п»ї フクシマ10年 「廃炉」に人生捧げる技術者がいる 『山田厚史の地球は丸くない』第184回 | ニュース屋台村

フクシマ10年 「廃炉」に人生捧げる技術者がいる
『山田厚史の地球は丸くない』第184回

3月 19日 2021年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

水戸地裁は18日、東海第二原発(茨城県東海村)の運転差し止めを認める判決を出した。前田英子裁判長は、原発周辺の自治体の避難計画の不備を指摘し、「防災体制は極めて不十分だ」と述べた。

3・11大震災による福島原発の事故以来、全国の原発の多くが休止しているが、政府と電力会社は電力安定期供給を「錦の御旗」に再稼働を急ぎ、「差し止め」を求める住民による訴訟が各地で起きている。

菅首相が打ち上げた「2050年までに温室効果ガス実質ゼロ」を達成するため、政府は原発を必要とし、電力会社は原発稼働こそ経営安定の切り札と考え、原発再稼働をめぐる対立は全国に広がっている。

◆業界双璧を蝕む倫理の崩壊

そうした中で問題視されているのが、原発を運営する電力会社の経営姿勢だ。関西電力は福井県高浜町に立地した原発に絡み、不祥事もみ消しや反対派切り崩し工作を町の助役に委ねていた。退職後、元助役が関係する工事業者に関電は優先的に発注、見返りとして上層部は「菓子折に入った小判」などを受け取っていた。第三者委員会の報告書によると、金品の受領者は75人、総額3億6000万円に及ぶ。関電は業界でも原発に最も力を入れている会社だ。関西財界を牛耳る地域経済の中核企業でもある。そんなエクセレントカンパニーで、江戸時代の「お代官様・越後屋関係」を想起させる事件が表面化した。

そしてもう一つ。いま問題になっているのは「東京電力は原発を任せることができる企業なのか」ということだ。

水戸地裁が「運転差し止め判決」を出した18日、小早川智明東京電力社長は記者会見で「社会の皆様に多大なるご心配をおかけしていますことを改めてお詫びいたします」と謝罪した。

東電の柏崎刈羽原発(新潟県)で相次いだ「不祥事」の釈明だ。前日、原子力規制委員会の更田豊志委員長は「東電の原発に対する安全管理体制は最悪だ」と怒りを露わにした。

柏崎刈羽原発では昨年3月以降、不審者の侵入検知装置が15カ所で故障したまま放置されていた。代替装置も機能せず、規制委への報告もなされていなかった。

「不正なのか、わかっていて意図的にやらなかったのか、知識が足らなかったのか、技術的な能力の問題か、それともナメているのか、委員会がつかみたいのはまさにそこです」と、更田委員長は徹底した検査を行うと表明した。

柏崎刈羽原発では昨年9月にも重大不祥事が起きている。原発の中枢である中央制御室に勤務する社員がIDカードを忘れ、同僚になりすまして侵入。別人と気付いた警備員も止めなかった。

福島事故を起こしながら東電で「安全」を守るルールが空文化されていた。日本の電力を支えてきた東電と関電で起きた「倫理の崩壊」は何を意味しているのだろうか。

◆出口見えない廃炉

3・11原発事故から10年。この3月、「被災地の現状」を伝える報道が目立った。思えば、東京五輪は「被災地を励ます復興五輪」という位置づけだった。ところが原発事故の後片付けはままならず、いつのまにかメディアまで「フクシマの現実」から目を背けるようになった。五輪のお題目は「コロナに打ち勝った証し」へと変わり、原発事故は忘却の彼方に押しやられそうな雲行きである。

「現状を見たからといって、問題は解決しない」という重い現実があるからだろうか。見ても気持ちが暗くなるだけ、というテーマは、特にテレビでは嫌われるという。そんな「見たくない現実」にしっかりと焦点を当てた番組や記事が、「事故10年」を機に噴き出した。

「NHKドキュメンタリー廃炉への道」(3月14日放送)は、なぜ福島の復興が進まないのか、丁寧に描いてみせた。7市町村がいまも帰還困難区域に指定され、8万人がふるさとを離れて暮らしている。原発事故による高濃度汚染はいまだ解消できず、人は近づくことさえできないからだ。

福島第一原子力発電所の現場には、溶け落ちた燃料棒880トンが、「デブリ」と呼ばれる無残な溶解物質となって格納容器の底にたまっている。近づけば即死する放射線を放つ。どこにどれだけ散乱しているか、わからないという。10年経っても事故現場の詳細はつかめず、40年かけても撤去は困難だという。

政府・東京電力は、2021年から部分的にデブリの撤去を始める予定だった。それがままならならず延期となった。格納容器の内部をのぞくのはカメラを搭載した小型ロボットだが、強い放射線で鮮明な画像が得られない。かろうじて3号機のデブリを見つけたが、採取できたのは微量の粉末だけ。東電は「これからの10年は炉内の情報収集、デブリ撤去にかかるのは2030年代からではないか」と言う。

現状では、デブリに近づき回収する技術がない、という。工程表では2051年までに「回収終了」となっているが、裏付けのない「絵に描いた餅」。それが事故現場の実相である。

仮に、デブリを撤去したとしても終わったことにはならない。「汚染物質や土壌の撤去に100年か300年かかり、その道筋は見えない」と関係者は指摘する。

高濃度の放射能に汚染されているのはデブリだけではない。格納容器、その内側にある圧力容器、配管から機材まで、原子炉とその周辺に放射能で汚れた機器が山積みになっている。

核燃料の崩壊熱を抑えるための冷却水は地下に流れ出し、周辺の土壌は放射能で汚れている。デブリ以外の汚染物質は途方もない量になる。この処理に100年から300年がかかる、というのだ。

後片付けの責任は東京電力にあるとしても、誰がこの責任を果たしてゆくのか。「廃炉作業を東電は協力会社に丸投げしていている」と政府の関係者は嘆く。もともと東電には原子力技術者は少なく、技術は電機メーカー、現場の作業は下請けに任すという体質だった。事故が起きても対処できず、「これからの課題は廃炉だ」とされても、途方に暮れているのが現実ではないか。

◆廃炉・汚染水対策官が覚悟

100~300年という時間軸を前に、数年単位のポストで動く経営者たちは「廃炉作業」をどれほど自分ごととして考えるだろうか。

そんな中で、河北新報(本社・仙台市)の「廃炉を考える」という連載に目が留まった。資源エネルギー庁の「廃炉・汚染水対策官」である木野正登氏のインタビューが印象的だった。

東大の原子力工学科を卒業し1992年、技官として旧通産省に入った。事故直後の福島に送り込まれ、政府の原子力災害現地対策本部で広報班長を務め、2013年に汚染水対策と廃炉処理を任された。この10年、地元に張り付き、地元との調整役を務めてきた人だ。「福島への思い」を問われ、以下のように答えている。

「原子力に長く携わった者として事故の責任を痛感している。廃炉を進めることが自分自身の責任の取り方だと思う。福島に永住し、退官後も廃炉に関わり続けたい。人々の暮らしが戻るまで、政府は福島に対する責任を果たすべきだ」

放射能に汚染された冷却水の処理も出口なしだ。日に170トン排出される汚染水は撒(ま)き散らすわけにはいかず、タンクに貯めている。だがこの方式は、今年秋には行き詰まる。敷地がタンクで満杯になり、汚染水をひたすら貯めている作業は限界に達した。政府は、水で割って海に流すことを検討しているが、漁業者は猛反対している。間に立つ木野さんは、正解のない事故の始末と地元民の怒りの両方がわかるのだけに、辛いと思う。

退職後も現場に留まり、誠意を尽くすことで原子力に携わった者の責任という覚悟のようだ。果たして、霞が関の経済産業省上層部や東電の経営陣に、木野さんのような覚悟はあるだろうか。

ふと思ったのは、森友学園への国有地売却の後始末で公文書書き換えを命じられた財務省近畿財務局上席管理官だった赤木俊夫さんのことだ。「公務員の雇主は国民だ」といい、公務員規範を明文化した「倫理カード」を常に持ち歩いていた「真面目な人物」は、上司の命令で文書改ざんに手を染め、苦悩の末、自ら命を絶った。命じた当時の理財局長は国税庁長官に出世し、刑事責任も回避した。

「総務省接接待キャンダル」で明るみに出た高級官僚の倫理崩壊。その一方で、木野さんのような人が現場にいることは救いではある。しかし、困難な現場は真面目な人に任せっぱなしで、その陰に電力会社や官僚機構が隠れてしまってはいないか。心配である。

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