п»ї 絵本の世界『WHAT^』第38回 | ニュース屋台村

絵本の世界
『WHAT^』第38回

8月 23日 2021年 文化

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o 株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

「ブラチスラバ世界絵本原画展」
うらわ美術館、2021年7月10日~8月29日

「ブラチスラバ世界絵本原画展」(略称BIB=Biennial of Illustrations Bratislava)は、世界最大規模の絵本原画コンクールだ。チェコ共和国の首都はプラハだけれども、スロバキア共和国の首都がブラチスラバであることを知っている人は少ないだろう。筆者の年代では、チェコスロバキアという国名が懐かしい。チェコ共和国大使館(東京都渋谷区)を通りがかり、スロバキアの美術展のポスターが目にとまった。スロバキア共和国大使館(東京都港区)は近くにあるけれども、ずっと小さくて美術展のポスターを掲示するような余裕はない。プラハは映画づくりで有名で、スロバキアが絵本というのは、何か共通する文化の底流があるのだろう。政治は別として、文化は人びとをつなぎ、未来をつくる。

絵本の世界は文学とSF(Science Fiction)が交(ま)ざっている。純粋文学と大衆文学も交ざっている。道徳と社会批判も交ざっている。動物たちと人間も交ざっている。しかし、絵画表現は個性的で、とても自由だ。「ブラチスラバ世界絵本原画展」は世界各国の絵本作家の作品が集まっている。うらわ美術館(さいたま市浦和区)では日本作家の作品が多いのは当然として、翻訳され日本で出版されている絵本もある。しかし、美術館で絵本を購入できないのは残念だった。

ブラチスラバはヨーロッパの中世と重なる城壁都市らしい。筆者は隣国オーストリアを旅行したことがあるけれども、チェコもスロバキアも行ったことはない。もちろん、チェコスロバキア社会主義共和国にも行ったことはない。ソビエト社会主義共和国連邦の時代に、ペリカンを見たくてルーマニアのドナウ川デルタ地帯(Danube Delta)を旅行したこともある。共産主義国家のルーマニアでは、銀行が機能せず、市場では食品が不足していた。観光に行くような状況ではなかった。島尾敏雄の『夢のかげを求めて―東欧紀行』(河出書房新社、1979)を読み直してみたいと思う。そしていつか、東欧紀行-中世のかげを求めて、ブラチスラバに行ってみたいものだ。

中世の哲学は退屈で、キリスト教の素養がない日本人にはわかりにくい。そんな日本人におすすめなのが熊野純彦の『西洋哲学史-古代から中世へ』(岩波新書、2006年)で、同時代を生きている日本人哲学者の問題意識と感受性が新鮮だ。ギリシャからローマへ、そして西欧へと向かう中世の歴史において、特に文化・学術において東欧の果たした役割は大きいはずなのに、残念ながら筆者には地理的なイメージが重ならない。オスマン帝国は非キリスト教文化として、現代でも抗争が続いているので、政治的には重要かもしれないけれども、哲学史にとっては東欧との境界線となっている。一方で、ロシアから中央アジアは東欧文化と交ざっていて、ヨーロッパ文明の周辺として複雑な様相を示しているようだ。周辺主義の哲学を模索する筆者にとっては、東欧哲学史がその出発点になるような気がしている。周辺主義の哲学はデータ論であって、論理中心主義ではない。北欧のリトアニアがデータ社会の先進国であるように、東欧哲学史にはデータ社会の未来へのヒントがあるかもしれない。

AI(人工知能)技術という意味では、米国と中国が覇権争いをしている「中国AI研究、米を逆転 論文の質・量や人材で首位」(チャートは語る、日本経済新聞、2021年8月8日)。しかし、AI技術の社会的受容、すなわちデータ社会という意味では、米国国民も中国国民も置き去りにされている。絵本の世界は、未来の人びとの世界だ。大人たちの強欲な覇権争いは、未来を危(あや)うくするだけで、1000年の歴史の中では、振り返るのに値(あたい)しないものと見なされるだろう。データは「存在の差異」であって、量や質で測ることはできない。膨大な量のデータから、予測モデルに役立つデータを精査する、プロセスの多重性や多様性、および頑健性、すなわち飽(あ)くことなき、仮想的および空想的な「反復」によって評価される。

WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。

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