п»ї 書き切れなかった見聞記 思いのままに 「4か国回遊生活」オーストラリア再訪編(その4完) 『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第19回 | ニュース屋台村

書き切れなかった見聞記 思いのままに
「4か国回遊生活」オーストラリア再訪編(その4完)
『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』第19回

5月 13日 2024年 社会

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元記者M(もときしゃ・エム)

元新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は3年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。

オーストラリア・シドニーでの「回遊生活」も3か月目に入った。小雪舞う東京から到着した3月初めのシドニーは夏の終わりから秋にさしかかろうとしていたが、それでも日中の最高気温が30度以上になる日が多く、強い日差しと紫外線に「南半球にいる」ことをいきなり実感した。

シドニーは日本の約20倍の広さがある豪州の東南部に位置するニューサウスウェールズ州の州都で、隣接するビクトリア州の州都メルボルンに次いで2番目に人口が多い。シドニーもメルボルンも四季がはっきりしている温帯性気候で、私たちが滞在しているシドニーは5月に入って雨の日が多くなった。

日本では気温が25度を超えて夏日となる地点が増えているというのに、「秋の長雨」をまさかシドニーで経験するとは思わなかったが、Tシャツと短パン姿の若者に交じってダウンジャケットを着たりマフラーを巻いたりしている人の数がにわかに多くなり、本格的な秋の到来をいやおうなしに感じている。

4月下旬、シドニーの南郊100キロほどのところにある高原の小さな街ミッタゴンへ友人らと柿狩りに出かけた。富有柿が旬の時期を迎え、私の拳(こぶし)ほどもある大きな柿が枝がしなうほどにたわわに実を付けていた。日本の柿と遜色(そんしょく)なく少し硬めで甘くて食感がよく、高原に吹きわたる冷気を帯びた風や、柿農園に向かう通りの黄色や赤色に染まりつつある木々も手伝って、豪州のゆく秋を五感で楽しむことができた。

今回の「回遊生活」の締めくくりはやや感傷的な書き出しになったが、過去3回の「オーストラリア再訪編」で書き切れなかった見聞記の完結編として、思いのままに綴(つづ)っていこう。

◆中国不動産開発各社、売却や撤退に軸足

中国外交のしたたかさについては前回第18回で触れたが、中国経済の影響は豪州にも色濃く及んでいる。その最も顕著な例が不動産市場である。

日本や東南アジアの主要都市の不動産市場は中国人投資家によって一時高騰したが、2021年後半になって中国の不動産バブルの崩壊で資金繰りが悪化し、海外資産を処分する動きが加速。これと軌を一にする流れがシドニーの不動産市場でも起きている。

ちょうど10年前の2014年1月29日付の豪紙シドニー・モーニング・ヘラルドは「中国人購入者がシドニーの不動産ブームを刺激」と題した記事を掲載し、中国人投資家によって高騰するシドニー不動産市場の状況を紹介した。

それによると、豪州在住の華僑や中国人投資家がシドニー周辺地区の不動産価格の高騰に拍車をかけ、シドニー地区の2013年1年間の不動産価格の上昇幅は、豪州の不動産市場全体の3倍に相当する27%にも達したという。また、豪州の新築不動産販売市場における海外投資家の割合は、2011年は5%にすぎなかったが、13年7〜9月は12.5%に達し、不動産開発会社関係者の話として「シドニー西郊外のマンション開発プロジェクトでは、着工前にもかかわらず85%が中国人投資家によって買われた」とするコメントを紹介。中国人が豪州で不動産を購入する場合、ほとんどが現金払いで、地元の不動産購入者は市場から追い出されていると指摘した。

あれから10年、豪州の不動産市場はいま、すっかり様変わりしてしまった。

中国では21年後半以降、不動産バブルの崩壊が加速。23年に入って、巨額の債務超過に陥った大手の中国恒大集団(エバーグランデ)が米国で連邦破産法第15章の適用を申請、最大手の碧桂園控股(カントリー・ガーデン・ホールディングス)も経営危機に瀕(ひん)するなど、中国の国内総生産(GDP)の約4分の1を占めるとされる不動産部門の失速で、豪州では巨額のチャイナマネーが逆流を始めているという。

豪公共放送ABCによれば、中国の不動産開発大手各社は2010年以降、豪州の都市部の一等地を中心に巨大な開発プロジェクトを推進。ところが、中国恒大集団の経営破綻(はたん)をきっかけに一転して買収や開発を中止し、代わって売却や撤退に軸足を移しているという。

ABCは「中国の不動産バブルの崩壊は豪州の住宅市場の需給にも影響を与えている」と述べ、中国企業の撤退が豪州の住宅不足に拍車をかけていると指摘している。

豪州の人口は約2626万人(2022年12月時点)だが、豪州政府統計局の予想では、自然増と移民などの受け入れにより、2032年には3006万人に達する見込みだ。不動産アナリストの話によると、現在の人口増加を満たすためには最低でも年間20万〜25万件の住宅を新たに建設する必要があるが、中国企業の撤退によって新規の住宅建設戸数は全国で年間約14万件まで落ち込む見通しだという。ABCは、これが住宅の不足と、低金利と銀行の積極的な貸し出し姿勢もあって、住宅価格の高騰につながっていると指摘している。

◆豪州のユダヤ人コミュニティー

5月2日夜の豪公共放送ABCは、トップ級の扱いで「全米の大学の動きに豪の大学生も呼応」というニュースを報じた。

メルボルン、シドニー、ニューサウスウェールズ、アデレードなどの豪名門各大学の構内で、全米の大学に広がる「パレスチナ支援」の動きに呼応する形で、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への無差別攻撃に反対する学生のテント村が出現し、学生が構内に立てこもりを始めたのだ。

米国の動きと明らかに違うのは、これまでのところ「反ユダヤ」という色合いはなく、あくまで「平和」と「反戦」が大テーマで、イスラエルの無差別攻撃に対する批判が全面に出ている点だ。一部のキャンパスではイスラエルを支持する学生との間で小競り合いが起きているが、治安当局は不測の事態に備えて出動はしているものの、警戒監視にとどまっている状態だ。

日本の大学は793校ある(2023年度)が、豪州の大学は40校ほどしかなく、そのほとんどは政府が運営している国公立で、大学の教育水準や授業のレベルが高く保たれているといわれている。

豪州のユダヤ人人口は約12万人(2021年、全米ユダヤ人協会年鑑)で、全人口約2626万人(2022年12月時点)の0.46%にすぎない。一方、米国のユダヤ人人口は約750万人(推定、ピュー・リサーチ・センター2020年報告)で、全人口3億3500万人(2023年10月時点)の2.24%。しかし、米国の場合は金融やエンターテインメントの分野を中心にユダヤ人資本がかなり大きな力を持っており、それが結果的に米国の政治経済に多大な影響を与え、大統領選の結果をも左右する存在になっている。

◆在豪ユダヤ人に関する憶測さまざま

シドニーの中心部に近いキングスクロス駅から歩いて5分ほどのところに、「ユダヤ人博物館」がある。第2次世界大戦中にナチス・ドイツがドイツ国内や占領地でユダヤ人などに対して組織的に行ったホロコースト(大量虐殺)や豪州でのユダヤ人移民の歴史について展示しており、シドニーでもユダヤ人コミュニティーが一定の影響力を持っていることを示す施設である。

シドニー市内にはユダヤ人居住区のような特定の地区があり、金持ちは海岸沿いの高台に豪邸を持っているといわれるが、地元の友人に聞いても憶測ばかりが先行し、実態はよくわからない。

一方、豪州には「連邦総督」と呼ばれる、公職者としては国内序列最高位の「憲法上の国家元首である英国王の代理人」がいる。英国王に代わって首相の任免や法案の裁可など憲法が定めた執務を行うが、実質的な政治的影響力を持たない名誉職で、退役軍人や元法律家などが任命されるケースが多い。

現在の第27代連邦総督は元軍人のデービッド・ハーリー氏で、今年7月には第28代連邦総督として実業家のサマンサ・モスティン氏が就任する。歴代の連邦総督の中に数人のユダヤ人が含まれているとされるが、これも確かなことはわかっていない。

◆多民族・多文化国家の「反レイシズム」運動

豪州はそもそも、ユダヤ系もムスリム系もアジア系もアボリジナルなども含めた多民族・多文化国家で、宗教や人種による差別感情は薄いとみられる。実際、ベトナム、ラオス、ミャンマー、中国などアジア系の家族や友人に「人種差別されたと少しでも感じたことはあるか」聞いてみたが、全員、明快な「ノー」の答えだった。

「白豪主義」という、19世紀末~20世紀の非白人入植を制限する豪州の政策を、半世紀以上も前に中学の社会科の教科書で習った記憶がある。

豪州政府は1901年に移民制限法を制定して白人以外のアジア系有色人の移民を実質的に制限。戦後も続いたが非難が強まり、1973年に法的な移民制限を廃止してアジア系移民を公認し、基本姿勢を多文化主義に転換した歴史的経緯がある。

それからわずか半世紀しかたっていないが、私がいつも歩くシドニーの海岸沿いのウォーキングコースの何か所にも「#Racism Not Welcome」(人種差別は歓迎されない)のオレンジ色の街頭標識が掲げられていて、豪州政府がいま、国を挙げて「反レイシズム」運動に積極的に取り組んでいることがわかる。

豪州政府統計局のまとめでは、2021年9月の時点で、海外で生まれた者または両親のどちらかが海外で生まれた者(移民)は、総人口に占める割合が5割を超え(51.5%)、両親のいずれもオーストラリア出身かつオーストラリアで生まれた者(48.5%)の割合を上回った。

世界的な人口減少が伝えられるなか、豪州では自然増と移民などの受け入れにより今後も人口の増加が見込まれている。「レイシズム」の顕在化は、明らかにそれを阻み、社会を分断する極めて危険な要素だ。

政府ばかりではない。豪州に住む、祖先がそれぞれ違う多様な人たち自身が「レイシズム」感情をできるだけ避けたり薄めたりしていくなかで、最終的には完全になくすことこそが国家・国民にとって「最善の道」であると十分自覚し、それがある種の「安全弁」として機能しているのだろう、と私は思う。その道は長く険しいが、私自身、今回の滞在期間中、不快な思いをすることはただの一度もなかった。

◆役立った外務省の「たびレジ」

今回のシドニーでの「回遊生活」では、日本外務省の海外旅行登録「たびレジ」が役立った。「たびレジ」の旅行情報登録用URLに必要な情報(旅行の期間や旅行先)などを登録しておくと、その期間中は最寄りの在外日本公館からメールで必要な情報が届くシステムである。

私は在シドニー日本総領事館からメールで、豪州気象局からシドニー市を含むニューサウスウェールズ州の一部地域に暴風・洪水警報及び豪雨による洪水警報が発令(4月4日付)▽豪州気象局からシドニー市を含むニューサウスウェールズ州の一部地域に洪水警報、豪雨・暴風警報、豪雨による洪水警報及び高波警報が発令(5日付)▽【緊急】ボンダイジャンクションでの刺傷・銃撃事件の発生(13日付)▽ボンダイジャンクションでの刺傷・銃撃事件の発生(その2)(13日付)▽親パレスチナ団体によるデモ実施予定(15日付)▽西シドニー地区教会におけるテロ刺傷事件の発生(16日付)▽イスラエル・パレスチナ情勢に起因するデモ行進(5月12日午後・セントラル駅付近からシドニー大学)などへの注意喚起(5月10日付)――の短信を受け取った。

このうち、豪雨に伴う警報に関する情報は電車の運休・遅延がいち早く察知でき、ウォーキング先からの帰宅の交通手段とルート選択に役立った。

また、シドニー東郊のボンダイジャンクションにあるショッピングモールで起きた殺傷事件(6人死亡、乳児を含む数人負傷、容疑者は警察官が射殺)の現場は、私がふだんウォーキングコースのスタート地点に向かう起点の一つで、事件前日も立ち寄った場所だった。「警察は、犯人は単独犯であり射殺された、継続する脅威はない旨を発表した」との続報も届いた。

そばにいた地元の友人はこの続報で容疑者が射殺されたことを初めて知り、日本総領事館の迅速できめ細かな情報の発信に「さすがに日本は違うね」と感心していた。

3か月間の総歩行距離600キロ超

 今回のシドニーでの「回遊生活」は当初からウォーキングが最大の狙いだった。前回2019年に歩いたコースを再びたどったうえで、できるだけ新しいコースに挑むつもりで、家族や友人があきれ返ってしまうほど積極的に歩き続けてきた。

その結果、3か月間の単独行による総歩行距離は600キロ超に達した。シドニーハーバー国立公園を中心に、南はラ・ペルーズ島(映画「ミッションインポッシブル2」のクライマックスシーンが撮影された場所)から、北はバレンジョイ灯台がそびえるパームビーチまで、タスマン海に面した主要なビーチにすべて足を踏み入れたほか、ニューサウスウェールズ州政府観光局が推奨するボンダイからマンリーに至る、シドニーハーバーを俯瞰(ふかん)で見渡せる風光明媚(ふうこうめいび)で起伏に富んだコース(総行程約80キロ)も踏破した。

このうち、マンリーからモスマンのスピット橋に至るこのコース内で最長の10キロのコースでは、マンリーを出発した時から雲の流れが気になっていたが、ゴール手前約2キロのクロンターフ公園で土砂降りの夕立に見舞われた。

歩くのを断念しようにも傘も合羽も持っておらず人気(ひとけ)もないし、最寄りのバス停はスピット橋の近くにしかない。途方に暮れて内心不安になった。これから先のことを案じつつ公園内の無人のキオスクで寒さに震えながら1時間ほど雨宿りしていると、ようやく小降りになった。急ぎ足でゴールを目指したが、途中で雨水が滝のように流れ落ちている木道に出た。ずぶ濡れ覚悟でここを一気に通り過ぎ、林の間からスピット橋が見えた時はなりふり構わず、思わず「着いたどお~!」と大声で叫んでしまった。

結果として、このコースは今回のシドニー滞在中、最も記憶に残るウォーキングコースになった。次回の訪豪時は必ず晴れ渡った日に、ノースハーバーの碧(あお)い海とそれを囲むように切り立った断崖絶壁の景観をゆっくり楽しみながら、ニコニコ顔で歩きたい。

一方、シドニー郊外では、世界最大とされる「ブロウホール」(潮が吹き上げる海岸の岩の割れ目)で知られる南郊のカイアマのほか、幅1キロにわたって30キロ以上の大砂丘が続くストックトンビーチを擁する北郊のトマリー国立公園のポートスティーブンス一帯、さらにはペリカンが生息するタゲラ湖を擁するウィラバロング国立公園などを歩いた。

◆歩いている時に考え、感じること

豪州に来てまもない3月初めの日曜のことだ。シドニー市内に住む4人の義妹の家族らと21人乗りの小型バスをチャーターして、シドニー南郊80キロほどのところにあるタスマン海に面したウロンゴンのビーチに行った。

シドニー市内を走る乗り合いバスの運転手をしている義妹の夫がビーチに面したウォーキングコースをいっしょに歩きながら、いきなり「お兄さん、歩いている時いつも何を考え、何を感じているの?」と聞いてきた。

唐突な質問に一瞬、答えに窮したが、私はしばらく間(ま)をおいて考えたあと「最初は後悔。次に真空、無心。そして、最後は心地よい解放感と疲労感」と正直に返答した。

すると彼は「regret(後悔)? 何に対する後悔?」と矢継ぎ早に詰問してきた。「regret」という私が発した一語がかなり意外だったらしい。話し好きな彼とはいつも問答を繰り返すような状態で冗談話をするが、この日は真顔の真剣なやり取りだった。

私の心の中をのぞき込むような鋭い質問に、またまた返答に困った。必死になって頭の中で答えを探し当てようとしていると、なぜか無意識のうちに涙がこぼれてきた。

「後悔」の正体――。「あの時、ああすればよかった。こうすべきだった」。内省と忸怩(じくじ)たる思いは、日本で歩いていてもシドニーで歩いていてもまったく同じだということをその時、改めて思い知らされた。

現役での大学受験の失敗に始まって、学費や東京での生活に伴う仕送りの工面で両親に苦労をかけたこと、記者になってからの度重なる特オチと失意、特派員として駐在していたブラジル・サンパウロでの生後まもない二女の死、再就職、そして、コロナ禍の影響で頻繁に見舞うことができなかった母との永訣(えいけつ)――。私はこみ上げてくるものを懸命に抑え込みながらも、恥も外聞もなく涙ながらに、正直な心の内を彼に明かした。彼はただただ、無言でうなずくだけだった。

解き放たれた呪縛

今回の「回遊生活」の終盤に差しかかったいまになってふり返ってみると、彼とのこのやり取りの一件があって、私はそれまでの呪縛(じゅばく)のように感じていた重荷から解き放たれたような、心の闇(やみ)が完全に取り払われたような、すがすがしい気持ちになることができた。そして、それだけで、今回の「回遊生活」の収穫は十分にあったと心底思えてくるのだ。

これまでの人生は思い通りにはいかなかった。これからの人生もおそらくきっとそうだろう。しかし、熾烈(しれつ)な特ダネ競争を強いられた取材の最前線から退いて文字通り無職の年金生活を始めたいま、私には有り余る時間がある。だれにも邪魔されない、自分勝手に自由自在に差配できる時間である。そしてなにより、こうして長年の念願だった「4か国回遊生活」を始めることができた。

「最初は後悔。次に真空、無心。そして、最後は心地よい解放感と疲労感」。飽きもせずただただ毎日歩きながら、心中は同じことの繰り返しだが、私にはそれで十分、いや、十分すぎると思えるようになった。

私との問答の相手をしてくれた義妹の夫は後日、あのやり取りの一件について「お兄さん、お兄さんにとって歩くことは瞑想(めいそう)と同じなんだね」と解説してくれた。

そうか。そういうことだったのか。歩くことの意味がようやく腑(ふ)に落ちた。

シドニーとその周辺はいくら歩いても歩き尽くせないほど多彩なウォーキングコースが整備されていて、時には小躍りしながら歩いてきた。ただし、追い抜かれることはあっても、追い抜くことはまずなかった。当地の人たちの健脚ぶりには完全に脱帽である。

そしてこれまでは、追い抜かれたら抜き返してやろうとムキになってペースを無理やり上げていたが、それがなくなった。後方からハイペースでやってくる人に気づいたら、立ち止まって笑顔で道を譲る余裕さえ出てきたし、すれ違う人とは笑顔で自ら進んであいさつするようになった。

私はこれまでだれにも負けない(と思っていた)歩速が自慢だったが、寄る年波には勝てない。いまは「急(せ)かず、急かさず」で、自分のペースで歩いている。そのことに気づかされたのも、今回の「回遊生活」のおかげである。

これからも、日本でもそして「回遊生活」先でも健康に十分気をつけながら、時には道草や寄り道をしながらも、ウォーキングを通じて引き続き、内省しつつ自分自身と真正面から向き合い、対話する静かな時間を大切にしていきたいと念じている。

シドニーはいま、晩秋から初冬にさしかかろうとしている。日によっては少し厚手の長袖が手放されなくなった。一方、日本は初夏。そしてこれから、梅雨の時期を迎える。私たちは6月初旬に北半球に戻るが、残念ながら今年は、南半球でも北半球でも春を感じ、春を過ごすことはなかった。しかしこれも、「回遊生活」ならではのことだと思えば、ひとりほくそ笑みたくなるのだ。

※『四方八方異論の矛先-屋台村軒先余聞』過去の関連記事は以下の通り

第16回「円安と物価高のWパンチに萎縮―『4か国回遊生活』オーストラリア再訪編」(2024年4月10日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-19/#more-14739

第17回「アナログかデジタルか 葛藤と相克―『4か国回遊生活』オーストラリア再訪編(その2)」(2024年4月22日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-20/#more-14751

第18回「中国 改めて感じる影響力と存在感」―『4か国回遊生活』オーストラリア再訪編(その3)」(2024年4月30日付)

https://www.newsyataimura.com/kisham-21/#more-14802

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