п»ї 意識は切断する道具 『WHAT^』第37回 | ニュース屋台村

意識は切断する道具
『WHAT^』第37回

4月 28日 2021年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o 株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

「マーク・マンダース - マーク・マンダースの不在」
東京都現代美術館、2021年4月

東京都現代美術館は、2021年4月25日から東京都の緊急事態措置として休館となった。筆者がその前々日に入館した時、企画展のタイトルにふさわしく、閑散としていた。オランダ生まれ(1968年)、ベルギー在住のマーク・マンダースの作品にとって、鑑賞者の存在は不必要であっても、自分自身と鑑賞者の意識が無いと、作品として成立しないと思われる。マーク・マンダースの作品は、建築物や身体などの3次元的な存在を、意識で切断する。

数(有理数で構成される数直線)を切断したのは19世紀ドイツの数学者リヒャルト・デデキントだった(『数とは何かそして何であるべきか』〈ちくま学芸文庫、2013年〉)。この切断によって、有理数から実数が見事に構成される。複素数は複素平面を与えるので、複素平面に切れ目を入れて、位相空間が構成された。マーク・マンダースの場合は3次元の存在に切れ目を入れることで、崩壊する場合、均衡する場合など、様々なバリエーションを生み出し、形は無意味になる。

哲学は存在を意識していたけれども、意識そのものを意識するようになったのは、オーストリアの哲学者、エトムント・フッサール(1859~1938年)からだろう。フッサールは意識には指向性があることを見抜いていた。しかし、意識が存在を切断するとは、思っていなかっただろう。意識は理性も切断する。切断された理性は論理的な操作が可能となり、病的に再構成されることもありうる。意識はおそらく社会も切断する。社会的な格差や偏見が、政治的な分断を作る前に、意識は社会を切断して、病的な個人を再構成しているはずだ。「病的な」という意味は、例外的なという意味に近いけれども、表現を切断することで、全ての表現が例外になる。

意識が切断する道具なら、無意識は切断された世界を再構成するのだろうか。デジタル化された世界は、切断されているだけではなく、切り口が見えなくなり、バラバラに分散しているデータの世界だ。データ化された世界では、意識や無意識を再構成することはできない。データ化するという意味は、コーディング(コード化する)することなので、コード化された生命、特に生命の表現を意識で切断する、その瞬間をとらえることができれば、意識や無意識を再構成することができるかもしれない。それは間違いなく「病的な」機械に見えるだろう。「病的な」機械を恐れたり、侮(あなど)ったりしてはいけない。デジタル化された世界はAI(人工知能)兵器を開発し、すでに病的な社会になっている。病的な社会においては、「病的な」機械が意識の深淵を探求して、無意識的に治癒する処方を見いだすだろう。アートは病的であり、例外的であるかもしれないけれども、必ず希望とともにある。

WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。

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