п»ї NHKの衰退は公共圏にとって望ましくない『ジャーナリスティックなやさしい未来』第48回 | ニュース屋台村

NHKの衰退は公共圏にとって望ましくない
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第48回

5月 08日 2015年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

コミュニケーション基礎研究会代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長などを経て、株式会社LVP等設立。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆公共放送の危機

NHK「クローズアップ現代」の取材における「やらせ」「捏造(ねつぞう)」をめぐって4月28日にNHKは、捏造につながるやらせはなかったとする調査報告書を発表した。同時に誤解を招いた取材には瑕疵(かし)があり、NHKは謝罪し、調査報告の番組を放映した。

反省の弁をかしこまって語る口に、真実の報道を貫けなかった悔しさは、「現場」でもある国谷裕子(くにや・ひろこ)キャスターのコメントには色濃くにじんでいたものの、経営側の抗弁には、なぜか白々しい組織の論理を感じさせる。これが、経営と現場の差であり、今の「公共放送の危機」と呼ばれるNHKの状態なのだろう。

この社会にとってNHKが内部で不祥事を繰り返し、これ以上の政府ならびに政府の息がかかった勢力のコントロールの下に置かれるのは、視聴者という受益者にとって望ましいことではない。もうすでに危機は始まっているのだから、視聴者は何としても、NHKに知識・教養の提供や権力の監視など本来の役割に目覚めさせ、視聴者の「知る権利」を確保しなければいけない。

すでにNHK問題については、この15年で多くの議論を積み重ねてきた。昨年、松田浩氏(元日本経済新聞記者、社会学者)が再編集し上梓した『NHK新版-危機に立つ公共放送』(岩波書店)に一連の流れは詳しい。特に現在の問題につながるものとして、改めて指摘したいのは2001年1月30日にETV特集として放映された「問われる戦時性暴力」(シリーズ「戦争をどう裁くか」)をめぐる事件である。

「慰安婦」問題を取り上げた市民団体の「民衆法廷」で、その実態を明らかにしていく、という内容の番組編集をめぐり、安倍晋三官房副長官(当時)や中川昭一氏ら国会議員の「政治介入」により番組が改編されたとの問題提起で、裁判所による司法判断と放送倫理・番組向上機構(BPO)が意見書を出すなど約9年にもわたる論争である。この問題は、朝日新聞がスクープの形で報じ、安倍氏ら保守系の政治勢力の反抗で、朝日新聞は保守系勢力から非難を浴びるなどネット世界においては劇場型にもなった。

東京高裁は07年1月29日、取材協力した原告の期待を裏切った、とNHKに賠償命令する原告勝訴の判決を下した。安倍官房副長官がNHK担当者に求めた「公正中立」に対し、番組改編は「意図を忖度(そんたく)して」行ったもので、「自律的改編」は認めず、「編集権を自ら放棄したもの」と判断した。NHK側は「編集の自由」掲げ上告し、08年6月12日の最高裁判決は原告の請求を棄却し、改編を「番組編集の自由」との認識を示した。

この最高裁判決を受け、読売・産経は、「報道の自由」守られた、と論じ、東京・毎日は、政府与党に弱いNHK、と指摘するなど、大手新聞社も意見が分かれた司法判断だった。

判断をめぐり、NHK経営委員会の小林英明弁護士(当時)は「法人としてのNHKに編集権」があり、放送現場個々にあるものではない、とコメントした。この「事件」により、「知る権利」を保障する公共放送が、その機能を保障しているわけではないことが露呈すると同時に、政治によるNHK放送への「是正」と「介入」が進むことになるのである。

◆2つの番組

この事件で、BPOが「政治家との面談は報道倫理にもとる行為」「国会担当と任務の組織的分離」「良心問い、内部的自由論議呼びかける」を指摘・提言する内容の意見書を提出したものの、NHKはほぼ全面的に否定し、問題の番組はオンデマンドでも見られずお蔵入りし、検証作業も行われなかった。その後の09年、NHKは二つの番組でこの「戦時性暴力」問題を経た結果として、NHKの姿勢の輪郭を浮かび上がらせることになる。

大型ドラマ「坂の上の雲」と「アジア“一等国”シリーズ 台湾の植民地政策」である。前者は作家、故司馬遼太郎氏の原作であり、司馬氏が生前に国家主義の誤解を招くことを理由に映像化を拒んできた作品である。NHKはその意を無視して遺族を説得し、版権を得て人気俳優とコンピューターグラフィックス技術を駆使しての大作に仕立て上げた。戦争反対の立場からの視点がないまま、「受け身の祖国防衛戦争」として描いた、日本が国際社会にのし上がる群像劇を感動的に表現したのである。

また、後者の「台湾の植民地政策」は、「日台戦争」の表現などをめぐり、国会議員ら保守勢力から「公平ではない」「『日台戦争』は虚偽報道」との指摘や抗議、千葉県議会など非難の「意見書」が相次ぎ、この番組はNHKでは見られないものとなってしまった。

最近のNHKへの攻撃が戦略的、組織的になっていることを思い知らされた「事件」だが、前者は番組制作に関する考え、後者は番組クレームへの対応として、実に分かりやすい今のNHKを反映しているように思うし、それは、安倍政権が進める「大義」である「戦後レジームからの脱却」に根ざしたものになっているように感じるのは私だけではないと思う。

◆籾井会長に続く道

NHKの在り方をめぐる議論に最近は、籾井勝人(もみい・かつと)NHK会長の発言や行動への非難に時間を奪われている感があるが、そもそも籾井「会長」をつくったのには経緯がある。

まず島桂次(しま・けいじ)報道局長が実権を握り、1989年に会長に就任して以来、政治とのつながりを強固にしてきた事実がある。川口幹夫(かわぐち・みきお)、海老沢勝二(えびさわ・かつじ)両会長と続き、海老沢会長時代にNHK職員の経費使い込み、職員のインサイダー取引などの不祥事多発と前述のETV番組改変問題で視聴者の不信が最高潮に高まった。受信料不払い件数が急増し海老沢会長は辞任、NHKは改革を迫れることになるのである。

2005年のNHK「新生プラン」は「3年間で1割人員削減」「民事手続きによる(受信料の)強制徴収」「デジタル時代のNHK懇話会」などを盛り込む内容だが、これこそが、官製「NHK改革」とされる同年12月の政府の規制改革、民間開放推進会議(議長・宮内義彦オリックス会長)の「公共放送のあり方全体を見直すべき」との最終答申を受けて出された竹中平蔵総務相の「竹中懇」(通信・放送の在り方に関する懇談会)の提案に酷似した内容となっている。

これが06年6月 通信・放送の在り方に関する政府与党合意を経て、経営委員会の監督強化(政府の監督権強化)を柱とした「放送法改正」につながることになる。

07年5月、NHK経営委員会の委員長に就任したのが富士フィルムホールディングスの古森重隆(こもり・しげたか)社長だった。放送法改正案「経営委員会の権限強化」と一体で、総務省が求める受信料引き下げ、デジタル放送の完全移行に合わせた経営見直しを担わせる役目を担い、さらに官製「NHK改革」、政府・財界(四季の会=安倍首相を支援する財界人のグループ)主導の会長人事を行う布石であったと、当時考える人はそれほどいなかっただろう。

結果として古森委員長は、「四季の会」の福地茂雄(ふくち・しげお)アサヒビール元会長を会長にし、松本正之(まつもと・まさゆき)JR東海副社長、籾井勝人現会長の流れをつくり、独自策定の「経営5か年計画」賛成多数で押し切る(08年10月14日)などの剛腕をふるった。

第一次、第二次にまたがる安倍政権下のNHK改革、規制緩和、経営効率化に加えて放送の「偏向」是正は、「戦後レジームからの脱却」に見事に合致し、安倍政権のメディア支配を確実なものにしているのである。

現在の改革の根っこにある竹中懇の座長である松原聡(まつばら・さとる)東洋大教授は「NHKは政策遂行のために政府がつくった」と「中立」は自己矛盾と指摘している(共同通信インタビュー)だけに、「市民のための開かれた放送」を市民が目指そうにも、根本の思想が違っているのである。

それでも、視聴者は受信料を払っている受益者であり、正常な公共圏の形成に向けて、NHKに向けて「改革」運動を展開しなければならない。

現在、専門の雑誌メディアでは「放送レポート」「GALAC」「月刊民法」が議論の重要な対立軸などを提示し、運動体としては「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」「放送を語る会」「NHK問題を考える会(兵庫)」「日本ジャーナリスト会議」などが活動し、経営委員の選定と任命をオープンで視聴者参加にすることなどを訴え、政権の「NHK乗っ取り」から、視聴者・市民の「自主・自律の公共放送」を目指す闘いを繰り広げているが、ほかの市民運動と同様、資金難などで広がりが頭打ちになっている現状である。

◆情報格差生む施策

NHKは政府の要望に応える形で、「国際発信力の強化」「スーパーハイビジョン(4K・8K)の推進」を重点政策に揚げている。国際発信力は「国益」と一線を画して「国際親善の増進」「外国との経済交流の発展」に即した編集方針を貫けるかが課題であり、スーパーハイビジョンは、2020年東京オリンピックでの実用化に向けて取り組んでいるものの、その施策そのものが、放送法第15条の「協会は公共の福祉のために、あまねく日本全国において」の原則に反するという指摘も多い。

つまり「あまねく」はユニバーサル・サービス機能と解釈するならば、NHKは視聴者が全国いたるところで、安いコストで放送を享受して「知る権利」満たすことが義務付けられているわけで、ハイビジョンが「国策」に追随し、「視聴者不在」で無条件に乗っていく問題であることを指摘しなければならない。情報格差を生む放送局がなぜ「公共放送」と言えるのだろうか、という疑問である。

NHK問題は「真の公共放送」の理想からはかけ離れ、その理想に立ち返るという解決は望めそうもないし、権力の監視機構としての役割からも遠のいてきた。BBCなど欧州のテレビでは、「独立機構」「経営委員に公募制導入」「組織の透明化」「視聴者への説明責任強化」を基本理念としているが、NHKはそれら「公共放送」の王道の道を避けてきて、ひたすら権力に寄り添ってきてしまったのである。

その結果、社会問題をえぐるようなドラマもドキュメンタリーも作り出せなくなってしまった、という声をよく聞く。実際、私が記者になる前にNHKのドラマやドキュメンタリーで心を動かされたことが、日常的にあった。そして、それが自分の行動に大きな影響を与えたのである。それはおそらく、当時の制作現場の熱情であり、以前にあったとされる現場の「自由闊達(かったつ)な気風」ゆえの作品だったのだろう。

集団的自衛権をめぐり、こんな調査がある。「放送を語る会」のモニター調査に基づく戸崎賢二(とさき・けんじ)氏(元NHKディレクター、放送を語る会会員)の報告によると、集団的自衛権の報道について、14年5月15日安保法制懇の最終報告から同年7月1日の閣議決定までの期間の放送時間総量は約167分であり、その内訳は与党協議・首相や政府関係の動きが合計114分(70%)に対し、反対論者コメント33秒、反対デモ映像44秒だったという。

◆私たちの問題

前述の『NHK新版-危機に立つ公共放送』の著者、松田浩氏は長年のNHKへの取材で、NHK問題を「公共圏の危機」とし、「権力監視の役割か」「政府の情報操作に手を貸すのか」と迫る。特に第三者機関である「独立放送行政」の設立を提言し、さらに会長や経営委員の公募制も提案する。

英国のBBC放送の会長は2014年以来公募制を採用しており、経営委員会(BBCトラスト)の委員、独立行政委員会「英国情報通信庁」(OFCOM=Office of Communication)の委員も公募・推薦システム。民主主義の番犬として第一義的に政府からの「独立」、市民社会への「透明性」「説明責任」が必要との強い自覚からの構造である。これとは正反対の方向に向かうNHKは、番組改編、アンコール放送の氾濫(はんらん)、番組PRの横行など、松田氏の指摘するところは、多くの視聴者もうなずくことだろう。

どうしたらよいのだろうか。まずは、大きな政治の枠組みで「NHK支配」が進行し、「わたしたちの」公共圏が危機にあることを、私たちは自覚しなければならない。

これはNHK内部にも問題がある。「自主・自律」を守るために闘わない、闘ってこなかった不甲斐なさ、である。しかしそれだけではない。知る権利のために闘って権力からの独立を守る言論・報道機関の不甲斐なさもある。そして政治介入の都度、異議を唱えてこなかった視聴者の不甲斐なさ、もある。

これは選挙で解決する類のものではなく、政権でもない、視聴者である私たちの視聴者としての闘いができる場なのである。それを念頭に「知る権利」を考え、声を上げてみてはどうだろうか。

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