п»ї アナログかデジタルか 葛藤と相克 「4か国回遊生活」オーストラリア再訪編(その2) 『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第17回 | ニュース屋台村

アナログかデジタルか 葛藤と相克
「4か国回遊生活」オーストラリア再訪編(その2)
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第17回

4月 22日 2024年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

◆「一億総白痴化」の深化を憂う

オーストラリアへ観光、知人・家族の訪問などの目的で渡航する日本旅券を持つ者は「オーストラリアETAアプリ」を通してETA(電子渡航許可)を申請しなければならない。前回2019年の渡豪時は、ETAはパソコン経由で取れたが現在は原則スマホのアプリ経由に限定されていて、スマホを使い慣れていない私にとっては渡航前から、これがちょっとした難関だった。

「4か国回遊生活」オーストラリア再訪編の第2回は、アナログ人間の“極致”にあるような私がスマホにつまずき、軽くあしらわれつつも、シドニーに到着早々、スマホなしではやっていけない現実に直面し、デジタル化へようやく改心し、その利便性を体感しつつあるという現在進行形の話である。

先に断っておくが、スマホを仕事や学業など日常の中にとっくのとうに採り入れ、それがなくてはならない人にとっては冗談とも言えないほど実にアホらしく、つまらない話に違いない。

唐突だが、東京都内や首都圏の電車・地下鉄の座席は、進行方向に向かって横向きに7人がけの長いすが伸びているロングシートの場合が多い。

車内での私のルーティンは座ってまず、対面のシートを見て7人中3人がスマホを見ていたら「日本はまだ大丈夫」だと思い(実際こんな光景はほとんどないが)、7人中5人だと「あぁ」と内心ため息をつき、7人中7人だったら「やっぱり日本はおしまいだ」と嘆く。評論家の大宅壮一(1900~70年)は1950年代、テレビについて「テレビばかり見ていると想像力や思考力が低下してしまう」と警鐘を鳴らして「一億総白痴化」の流行語を生み、大宅の三女で評論家の大宅映子さん(1941~)は「一億総インターネット化で白痴化が深化した」と喝破した。

スマホとSNS(Social Networking Service)の普及に伴い、例えば「LINEいじめ」が年々増加、それが原因で被害者が自殺してしまうケースが報告されているし、「スマホがないと生きていけない」と自ら“スマホ依存症”を訴える者がなんと多いことか。

私一人が嘆いてみても仕方ないし、抗(あらが)えども簡単に返り討ちに遭うのはわかっているが、電車内のロングシートの惨たんたる状況を見るたびに大宅父娘の指摘に激しく同意し、なんとか自分だけでも最後まで抵抗したいというのが、少し大げさかもしれないがガラケーとアナログに固執してきた私の矜持(きょうじ)みたいなものだった。

遅すぎたがスマホ本格デビュー

ところが、「回遊生活」の第一弾として去年6月から7月に1か月かけてタイとラオスを回った際、両国のどんなへき地であってもスマホがいまや生活に欠かせない必需品の一つであることを、身をもって感じた。それまでの私はといえば、かたくなにスマホを拒絶し、この先もずっとガラケーで十分だと思っていたので、バンコク到着直後に同地に駐在する息子からiPhoneをもらったが、使い方がわからないこともあって、そのまま使わずにいた。

日本では“ガラパゴス的存在”であってもそれは自ら望むところだが、タイでもラオスでも、行く先々のどこでもだれもがスマホを持ち歩いているのを見て以来、日本にいる時には感じなかった疎外感や肩身の狭い思いのようなものを抱き始めるようになった。

それを見透かしたように帰国後、長年愛用していたガラケーが突然電源が入らなくなり、携帯電話ショップに持ち込んだところ、保証期間はとっくに過ぎていて、スマホに乗り換えるほうがずっと得だという。どうしてもその日のうちに連絡が取れるようにしなければならない緊急の事情もあって、息子からプレゼントされたiPhoneに、ガラケーから泣く泣く乗り換える決断を余儀なくされた。ちょうど去年(2023年)のお盆の8月15日のことである。

以来、いやおうなしにスマホを持つようになったが「愛用している」とはとても言えず、ウォーキング中の草花の写真撮影はもっぱらデジカメを使ったり、メールのやり取りや検索、時刻表調べなどたいがいのことは従来通り、パソコンで済ませたりしていた。

しかし、私のようなスマホ初心者にとって、スマホでしか対応できない難関がにわかに、それも次々に出現してきた。その一つが、冒頭の「オーストラリアETAアプリ」によるETAの取得である。

「こんなの、スマホを持っていなかったり、スマホの使い方がわからなかったりする者はオーストラリアに来るな、と言っているのとおんなじだな」と愚痴りながら、近くに住む娘とパソコン経由でLINEをつないで教えてもらったり、パソコンで解説を読んだりして、スマホの最低限の操作方法を知った。

「オーストラリアETAアプリ」をインストールした後、試行錯誤の末にやっとETAを取得できた時は「これで入国したのも同然」と鼻息を荒くしたが、娘は「こんなの、できて当たり前でしょ」とせせら笑い、軽くあしらわれてしまった。

「習うより慣れるしかないの、慣れるしか」「世の中はいま、スマホを使うことが前提だから、文句を言っても仕方ない」「(スマホを)使わないでいると置いてかれるよ、損するのは結局自分だからね」――。こうまで繰り返ししつこく言われても、「スマホビギナー」を自認する私は依然として、「できなくったって、どうってことないさ」と平然と構えていた。

◆アプリに助けられ

しかし、平然としていられない事態にすぐに直面した。

今回はスマホデビューから7か月目にオーストラリアの地を踏んだのだが、シドニーでの「回遊生活」を始めるに当たって、スマホの必要に迫られる事態がいきなり相次いだ。

前回第16回で、シドニー市内や郊外の国立公園の中をいかにも自由気ままに、ウォーキングを満喫しているかのように書い(てしまっ)たが、ウォーキングの出発地点へはフェリーや電車、バス、ライトレール(路面電車)などの公共交通機関を使って移動しなければならない。前回(2019年)の渡豪時はそれぞれの乗り場で時刻表をデジカメで撮影しておいて、往復の際にその写真で発着時間を確認していた。

今回も同じようにすればいいとデジカメを持ち歩いていたが、特にバスは時刻表の貼り出しをやめてしまった停留所が多くあり、時間の確認のしようがなくなってしまった。現在のシドニーの街中(まちなか)は全域がまるで「スマホ仕様」になったかのように、だれもがスマホを持ち歩いていることを前提に案内されているのだ。まことに不便このうえない。

その不満を言ったら、義妹が笑いながら「これが便利よ」と言って紹介してくれたのが「TripView Lite」という無料のアプリだった。シドニー市内のすべての公共交通機関の時間表データが網羅されていて、電車なら路線と駅ごとに、バスならルートと停留所ごとに、フェリーならワーフ(埠頭)ごとに、それぞれリアルタイムで発着時間が表示され、時間通りか、遅れがある場合はどれほどの遅れかなども一目瞭然(いちもくりょうぜん)である。

アナログ人間の私はそれでもなお、貼り出されている時刻表のほうを優先していたが、急なキャンセルや遅延を知るにはアプリしか頼りにならない。実際、掲示されていた時刻表を見てバスを待っていてもいっこうに来ず、よく見たら、その時刻表はダイヤ改正前のものだったことがわかり、以来、アプリで時間を確認するようになった。

おかげで1か月もすると、アプリを頼りにフェリーや電車、バス、ライトレール(路面電車)を組み合わせて自由自在に乗りこなせるようになった。これにiPhoneとGoogleの地図アプリを併せて使えば、「旅行者」の私だって初めての地でも迷子にならず、移動にはまず困らない。

◆大雨に伴うダイヤ混乱が自信に

実はその自信につながる出来事を、渡豪して1か月ほどたった4月6日に経験した。

シドニーを含むニューサウスウェールズ州の一部地域は4日夜から大雨に見舞われ、豪州気象局は洪水警報、豪雨・暴風警報、高波警報を発令。5日には在シドニー日本総領事館からも「不要不急の外出は控えるように」と注意を促す一斉メールが送られてきた。

雨は6日未明にやみ、朝から晴れ上がったので、私はハーバーブリッジを背景にシドニー・オペラハウスが望める絶好の景勝地として知られるミセス・マックォーリーズポイントと王立植物園の周辺を歩いていた。

その帰り道、起点となるサーキュラーキーのワーフ周辺の乗客がふだんに比べてかなり少ないのが気になった。電車のサーキュラーキー駅に行ってみたところ、「運休」「大幅遅延」の文字ばかりで、ダイヤは大幅に乱れていた。「TripView Lite」アプリを見て私はこの駅から移動するのは難しいと判断し、ライトレールでセントラル駅まで移動し、そこから電車のセントラル駅に出て、ようやく帰りの電車に乗ることができた。

その日は、妻たちが9日間のタスマニア・クルーズを終えてサーキュラーキーに帰港した日だった。クルーズ船は高波の影響で着岸が3時間も遅れたうえ、電車のサーキュラーキー駅は大きなトランクを持って下船したクルーズ客であふれ返った。妻もクルーズに同行した地元の友人のとっさの判断でセントラル駅までライトレールで移動し、たまたま入ってきた電車でとりあえず友人宅まで行き、車で家まで送ってもらったのだった。

私は家族や地元の友人らの助けを借りず独力で、その日の最善・最速のルートを探って帰宅できた。ふだんは車しか乗らない友人から「すごい! 日本人向けに電車やバスを利用した格安ツアーのガイドができるんじゃない?」と冷やかされるまでになった。

◆後悔と衝撃的な感動

実は、便利で多様なアプリをもっと早く使いこなしていれば、と後悔することも体験した。

シドニーに来て3週間ほどたったある日の夕方のことだ。義母宅の近くにあるショッピングセンターに散歩がてら行った帰り、アジア系の中年の女性から声を掛けられた。ベトナム語だとすぐにわかったが何を言っているのかさっぱりわからない。一方的に「私は日本人でこの辺りのことはよくわからない」と英語で伝え、そのまま立ち去ろうとしたら、その女性は英語が理解できないのか、懇願するように両手を合わせ、自らのスマホを差し出してきた。

受け取って耳に当てたら、英語を話す若い女性の声が聞こえてきた。「私の母が道に迷ってしまい、自分がどこにいるのかわかりません。母は先週ベトナムから私を訪ねて初めて来たばかりで、英語がまったくわかりません。本当に申し訳ないですが、母を最寄りの停留所でバスに乗せてもらえませんか。私がバスの終着駅まで迎えに行きますから」と言う。

はてさて、困った。このショッピングセンターから、彼女のいうバスの終着駅(電車に連絡)行きの、私が唯一知っている最寄りの停留所は私の脚でも20分以上かかる。若い女性の声の持ち主はこの中年の女性の娘で、ベトナムからオーストラリアの大学の修士課程に留学中であることを後で知った。

私は母親のスマホをつないだままにしてもらい、「これから歩いて停留所に向かうが20分以上かかる。まちがいなく乗せてあげますから心配しないで」と娘に英語で伝え、母親にベトナム語で説明するよう頼んだ。

この時期、シドニーの日没は午後6時30分すぎ。母親から最初に声をかけられたのは午後7時ごろだったが、バス停まで歩くうちに辺りは見る見るうちに暗くなってきた。

私のスマホは妻に事情を連絡したのを最後にバッテリー残量がなくなって使えず、頼りになるのは母親のスマホだけ。私はふだんよく歩いている道なので暗くても大丈夫だが、母親のほうは不安なのか私に並ぶように急ぎ足でついてきた。道中、たびたびスマホをつないでもらって娘と英語で話し、娘がその内容をベトナム語で母親に逐一説明しながら30分ほどかかって、ようやくバス停に着いた。

しばらくすると、心配した私の義妹の一人が車でやって来て、「バスの終着駅まで送ってあげようか」と言ってくれた。だが、母親への説明がさらにややこしくなりかねないので、「大丈夫。このままバスに乗せてあげるまでここにいるから、先に帰ってて」と言って断った。

実際に次のバスが来たのは午後8時20分すぎで、まだ30分以上あった。バス停の周辺は街灯がなく母親は不安そうだったが、娘には「『お母さんがバスに乗るまでいっしょに待っているから心配しないで』と、お母さんに言って」と伝えた。しばらくすると、安心した様子の母親がおもむろにスマホを差し出し、その仕草で私に画面を見るように、と言っているようだった。

ベトナム語と英語の翻訳アプリだった。彼女がスマホにベトナム語で話すと、英語の翻訳文字が表示される。バスが来るまでの30分以上の間、その翻訳アプリを通じて、私たちの会話は一気に進んだ。

この時、私は彼女の娘がベトナムからオーストラリアの大学の修士課程に留学中で、豪州に滞在して2年になることを初めて知った。彼女もまたこの時、私が日本人で、妻の実家に滞在して3週間ほどになることを知ったのだった。彼女はさらに安心したのか、互いにアオザイを着てほほ笑む娘との写真も見せてくれた。不安な表情は消え去り、豪州に留学中の娘が頼もしく、誇らしげにも見えた。

母親をなんとかバスに乗せて見送った後、私は家に戻ってすぐにGoogleの翻訳アプリをインストールし、日本語とベトナム語の逐次翻訳を試してみた。

なんと、これは! こんな便利なアプリがあったのか!!

衝撃に近い感動だった。英語がまったくわからない母親がいとも簡単にこのアプリを自在に使って、私たちは最低限のコミュニケーションと情報の交換ができたのだ。

私はこの日、「いいことをしたなあ」と自らを褒めてあげたいという気持ちもあったが、わずか1時間半ほどだったがこうした貴重な機会を与えてくれたベトナム人女性との「出会い」と、翻訳アプリとの「出合い」に感謝する気持ちのほうが上回っていた。

◆「習うより慣れよ」自らに言い聞かせ

4月になってからも、ハーバーブリッジを歩いて渡っていたらオーストラリア人の警備員から橋上で、傍らにいる不安げな表情の中国人のおじいさんに目をやりながら「中国語で説明してあげて」と言われたり、バス停でカンボジア出身で93歳だというおばあさんから声を掛けられ、「学生なの?」と言われたりして、気をよくしたことがあった。しかし残念ながら、その時点で即応できるほど上手に翻訳アプリを使いこなせてはいなかった。現時点でもこれまでのところ、翻訳アプリを使うチャンスはめぐってきていない。

豪州での3か月間の「回遊生活」はその半分が過ぎた。アナログ人間は異国で何度か「スマホなし」の体験を経て、葛藤の末に、身の回りのデジタル環境になんとか追従しつつ、遅ればせながら、ようやく「習うより慣れよ」と自らに言い聞かせているところだ。日本ではないがしろにしていたスマホの重要性にタイとラオスで気づかされ、豪州でダメ押しされたような気分である。(以下次号に続く)

※『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』過去の関連記事は以下の通り

第16回「円安と物価高のWパンチに萎縮―『4か国回遊生活』オーストラリア再訪編」(2024年4月10日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-19/#more-14739

第7回「新たな発見と感動の連続―『4か国回遊生活』タイ再訪編」(2023年8月16日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-8/#more-14103

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