п»ї 日本の変革の主体はだれか? 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第140回 | ニュース屋台村

日本の変革の主体はだれか?
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第140回

3月 29日 2019年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住21年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

海外から見ていると目に見えて衰退していく日本。既に日本の衰退は20年以上前から始まっていた。労働力生産人口がピークアウトした1997年以降日本の名目GDP(国内総生産)は漸減傾向にある。1995年には日本のGDPは世界のGDPの17.6%を占めていた。しかし2016年には5.1%と3分の1以下になってしまった。1人あたりのGDPにいたっては世界25位と経済協力開発機構(OECD)諸国で最低の水準である。産業についても同様である。繊維、鉄鋼、造船、家宅とかつて世界一を誇った産業は今や見る影もない。いまや自動車産業にのみ頼る「一本足打法」とも言えるところだが、その自動車産業とて電気自動車や自動運転技術など新たな産業の後に決して安泰と言える状況にない。

気付いている?いない?日本の衰退

なぜこんな状況になってしまったのだろうか? 私はこれまでこうした状況を生み出した原因は人々が日本衰退の現実に気付いていないからであろうと考え、海外から見た日本の現状について講演したり記事を書いたりしてきた。いまだに日本では「食レポ」や「旅番組」などと日本礼賛のテレビ番組があふれかえっている。こんなテレビ番組ばかりでは日本の人たちも自国の衰退に気付けないのだろうと思っていた。

しかし、みな薄々気付いているようである。ただ、そうした現実に目を向けたくないだけなのである。「なぜ日本の衰退が起こっているのか?」。私なりの分析もこの「ニュース屋台村」を通して訴えかけてみた。政治・産業・教育・文化などについて、それなりの解説を試みてきた。

ようやくこの1、2年、NHKや日本経済新聞などが日本の衰退について真正面から報道するようになった。危機感あふれる記事もたくさん見受けられるようになった。しかし残念ながら、こうした記事を目にする人は少数である。今や多くの人々は新聞を読まなくなったし、テレビの報道番組も見ない。インターネットは「欲望社会」を助長させる。人間が本来持ち合わせている「食欲」「性欲」「生存欲」などから、人々はついつい「食べ物」「恋愛」「健康」に関する記事に目を留める。

こうした記事をいったん読むと、インターネットは次々とその人の興味に沿った話題の記事を勝手に配給してくる。「記事が閲覧されれば広告収入が得られる」というインターネットの仕組みから、検索されやすい記事のみを配信するという現象が起こる。よって真面目な議論はどんどん人々から遠ざけられていく。

こうして日本の衰退などの耳障りの悪い話題に、いよいよ気付かなくなっていく。残念ながら私の講演会の聴衆や「ニュース屋台村」の読者の数も頭打ちである。いつも記事に目を通して頂く読者も多く感謝しているが、そうかといって講演会の聴衆や「ニュース屋台村」の読者が爆発的に増えていくことはない。私の力不足は否めないが、それだけではないような気がしている。

例えば、私が自信を持っておすすめしている「迎洋一郎さんの工場診断」に見るケース。迎さんはトヨタ生産方式の生みの親である大野耐一さんから薫陶(くんとう)を受けた最後のお弟子さんである。迎さんの指導を半日受けた会社の中でも2~3億円の利益を生み出すことに成功したところは数社ある。

バンコック銀行では無料で取引先に対し、迎さんの工場診断制度を提供してきた。ところが、40社を超えるあたりから応募企業がなくなった。「系列の自動車会社に結果が漏れるのがこわい」「悪い評価が出たら日本の親会社から怒られる」「私どもの会社にはトヨタ生産方式など敷居が高くて、とてもそんなレベルではない」などと尻ごみされる企業ばかりである。志の高い人たちはいったいどこへ行ってしまったのであろうか?

『日本を殺すのは誰よ!』新井紀子氏の慧眼

今年の正月休みに日本に戻った際、私は数学者の新井紀子氏と経済評論家の山口正洋氏の対談書『日本を殺すのは誰よ!』(東邦出版、2018年)を購入した。それ以前に発刊されていた『AI vs 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社、2018年)を読んで、すっかり新井氏のファンになってしまったのである

新井氏は東大入試のためのAI(人工知能)開発のプロジェクトリーダーとして、その研究開発に当たってきた。国語、英語、数学、歴史などの教科について、その入試問題の傾向や特徴から異なったタイプのAIを開発してきた。ここ数年、私はさまざまなAI関連本を読んできた。

はっきり言って、AI研究に関して日本は後進国である。AIに関する本は米国人研究者の翻訳本が大半であるが、読んでいても分かりにくいものが多い。有名なIBMのワトソン君やグーグル翻訳機、画像認識装置など、なんとなく異なったタイプのAIであることはわかっていたが、新井氏の分かりやすい解説よってはっきりとその違いが認識できた。

また、この著書によって現在のAIの限界を知るとともに、人間よりも秀でている部分についても明確に理解できた。その新井氏が新たに発刊したのが『日本を殺すのは誰よ!』で、私はタイに帰国する間際に成田空港内の書店で手に入れ、タイに到着するまでの機内での6時間で一気に読み終えた。私は新井氏の名前からAIを強くイメージし、この本もAI関連の本だと思って買ったのだが、内容は全く違っていた。

衰退していく日本に強く危機感を抱いた新井氏と山口氏の2人が、教育・地方・女性軽視・若者の貧困などに焦点を当てながら、日本の衰退の原因を追究している。2人はまた、この本の中で教育再興とともに地方創生を行っている実例を読者に示している。新井氏が滋賀県米原市で、また山口氏が岩手県紫波町でそれぞれ地方創生プログラムに関わっている。数学者である新井氏が日本の衰退や教育の荒廃に立ち向かうべく、自らこうした活動をされていることを私は全く知らなかった。率先して現場に立たれていることに深く感銘を受けた。しかし「著名人であり、あれほどわかりやすくAIを解説している新井氏をもってしても、日本再興については自らが先頭に立たなければいけない」という現実に、私は一方で大変びっくりした。衰退していく日本の変革の主体をだれに求めればいいのだろうか?

「戦争責任者の問題」伊丹万作氏の警鐘

今後日本の衰退の影響を一番受ける20代、30代の若者たちは、現状をどのように捉えているのであろうか? 高齢化に伴う人口減少の中でこの世代の年金受給の可能性はほとんどない。デフレ社会の進行とともに格差も広がり、大半の人たちは給与の増加も期待できず、無貯金世帯も増加の一途である。どうやって病気やけがに備えるというのであろうか? はたまた中国が急速に台頭する中で「世界の警察官」を辞任してしまった米国。米・中・ロの軍拡競争が拡大する中で、日本はますます直接戦争に巻き込まれる危険性が高まっている。隣国である北朝鮮は原爆もミサイルも保有し、日本を射程圏内に収めている。戦争にでもなれば最初にかりだされるのが若者たちである。こうした事態を全く心配していないということなのだろうか?

新聞などの世論調査結果を見ると、現在の安倍自民党政権の支持率が最も高いのが20代や30代の若年層である。また低所得者層の支持率が高いという別の世論調査もある。統計偽装問題などで国民の政治に対する不信感が高まりながらも、安倍政権への支持率には大きな影響がないのである。

幸いにして私は若い人たちと頻繁に話ができる環境にある。また私のまわりにいる若者たちは「やる気のある意識の高い人たち」が多い。しかしこうした人たちと話をしていても日本の衰退の現状については「どうしようもない」という諦観(ていかん)の念とともに、「こうした状況を作り出したのは団塊の世代を中心とした高齢者層の責任」といった雰囲気を感じるのである。確かに日本に明るい未来像を示しえなかった我々の世代の責任を私は痛感している。しかしこんな結論の出し方では事態は何ら改善しない。

私がこうしたことを考えるたびに思い出すのは伊丹万作氏の随筆「戦争責任者の問題」である。第2次世界大戦から75年以上経過し、この悲惨な戦争が風化してしまった日本。伊丹万作氏のこの随筆を知る人も少ないと思うが、短い文章で、グーグル検索などで容易に入手出来るので是非読んで頂きたい。伊丹万作氏は第2次世界大戦前に活躍した映画監督で、その長男は同じく映画監督として、そして俳優として有名な伊丹十三氏である。

伊丹万作氏はこの随筆の中で、現在まで連なる日本人の意識の在り方について鋭く批判している。それは我が日本人が陥りがちな「自分はだまされた側の人間であり、自分は悪くない」という自己弁護の論理についてである。第2次世界大戦において大半の日本人は本当に「だまされていた」だけなのであろうか? 個人個人に戦争責任の有無を問いただすと例外なく「自分はだまされていた」と言うが、それでは、だれがみんなをだまして第2次世界大戦を引き起こしたのであろうか? 1人や2人だけで日本人すべてをだますことができただろうか?

伊丹万作氏は病人であったため、戦争に赴くことがなかった。しかし町を歩く彼に「国賊扱い」の冷たい視線を投げかけたのは、「だまされてた」と言っていた一般大衆であった。新聞・ラジオなどのマスコミや、町内会・婦人会などといった組織が熱心かつ自発的にだますことに協力していたと断罪する。また「だまされていたこと」によって免罪となる、という論理についても彼は断罪する。「だまされるということ自体が一つの悪である」と主張する。だまされることは「知識不足」と「意志薄弱」が合わさったことで具現化する。この両方とも自分の問題であり、その責任を回避したり他者に転嫁したりすることは出来ないのである。

翻って現代の日本。衰退の原因を「政府の無策」や「団塊の世代の責任」として片付けるのは間違いだと考える。我々一人一人がこうした問題を自分の問題として捉え、自らが動かなければ解決に向かわない。伊丹万作氏の随筆は、このことを我々に問題提起しているのである。

ここまで書いてくると、私は再び堂々巡りに陥っていることに気付く。多くの人たちに、自分たちの問題だと気付き、やる気を持ってもらうにはどうしたらいいのだろうか? 残念ながら簡単な解決方法を私は見いだせない。解決策が容易に見つからないからこそ、私は「小澤塾」で若い人たちの教育に力を注いでいる。自分たちの手で事実を見つけ、その本質を理解し、その解決策を考える。そうしたやり方を身につけたうえで、実際の仕事の中で成功体験を持ってもらうのが狙いである。

私はまた、バンコック銀行日系企業部の中に「観光部会」や「産学連携部会」など5つの私設部会を設置した。各部会とも業種の異なるやる気のある人に参加をお願いして、定期的に議論をしている。こうした方々の知恵を結集することにより、新しい商売や施策の展開が出来ないか試みている。残念ながら、これまでのところは華々しい成果として皆さんにご披露出来るものは何もない。しかし、いずれの日か日本の変革の礎になることを信じて、こうした活動を続けている。今回は新井紀子氏の著作に出会って勇気を分けて頂いたので、今しばらくこうした努力を続けていきたいと思う。

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