山田厚史(やまだ・あつし)
ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。
急転直下、合意した日米関税協議。 米国側の発表で、両国の合意事項に「数十億ドルの防衛装備を日本は毎年、追加発注する」との項目があることが分かった。この協議は、やはり「防衛費をGDP(国内総生産)の3.5%」という軍拡を引き出す対日圧力の一環だった。
トランプ大統領が仕掛けた「高関税政策」で世界が沸きたっていた7月1日、ワシントンで日米の外務・防衛相による日米安全保障協議委員会(通称2プラス2会合)が開かれる予定だった。米国はルビオ国務長官とヘグセス国防長官、日本から岩屋外相と中谷防衛相が出席することになっていた。ところが、会合は突然のキャンセルとなった。
「中止」を報じたのは英紙フィナンシャル・タイムズだった。「アメリカ側が事前に『日本の防衛費をGDP比で3.5%に増額する要請を行う』と非公式に通告したことで、日本が反発し、会合は開かれないことになった」という趣旨の記事だ(6月20日付)。
◆「高関税」で脅すトランプの手法
欧州ではNATO(北大西洋条約機構)が「GDP比5%」へと防衛支出を引き上げる協議が山場を迎えていた。トランプに「負担増に応じなければNATOから手を引く」と脅され、NATOは6月25日、オランダ・ハーグで開かれた首脳会議で、加盟国の防衛費を2035年までにGDP比で5%にすることで合意した。軍事予算でGDP比3.5%、軍関連のインフラ整備費が同1.5%、合わせて5%という新目標だ。
NATOと並行してアメリカは日本にも同様の目標値を非公式に求めた。それが「事前の通告」である。「2プラス2会合」が開かれれば、表の議論になり公然化する。参議院選を目前に控え、石破政権にとって触れてもらいたくない話題だ。
仕掛けたのは、4月に就任したコルビー国防次官(政策担当)。トランプ政権1期目で国防副次官補(戦略・戦力開発担当)を務めた国防政策の実務派だ。幼少時、日本で暮らしたことがある知日派だが、日本の防衛費負担増を主張する急先鋒(ぽう)とされる。
1期目では米軍駐留経費の日本側負担の増額を画策したが、トランプ再選が阻まれ果たせなかった。2期目は国防省ナンバー3の政策担当次官に昇格し、国防戦略立案の経験が乏しいヘグセス長官を支え、国防政策全般や日米の安全保障分野を取り仕切る。
こうした動きは「関税交渉」と無関係ではない。トランプの手法は「高関税」を脅しに使い、個別交渉でアメリカの要求をのませる、というパターンだ。
◆米にイジメられている(?)日本
アメリカの政治専門サイト「ポリティコ」は、「トランプ政権はアジアの同盟国14か国を関税で脅し、日本や韓国に対しては防衛支出の増額要求を突きつけた」と報道した(7月8日)。匿名を条件に取材に応じた日本の政府高官が「関税引き上げ圧力には防衛費増額要求が組み込まれている」とコメントしている。
ところが日本政府は「関税交渉は防衛予算の増額とは無関係」との態度を取っている。石破首相も「GDP比3.5%」の要求についてはコメントせず「防衛予算は他国から言われるものではない。必要な装備や人員を、独立国家として判断し、積み上げていく」と繰り返している。
かつて「防衛予算はGDPの1%以内」という原則が日本にはあった。米国からの増額要求でこの枠が取り除かれたのは岸田政権の時だった。安倍首相時代に爆買いした兵器の後払い代金はGDPの1%では払いきれない、という現実があった。
石破政権は、2027年度までに「GDP2%の目標達成」を強いられているのに、今度は「3.5%」を突きつけられた。
イジメを受けている子は「自分はイジメられている」と言わない。転ばされてケガをしても、自分で転んだ、と言ったりする。
石破首相が「関税交渉は通商問題で、防衛費の増額とは関係ない」「同盟国アメリカとの意思疎通は綿密に図っていくが、金額にとらわれるのではなく、必要に応じた積み上げが重要」と繰り返すのは、圧力に屈する自分を見たくないから、ではないか。
参議院選の街頭演説で「なめられてたまるか」と声を荒げた。トランプ大統領から「相互関税を25%に引き上げる」という書簡が来た直後のことである。翌日、発言の真意を問われた首相は、「(米国に)いっぱい頼っているのだから、言うことを聞けということだとすれば、それは侮ってもらっては困るということだ」と釈明した。
◆「侮ってもらっては困る」と石破
首相になる前、10数人の勉強会に講師として石破さんに来てもらったことがある。いびつな日米関係について質問すると、「私は、日本が独立国だと思ったことはありません」という言葉が返ってきた。
国会議員でありながら、自国が独立国と思えない対米関係を目の当たりにしているからこそ漏れた言葉だと思った。「こんなこと言うから私はアメリカから嫌われるのでしょうね」と笑いながら話題を変えた。
その人が首相になって「アメリカ・ファースト」を押し通すトランプと向き合っている。「いっぱい頼っているのだから言うことを聞け」というのは、「日本はアメリカの核の傘で守られているのだから言うことを聞け」ということだろう。
「侮ってもらっては困る」というのは、「日本は独立国、基地を提供しているのは同盟国だからで、支配下にあるのではない」と言いたいのだろう。
アメリカが最大のライバル中国と対峙(たいじ)する最前線に日本はある。だからと言って日本はアメリカの属国ではない。「防衛費の数値目標」を約束するなど、独立国の首相としてとんでもないことと内心思っているだろう。
トランプは日本を「言えばなんでも聞く都合のいい国」と見ているように思う。これまでの日米関係や、アメリカに付き従ってきた外交を踏まえれば、そう思われても仕方がない面はある。石破首相は「いっぱい頼っているのだから言うことを聞け」という関係を断ち切れるだろうか。
当面の焦点は、中断されている「2プラス2会合」の再開だ。四半期ごとに行っている会合だが、再開のめどは立っていない。軍事・外交で日米に軋(きし)みが生じている、ということだ。通常なら修復は急務だが、トランプの米国とこれまでと同じ付き合い方ができるのか、していいのか、という問題がある。
◆対米関係修正に不可欠な3つの条件
同盟国でも、いきなり高関税を突きつけられ、イヤなら言うことを聞け、と脅されるのでは信頼関係は維持できない。2プラス2会合は、日米安保条約を基盤とする会合で、建前は日米対等だが、実態はアメリカの意向を日本に伝える場となっている。米側は「GDP比3.5%の数値目標」を当然のように命じた。あとは日本でやりくりしろ、ということだ。
石破は、これが飲めない。だが持論は「独立国家日本の再興」であっても、アメリカに従属する日本という現実は重い。一徹な石破は、アメリカにゴマをすって政権を安定化する、という安倍や岸田のような芸当はできない。
トランプという破天荒な大統領の出現は、対米従属という歪(ゆが)んだ日米関係を修正する絶好の機会だろう。そのために石破は岩屋を外相に据え、中国との関係修復に動き、自らは東南アジアを歴訪しASEAN(東南アジア諸国連合)との連携を模索している。
しかしながら、政治ばかりか社会に根付いた対米関係を転換するには、盤石な政治基盤がなければ難しい。外務審議官を務めた外務省OBで国際戦略研究所特別顧問の田中均氏は、「対米関係の見直しは急務だが、自民・立憲が大連立を組むくらいの安定感ある政権でないと難しい」と指摘する。
参議院選敗北の責任を問われる石破は首相の座にいつまでとどまっていられるのか。
仮に日本が対米関係を修正できるとしたら、①アメリカの信頼低下②独立の気概と指導力のある首相③盤石な政権基盤――という3つの条件が欠かせない。
その条件がそろわず、日本は1955年の保守合同以来、アメリカに頭を抑えられている。そのアメリカは、腕力だけの「ならずもの国家」の道を進んでいる。3.5%の防衛費は、日本を対中国の前線基地にしたいアメリカにとって好都合であっても、日本の「国益」にかなうのか。まず財政を崩壊させる。社会保障もままならない薄汚れた国に日本を追いやるだろう。
兆候は見えている。経済衰退と分配の失敗で社会に不安が充満している。「今だけ、カネだけ、自分だけ」の風潮が強まり、取り残された人に支配層に対する不信が広がった。不満の捌(は)け口が自分と違う他者に向かう。エリート層や外国人が分かりやすい敵となった。扇動するポピュリズム政党が支持を集め、政治が流動化する。
さまざまな意味で、今の日本は岐路に立っている。アメリカもまた同じ。「あの頃が歴史の節目だった」と後世の人たちに言われる地点に私たちはいるのではないか。(文中一部敬称略)
※『山田厚史の地球は丸くない』過去の関連記事は以下の通り
第266回「石破茂『日本は独立国ではない』―政治家が口閉ざす『日米同盟の闇』(2024年6月28日付)
コメントを残す