少の中で将来的に年金制度を安定させるためには、やむを得ない仕組みだと思う。ただ本書では触れていないが制度には問題点がある。それは、積立金の運用リスクである。厚生年金と国民年金の積立金(161兆円)は、厚生労働省所管の独立行政法人(*注6)によって運用されているが、運用ポートフォリオは国内債券35%、国内株式25%、外国債券15%、外国株式25%である。低金利下での運用成績を上げるために、実に資産の50%が、ボラティリティー(予想変動率)の相対的に高い(要はリスクが高い)株式で運用されているのである。設立(2001年度)以来の運用成績はプラス(+3.00%)を維持しているため問題視されていないが、中長期的に大きな市場変動リスクを抱えている点には留意が必要である。

また、年金制度の持続性に関しては、保険制度でありながらすでに基礎年金には半分税金が投入されており、政府が潰れれば制度がもたないのはいうまでもない。したがって財政を破綻(はたん)させないことが現行の年金制度維持の絶対条件である。

むすび

日本の社会保障は、日本型企業モデル(終身雇用)による雇用の安定を基盤にして、皆保険・皆年金を中心に形成されてきた。しかし制度が確立されてから半世紀以上がたち、前提としていた諸条件が失われた。すなわち、少子高齢化の急速な進行によって、現役世代が高齢世代を支える保険制度の今後の持続性に懸念が高まっている。また、経済環境の変化によって非正規雇用が雇用全体の4割近くを占めるようになり、雇用の安定が揺らぎつつある。セーフティーネットとしての社会保障の役割への期待が増しているが、財政は危機的状態にあり、社会保障改革と財政再建、雇用の安定化の三つのバランスを取りながら改革に取り組まなければならない。ただ、その時に忘れてはならないのは、日本の皆保険・皆年金制度の良さである「平等」と「公正」をどう維持していくかという観点である。なぜなら、現在の皆保険制度は日本社会に安心をもたらし、分断を回避する最後のセーフティーネットとして機能しているのであり、人間労働を守るという点において広い意味での「共有資本(人間関係資本)」と言ってもいいのではないかと考えるからである。

こうした日本の皆保険・皆年金制度の良さと、それが失われやすいものであるということを、家族とともに生活をした経験がある英国の例でお話ししたいと思う。英国ではすべての住民(外国人も含め)は「国民健康保険(National Health Service = NHS)」と呼ばれている制度の下、近くの診療所(家庭医)に登録する。医療費は全額税金が投入されており無料(*注7)なのはさすがだと思う。病気のときは必ずその家庭医のところに行き、医師が診察して必要だと判断した時に病院(公立病院)への紹介状をもらう。この紹介状がないと、どの病院も受け付けてくれないシステムだ。日本で認められているフリーアクセス(どの病院にでも保険で自由に診察してもらえる)がない。本書では、英国の制度は利用者にとって制約が多いとして、どこの病院にでも自由に行ける日本の制度の優位性を高く評価している。

しかしわたしの実感としては、英国の問題点(=日本の良さ)は別のところにあると思う。すなわち、英国では家庭医は多忙で(当然病気でも)予約が取りにくい。また紹介された公立病院で診てもらうまでの待機期間が長く、よくBBC(英国放送協会)のテレビでそれを批判する番組があったのを覚えている。重い病気の場合でも時間がかかるため、その間に死んでしまうこともあるといった報道も目にした。また、家庭医や公立病院は待遇が良くないので、良い先生が少ないというのが一般的な常識となっていた。ならどうするかと言えば、最初からプライベート診療の医師にかかったり、私立病院を紹介してもらったりするのである。すぐに予約できて、医療の質も良い。その代わり、医療費が非常に高価で全額自己負担となる。それをカバーするために民間保険があるが、保険料が高いので、富裕層か会社が団体保険に入っている大企業の社員でないと利用しにくい。こうした民間保険に加入しているのは全国民の一割程度とされる。無料だが、待機時間が長く質も劣位にある公的医療か、良い治療がすぐに受けられる私的医療かという二極化が起きており(*注8)、そこにもブレクジット(英国のEU離脱)につながる英国社会の分断を見るのである。それと比べて日本の医療制度は平等で公平であり、社会の安定に大きな寄与をしていると思う。

ただし、どうして英国の医療制度が劣化したのかは日本にとって貴重な教訓となる。すなわち、英国は第2次世界大戦後に長期の経済停滞に陥った。その際に医療に投入する税金が削減され、病院の設備整備が進まなくなったり、医師の人件費が削減されたりした。その結果公的医療制度が劣化していったからである。日本は保険制度であるが、税金も投入されており、万一財政危機が顕在化すれば、将来は英国のようになってしまう可能性があるということだ。日本の医療費は高齢化に伴い増加傾向が続いているが、医療制度は複雑で改革のハードルは年金以上に高いとされているので余計に心配だ。これに関して、社会保障問題を精力的にフォローしている大和総研の調査レポートで、「医療版マクロ経済スライド」という構想を紹介している(*注9)。これは、医療費の伸びを、経済や人口動態に応じて調整する仕組み(患者負担や診療報酬で調整)であり、制度維持のために検討が進むことを期待している。

日本の皆保険・皆年金制度は世界に誇ると言っても誇張ではないと思う。しかし、社会構造の変化で社会保障制度全体の見直しが迫られている。皆保険の良さである「平等」と「公平」の原則を守りながら、財政再建と一体で困難な改革に取り組んでいかなければならないのである。次稿では、その社会保障改革と財政再建について考えたい。

<参考図書>

『教養としての社会保障』香取照幸著(東洋経済新報社、2017年)

(*注1)小峰隆夫(1947〜)が書いた『財政再建・社会保障改革 思えば遠くに来たものだ』(日本経済研究センター2019年2月6日)から引用した。小峰は経済企画庁出身の経済学者(大正大学教授)。なお、小峰は内閣府の『日本経済と経済政策に係る一般国民及び専門家の認識と背景に関する調査』(内閣府経済社会総合研究所「経済分析」197号、2018年)を基に書いている。

(*注2)昭和25年の社会保障制度審議会勧告の中で明示。

(*注3)国立社会保障・人権問題研究所『国際比較の視点から見た皆保険・皆年金』季刊社会保障研究第47巻(2011年12月)。

(*注4)大内兵衛(1888〜1980年):大正・昭和期を代表するマルクス経済学者。専門は財政学。東京大学教授。法政大学総長。

(*注5)マクロ経済スライド:2004年の公的年金制度の改革で、「保険料固定制度」と「マクロ経済スライド」が導入された。

(*注6)年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)。2019年第一四半期運用実績は+0.16%。運用開始(2001年度)以来の収益率は+3.00%。

(*注7)NHSは無料であるが、歯科診療は有料。そのため低所得者は歯医者に行くのを我慢することが多く、歯を見れば階級がわかるといわれる。

(*注8)英国の名誉のために言えば、現在でも国家予算の4分の1をNHSに投入して水準維持に頑張っている。また、NHSへの国民の満足度は、地方によって大きく違うとされている。ただ、マスコミは総じてNHSに批判的である。例えば、居住地(の郵便番号)によって家庭医が決まるため、「郵便番号を使った宝くじ」(BBCニュース)など。(Wikipediaの「NHS」参照)

(*注9)大和総研(神田慶司シニアエコノミスト)の2019年3月12日付け『財政・社会保障見通しと財政再建の課題』参照。

コメント

コメントを残す