п»ї 「メタバースだから」できるインクルーシブな生涯学習『ジャーナリスティックなやさしい未来』第272回 | ニュース屋台村

「メタバースだから」できるインクルーシブな生涯学習
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第272回

1月 22日 2024年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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◆新技術の創るプロセス

「Fujisawaメタパラダイスof Arts」(主催・認定NPO法人藤沢市民活動推進機構、一般社団法人ソーシャルアートラボ、協力・文部科学省、神奈川県・藤沢市)が昨年11月に行われた。認定NPO法人藤沢市民活動推進機構に関わるNPOや市民らが協働してメタバースを使い障がい者とともに「アート」の空間を創出する取り組みである。障がい者の生涯学習の枠組みで文部科学省も協力し、私自身も文科省の障害者生涯学習アドバイザーとして参加した。

最近、「何かを学ぶ」という学習から、「一緒に創(つく)る」プロセスそのものが生涯学習になるとの認識は確立しつつあるが、それが「メタバース」という新しい技術であれば、なおさらに障がいの有無に関係なく、同じスタートラインに立つ参加者がインクルーシブなコミュニティーの中で機能し、学びの充実が図れる可能性が高まっていく。

その形が自然に成り立てば、さらなる学びの進化につながるのだろう。

◆展示会場は200点以上

このイベントはメタバースで展示会場を作成し、開催期間中にアバターでこの会場を訪問し、展示された絵画作品などを楽しむのを中心としている。誰でもどこからでも「見られる」だけではなく、アバターを介してその空間を訪問できるのが、新しく、そして面白い。

展示された作品は200点以上。一般応募作品のほか、神奈川県立藤沢支援学校から120作品、カンボジアの障がい児のアート作品(認定NPO法人エファジャパン)やNPO法人アート・ビーンズ・ファクトリー、放課後デイサービス「カララ」からの様々なスタイルの絵画作品が並ぶ。

みんなの大学校の学生である重度障がいの男性も指先につけた絵具で訪問のヘルパーさんと共に書き上げた「花束」の絵が展示された。

その空間に入れば、アバターのヒトのサイズからすると、絵画は巨大な大きさになり、その迫力とともに、これまでは身近な人しか関わることのなかった重度障がい者の絵が圧倒的な存在感を示してくる。

◆新しい広がりへ

この催しの中で行われたシンポジウムのテーマは「メタバース技術をつかった障害者の可能性」。主催側によると、その趣旨は「メタバースの技術によって、障害者のできることが広がっていくことを知ってもらう、理解してもらう」で、現状からメタバースの存在や可能性を広げ、普遍的な価値を示すのが自分の役割である。

登壇したのは、一般社団法人ソーシャルアートラボの代表理事、福室貴雅さん、同理事で車いすユーザー向けのウェディングドレスデザイナーの宮澤久美さん、湘南SDGsネットワークのユースチーム・学生団体ニューコロンブスの池田大和さん、「みみトモ。ランド」の高野恵理那さん。

「障がい者」がキーワードにしたこの取り組みはこれまで福祉領域で活動する方々が中心になってきたが、このメンバーを見ると、メタバースという新しいツールがエンジンとなり、福祉だけではなく、新しい領域や若い方々への広がりを感じる。

◆楽しい持続的なコミュニティーへ

持続可能な開発目標のゴール設定である2030年に向けたSDGsのキャッチフレーズは「誰一人取り残さない」であるが、スピード重視の社会では、何かをするのに「障がい」のある人はすぐに取り残されてしまう。理念を形にするためにも、新しい技術には誰もが共有しようというマインドも必須である。

「メタバース」を起点に、障がい者と支援者という垣根を超えた取り組みがここにはある。

シンポジウムでは福室さん、宮澤さんから「ファッション」の切り口での共生社会の未来を示され、池田さんからは学生の活発な動き、高野さんからは聴覚障がいに焦点化した行動が紹介された。誰もが自然に障がいを超えていこうという取り組みにあらためてメタバースとはコミュニケーションのツールであり、その空間を使って誰もが自分らしく生きられるために、必要なことを考えなければいけない、と思う。

そこには悲壮感ではなく、楽しさで過ごせるのであれば、やはり生まれるのは楽しい持続可能なコミュニティーなのだと思う。

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