п»ї 朝日新聞の二重基準『山田厚史の地球は丸くない』第189回 | ニュース屋台村

朝日新聞の二重基準
『山田厚史の地球は丸くない』第189回

5月 28日 2021年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

朝日新聞は5月26日、東京五輪の開催中止を求める社説を掲げた。コロナ蔓延(まんえん)、医療の逼迫(ひっぱく)、緊急事態宣言など挙げ、この夏、東京で五輪・パラリンピックを開くことは「理にかなっているとは思えない」とし、「開催の中止を決断することを菅首相に求める」と主張した。

朝日は、東京五輪に批判的な紙面を作ってきた。オピニオン面では、開催支持の意見とバランスをとりながらも開催を疑問視する識者の意見を載せ、「声」欄は「中止」を求める投稿をしばしば載せてきた。世論調査では毎月、五輪開催の賛否を聞く問いかけを続け、「中止43%」「延期40%」などと紙面化している。

読者や識者の「反対」は載せながら、新聞社としての考えである社説は慎重だった。開催まで2か月と迫り、国際オリンピック委員会(IOC)が「緊急事態宣言が出ても開催する」という姿勢を見せる事態になり、ついに「中止」を表明した。

◆「オフィシャルパートナー」としての立場

「東京五輪中止社説」は5月23日、信濃毎日新聞が最初に書いた。25日に西日本新聞が「中止」と続き、朝日が重い腰を上げた。氷上のペンギンは、最初の1匹が海に飛び込むと、群れのペンギンが後に続いて次々と海に飛び込むという。信濃毎日は「ファーストペンギン」かもしれない。新聞各紙は旗色を鮮明にすることを迫られるだろう。

朝日が「中止社説」を載せたことは、地方紙の反対と趣が異なる。東京五輪の協賛企業から「反対!」の声を上がったのは衝撃的だ。

 近年のオリンピックは、企業から協賛金を募り、見返りに宣伝広告の場として使ってもらうという商業主義が強まっている。競技は増え、参加者は増え、施設は豪華になり、開催経費は膨張する。五輪はいまや巨額のカネが動く「マネーの祭典」となり、スポンサーなしで開催はできなくなった。

東京大会では朝日・読売・毎日・日経が「オフィシャルパートナー」として協賛金(スポンサー契約料)を払って、五輪を冠した広告やイベントを行う資格を得た。スポンサー料は公開されていないが「推定60億円」といわれている。大手新聞を横並びでスポンサーにしたのは広告会社大手、電通で、協賛金に見合った広告は電通が手配するといわれている。

発行部数が減り、経営が苦しい新聞社は、自社のブランドを生かす文化事業で収益を上げようとしている。東京五輪はシンポジウムなど共催事業で売り上げをのばすチャンスでもある。

 五輪広報を請け負う電通にとって、新聞社をスポンサーに引き込むことは協賛金以上に重要なことがある。協賛報道である。五輪ムードを高め、国民を熱狂の渦に巻き込むには、メディアの協力が必要だからだ。

 テレビは、もともと五輪との親和性が高い。競技の放映権や絵になるシーンを欲しがるテレビ局は「仲間」である。新聞は少し違う。IOCなど主催者団体のスキャンダルや商業主義への批判など「五輪の暗部」に踏み込んでくるリスクがある。

 東京五輪については、米ワシントン・ポストが、IOCのバッハ会長を「ぼったくり男爵」と揶揄(やゆ)し、開催地を食い物にしている、と批判した。ニューヨーク・タイムズは「開催をやめられない原因はカネ・カネ・カネで、夏の東京大会は感染爆発の祭典になるだろう」と書いた。主催者側は、新聞を仲間に引き込むことがリスク管理として欠かせない。

ある大手新聞の編集幹部に「社説が五輪中止と書かないのは、スポンサー契約と関係しているのか」と聞いたことがある。

 「できないことではないと思うが、スポンサーになっていながら『中止しろ』といったら、何をいってるんだ、と思われるだろうな」と語っていた。

スポンサー契約書は「守秘義務で公開しない」(朝日新聞)というが、スポンサーとしての順守事項が書かれているはずだ。「大会の成功に向けて」「五輪憲章の尊重」などの条項が入っているのではないか。

 そんな制約に中で、論説が「中止社説」に踏み込んだのは、社として大きな決断だったと思う。その姿勢は評価したい。

言論活動とは一線を画して

 その上で、いくつかの疑問を提起したい。筆者が、朝日新聞にスポンサーになっていることを問い合わせたところ、広報室から「『中止の決断を首相に求める』という内容の社説は、朝日新聞社としての声明ではありません」という回答だった。

「社説」は社の見解かと思ったら、そうではないらしい。広報室の説明では「オフィシャルパートナーとしての活動と、言論機関としての報道は一線を画している」という。

 社説と同じ日に、朝日新聞は「東京2020オフィシャルパートナーとして」と題する文書をホームページに掲載している。スポンサーになったことの説明が書かれ、「オフィシャルパートナーとなったのは、オリンピック憲章にうたわれている『スポーツを通じ、若者を教育することにより、平和でより良い世界の構築に貢献する』との理念に共感したからです」とある。これからも新聞の言論活動とは一線を画して、「オフィシャルパートナーとしての活動は続けていく」と宣言している。

だが、社説にはこうある。

「五輪は単に世界一を決める場ではない。肥大化や行きすぎた商業主義など数々の問題を指摘されながら支持をつなぎとめてきたのは、掲げる理想への共感があったからだ。ところが現実はどうか。憲章が空文化しているのは明らかではないか」

「憲章に共感」したからオフィシャルパートナーになった、というが、社説は「憲章は空文化している」という。どちらが朝日新聞の見解なのか。

社内にいろいろな意見があるのは当然のことだ。仕事や立場によって違うのは仕方ない。だが、新聞社としてどう考えるのか。社説を担当する論説主幹は、朝日新聞では編集局(日々のニュース紙面を作っている記者の集まり)から独立し、社長直属になっている。つまり「社論」に責任を持つ立場である。

◆言論と経営で理屈を使い分け

世間は、社説は社の意見だと思っている。それが「朝日新聞としての声明ではありません」というなら、何なのか。社内にはそんな意見もあります、ということか。

社説が載った同じ日、朝日新聞は2020年度決算を発表した。売り上げは約3000億円落ち込み、営業赤字が70億円、11年ぶりの赤字決算だという。厳しい経営事情から「きれい事ばかりいうな」という意見もあるだろう。

「編集と経営の分離」は、世情の影響を受け利害損得が絡みやすい経営は編集や論説に口出ししてはいけない、という文脈で考えられてきた。今回のケースは、経営の事情で協賛企業になっている、社説などに縛られない、というように聞こえる。

朝日新聞は、言論と経営で理屈を使い分け、東京五輪には「ダブルスタンダード(二重基準)で臨む」ということなのか。

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