「一強政治家」高市早苗の死角
看板政策「積極財政」が危うい
『山田厚史の地球は丸くない』第321回

9月 04日 2026年 国際, 政治, 経済

LINEで送る
Pocket

山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

高市早苗首相の前から、国内政治の障害物が消えつつある。内閣改造では麻生派と手を組み、党内基盤を固めた。ライバルを閣内や党執行部に取り込み、政権に逆らいにくい体制をつくった。最大野党だった中道連合は、保守中道層を奪うどころか内部対立から瓦解(がかい)へ向かい、自滅の様相を呈している。

国会では日本維新の会と組み、安全保障、憲法、皇室制度など右派色の強い政策を進める。国民民主党やチームみらいも、政策ごとに政権へ接近する。

下落気味だった内閣支持率も下げ止まり、国民のほぼ半数から支持を得ている。党内にも国会にも、高市政権の進路を阻む勢力は見当たらない。「国内に敵なし」「長期政権も可能」との声が出るのも無理はない。

だが、高市首相の死角は海の向こうにあった。米国ノースカロライナ州アッシュビル、主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議後の記者会見で、議長のベッセント財務長官が、日本の経済政策に異例の注文をつけた。「日本はアベノミクスで大きな成功を収めた。それを一巡させ、リフレ政策をやめるべきだ」。

アベノミクスの成果を評価する形を取りながら、その実、高市政権が掲げる積極財政と金融緩和からの転換を迫った。ベッセント氏は「リフレに成功したのだから、その成功の帰結について考える必要がある」とも語った。口調は柔らかい。しかし、内容は「日本はマクロ経済政策を変えよ」という要求にほかならない。

◆「良好な日米関係」の水面下

高市首相はトランプ大統領との個人的関係を前面に出し、「すり寄り」とも評される対米外交を展開してきた。日米関係は良好で、少なくとも高市政権の経済政策に米国が公然と異議を唱える事態は想定されていなかった。

だが、水面下では亀裂が生じていた可能性がある。

ベッセント氏は5月の訪日時、片山さつき財務相と約2時間にわたり昼食をとりながら協議した。この席で日本の経済運営、とりわけ政府と日銀の関係に強い疑問を示した、と米紙ニューヨーク・タイムズは報じた。

片山氏は後に「問いただされたことはない」と否定したが、少なくとも米側が日本の金融政策、円安、財政運営を一体の問題として注視していたことは間違いない。

8月末には、ベッセント氏が植田和男日銀総裁に対し、円の「大幅な過小評価」に対処するため、断固とした金融・市場対応を支持すると伝えた。米財務省の公式発表にも、円安が日本のインフレ圧力を強めているとの認識が明記された。

これは事実上、日銀に利上げを促す発言である。さらにG20後には、金融政策だけでなく、積極財政を含むリフレ政策全体の終了を求めた。外から日銀を動かし、同時に高市政権の看板政策にまで踏み込んだのである。

日米に共通する「財政赤字」

米国が日本の財政に口を出すのは、奇妙にも見える。米国自身が巨額の財政赤字と40兆ドル規模の政府債務を抱え、減税や防衛支出を続けているからだ。

だが、ベッセント氏の立場からすれば、日本の財政膨張は米国にも直接跳ね返る。高市政権が国債を増発すれば、日本国債の価格が下がり、長期金利が上がる。財政不安が強まれば、普通なら通貨高を招くはずの金利上昇と同時に、円安が進む可能性がある。円安を止めるため、日本政府がドル売り・円買い介入に動けば、外為特会が保有する米国債を現金化することになる。

実際、日本は4月30日、5月4日、6日の3日間で、合計11兆7349億円のドル売り・円買い介入を行った。外貨準備の証券残高もほぼ同規模減少し、米財務省の統計では日本全体の米国債保有額が4月末から5月末にかけて668億ドル減った。日本は必要になれば、1カ月に10兆円規模の米国債を現金化できることを示したのである。

米国が恐れるのは、これが一時的な為替介入にとどまらないことだ。高市政権の積極財政で財源が足りなくなれば、約190兆円の資産を持つ外為特会を「政府のへそくり」とみなし、その運用益だけでなく、保有資産そのものを減税や歳出の財源に使おうという議論が強まりかねない。高市首相自身、年間約5兆円の財源が必要となる食品消費税減税をめぐり、約1.3兆ドル外貨準備を取り崩す可能性に言及している。

もちろん、外為特会の全額が自由に使えるわけではない。外貨資産の取得には政府短期証券という負債が対応しており、米国債を売って得た円は、本来その償還に充てられる。売却代金を一般会計で使えば、資産だけが減り、負債が残る。経済的には赤字国債で財政支出を行うのと大きく変わらない。

それでも、政治が「埋蔵金」として使い始めれば、日本は一時的ではなく、構造的な米国債の売り手になり得る。米国自身が国債増発と長期金利上昇に苦しむなか、最大級の米国債保有国である日本が買い手から売り手へ回ることは、ベッセント氏にとって重大な脅威である。

◆市場が突きつけた「3%」

米国に言われるまでもなく、高市経済政策はすでに限界を見せ始めている。2027年度予算の各省庁の概算要求は約143兆円と過去最大に膨らんだ。成長投資について要求段階で上限を設けない仕組みを採用し、従来は補正予算で処理してきた支出も当初予算に取り込むためだという。

高市首相は新規国債発行を40兆円程度に抑える方針を示した。しかし2026年度の32.7兆円から見れば、なお大幅な増発である。歳出143兆円に対し、税収だけでは到底足りない。外為特会、税外収入、基金の取り崩しを総動員しても、恒久的な財源にはならない。

しかも、財政膨張と同時に金利が上がっている。10年国債利回りは9月1日、30年ぶりに3%を突破した。2027年度の国債費概算要求は36兆6386億円で、2026年度当初予算より5兆3628億円も増えた。

金利上昇の影響は一度に表れない。ゼロ金利に近い既発国債が満期を迎え、高い金利の国債に借り換わるにつれて、利払い費は雪だるま式に増える。財務省の試算では、2029年度の国債費は41兆円規模となり、社会保障関係費を上回る可能性がある。

積極財政によって景気が成長し、税収が利払い以上に増えれば、財政は持ちこたえられる。しかし、物価と金利だけが上がり、実質成長や賃金が追いつかなければ、政策は逆回転する。

国債費が社会保障、教育、公共事業、防災などの予算を圧迫する。行政サービスの削減か、増税か、さらなる国債増発を迫られる。国債を増発すれば金利が一段と上がる。金利を抑えるため日銀が国債を大量購入すれば、円安とインフレが再燃する。

市場は、高市政権の予算膨張に対し、長期金利という形で警告を発している。

◆看板を下ろせない首相

高市首相にとって難しいのは、積極財政は単なる政策の一つではないことだ。

緊縮財政を批判し、政府が大胆に支出して成長産業を育て、経済成長によって債務負担を軽くする――これが「高市政治」の中核である。積極財政を撤回すれば、政権の自己否定になる。支持層からは「財務省や米国に屈した」と批判されかねない。

政府は早くも防御線を張っている。木原稔官房長官はベッセント発言を受けても、「責任ある積極財政の考え方に変わりはない」と明言した。片山財務相も、高市政権の政策はリフレ政策とは異なると反論した。

問われているのは、「積極財政」という言葉の意味ではない。歳出総額と国債発行額のバランス、恒久財源の確保、日銀の独立性という財政金融の根幹である。「責任ある積極財政」などという名称だけでは市場は納得しない。

「看板政策の維持」と「米国の要求」。板挟みとなった高市政権にとって現実的な出口は、看板を残したまま中身を変えることだろう。

一律給付や恒常的な補助金を削り、半導体、AI(人工知能)、エネルギー、防衛などに対象を絞る。投資には期限と成果目標を設け、減税には恒久財源を付ける。日銀の追加利上げを容認し、財政と金融の双方がインフレを刺激する矛盾を解消する。

こうした対応ができれば「積極財政の撤回」ではなく、「成長投資の重点化」と呼ぶことも可能だろう。しかし143兆円もの大風呂敷を広げた予算項目の圧縮や安定した財源の確保は、いうほど容易ではない。

◆警告を無視すれば何が起こるか

高市政権が米国と市場の警告を無視し、財源の裏付けのない積極財政を強行すれば、国債価格の下落、円安、物価高が同時進行する恐れさえある。英国で内閣が吹っ飛んだ「トラス・ショック」が、この「トリプル安」だった。

円安で輸入物価が上がる。日銀は利上げを迫られる。住宅ローンや企業借入の負担が増え、消費と設備投資が冷え込む。一方、政府の国債費は膨張する。景気は弱いのに物価と金利だけが高い「財政発スタグフレーション」に陥る恐れがある。

外為特会の米国債を売って円安対策や財源不足を埋めれば、米国債市場にも売り圧力がかかる。米国金利が上がれば、ベッセント氏の日本への要求はさらに強くなる。日本の経済政策が、米国の意向と金融市場によって事実上制約されることになる。

党内を抑え、野党を弱体化させ、国会で多数を確保しても、金利と為替は多数決で動かすことはできない。

国内に敵がいなくなったとき、高市首相の前に現れたのは、米国政府と債券市場という、政党政治では抑え込めない相手だった。積極財政を続ければ市場の反乱を招き、看板を下ろせば自らの政治的存在理由が揺らぐ。

国内政局では盤石に見える高市政権の最大の死角は、まさにその看板政策「積極財政」にある。

コメント

コメントを残す