п»ї アートする数理は文明のイノベーション 『WHAT^』第36回 | ニュース屋台村

アートする数理は文明のイノベーション
『WHAT^』第36回

10月 14日 2020年 文化

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

ファイゲンバウム定数(1975年)
『ビジュアル 数学全史‐人類誕生前から』(クリフォード・ピックオーバー著、岩波書店、2017年)より 筆者撮影

前稿(WHAT^第35回)は「アートのような数理は何を表現しているのだろうか」という疑問から始まり、「アートする数理がアーティストを救済する」という希望を述べた。本稿でも、同じ疑問から始めたい。数や数式が「何を意味しているのか」という疑問には、多くの数学者や哲学者が、「論理的」な議論を重ねてきた。しかし数理では、言語による「論理的」な議論の限界を超えた、意味不明な世界を探索することもある。特定の文明では、他の文明にとって「意味不明なアート作品」が受け入れられることがある。エジプト文明のピラミッドは、アートであり数理でもあるけれども、現代人にはその意味は不明だ。

筆者にとってのヨーロッパ文明は、ギリシャ哲学に始まり、米国の原子力爆弾で終わる。ヨーロッパ文明のアートや数理は「調和」や「法則」を追求してきた。そして皮肉にも、最先端の科学技術で、大量破壊兵器を作ってしまった。手軽に作れるようになった核兵器は、その保有国が、米国、ロシア、フランス、英国、中国、インド、パキスタン、北朝鮮と増加している。新しい時代の新しい文明は、核兵器を「意味不明な国家戦略」として、過去に葬ることから生まれてくるはずだ。核兵器による国家支配には未来がないことは明らかだろう。未来がない現在にしがみつくのは、病的で意味不明な生存戦略と言わざるを得ない。

逆に考えて、ヨーロッパ文明にとって、「病的で意味不明なアート」に可能性があると思いたい。数学的対象をコンピューターグラフィックス(CG)により可視化して、新しいアートの可能性を開いたのは、IBMの数学者ブノア・マンデルブロのフラクタルだった。ロジスティック写像のカオスを可視化して、分枝のパターンからファイゲンバウム定数が発見された。ヨーロッパ文明の延長では特殊な数学的対象と考えられていたフラクタルやカオスが、身近な自然現象や社会現象に多く見いだされ、逆に、ヨーロッパ文明は自然や社会を過度に人間化して破壊するようになってしまった。CGによる可視化では、例えば遺伝子データのネットワーク図から新しい発見がもたらされるようになった。地球の地図も、ヨーロッパ文明で慣れ親しんだメルカトル図法ではなく、1999年に建築家・鳴川肇氏らによって考案された球面の正四面体変形によるオーサグラフ(※参考1)とかメッシュ統計を使うことで、病的な現在の地球の状態が可視化されるようになった。可視化された数値データは意味不明なことがほとんどだけれども、配色を工夫すれば美しいアートのように見えることもある。

歴史的な文明論は繁栄の終末が語られる。未来的な文明論では、古い何かが終わり、新しい何かが始まる必要はあっても、現在の社会が終末を迎える必要はない。社会変革という意味での文明論は、破壊的イノベーションに近いイメージで考えている。原子爆弾による国家支配が終わり、データ支配がはじまるだろう。国家が人びとのデータを支配することは、国家がデータによって支配されることでもある。データは人類も含めた自然によって生成され、人工知能(AI)によってコーディングされ、コーディングされたデータをコンピューターが支配する。言語や法律がコーディングされるのだから、国家もAIによってコーディングされることになる。国家による支配が終わり、AIによる支配を考えているのではない。AIによるコーディングは、人々によるデコードのツールでしかない。例えば、意味不明なウイルスの遺伝子コートをデコードして、進化論的な意味を発見することが可能だろう。国家のコードもデコードできるはずだ。文明のイノベーションは、大いなる知的冒険によってはじまり、多様性と変革を受け入れる人びとの生活愛によって支えられる。

参考1:オーサグラフhttp://www.authagraph.com/projects/description/%e3%80%90%e4%bd%9c%e5%93%81%e8%a7%a3%e8%aa%ac%e3%80%91%e8%a8%98%e4%ba%8b01/?lang=ja

WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。

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