п»ї P(4+1)機械学習 『みんなで機械学習』第32回 | ニュース屋台村

P(4+1)機械学習
『みんなで機械学習』第32回

1月 09日 2024年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニング®のビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

◆制作ノート

英国の経済学者エルンスト・シューマッハー(1911~1977年)の「スモール イズ ビューティフル」における中間技術の提案を、「みんなで機械学習」として実現するため、「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」という拙稿を連載している。機械学習との共存・共生・共進化をテーマとする第4章は、今回で最後になる。生成AI(人工知能)が大活躍しているので、機械学習との共存・共生は日常になった。機械学習との共進化を考えるときのキーワードは、まばらでゆらぐ多様性だ。前稿では、地球上で最速に進化するウイルスの、網羅的データ(バイローム)の機械学習を、ウイルスの知恵から学ぶ反脆弱(はんぜいじゃくせい)性に見立てた。機械学習との共進化は、ウイルスとの共進化と同程度に、エキサイティングでリスキーでもある。しかし、共進化は遠い未来の話なので、先を急がずに、機械学習を活用する中小企業のビジネスに焦点を絞ることにしよう。近未来の産業として、データサービスという、多種多様の新商品を開発したい。データサービスは、大企業や国家が中心となるのではなく、生活者と地域の視点から、新しい環境産業のように、みんなで機械学習しながら創出していきたい。「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」は途中の画像以降なので、制作ノートに相当する前半部分は、飛ばし読みしてください。逆に言うと、制作ノートは形式にこだわっていないので、まとまりがないけれども読みやすいかもしれません。

「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」のゴールは、結論を論理的に構築することではなく、生活のライフサイクルにおいて、データの世界との共存・共生・共進化に希望を実感することにある。近代的なモノの価値に従属する経済から、コト(サービスなど)の意味を重要視する経済への移行を時代背景として、近未来のデータサイエンス テクノロジー アンド アート(データの世界)が、人類の文明論的な変革をもたらす夢物語を、少なくともディストピアとはしない、複数の探索路を切り開こうとしている。物語のゴールにおいては、意味が認知される以前の「データ」そのものが、みんなの機械学習によって、「言語」とは別の、文明の道具になるだろう。

P4医療とポジティブヘルス

21世紀になって、ヒトゲノムが解読され、ゲノム検査が10万円以下になることが確実になったころ、個の医療(personalized medicine)が流行(はや)り言葉となったことがある。京都賞(2002年)を受賞した米国の分子生物学者レロイ・エドワード・フッドは、personalized(個別化された)に加えて、predictive(予測可能な)、preventive(予防の)、participatory(患者参加型の)P4医療を提唱した。当時、筆者は米国ファイザーのR&Dグループに所属していた。Medicineには医療(内科)という意味だけではなく、医薬品という意味もあるので、バイオマーカーによる予防薬としてのP4医薬品の可能性を模索していた。R&D戦略グループとしての役割が終わり、グループが解散となり、自身の年齢も考えて、国内でバイオマーカーを推進するために起業した。過去記事(※参照1)で紹介した、東北福祉大学の山本光璋(やまもと・みつあき)教授が提唱するポジティブヘルス(元気向上)のPを加えて、バイオマーカーで日本独自のP5医薬品をめざすという、まさに元気な起業だった。当初は、横浜市立大学と連携して、横浜市からの援助を得ていたけれども、横浜市が国のプロジェクトに応募して落選すると、援助は途絶えた。会社経営のために、全く儲からないバイオマーカーは後回しとなり、製薬企業の統計解析業務の下請け仕事になってしまった。当時お世話になった先輩教授の方々が他界され、外資製薬企業の国内研究所は全て閉鎖、国内製薬企業の臨床開発部門は米国が本拠となるなど、失われた15年を経験した。あきらめずに仕事を続けていると、当時は想像していなかった機械学習やAIビジネスのブームが訪れた。バイオマーカーのデータ解析から発想して、個体差の機械学習、より広範にP(4+1)機械学習を考えるようになったのだから、不思議なものだ。筆者個人としては、P5機械学習が、個の医療、またはP5医薬品となって結実することに、近未来への希望を抱(いだ)いている。一方で、AIビジネスは、米国の巨大IT企業と中国の国策としての覇権争いによって、儲かるビジネスか、軍事技術に資源が集中して、問題解決よりも、新たな問題を作り出す方向に向かっているといわざるを得ない。個体差の機械学習、フェノラーニング®が、健全に発展することを願って、中手企業を中心として、みんなで機械学習するシナリオ、新しいビジネスモデルを模索している。

P(4+1)機械学習

製薬企業の統計解析業務の下請け仕事においては、統計プログラミングとデータマネジメント業務の比率は1対3で、データを精査して整理する仕事が大半だ。事業としては情報サービス業の分類になるけれども、データマネジメント業務は、社内のデータサービスでしかない。そのデータマネジメント業務を、機械学習で自動化すると、近未来のデータサービス商品となる。クルマの自動運転技術は、地図の作成から車の運行業務の最適化まで、多種多様なデータサービス商品によって実現される。同様の技術は、ドローン兵器の開発でも必要不可欠になる。自動運転やドローンのように、巨大な市場で明確な用途があるデータサービス商品は、大企業や国家が中心になって、激しい開発競争が行われている。

一方で、医薬品の開発は、産業技術としては最先端のバイオ技術で、技術革新もある程度は期待できるけれども、心血管系疾患の新薬のように、開発が行き詰まっている疾患領域も多数ある。機械学習は基礎研究の創薬部門では応用されていても、多額の資金が必要な臨床開発部門では、いまだに有意水準5%の世界(統計学的な有意差検定)だ。P(4+1)機械学習で、臨床開発は加速されるだろうか。新薬の承認申請の場合は、承認の可否を決めるためのハードルが必要になるので、当面は大きな変化を期待できない。たとえ、医師の国家試験でAIがトップ合格したとしても、当面は医師の国家試験を廃止することは無いだろう。新薬でも同じ事情だ。ただし、個体差の機械学習が実現して、薬効予測が正確になり、未病段階からの薬物療法が可能になれば、新薬の臨床試験の成功確率は確実に向上する。すなわち、地道な変化ではあるけれども、臨床開発のコストが低減して、製薬企業にとって、大きな収益が期待できない難病や希少病の新薬開発が加速されるだろう。

患者の立場から考えて、P(4+1)機械学習による大きな変化は、既承認薬の適応拡大だろう。薬効予測における個体差の機械学習が実現して、薬効の予後予測が正確になれば、対象疾患の適応が保険で承認されていない多数の既承認薬を、模擬的に仮想患者に投薬するシミュレーションも現実的になる。機械学習技術によるドラッグリポジショニングだ。さらに、配合薬の薬効予測により、ポリファーマシー(多剤併用)の悪癖から解放され、個体差を考慮した最適な処方を探索することができるようになる。機械学習で仮説を作り、患者個別の臨床研究で実証する。治療法が確立されていない疾患は多数あるので、患者が主体となる個別の臨床研究のテーマはほぼ無限かもしれない。機械学習で効率よく仮説を作れば、臨床研究の積み重ねで、医療は確実に進歩するだろう。P(4+1)医療のポジティブヘルスとは、どのような状況においても、生きているかぎり、自分自身の健康は向上する可能性があることを意味していて、P4医療と統合されれて、医療全体の進歩を促(うなが)す原動力となる。

◆データサービスという生活関連商品

筆者のライフワークは、個体差の機械学習を、フェノラーニング®として定式化して開発することだ。個体差の機械学習にとって最重要なのは、網羅的で適切に離散化された「個体のデータ」を得ることだ。ディープラーニングなどの既存の機械学習法では、大量の他人のデータを収集して分析する。フェノラーニング®では、まずは自分のデータを収集することから始める。健康関連のデータであれば、例えば、自分の血液検査のデータを定期的に集積する。医師は病気(異常値)にしか興味がないけれども、長年データを集積すれば、季節変動や食習慣と健康状態の関係が見えてくるかもしれない。血液検査の費用は患者が負担し、データは患者自身のものなのだから、検査会社が、病院のシステムだけではなく、患者のスマホにデータをアップロードするサービスを行ってもよいはずだ。個体という離散性以外に、場所や時間、もしくは集団としての離散性が、どのようにデータに表現されているのかは、難しい問題だけれども、健康における難問を解決するという目的であれば、協力者とともに、個別のデータサービスを構築する可能性はある。

データサービスの対象が、中小企業のビジネスの場合はどうだろうか。経済やビジネスのデータを直接収集することは難しい。たとえ自社ビジネスのデータであっても、網羅性があって使いやすいように整備されているとは限らない。経済データの場合は、スマホや人工衛星によって取得するオルタナティブデータの利用の例もあるので、地域や業種に特化したビジネスデータのオルタナティブデータの可能性はあるだろう。ビジネスデータの場合は、言語によるデータが有力だ。言語は網羅性があるし、適度に離散化もされている。最近では、チャットGPTのような、大規模言語モデルを活用する生成AIが急速に発展していて、ビジネス応用も盛んに模索されている。最近の大規模言語モデル(LLM; Large Language Model)は、2000億個のパラメータを含むモデルを、3000億個のトークン(単語数)を含むコーパス(例文データベース)で学習させるなど、まさに巨大なモデルをスーパーコンピューターで学習(計算)する巨額のビジネスとなっている。大規模言語モデルの基本は、単語(トークン)の意味を高次元(1万次元程度)のベクトルで表現して、コーパス文中の語録の穴埋め問題を、全語録(トークン数)から予測して学習する。最近では、トークンをサブワード(単語分割)によって少数化する工夫が成功している。漢字などの表意文字では、文字の組み合わせによって単語の意味が構成されるので、単語分割は自然な発想だけれども、英語などの表音文字においても、音素が意味を持つというのは新鮮な発見だろう。そして何よりも、このようにして構成された大規模言語モデルは、対訳データベースなどの既存の翻訳に依存せずに、多言語のコーパスで学習すれば、翻訳も可能になる(ひとつの言語での学習が、他の言語に転移学習される)ことには驚いた。ある程度、人類の言語能力には共通性があるということだろう。筆者としては、もっと哲学的に考えて、言語表現における意味や価値は、言語の中ではなく、言語の指示対象(感情や概念も含めて)に潜んでいると解釈したい。近未来においては、動物たちの言語も、群れの動画と鳴き声の機械学習によって、翻訳可能になるかもしれない。

ビジネスの大半は言語活動といっても言い過ぎではない。しかし、ビジネスにおける言語活動は、構造化されている場合が多く、日常会話などの自然言語とは性質が異なる。単純に考えても、販売目的の営業では、売り上げによって数値化されているし、コールセンターのQ&A、特許の課題と解決手段など、ビジネスの目的に対応して経験的に構造化されている。構造が既知の場合は、大規模言語モデルを課題の構造に対応できるようにファインチューニングするか、質問を適切に構造化することで対応できる。しかし、構造(言語活動の目的)が隠されている場合や複雑に絡み合っていることもある。ビジネスでは、ビジネス活動のミッションやゴールを、文章で表現することがよく行われる。しかし、そのミッションやゴールが、組織の行動に反映されているとは限らない。チャットGPTなどの、大規模言語モデルによる生成AIを、ビジネスで活用することが常識になる近未来においては、組織のミッションやゴールを、組織の言語活動全体(WEBなどの広報やソーシャルネットワークシステムでの発言)から、逆に生成することも可能になるだろう。

◆ビジネスの表現は立ち位置で決まる

個体差の機械学習をビジネスに応用する場合、個体は会社全体や、会社の一部門としての組織が想定される。身体であっても、特に西洋医学においては、臓器や組織の疾患として考えるので、ビジネスの場合と大きくは異(こと)ならない。しかし、身体における性別や年齢などの表現型に対応する、ビジネスの表現型はどのようなものになるのだろうか。組織を構成する人数や総売上などの、組織の大きさや、創立からの沿革などの歴史も表現型になりうる。顧客との関係では、地域や業種、さらにビジネスモデルがビジネスの表現型として重要だ。ビジネス組織などの社会的集団の場合は、集団としての「くりこみ」、包含関係を考慮すると分かりやすい。大企業で、ゴール志向のマネジメントが、組織の行動に反映するのは、トップダウンのゴール設定が、人事評価と直結しているからだろう。すなわち、ビジネスの表現は、組織の立ち位置で決まる。

ビジネスの立ち位置は、会社や組織の存在理由そのものなので、経営者であればだれでも意識している。しかし、経営者の意識と、従業員の意識、さらに顧客の見方は大きく乖離(かいり)することもあり得る。オーナー経営者であっても、ビジネスの立ち位置は、地域・業種・ビジネスモデルなどのビジネス環境と無関係に決められるものではない。中小企業のビジネスを支援する目的で、個別の地域・業種・ビジネスモデルに特化して、個別の言語活動を明示的にコード化すれば、経営者は、そのコードの中から自社のビジネスを選択することで、立ち位置がだれにとっても明確になる。無理にランキングしなくても、立ち位置の変化として、ビジネスゴールが見えてくるだろう。このように、個別の地域・業種・ビジネスモデルに特化して言語活動をコード化することは、ビジネスにおけるデータサービスの一例になる。特に、ビジネスモデルにおける立ち位置は、中小企業において機械学習(大規模言語モデル)を活用するビジネスモデルとして、特許出願の可能性がある。個体差の機械学習、フェノラーニング®としては、開発時に一時的に大規模言語モデルを利用するとしても、ビジネスとしては、小規模データによる小規模言語モデルを模索している。経験を蓄積すれば、現在の学習効率の悪い大規模言語モデルではなく、汎用(はんよう)の小規模言語モデル(文法的な要素を中心に学習)をベースにして、個別に構造化された知識を付加するアプローチが実現できるかもしれない。大規模言語モデルの生成AIは、誕生したての破壊的イノベーションであることは確かだ。中小企業ビジネスでも、言語モデルによる機械学習を積極的に利用して、言語モデル関連の技術の成長と多様化に寄与するチャンスは十分にある。

◆ビッグ予想

AI関連でのビッグ予想は、AIがいつどのように人間を超えるのかということだろう。計算能力、ボードゲーム、言語能力などは、すでにAIのほうが優れている。精密な論理やプログラミング能力は、AIによる知的な支援が実用化している。発明や発見、芸術的な創作などの創造力においては、現在のAI技術は「個性」を欠いているので、AIは個性的な人間の道具にしかならない。人間が作り出した社会問題や、自然災害に関して、AIに期待したい予測能力については、データから予測しうる事象には対応できても、データが存在しない場合や、そもそも予測不能な事象については、人間や動物の予知能力に頼るしかない。予測能力や予知能力には限界があるので、状況の変化に素早く対応する適応能力が不可欠だ。しかも、適応能力においては、リスク分散型の、小集団での自律的な適応が望ましい。現在のAI技術のように、巨大な装置と資金が必要な技術では、小集団での自律的な適応には役に立たない。みんなで機械学習できる環境は、近未来を生き延びる人間の適応能力にとって、必要不可欠でもある。

AIと共存・共生・共進化する近未来を考えるとき、技術的なデータ論の範囲を超えた、倫理や社会規範が問題となる。AIに関する本論の哲学的な立ち位置がどこにあるのか、明確にしておきたい。筆者の好みと偶然の出来事によって、スピノザの哲学の可能性について、同時代のデカルトやライプニッツとは別格の位置づけをしている。どこが別格なのかを明確にすることで、近代西洋哲学が生まれ育つ土壌となった合理主義哲学の別世界、あり得たかもしれない別の近代について考えるヒントを得ている。もっと直接的に、データすなわちコンピューターにとっての自然という発想で、AIのエチカについて考えてみたこともある。哲学としては面白い試みかもしれないけれども、技術論としては無理があった。スピノザの哲学を出発点とするとしても、現時点で「みんなで」考える哲学として、中小企業のビジネスにも役立つ哲学として、筆者としては、「小さいプラグマティズム」を立ち位置としたい。プラグマティズムは、ヨーロッパ大陸の哲学とは異なる、若いアメリカ哲学として誕生した。筆者の好みとしては、無頼漢のチャールズ・サンダース・パース(1839~1914年)だけれども、大陸哲学と対峙(たいじ)する勢いで、自身の形而上(けいじじょう)学ともいえる記号論を作ってしまった。アメリカ哲学としての影響力は、難解なパースよりも、ウィリアム・ジェイムズやジョン・デューイという優等生の後輩のほうが勝っている。ジェイムズやデューイは優等生だったので、アメリカ政府にも受け入れられ、教育制度が充実して、アメリカ合衆国の発展に寄与した。その後、リチャード・ローティ(1931~2007年)による再評価など、プラグマティズムはアメリカ哲学にとって、大きな哲学となっている。本論は、シューマッハー(1911~1977年)の「スモール イズ ビューティフル」を、機械学習によって実現するというミッションに従っているので、小さい哲学を志向してきた。「小さいプラグマティズム」は、パースのような形而上学を志向せず、ジェイムズやデューイのような国家レベルでの政策とも距離を置いて、ローティの言語論的転回とは90度位相が異なる、技術論をベースとしている。

本論が求めている小さい哲学は、近未来においてみんなで実践する中小企業のビジネス哲学でもある。データ論の立場から、組織の中心部(経営者の視点)における微分的評価ではなく、周辺(組織の内外の境界に位置する人びと)の積分的評価を重要視していて、小さい哲学は(4+1)P(personalized、predictive、preventive、participatory、positive)哲学でもある。特に、ビジネス哲学としては、predictive(予測可能性)を重要視したいので、ひとつのビッグ予想よりも、たくさんのスモール適応(試行錯誤)を、小集団で効率的にマネージする「小さいプラグマティズム」を構想している。

風と雲の写真 筆者撮影  2023年10月8日 (前稿は風と波の写真)

『スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル』
1 はじめに; 千個の難題と、千×千×千×千(ビリオン)個の可能性
1.1 個体差すなわち個体内変動と個体間変動が交絡した状態
1.2 組織の集合知は機械学習できるのか
1.3  私たちは機械から学習できるのか
2 データにとっての技術と自然
2.1 アートからテクノロジーヘ
2.2 テクノロジーからサイエンス アンド テクノロジーへ
2.3 データサイエンス テクノロジー アンド アート
2.4 データサイクル
2.5 データベクトル
2.6 局所かつ周辺のベクトル場としてのデータとシミュレーション
3  機械学習の学習
3.1 解析用データベース
3.2 先回りした機械学習
3.3 職業からの自由と社会
3.4 認知機能の機械学習とデジタルセラピューティクス(DTx)
3.5 学習は境界領域の積分的探索-ニッチ&エッジの学習理論
3.6 機械学習との学習
4  機械学習との共存・共生・共進化-まばらでゆらぐ多様性
4.1 生活と経済の不確実性
4.2 生活と経済に関連する技術は、何を表現しているのか
4.3 スモール データ アプローチ-個体差のまばらでゆらぐ多様性
4.4 まばらでゆらぐ多様性の過去・現在・未来
4.5 生活の不確実性を予測する
4.6 弱い最適化-脆弱性/反脆弱性からのスタート(前稿)
4.7 ひとつのビッグ予測、たくさんのスモール適応(本稿)

本論は、個体差の機械学習をテーマとしている。急速に発展している機械学習との共存・共生・共進化について考えると、社会的もしくは技術的な多様性について、多様性をデータで評価する方法が課題になった。個体差と多様性は深い関係があるけれども、その関係は、事実としても理論としても、十分には解明できていない。本論の出発点は、「個体差は個体差の表現の個体差である」という作業仮説だった。本論の第4章では、個体差にともなう多様性を、「まばらでゆらぐ多様性」として評価することで、個体として離散化された対象が、まばらな場所(空間)とゆらぐ変化(時間)を表現している状況が見えてくることを論じた。ビジネスにおける個体は、経済的な集団(組織)であって、ビジネスの表現は、その組織の立ち位置で決まる。地理・業種・ビジネスモデルにおけるまばらな場所が、ビジネスの多様性を育(はぐく)んでいる。ビジネスにおけるゆらぎは、マネジメントにおける長期記憶と関係する。ビジネスにおける的確な予測と、予測によるマネジメント(リスク管理も含む)が、多様なビジネスを共存・共生・共進化させるのだろう。機械学習によるビジネスの予測は、判断が(正確ではないかもしれないけれども)迅速で、シミュレーションによる多数の選択肢が生成され、リスクを分散するプラグマティックな(自動車の運転のような)意思決定となるだろう。意思決定よりも、決定を実行した後の迅速な修正が重要になる。

このように、第4章の議論をまとめてみると、技術論として、技術の変化が加速しているかのように読めるし、米国の資本主義社会の現状の延長上に、本論の近未来があるかのようでもある。このような考え方は、米国哲学の潮流としては「加速主義」と呼ばれてる(『アメリカ現代思想の教室-リベラリズムからポスト資本主義まで』〈PHP新書、2022年〉の著者、岡本裕一朗の解説参照、https://voice.php.co.jp/detail/9087   )。しかし筆者としては、技術全般、科学や数学、芸術も含めて、文明論的な意味での人類の合理的(批判的)思考の根本的な変化は、20世紀後半から減速している、または大きな壁の前で立ちすくんでいると考えている。その間に、先進国が作り出した社会問題や地球環境問題が深刻化して、国際連合の哲学的には無責任な(無責任な哲学教授が無視している)SDGs「持続可能な開発目標」が空転している。ペシミズムやニヒリズム、ましてや外交儀礼に費やす時間はない。筆者としては、SDGsは立派な活動方針だと考えている。プラグマティズムを提唱する哲学教授たちが、SDGsの概念を精査してより明晰なものにすれば、機械学習の技術者たちが、SDGsの目標を100倍、1000倍に膨らませることができる。世界中のビジネスが(反社会的なビジネスと軍事ビジネスを除いて)、拡大SDGsのどこかに関与して、試行錯誤を繰り返せば、偶然、新しい文明が開化するチャンスがあるはずだ。

本論はデータ論をベースとする技術論だ。数式やコンピュータープログラムのソースコードを使わないで探究しているため、亜流の哲学に上滑りする恐れがある。産業分野の技術論としては、特許を意識して記載している。「みんなで機械学習」するのは、それぞれの中小企業におけるビジネスモデルであって、個体差の機械学習、フェノラーニング®を活用すれば、特許出願の可能性がある。本論も後半になってきたので、筆者自身の哲学的な立ち位置を明確にしておきたい。蒸気機関の発明から産業革命へと至る、西洋の近代文明は、デカルト、スピノザ、ライプニッツという合理主義哲学の巨人とともに始まった。ライプニッツは2進法と万能計算機を発明した天才で、デカルトはデカルト座標を発明している。スピノザはレンズ磨きを生業として、幾何光学を体得していたけれども、ユダヤ人としてユダヤ教から破門され、主著のエチカは発禁本になった孤高の反逆者だ。アインシュタインが、「スピノザが信じた神を信じる」といったように、スピノザ哲学は現代でも不思議な影響力がある。筆者は、スピノザが追及した「哲学の自由」は、表現の自由よりも根源的な自由で、スピノザは数学・科学・技術を含む、全ての合理的な探究のありかたを、中世までの権威主義的なありかたから一新したと考えている。AI技術によって、近代文明から飛躍しようとしている現代では、AI倫理が盛んに議論されているけれども、スピノザのエチカに相当する哲学には結実していない。

おそらく、AIエチカに最も近い現代の哲学は、米国哲学のプラグマティズムだろう。AIビジネスが米国にほぼ独占されていることも、米国哲学と無縁ではないかもしれない。プラグマティズムは、資本主義社会におけるビジネス哲学としても、アカデミックな哲学として最重要であることは確かだ。本論は哲学を主題とはしていないので、詳細な議論は省いて、筆者としては「小さなプラグマティズム」を立ち位置としたい。どのぐらい小さいかというと、ウイルスとAIプログラムを同一視しうるほど小さいとだけ答えておきたい。ウイルスは「生きもの」ではないという考え方もあるけれども、ウイルスがない地球上の生きものは考えられないという意味で、ウイルスは生きものの意味そのものといえる。現在のサイエンスでは、「生きもの」を定義したり、生きる仕組みを解明することができても、生きものの意味、または生きる意味を理解することはできない。意味以前の、ウイルスのデータから機械学習する近未来を考えている。少なくとも、このような作業仮説によって、AIとの共存・共生・共進化が自然に視野に入ってくる。哲学の教科書によると(※参考2)、プラグマティズムは科学的な自然主義と哲学の経験論をうまく嚙(か)み合わせているとされる。当時の科学としては、進化論と統計学を主軸とすることで、従来のニュートン力学の束縛から逃れている。筆者の好みの自然主義は、量子論とウイルスなので、プラグマティズムをかなりアップデートする必要がありそうだ。自然主義と不思議にかみ合う経験論の部分が、機械学習も含めて拡張される。

最後に、第4章のまとめというよりも、本シリーズ全体のゴールを再確認したい。人類の先史時代からの、衣・食・住という物質的な生活世界が、近未来には、波・風・雲を隠喩(いんゆ)とする「スモール ランダムパターンズ アー ビューティフル」な生活世界の次元が追加されて、新しい文明へと移行するシナリオにおいて、AIとの共存・共生・共進化が、少なくともディストピアにはならない探索路を模索している。波は、波動性という意味で、電磁気学の基本概念であり、量子力学においては波束の収束という測定過程の難問となった。電波が現代の生活世界に不可欠であるように、脈波や脳波など、全ての波と波の破壊が、生活世界の重要な課題となる。雲は、空を可視化した地球環境のイメージにつながる。雲は「まばらでゆらぐ多様性」のイメージそのものであり、本稿の最終章において、「色即是空 空即是色」の世界を、筆者なりに解釈する手がかりになるはずだ。仏教の本を何冊か読んでいるけれども、ヒントはほとんどない。スピノザの哲学が、汎神論(はんしんろん、pantheism)と誤解されたようなので、「色即是空 空即是色」の世界は、仏教よりもスピノザ哲学からのヒントがあるのかもしれない。もちろん、筆者としては、「色即是空 空即是色」の世界を「データの世界」として理解しているので、宗教や哲学の言語による解釈は限定的であっても問題はない。

最後の最後に、筆者の役割としては、近未来の生活世界としての「風」を極めることだと考えている。「風」は風環境として、経済活動のオルタナティブデータとなる可能性、さらには、ウイルスのヴァイローム分析によって、より広域かつ網羅的な人間活動のオルタナティブデータとなる可能性など、現実的な「データ世界」への入り口となる可能性がある。そして何よりも、「風」を探究することで、風景や風土として、先史時代からの人類の生活史へと遡及(そきゅう)できる可能性があり、「風」から、近未来がディストピアとはならない、最高のヒントが見いだされるはずだ。

◆次回以降の予定
5 自発的な小組織(seif-motivated small organizations)
5.1 社会、地域、家族 vs. 国家、企業
5.2 組織は組織でできている―組織サイクル
5.3 機械学習する組織
5.4 CAPDサイクル
5.5 ビジネス表現(3×3 table)
5.6 組織の周辺―積分的思考
5.7 データサービス商品を創出する知的自由エネルギー産業

※過去の関連記事は以下の通り
『住まいのデータを回す』第3回「住まいの多様体(その3)」(2017年8月31日付)

住まいの多様体(その3)『住まいのデータを回す』第3回

※参考資料1:
P4 Medicine: Personalized, Predictive, Preventive, Participatory A Change of View that Changes Everything Leroy E. Hood and David J. Galas

※参考2:
『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(ロバート・ブランダム、勁草書房、2020年)
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