п»ї コロナ禍で科学的に生きることの難しさ 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第191回 | ニュース屋台村

コロナ禍で科学的に生きることの難しさ
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第191回

4月 09日 2021年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住23年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

私たち現生人類であるホモサピエンスが科学を使い始めてから、実は400年程度しか経っていない。そもそも私たち人類が宗教を始めたのが、今から7万~10万年前だと推測されている。その当時の死者の埋葬跡が見つかり、その埋葬方法から宗教的な儀式が行われた様子がうかがえる。さらに3万年前の洞窟(どうくつ)の壁画から動物を擬人化した絵が見つかり、このころには宗教はすっかり人類の間には定着してきたようである。

◆生きる上での頼りとなっている宗教

この時代にはホモサピエンスは宗教を介して400人ほどの集団を作っていた。この「宗教を介した集団化こそがネアンデルタール人との決定的な違いとなり、ホモサピエンスが生存競争に勝ち残った」というのが、現在の進化人類学の定説となりつつある。その後、宗教は人間の生き方の教科書となる。「世界の誕生」「病気の治し方」「災害への防災」。ありとあらゆることは神のお告げで解読できる。こうした宗教による福音(ふくいん)が10万年近く続き、ようやく400年前に近代科学が登場する。

ドイツの著名な哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900年)がその著書『ツァラトゥストラ』の中で、「神は死んだ」という有名な言葉をツァラトゥストラに語らせた。この言葉の解釈の仕方はいくつかあるが、一般的には「宗教の終焉(しゅうえん)」を予言したものだとされている(このほか神は「絶対的なもの」あるいは「科学的考え方」を指すという議論もある)。しかし、ツァラトゥストラの予言は完全には実現されたわけではない。さすがに病気については、人々は牧師や僧侶の祈祷(きとう)に頼ること止め、医者にかかるようになった。

しかし現在でも世界の多くの人たちは宗教を信じ、それを生きる上での頼りに生きている。無宗教を自認し科学を信奉するという日本人も「死後に人間は成仏する」という宗教観から逃れられていない。こうした人類の7万年に及ぶ長い歴史については、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノヴァ・ハラリが『サピエンス全史』で詳しく述べている。

◆事実を正しく認識していない人たち

しかし、自らを進歩人だと自称する人ほど「科学」を信じているに違いない。「2019年に日本でもっとも売れた本」とのふれこみの帯がついた『ファクトフルネス』(ハンス・ロスリングなど著、日経BP)は科学の在り方を考える上でも秀逸な本である。その本はまず13問のクイズを読者に問いかける。ちなみにその本の中から3問のクイズをここに借用しよう。是非みなさんも試していただきたい。

【質問1 現在、低所得国に暮らす女子の何割が初等教育を修了するでしょうか?】

A:20%

B:40%

C:60%

【質問2 世界の平均寿命は、現在およそ何歳でしょうか?】

A:50歳

B:60歳

C:70歳

【質問3 世界の人口のうち、極度の貧困である人の割合は過去20年でどう変わったでしょうか?】

A:約2倍になった

B:あまり変わらない

C:半分になった

この3問の答えはいずれもCである。こうした問題が13問並ぶのであるが、驚くべきことは回答者の正解率の低さである。2017年に14か国1万2千人に行ったオンライン調査では、これらのクイズの正解数の平均は13問中2問。さらに著名な科学者やジャーナリスト、投資銀行の役員など知的階級と目される人たちの正解率は、なんと一般の人を下回った。どうも私たちは「世の中の事実を正しく認識していない」ようである。

◆科学的に物事を考えるとは?

ハンス・ロスリングはこうした私たちの勘違いの要因として、人間は本源的に「分断本能(世界を二つに分けようとする)」「ネガティブ本能(物事を否定的に考える)」「過大視本能(物事を大げさに考える)」など10の本能に支配されていると解説する。私たちホモサピエンスは30万年前の誕生以来、進化と拡大を繰り返し、確実に豊かになってきた。人口の急増、平均寿命の増加、貧困の縮小、感染症などによる死者の急減、戦争や暴力の減少など明らかに私たち人類の生存環境は日々良くなってきている。ハンス・ロスリングはクイズの回答を通して、こうした人間社会の進歩を明らかにする。ところが私たちは日頃どうもそうは思っていない。クイズの回答率がそれをよく物語っている。

私たち人類は「欲望」や「恐怖」といった生物本来の本能をうまく利用して進化してきた。これらの事実は生物進化学、脳医学、進化心理学などによって近年、急速に解明されてきている。ハンス・ロスリングが指摘した分断本能やネガティブ本能などは、私たちがあらがうことができない人間の本源的資質である。しかし一方で私たちは、ハンス・ロスリングの挙げる10の本能に身を任せていると「判断を大きく誤る」ことになりかねない。特に新型コロナウィルスが世界的に蔓延(まんえん)している現在は、人々はすでに恐怖本能に取りつかれている。そう、今こそ私たちは「科学的にものをとらえる」習慣を身につけなければならない。

ところが実際に科学的に物を考えるのは非常に難しい作業である。そもそも私たち人間に、科学的に物を考えることを可能にさせたのは「数字や文字の発明」だと考えられている。これがわずか5千年前の話である。ホモサピエンスが誕生以降30万年の歴史から見ても、わずか1.7%でしかない。さらに近代科学の発生は前述の通り17世紀ごろの話であり、400年ほどの歴史しかない。私たち人類は実は科学的に物を考えることに慣れてはいないのである。しかし物事を正しく判断していくためには「慣れない頭」を使って科学的に考えるしかない。

では、科学的であるということはどういうことなのであろうか? 昨今インターネットでは多くのニュースが流れているが、「有名な人が言っている」とか「専門家が話している」というだけでその内容を信じる人が多くいる。しかし、「科学者や専門家が言っているから科学的である」というのは大きな間違いである。その人たちが語っている事柄について、科学的に考えている保証はどこにもない。

それでは科学的な考え方とはどのような思考方式を言うのであろうか? 私はここで科学論を展開するつもりはないが、通常「科学的な思考方法」として「帰納法」と「演繹(えんえき)法」の二つが挙げられる。「帰納法」とはさまざまな個別の事実や事例から導き出される傾向をまとめあげ、普遍的な結論につなげる論理的推論方法である。これに対して「演繹法」はいわゆる三段論法であり、数学における四則演算(足し算や引き算)の繰り返し作業で解を導き出すやり方に例えられる。私たちは日常生活においてこうした「帰納法」や「演繹法」の手法を無意識に活用している。しかしその手法を安易に使っているため、真に「科学的に考えている」とは言えない状況が作り出されている。

◆吟味したデータを慎重に検討する

科学を真に科学的に活用するためには、まずデータの取得方法に気を付けなければならない。私たちは科学者ではないため、生(なま)データを素材として使うことは少ないが、まず得られたデータの信憑(しんぴょう)性から疑ってかかるべきである。私たちが公表された統計情報などを活用する場合でも、その統計の作成者を確認するのが望ましい。その作成者は信用のおける人であろうか? また、データは一つだけでなく、いくつかの情報源から取得することが望ましい。複数の情報源から得たデータが近似したものであれば信頼性は向上する。

次にそのデータの活用方法である。一般的にデータから法則を推論するためには比較作業が必要となる。この作業は2者比較や3者比較で行われなければならないが、比較対象となる他者の選択も慎重にされなければならない。なるべく無作為に、また数多くの比較対象を抽出したほうがより客観的、科学的になる。また過去のデータとの比較も必ず行わなくてはいけない作業である。その過去との比較にしても、比較期間をどのくらいの長さで設定するかによって導かれる結論も大きく変わる。例えば私たち人間そのものを評価する場合も、パンデミックが起こったこの1年半、産業革命や自由主義が生まれたこの200年、キリストが生誕してからの2000年、ホモサピエンスが誕生からの30万年、さらに生物誕生からの37億年と時間軸の切り取り方はいくらでも考えられる。どれを軸として考えるかによって人間観も大きく変わってくるのである。いろいろな時間軸で考えれば、多くの違った見方ができてくる。

さらに論理を組み立てていくには演繹法が活躍する。しかし論理を構成していく過程で「果たしてその演繹法が合理的な構成になっているか」を検証する必要がある。私たちは往々にして「結論ありき」で論理を飛躍させている。これは科学的な考え方とは言えない。私たちが科学的であるためには、私たち自身がデータを検証し、その比較の仕方や論理構成を慎重に検討していくことが望まれるのである。

◆事実を冷静に読み解く

バンコック銀行日系企業部には、新たに採用した行員向けに「小澤塾」と名付けた6か月の研修コースがある。この研修コースの中で、銀行業務だけではなく出身都道府県分析も行わせる。まず日本人塾生に対して人口、経済、教育、健康など出身都道府県のデータをできる限り収集させる。これらの詳細なデータを他の都道府県と比較して自分の出身都道府県の特徴とその要因を分析させる。さらにその都道府県の歴史についても日本列島誕生にまで遡って調査させる。日本列島誕生の中で地質学的特徴が、その都道府県の特産物を生み出していることを認識する。こうした作業を繰り返すことにより、塾生たちは今まで自分が知らなかった出身都道府県の特徴を初めて知る。従来の知識がいかに皮相的で、かつ間違った情報が刷り込まれていたことに気づく。こうした作業を通して塾生たちに科学的な思考方法を習得させるように訓練している。

昨年の年初来からのコロナ禍により、私たちは「移動の自由」や「人に会う喜び」など、生活の大きな部分に犠牲を強いられるようになった。こうした抑圧感とコロナへの恐怖心から、人々はトゲトゲしく先鋭的になっている。またこうしたコロナ禍での私たちが主要な情報源としているSNSの世界にはフェイクニュースがあふれかえっている。こうしたフェイクニュースを安易に信じ、人にはあまり知られていない情報を仕入れて自分を誇示する人が多く見受けられる。しかしこんな状況だからこそ、私たちに求められるのは、事実を冷静に読み解くことが可能となる科学的思考法である。まずは私たち一人ひとりがよく考え、自分たち自身で物を判断する能力を身につけることが肝要である。

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