米国の歴史的形成と現代の経済・社会構造の変容(上)
米国の概要と成立
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第324回

8月 14日 2026年 国際

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

2期目の大統領就任から2年目を迎えて、ますます迷走を続ける米国のドナルド・トランプ。その状況については、拙稿第303回「暴走続けるトランプ 米国出張記録(その1)」(2025年10月24日付)と第316回「トランプが世界を壊す?そして巻き込まれる日本」(26年4月24日付)で私見を述べた。われわれの想像をはるかに超える過激な行動をとるトランプ。そのトランプへの支持率はさすがに大統領就任時の47%から直近では38%まで落ちてきている。日本のマスコミの報道を見ていると「今年(26年)11月に行われる中間選挙ではトランプ政権は大敗し、トランプは政権基盤を失いかねない」と予測するものまで出てきている。

しかし事はそう単純ではない。11月の中間選挙では、下院の全435議席と上院の約1/3にあたる35議席が改選となる。現在は上・下院とも共和党が過半数を握っている。さらに英経済紙「エコノミスト」(6月30日付)が発表した「中間選挙などに関する世論調査結果」によると共和党候補支持率は35%。一方、民主党候補支持率は37%と拮抗(きっこう)している。選挙はいつの時代も水もので、風がどちらに吹いているのか私にはわからない。

ただし、米国の歴史とデータを分析すると、複雑な米国の実相が見えてくる。今回は、バンコック銀行日系企業部の遠藤優花(えんどう・ゆうか)さんの「アメリカの歴史的形成と現代における経済・社会構造の変容」と題した分析レポートを上中下の計3回に分けて紹介する。トランプ政権の行方を占うのがいかに難しいかがおわかりいただけると思う。

1章 アメリカ合衆国概要

①アメリカ合衆国(以下「米国」と呼ぶ)は、全世界に占める総人口割合4.2%、面積割合1.9%とわずかながら、GDP(国内総生産)総額は26.3%と世界最大のシェアを占めている。

②中国は総人口で世界最大の17%を占め、GDP総額も17%と米国に次いで世界2位の規模にまで成長したが、1人あたりGDPは依然として米国を大きく下回る。ドイツおよび日本はGDP総額が世界3位、4位に位置づけられるものの、世界シェアはそれぞれ約4%にとどまり、経済規模の面では米国と大幅な乖離(かいり)が存在する。1人あたりGDPについても米国が両国を大幅に上回り、米国での高付加価値産業の発展がうかがえる。

2章 米国の成立

  • 北米の植民地時代

①ヨーロッパ諸国による北米大陸への進出は、15世紀末の大航海時代以降、国家間競争の延長として展開された。1492年スペイン王室の支援を受けたコロンブスの到達を端緒に、ヨーロッパ諸国は当時「新世界」と呼ばれていた北米大陸への進出を本格化させ、16世紀以降、スペインや、フランス、イギリスにより植民地が築かれた。

②16世紀初頭に最も早く北米大陸に進出したスペインは、自国領土の拡張および金銀などの資源採掘を目的とした植民地支配を行った。現在のメキシコ中央部に立地したアステカ王国を軍事力によって征服、滅亡させ、1530年代からフロリダ及び米国南西部へ北上、18世紀にはカリフォルニアに進出した。統治は王権主導で行われ、先住民族は労働力として一方的に支配されたほか、カトリックへの強制的な改宗も進められた。

③フランスは本国経済を支える商業的植民地の建設を目的に、17世紀初頭からミシシッピ川流域に進出した。「ルイジアナ」と呼ばれた同地域は広大な地域であったが、先住民族を通じた毛皮貿易が目的とされ、入植者数は少数であった。先住民に対しカトリックの布教も行われたものの、改宗は強制されなかった。18世紀初頭には、膨大な負債を抱えるフランスにおいて、「ルイジアナ」植民地開発を目的に設立されたミシシッピ会社への投資策が実施された。実態は「ルイジアナ」は沼地で開発が進んでおらず、富に繋(つな)がらなかったため、1720年にはミシシッピ会社株の売却が始まり、ミシシッピ・バブルの崩壊が見られた。この一件はフランスにとって北米植民地が、商業的利益や本国財政のために利用する土地であったことを象徴している。

④イギリスは17世紀初頭から、共同出資会社に国王の特許状を与え、大西洋沿岸に植民地を建設した。イギリスは植民地を入植者が世代を超えて生活し、自ら維持、発展させることを前提とした恒久植民地として捉えていた。入植者の中には、イングランド国教会から分離したプロテスタント急進派のピューリタンも含まれ、信仰に基づく共同体形成が進められた。植民地では、アフリカ系奴隷労働者を利用したプランテーション経営が進められ、タバコや綿花栽培が行われた。イギリス本国向けの輸出量増加に伴い、入植者はさらなる土地を求め先住民と対立するようになり、武力衝突に発展、勝利した入植者は先住民を強制的に移住させ、植民地からの排除を進めた。

⑤ヨーロッパで争われたスペイン継承戦争の講和条約として、1713年にユトレヒト条約が締結された。この条約に基づき、現在はカナダ領のハドソン湾沿岸や、ニューファンドランド、アカディアはイギリス領として確定した。

2)北米での英仏抗争と米国独立戦争

①18世紀半ば、北米大陸ではフランスとイギリスがオハイオ渓谷の支配を巡って対立を深めた。この地域は毛皮交易と交通の要衝であり、交易中心で入植者の少ないフランスと、入植者の増加を背景に内陸進出を進めるイギリスの利害が衝突し、1754年にフレンチインディアン戦争に発展した。フランス側には協調関係を築いていた先住民が加わったが、戦争はイギリスの勝利に終わった。1763年のパリ条約にてミシシッピ川以東ルイジアナのイギリスへの割譲が決定した。イギリスは戦争に勝利したものの、増大した負債と新たに獲得した領土を維持するための防衛費を賄うため、植民地に対して1764年の砂糖法や、1765年の印紙法により、課税を行った。

②18世紀後半には、すでにイギリス植民地において経済成長や議会の自治運営が見られていたため、イギリス本国からの独立を求める声が強まり、1775年に独立戦争が開始した。1776年には13植民地によって独立宣言が発表された。1783年にはパリで講和条約が結ばれ、イギリスは13植民地の独立を承認。さらに、フレンチインディアン戦争により獲得していたミシシッピ川以東のイギリス領土を米国に割譲した。

3)米国の領土拡大と対外進出

①独立戦争が終結し13植民地による米国の建国が認められると、19世紀以降米国は「マニフェスト・デスティニー」の思想のもと、西方に領土拡大を進めた。

②1803年にはフランスからのルイジアナ購入、1840年代には、1821年にスペインから独立し誕生したメキシコからの独立を宣言したテキサスの併合、米墨戦争勝利によるメキシコからの領土割譲、イギリスと共同統治をしていたオレゴンの単独領有が決定した。これらの新たに獲得した土地は公有地とされ、農地や資源を求めて東から西へ移動する人々に有償もしくは無償で提供された。

③拡大する米国内において、最大の対立要因となったのが奴隷制である。新たに獲得した土地の人口が増加し州への昇格が提案されると、奴隷制を認める奴隷州とするか、奴隷制を認めない自由州とするかが議論の的となった。工業化・自由労働が進む北部と、奴隷によるプランテーション農業に依存する南部での奴隷制を巡る対立が激化し、1861年には南北戦争に発展した。1865年に4年に及ぶ戦争は北軍の勝利に終わり、奴隷制は廃止されたものの、戦後も南部においては人種隔離政策が導入され、人種差別は1960年代に至るまで長期に渡って存続した。

④19世紀後半、米国は海外領土の獲得を進めた。1867年にはロシアからアラスカを購入、1898年には米西戦争を契機として、プエルトリコ、グアム、フィリピンの領有が決定した。また、同年にはハワイの併合も行われた。フィリピンは1946年に独立したが、プエルトリコ、グアムは現在も米国領として残されている。

4)米国への移民流入

①米国建国以降、建国当初の13州から西方に向かって領土拡大が進められると、次第に海外からの移民流入が見られるようになった。

②1850年代以降、ジャガイモ飢饉(ききん)で困窮していたアイルランドや、三月革命によって政治経済的混乱に陥っていたドイツ、産業革命以降に余剰の労働力が発生したイギリスをはじめとする、北・西ヨーロッパ諸国より移民流入が見られた。1849年のカリフォルニアのゴールドラッシュを契機に、太平洋を渡った中国人移民も見られた。

③1880年代になると、 王国統一後も貧困に苦しむイタリアや、反ユダヤ運動が起きていたロシア等、南・東ヨーロッパ諸国からの移民が見られ、1890年代には同地域からの入国者が北・西ヨーロッパからの移民数を上回った。

④19世紀後半に急増した移民流入を経済不況や社会不安の原因とみなした政府は、望ましくない移民流入の規制へ舵(かじ)を切った。最も早く排除の対象とされたのが、中国人であり、1882年には中国人労働者の新規入国を禁ずる中国人移民排斥法が制定された。同法は後続法によって延長されながら1943年まで効力を発揮した。

⑤北・西ヨーロッパ系白人以外の集団を知性や経済状態などの面で劣った人種とみなした政府は、1917年移民法でアジアほぼ全域からの労働移民を禁止した。1924年の移民法では、1890年時点の人口比に基づき国別に年間の移民可能枠を厳格に設定したことで、南・東ヨーロッパ系白人の移民が抑制された。

⑥1964年に人種や肌の色、宗教、出身国を理由とした差別を禁じる公民権法が成立したことを契機に、1965年に国別割当を廃止する移民法改正を行ったことで、移民流入が急増した。

⑦近接するメキシコからは、1960年代以降の人口増加や、1980年代の経済悪化を背景に、安定した生活を求め移住する移民が増加、2000年代には米国のほぼ全州に流入が見られた。また、2000年代以降は、国内で高学歴人材に見合う高度専門職が不足するインドや中国からの流入が見られた。フィリピンでは、米国統治時代に整備された英語教育を背景に医療従事者の養成制度が発達しており、2000年代以降の米国内の医療従事者需要の高まりとともに移民が増加した。ベトナムからは1975年のベトナム戦争終結後、政治的不安や迫害から逃れることを求める難民の移住が見られた。

⑧2022年には内戦終結後も国家再建が十分に進まず、治安が悪化したエルサルバドルから、安全な生活を求めて移民が増加した。(次回に続く)

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第316回「トランプが世界を壊す?そして巻き込まれる日本」(2026年4月24日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-197/#more-23304

第303回「暴走続けるトランプ 米国出張記録(その1)」(2025年10月24日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-184/#more-22730

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