元記者M(もときしゃ・エム)
元新聞記者。「ニュース屋台村」編集長。南米と東南アジアに駐在歴13年余。座右の銘は「壮志凌雲」。2023年1月定年退職。これを機に日本、タイ、ラオス、オーストラリアの各国を一番過ごしやすい時期に滞在しながら巡る「4か国回遊生活」に入る。日本での日課は5年以上続けている15キロ前後のウォーキング。歩くのが三度の飯とほぼ同じくらい好き。回遊生活先でも沿道の草花を撮影して「ニュース屋台村」のフェイスブックに載せている。
6月半ば、梅雨の時期の日本から初冬のオーストラリア・シドニーへやってきた。昨年の夏、日本は記録的な猛暑に見舞われ、日中は外に出ることさえほとんど不可能だった。このため夏が終わる頃には、「来年(2026年)は日本の夏を冬のシドニーで過ごそう」と早々に計画し、シドニーに滞在していた昨年10月に今回の滞在日程を決め、すぐに航空券をおさえた。おかげで、米国・イスラエルによるイラン攻撃を受けた原油価格高騰に伴って今年5月に前倒し実施された燃油サーチャージの値上げのあおりを受けることなく、割安で来ることができた。
私にとってシドニーは、バンコクと同様、「回遊生活」の大切で特別な場所――第二の故郷――、言い換えれば「Another Sky」である。9月初めまでシドニーに滞在している間、歩き回りながら新たに気づいたことを綴(つづ)っていこう。
◆円安に物価高のWパンチ
着いて早々に円安と物価高を実感した。1豪ドルは116.75円まで下がった。昨年9月25日時点が1豪ドル=102.55円だったから、12%超の下落である。
物価も、シドニーに来るたびに妻の実家近くのチェーンスーパー大手のウールワースとコールズを回って値段を比べているが、いずれも昨年9~11月の滞在時より軒並み値上がりしていた。日本の物価高にはすっかり慣れっこになっていたつもりだったが、シドニーに来ても日本以上の物価高が付いて回り、9月初旬までの滞在中どうやりくりしようか、財布のヒモを締めようにも財布の中身が薄っぺらなので、いきなり不安になってきた。
豪州公正労働委員会(FWC)は新年度が始まった7月1日から最低賃金を4.75%引き上げた。最低賃金は時給ベースで26.44豪ドル(約3067円、1豪ドル=116円)に、週給ベースで1004.9豪ドル(約11万6568円)にそれぞれ引き上げられた。適用対象となる労働者は約280万人で、豪州の全従業員の約21.1%にあたる。
日本の最低賃金は最も水準の高い東京でも1226円(2025年10月発効)。豪州はその2.5倍だから物価が少々高くてもそれに見合う賃金があれば生活できよう。が、外国人観光客、とりわけ円安のあおりを受けている日本人にとっては悲しいかな、値段を見比べながら1豪セントでも安いほうを選ぶか、買わずにがまんするしか防衛策はなさそうだ。
◆すぐに止む「sun shower」
私はシドニーでも、毎日の生活はウォーキングが中心である。観光名所の一つオペラハウスに近いサーキュラーキー駅を起点に、その日どこを歩くか決めている。
日本と同様、こちらでも天気予報の精度は高いから天気の移り変わりを時刻ごとにチェックしつつ、ゴール地点を決めている。サーキュラーキー駅は電車のほかにフェリー、バス、ライトレールの乗り場にもなっているので選択肢は豊富にある。
初冬のシドニーは雨の日が多い。降水確率を見ると、ほぼ毎日70%以上の日が続き、晴天の日は数えるほど少ない。ただし、降水確率が70%以上だからといってウォーキングを断念しなければならないというわけではない。幸い、雨は夕方とか夜間に降ることが多く、日中はなんとか大丈夫だ。
仮に降水確率が「100%」になっていても、時刻ごとの予報を見てみると、午後6時以降とか午後8時以降に降る見通しの日があり、昼間のウォーキングには差し支えない。午前7時すぎに日が昇り、午後5時前には日が沈むので、この時期の日本の夏の日の長さを恨めしくも思うが、1週間もすればこちらの生活にすっかり慣れ、それに合わせてウォーキングのコースを決めている。
歩いている途中に雨が突然降りだしても大抵の場合、ものの5分もしないうちに止む。パラパラ降り始めるといきなりザーっとくることが多いので、屋根の下や大きな木の下で少し待っていればいい。
至るところで「キツネの嫁入り」のような光景に出くわし、一日のうちに何度も虹を目撃することがある。こちらには日本のようなしゃれた表現はないが、晴れているのに雨が降る現象を「sun shower」と呼ぶ。米国南部では「The devil is beating his wife.」(悪魔が妻を叩いている → その涙が雨になっている)というたとえがあるらしいが、これはいささかの情緒もなく、いかにもアメリカらしい。
いずれにせよ、シドニーには周囲に高い山がないから、海岸線などを歩いていると空がとても広く見渡せ、とりわけ青空の時は言いようのないほどの解放感に浸ることができる。
◆マスクは病人がするもの
日本では特に冬場の電車やバスの中はほとんどの乗客がマスクをしていて、ごく普通の見慣れた光景である。ところが、こちらではマスク姿の人をほとんど見かけない。せきやくしゃみをしている人でもマスクを着けずに公共交通機関に乗っていることが珍しくない。私は日本と同様、電車やバスの中では必ずマスクをするし、寒い日に歩く時は防寒を兼ねてマスクをしているので、こちらにも大量の使い捨てマスクをもって来ている。
こちらではマスクをした人がほとんどいない。妻に尋ねたら、「マスクをしていたら、『私は風邪を引いています』と自ら言っているようなものだから、恥ずかしさや見栄もあって着けないんじゃないの? 知らんけど」という返事だった。
義妹やその家族らに聞いて、「なるほど」と思えてきた。豪州にはどうも、「マスクは病人がするもの」という文化があるらしい。こちらでは新型コロナ禍以前から、マスクを着ける習慣はほとんどなかったという。豪州では病院、医療従事者、重い感染症という場面以外でマスクを見ることはほとんどなく、「マスク=特別なもの」という認識が長く続いてきた。
だから、マスクをしなくてはならないくらい具合が悪いなら仕事や学校は休むべきだ、いう考え方が一般的だ。もちろん現実には無理をして出勤する人もいるが、日本ほど「多少熱があっても出勤する」のが美徳とは考えられていない。「風邪気味だけどマスクをして通勤する」くらいなら、「体調が悪いなら家で休もう」という発想になるのだという。
コロナ禍当時、豪州では州によって対応は違ったが、メルボルンのあるビクトリア州ではとても厳しいロックダウンやマスク義務を経験した。そのため規制が解除された途端、「もうマスクは終わり」という空気がかなり強くなった。シドニーのあるニューサウスウェールズ州でも一時期、電車やバスで着用義務があったが、義務がなくなると急速に着用者が減ったという。
◆他人の行動を気にしない文化
そして、マスクを着けない最大の理由は、マスクに限らず、私がふだん街中(まちなか)を歩いていて何事にも通底していると感じるオージー(オーストラリア人)の「他人の行動をあまり気にしない文化」によるものではないかと思うようになった。
日本では「周囲と同じであること」を重視しがちだが、豪州では「自分が必要だと思えば着けるし、必要なければ着けない」という個人の判断が多分に反映されているようだ。そのため、電車内で100人中、私を含めてわずか2人だけマスクをしていても誰も気にしないし、逆に98人がしていなくても「みんなが外しているから外そう」という圧力のようなものも感じない。
性格がねじ曲がった私などは当初、マスクを着けていれば風邪をうつされないよう警戒してだれも隣に座らないだろうから楽ちん、楽ちんと思っていたが、通勤・通学で電車内が混んでくるとみんな平気で隣に座ってくる。そんな時、狭量なわが身を改めて恥じ入ること、しきりである。
そんなことを考えながら、フェリーの船着き場に着くと、豪州政府の啓発ポスターが目に入った。「減らそう、今冬のインフルエンザリスク」と大きな文字。そしてその下にチェックリストがあり、インフルエンザワクチンを接種してください▽体調が悪い場合は家にいてください▽手を清潔に保ってください――の3項目が書かれていた。日本ではしきりに言われる「マスクの着用励行」はなかった。歩きながら改めて周囲を見渡してみると、この啓発ポスターは電車の駅構内やライトレールの駅、バスの車内など目につくところにいっぱい掲げられていた。
よし、シドニーでも風邪を引かないよう、日本にいる時と同様に手洗いを励行し、車内ではマスクを着けて移動しよう。私が気にしているほど、周囲は私のことなどまったくと言っていいくらい気にしていないのだから。











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