小澤 仁(おざわ・ひとし)

バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。
タイ国内では近年、中国企業の進出が急速に拡大している。二輪・四輪の自動車産業、建設機械、エアコンなどの電機産業、ハードディスクをはじめとする電子部品産業が集積するタイは、もともと日系企業の重要な拠点だった。しかし、今や中国企業が攻勢を強め、在タイの日系企業は厳しい競争を強いられている。
背景には中国経済の構造的な変化がある。中国では2014年に生産年齢人口がピークを迎え、その後景気は低迷傾向に入った。さらに16年に誕生した米国の第1次トランプ政権による高関税政策が中国輸出品に打撃を与えたことで、中国企業は関税回避のため海外へ生産拠点を移す動きを加速させた。その「橋頭堡(きょうとうほ)」となったのが東南アジアであり、タイはその中でも重要な拠点の一つに位置づけられている。
◆中国企業の激しい攻勢にさらされる日本企業
今年2月に作成された日本貿易振興機構(ジェトロ)の「中国企業のASEAN展開に関する動向把握」という調査資料を読むと、中国企業が東南アジアにいかに激しく攻勢をかけているかがよくわかる。①新エネルギー自動車②家電③建設機械④産業用ロボット⑤データセンター――と産業別に分けて中国企業の東南アジアの進出状況を分析している。
少し細かく中を見てみよう。まず新エネルギー自動車である。 BYD、上海汽車、奇端汽車などをはじめとして、中国の自動車メーカーはタイ・ベトナム・マレーシア・インドネシアに積極的に進出してきている。タイにおける中国自動車メーカーのシェアは年々伸び続け、直近では20%を超えるほどになっている。その分日本の自動車メーカーのシェアは落ち込み、コロナ禍前の90%台のシェアから今年5月には単月ベースで60.9%になってしまった。
東南アジアに進出してきている中国の家電大手は美的集団(ミディアグループ)・ハイアール・TCLなどである。これら3社の海外売上高は会社全体の売り上げの半分を占めるほどになっている。また地域別売上を公表しているハイアールの決算を見ると、海外売上のうち55%は北米向けとなっている。
前述のとおり、16年に発足した米国の第1次トランプ政権の高関税政策導入に伴い、中国家電企業は積極的に東南アジアに製造工場を建設。東南アジアの工場から北米向けの輸出を開始した。TCLはLGをしのぎ、いまや世界一のテレビ製造会社となった。さらに日系企業にとって問題なのはエアコンである。 1990年代よりダイキン・三菱電機・富士通ゼネラルなど多くの日系エアコンメーカーがタイに進出し、東南アジア・中国・ヨーロッパなど世界各地に販売してきた。
ところが美的集団やハイアールなど中国家電メーカーは近年積極的に東南アジアのエアコン市場に参入。2021年、美的集団はタイに400万台の生産工場を建設。同様にハイアールは25年にタイに600万台のエアコン工場を建設している。ハイアールの工場視察した日系家電メーカーのタイ法人社長に聞くと、その規模は日系企業の工場をはるかに超えるもので、中国の巨大な国内市場をにらんだ生産ラインを設置したため製造コストも大幅に下がっており、日系企業は価格面で太刀打ちできないという。タイは日系エアコンメーカーにとって金城湯池であった。ところがここにきて中国家電メーカーが真っ向勝負を挑んできている。
三番目に建設機械である。この分野も東南アジアではキャタピラー・コマツ(小松製作所)・コベルコなどが市場を占有し、長らく無風状態であった。この業界にも三一重工・徐行集団・流行機械など中国の競合建機メーカーが攻め入ってきている。そもそも中国政府は国内各地で都市建設などのインフラ整備を積極的に行い、国内経済をけん引してきた。中国の建機メーカーは、こうした中国国内の都市開発のため建機を大量生産しコスト削減メリットを享受してきた。
しかし近年の中国経済の低迷を受け、これら中国建機メーカーは大量の在庫が発生。この在庫を低価格を武器に東南アジアに輸出し始めたのである。さらに中国建機メーカーは電動(EV)建機を投入して、目新しさと環境保護を打ち出してきた。こうした中国メーカーの攻勢の前にあっという間に既存メーカーであるキャタピラーやコマツは駆逐されてしまった。日系建機メーカーは現在、捲土重来(けんどちょうらい)を期して策を講じているところである。
次に産業用ロボットを見てみよう。この分野で世界のトップメーカーであったドイツのKUKAは、2016年に中国の美的集団に買収された。KUKAはすでにタイ・ベトナム・マレーシアに販売・サービス拠点を有している。
注目すべきはイノバンスという新興企業である。そもそもファーウェイの産業用ロボット用部門が他企業に売却されたタイミングで、ファーウェイから19人の従業員が独立して創設した会社である。わずか10年の間にサーボモーター・インバーター・PLC(シーケンサ)などの製品において中国一の会社に上り詰めた。このメーカーは安価なカメラにサーボモーターやPLCなどを取り付け、工場の自動化ライン設置に貢献する。タイでBYDや美的集団の工場見学した日本人に聞くと、これらの工場内では人の姿がほとんど見受けられないという。工場内のほとんどのラインが自動化されているのである。中国企業の工場の自動化比率は日本企業のはるか先を行っているようである。
最後にデータセンターである。急速なAI(人工知能)の普及に伴って、世界各地でデータセンターの建設が活発である。東南アジアもご多分に漏れず、米国系や中国系のAI関連会社が積極的にデータセンターの建設を進めてきている。米国系ではMicrosoft・Google・Amazonなどが進出してきているが、中国系も負けてはいない。アリババ・ファーウェイ・テンセントなどである。これら3社はすでにタイとインドネシアでデータセンターの建設に着手しており、アリババはマレーシアでもデータセンターの建設を行っている。
そもそもインターネット通販(EC)企業であるアリババ。携帯電話などの通信機器から始まり、現在は中国一の自動運転ソフトを提供するファーウェイ。さらにオンラインゲームからWeChatなどのメッセージサービスや金融決済機能を提供するテンセント。これら3社はいずれも積極的にAIを活用して収益を生んでいる。こうした企業が東南アジアでデータセンターの建設に走っているのである。
残念ながら日本にはEC(電子商取引)や通信機械などで世界に通用する企業はない。こうした IT企業がなければ、データセンターを自らが使うこともない。この分野では日本は圧倒的に中国に負けている。
◆危機意識が乏しい日本人
ここまで見てくると、東南アジアに展開している日系企業の現在の苦境がよくおわかりいただけるだろう。さらに言えば、この在タイ日系企業の苦境は東南アジアだけの問題にとどまらないのである。海外進出を果たしている多くの日本企業は、正確な地域別収益を公表していない。このため詳細はわからないが、ジェトロのアンケート調査によると「日本企業の収益の半分は東南アジアから計上されている」のである。
私どもの取引先の動向を見ても、会社全体の連結決算の半分はタイなど東南アジアで占めている。もし東南アジア市場が中国企業に奪われこの地域からの収益がゼロになったら、日本企業の連結収益は大打撃である。日本企業の決算が持たなくなり、現在の東京証券取引所の株価もあっという間に暴落してしまうだろう。
ところが、日本の多くの人にはこうした危機意識がないように思われる。私は今年4月から6月の2か月間日本に出張し、政府関係者・銀行関係者・取引先の企業の人たちと会って意見交換してきた。出張前の私の予想に反し、日本の人たちからは「日本の景気は決して悪くない」という反応が多かった。最近の日経平均株価の高騰が、人々の意識に大きな影響を与えているのは間違いない。また企業経営者からは近年値上げがしやすい環境となり、これによって企業収益を改善しているという声もあった。
銀行関係の方は貸出金が増加しているという。この主な要因は不動産向け貸し出しと企業の設備資金・増加運転資金である。不動産向け貸し出しは、今年に入って少しスローダウンしているようである。しかし日本国内の企業向け貸し出しは堅調である。中小企業の中には中国や東南アジアなどから撤退し、日本に生産移管をしているところも出てきている。
これらの動きから、設備資金も必要運転資金も増加しているようなのである。このほか私がいつも重要な指標としているタクシー運転手からのヒヤリングも「決して景気は悪くない」というものであった。
東京や京都などで聞くと、タクシー売上の半分は観光客。外国人は金払いが良いという。また最近は、保険会社や証券会社がタクシー券を多く使っていると聞いた。飲食店は二極分化している。近年の人手不足から従業員が採用できず、昼食の提供をやめたり閉店に追い込まれたりしているところも出てきている。
一方、人気観光地ではSNSを中心とした宣伝を上手に行い、外国人顧客が途切れない店も多くある。銀座・浅草・築地・人形町などは外国人観光客であふれかえっていた。こうした状況から、政府関係者も日本の景気の底堅さを感じているようであり、日本の先行きを楽観視しているように見えた。
◆現地で現実を直視してほしい
このため東南アジアの日系企業の苦境を訴えても、肌感覚としてその苦しさをわかっていただけない。「それならば中国の脅威の少ないインドや米国への展開をすればよい」といった安易な発言をする人もいた。しかし、東南アジアの日系企業は20年、30年にわたって脈々と企業基盤をその地に築いてきたのであり、その強固なサプライチェーンを簡単に他の地域に移せるとは思えない。
今回の出張でも、私はお会いしたすべての人に「東南アジアの日系企業の危機」を訴えてきたつもりである。こうした「日本の危機」を叫ぶ私の話に辟易(へきえき)している人が多いことは知っている。これまでもこの「ニュース屋台村」でも何度か日本の政策や企業経営などについて問題点を指摘してきた。
残念ながら、私が予見していた日本の将来像が徐々に現実化しつつあると感じられる。人口減少▽GDP(国内総生産)の伸び悩み▽労働者の実質収入の減少▽放漫財政に伴う過大な政府借入額▽止まらない円安とインフレの進行――など現在の日本の状況は予断を許さない。
唯一といってよい明るいニュースが上昇を続ける日経平均株価である。しかし、もし東南アジアが中国企業に席巻されてしまったら株価も下落を免れず、いよいよ日本売りが始まるかもしれない。こうした状況をぜひ日本の人にわかってもらわなければいけない。
タイや東南アジアは中国に比べれば親日的であり、日本人にとって訪問しやすい地域である。ところが、観光や出張など日本からの来タイ者数は近年激減している。ビルが林立し素敵なレストランがいっぱいあるバンコク。通貨バーツを円換算するといまや日本より物価高となったタイ。中国製の電気自動車(EV)が広く普及している東南アジア。家電売り場は中国や韓国のメーカーの製品が多くを占めている。現地を訪れてみなければ、こうした現実はわからない。
タイや東南アジアで日系企業は、中国企業の攻勢にさらされている。日本の責任ある地位にいる人たちにはぜひタイや東南アジアを訪問し、こうした現実を直視してほしいと思う。











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