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新型コロナウイルスによる最悪の事態に備えて―アジア通貨危機の経験から
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第162回

2月 21日 2020年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住22年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

最近会う方から決まって聞かれることがある。「昨年来の経済停滞と新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される中、これからのタイ経済は一体どうなっていくのでしょうか?」。一般の方から「金融・経済の専門家」と思われている銀行員にこうした質問をしてくるのはごく普通のことと感じるかも知れない。

ところが平時には、こうした質問に出くわすことはない。むしろ何も話題を見つけられない銀行員の側から、なんとか金融・経済を話題にすることが多い。タイで日系企業の会社を経営されている方の関心事は自社の売り先顧客の動向であり、取扱商品の動きなどについてである。金融・経済には興味がない。私はこの15年余りこうした質問を受けることはほとんど無かった。しかし最近になって急に「タイ経済」について質問を受ける。私はお客様からのこうした質問にデジャブ(既視感)を覚える。

◆日系企業にも高まる不安

それは、1997年7月のアジア通貨危機発生後のタイに「再建屋」として乗り込んできた98年4月のことである。赴任して間もなく、タイのことをあまり知らなかった私に対して、自動車・電機・商社などの日系進出企業の社長たちがこぞってこの質問を投げかけてきたのである。

これから何が起こるかわからない不安感の中で、わらにでもすがる思いだったのであろう。現在、新型コロナウイルスの感染による事態の収束が全く見通せない中で、在タイ日系企業の経営者の人たちの不安感は、97年の経済危機の時と同じくらいに高まっているようである。

タイ人とタイ企業の受けとめ方はもっと深刻である。多くのタイ人経営者は97年の経済危機を経験している。当時の経済危機を経験していない日本人駐在員とは反応が大きく異なる。さらに日本の会社は製造業が多く、現状では新型コロナウイルスの影響をさほど受けていない。ところが、タイの会社は小売業や観光業などサービス産業を中心に、既に直接、新型コロナウイルスによる経済的ダメージを相当受けているようである。

中国人観光客が途絶えたことにより、大型商業施設の中には来店客数が3割から5割落ちたところがあると聞いた。ラチャダピセークというバンコク市内の繁華街の中国人向けホテルでは、客室専有率は5%にまで落ち込んでいる。ほとんど客がいないという。通常の経済変動の枠組みをはるかに超えた大激震がタイを襲い始めている。未曾有(みぞう)の経済危機に発展する可能性があるため、97年のアジア経済危機を知る数少ない日本人として、その経験と対策をお話ししたい。

ただし、まずお断りさせていただきたいのは、私は新型コロナウイルスの専門家ではなく、「この感染がどのぐらい続くか」とか「どこまで広がるか」あるいは「事態がいつごろ収束するか」などといったことは全く分からない。これが分からなければ、新型コロナウイルスによって経済がどの程度ダメージを受けるのかも分からない。だから、アジア経済危機のような事態が起こることを予言しているわけでもない。

私が今回述べるのは、最悪の事態が起こった時の対処方法であり、あくまでも仮定の話である。しかし、人間には「正常性バイアス」という自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過少評価してしまったりする特性あることはかねてより心理学で指摘されている。日本人は特にこうした傾向が強いとされる。最悪の事態を想定して対処をすることを苦手としているといわれる日本人にあえて、こうした問題提起をしたい。

◆急激な為替変動と資金繰りへの対策は万全か

97年のアジア経済危機の発生によって、タイではどのような事象が起こったのであろうか? 外貨の積極的な導入により経済成長を目指した当時、タイはドル・バーツの外国為替レートを実質固定化。またバーツの市場金利を高く設定しすることにより、短期の外貨資金が大量に流入した。しかしこの市場の歪(ゆが)みに目をつけたハンガリー系ユダヤ人の投資家ジョージ・ソロスが大規模なバーツ売りを仕掛け、ドル・バーツの実質固定相場が崩壊。バーツは1ドル=25バーツから50バーツまで一挙に大暴落したのである。

タイに流入していた外貨資金は一斉に引き揚げられ、この外貨を原資にしていた不動産開発は全面ストップ。不動産市場の暴落が始まった。一方、金利の低い米ドル融資や円建て親子ローンに頼っていたタイ大手企業ならびに日系企業は、外貨建て借り入れの評価替えにより多くが債務超過に転落した。

金融機関は不動産貸し出し、一般企業貸し出しから大量の不良債権を発生させ、当初91社あったファイナンスカンパニーは56社が即時閉鎖に追い込まれた。ファイナンスカンパニーにお金を預けていた預金者は平均で60%の債権カットを強いられた。また金融機関が閉鎖に追い込まれると、一般事業会社に金が回らない。中小企業の中には資金繰り倒産も発生した。

こうした過去の経験から私たちは何を学ぶことが出来るのだろうか? 前回(第161回)の拙稿「迫り来る世界規模の経済危機とその影響」でも述べた通り、現在のタイの対外債務状況はきわめて健全であり、97年のアジア経済危機のようにタイが直接のターゲットとされる危険性は少ない。しかし、同じASEANのインドネシア、マレーシアなどが経済的に脆弱(ぜいじゃく)な状態にあり、ここから飛び火する可能性は否定できない。

当時の経験から学ぶ最初の教訓は、「急激な為替変動への備え」である。当時も「あれよ、あれよ」といううちに、バーツ為替が大暴落した。同じことが起こるかどうかは分からない。しかし新型コロナウイルスによって何が起こるか想定できない現在、リスクは最小限に抑えるべきである。円建て親子ローンなどの外貨借り入れや円建て・ドル建ての売掛金、買掛金は至急為替ヘッジをかけることをお薦めする。

次に心配しなければいけないのは、「資金繰り不安」である。不良債権の増加から金融機関が倒産危機に陥る可能性もある。アジア経済危機の際、3分の2近くのファイナンスカンパニーが倒産したことはお話しした通りである。より安全な銀行に資金シフトするとともに、手持ち現金を厚めに確保しておくことである。97年のアジア通貨危機では、日本とタイにおいて強烈な銀行の貸しはがしが起こった。2008年のリーマン・ショックの時は米国、ヨーロッパと同様の貸しはがしが起こった。こうした事態に備えて、少々コストがかかっても安全、安心を買う時だと思う。

◆今すぐ手を打つべき応急措置

97年7月に発生したアジア通貨危機によって本格的にタイ経済が苦しみ始めたのは、発生から1年たったころだと記憶している。96年に58万9千台売り上げた国内自動車販売は、98年には18万7千台まで落ち込んだ。なんとピークの30%しか売れないのである。週7回稼動していた工場は週2回動かせば十分である。残り5日間は何もすることがない。当初は工場労働者に工場内清掃や敷地の草むしりなどやらせたが、2、3カ月もするとペンペン草も生えなくなるほどきれいになってしまう。このあと、いよいよやることがなくなるのである。

売り上げ低迷に伴い当然、業績も落ちてくる。コスト削減の圧力で交際接待費や交通費など物件費の抑制は既に手をつけている。いよいよ人件費にまで手をつけなければいけない。タイ人従業員のクビ切りが必要になってくる。まずは期間工から手をつけるのだろうが、正社員の解雇や給料の引き下げが可能かどうか、今から「雇用契約書」や「従業員規定」の見直しに着手すべきである。

また、日本人派遣社員も減らす必要が出てくる。日本人社員が半減しても仕事が回る体制のシミュレーションもやっておくべきであろう。タイ人従業員とのコミュニケーションを今から密にしておかなければ、これらの体制変革は出来ない。

生産調整は今から手を打つべき重要な作業である。アジア経済危機の経験から言えば、製品在庫は長期不況が起これば陳腐化し、安値での処分を余儀なくされる。当然、多額の償却損失が発生する。材料在庫も同様なことが言える。材料の生産地や種類などから一概に材料在庫の圧縮を述べることは出来ないが、材料在庫も陳腐化しない目配りは必要である。

さてここまでが、最悪の経済危機に対する応急措置である。ただし、これらの応急措置だけで業績が上向くことはまずない。ここで業績が著しく不振な会社の場合、会社継続か撤退かの判断を強いられることになる。97年のアジア経済危機の際には、日本経済ならびに日本企業に十分な余力があった。このためタイを撤退する日本企業はほとんどなかった。しかし今の日本には当時ほどの競争力が残っていない。かつ新型コロナウイルスの感染による被害が日本に大きく襲いかかる可能性もある。「残留か、撤退か」の難しい判断を迅速にしなければならない。ここで会社継続を判断しても、いばらの道が待っている。前述の通り、自力で会社を建て直す必要が出てくる。

◆志ある経営者の下での幾つもの試み

私は東海銀行バンコク支店長として赴任した98年4月から2000年末まで、車で毎年4万キロを移動し、延べ300社の工場を繰り返し見学した。当時の日本の銀行、タイの銀行とも強烈な貸しはがしを行っていたが、不良債権処理をほぼ終えていた東海銀行は、こうした中で顧客向けに貸し出しを積極的に増加させた。当然、東海銀行のお客様の大半は赤字会社か債務超過の会社であり、こうした会社に貸し出しを行ったのである。

私が貸し出しをする時の決め手としたのが、「経営者の人柄と方針」「工場の運営状況」の二つであった。私はこのため、毎週20社以上の会社を自ら訪問し、社長との面談を繰り返した。こうした面談の中で示唆に富む施策があれば、それを他のお客様に展開するように努めた。その中で重要なことは「従業員教育による生産技術と品質の向上」である。

A社は従来の自動化ラインをわざわざ止め、工程数を増やして従業員のマニュアル作業を取り入れることことにより、従業員の基礎教育をやり直した。B社は従来の大量生産から小ロット生産に替えて、従業員の対応力強化を目指した。C社は従業員に段ボール箱を利用した生産ラインの擬似変更をシミュレーションさせ、本社に頼らない生産技術力の向上を目指した。D社は本社で不要になった生産設備をただでもらい受け、従業員に分解設備をさせることにより設備機械メインテナンス業務の内製化を目指した。

志ある経営者の下ではこうした試みが幾つも行われ、結果としてタイの製品の品質向上が飛躍的に進んだ。生産が停滞している工場を清潔に保つことは極めて困難である。しかし、こうした努力を続けている会社の工場は、すべからくきれいに保たれていた。

当時、志ある経営者が努力されたもう一つの課題が、販売網の拡大である。従来は系列メーカーにしか売り上げを立てていなかった自動車部品メーカーは、系列外のメーカーへの売り込みを図った。また、タイにはGMやフォードが進出していたため、こうした外資系企業への売り込みを行った。自動車の1次部品メーカーがエアコンや複写機など他業種の部品を手がけ、息をつないだ事例も数多く知っている。

販路拡大はタイ国内だけではない。海外で積極的に売り歩く経営者が何人も現れた。それまで英語もろくにしゃべれなかった工場出身の社長たち。「会社を存続させたい」「タイの従業員を守りたい」という強い気持ちが、こうした人たちの行動につながったのである。本当に頭が下がる思いである。私はこうした人たちとのお付き合いを今でも大事にしている。尊敬できる立派な人たちである。

◆自らの経験を共有したい

私がこの原稿を書いている2月19日現在、新型コロナウイルスの感染に歯止めがかかっていない。「このあとどの程度感染が広がるのか」「それが生産・消費活動にどの程度影響を与えるのか」。これらのことはいま、誰にも分からない。私がここで書き記した「最悪の事態」も97年のアジア経済危機の経験を元にしたものであり、こうしたことが起こらないかも知れないし、これ以上のことが起こるかも知れない。

私は過去の経験以上の状態を想定する想像力を持ち合わせていない。とりあえず、私の過去の経験を読者の方々に共有して頂きたいと願っている。

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