п»ї 恐竜新時代から人類新時代へ 『週末農夫の剰余所与論』第28回 | ニュース屋台村

恐竜新時代から人類新時代へ
『週末農夫の剰余所与論』第28回

5月 04日 2022年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o株式会社エルデータサイエンス代表取締役。元ファイザーグローバルR&Dシニアディレクター。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

今年の農作業が始まった。びっくりした。昨冬、収穫を忘れたパースニップ(白ニンジン)が、雪の下で立派に育っていた。パースニップは、英国のクリスマスに不可欠な野菜で、東京では1個1000円程度の高価な野菜だ。10年間、様々な種類のパースニップの種を試したけれども、発芽率が悪く、なかなか肥大化しない。日本の夏が、高温多湿で、パースニップの栽培は難しいと、あきらめていた。遅れて秋に発芽した小さな株が、早春に肥大化する、偶然の発見だ。クリスマスにはタイミングが合わないけれども、一歩前進できた。

農園風景とパースニップ=2022年4月24日、筆者撮影

前稿『週末農夫の剰余所与論』第27回では、福井の恐竜新時代を紹介した。人類新時代については、楽観的な見通しが立たなかったので、今回に引き続いている。恐竜の大絶滅のような、人類新時代の悲観的なシナリオはたくさんあっても、恐竜から鳥類が進化したような、新機軸は難しい。人類は地球環境を大量破壊しているので、進化論的な時間の猶予はない。『新しい世界-世界の賢人16人が語る未来』(クーリエ・ジャポン編、講談社現代新書、2021年)を読んでみた。ジャレド・ダイアモンドとナシーム・ニコラス・タレブが気になり、それぞれの著書『危機と人類』(日本経済新聞出版社、2019年)、『反脆弱性』(ダイヤモンド社、2017年)から人類新時代を考えてみた。「新しい世界」がアフターコロナを想定しているので、社会的・経済的もしくは医学的な未来については、賢(かしこ)い提案があるけれども、ウクライナにおける核兵器の脅威のような、愚(おろ)かな軍事的な問題意識はほとんどない。恐竜時代は、まさに軍事的な生存戦略が優先されていたといっても過言ではないだろう。恐竜時代の、軍事的な生存戦略は、草食獣か肉食獣かの区別なく、その原因が小惑星の衝突なのか、火山の噴火かウイルスなのか不明であっても、大絶滅へと至ったことは確かだ。地球レベルでの生息環境の激変を、地下生活が可能なネズミのような哺乳(ほにゅう)類と、恐竜から大空に進出した鳥類は生き延びた。

ジャレド・ダイアモンドは文明の崩壊を想定して、国家的な危機を乗り越える戦略を提案している。近現代における国家的危機は、戦争に直結している。政治的な権力者が、戦争の帰結を読み間違えることで、人びとの生活は危機的状況となる。原爆被爆後の敗戦国日本であっても、国家的危機を乗り越えられたのだから、ウクライナ戦争後においても、楽観的な見通しが不可能なはずはない。しかし、地球規模で広がる環境破壊と感染症リスクも同時進行している。ダイアモンドのバードウォッチングに、書物には書かれていない楽観性を感じる。筆者が農園で感じる楽観性に近いかもしれない。

ナシーム・ニコラス・タレブはトレーダーとしての実務経験から、ランダムな変動を不確実なリスクへの対処とする「反脆弱(ぜいじゃく)性」という、斬新なアイデアを発見した。辛辣(しんらつ)な文章ではあるけれども、大学教授の無責任さを糾弾する論調には、倫理観を見失った現代文明の病根が見え隠れする。タレブの書物には書かれていない、軍事戦略としての「反脆弱性」はどのようなものになるのだろうか。不確実な予測に依存した防衛システムを構築するのではなく、現状で測定可能な脆弱性をリストアップして、自覚的に機敏な防御行動を行うことのように思われる。地下生活を行うネズミのようなものだろうか。タレブの専門は金融工学なので、筆者のようなデータサイエンスとは専門用語が異なり、注意が必要だ。例えば、頑健性(ロバストネス)は、データサイエンスにおいては仮説(統計モデル)の仮定条件からのズレにおける頑健性を意味していて、金融工学とはかなり異なる。タレブの言う脆弱性(反脆弱性)は、予測モデルが間違えた時に、儲けと損失の経済的な非対称性を問題にしている。タレブの考え方のほうが、データサイエンスよりも軍事戦略には相性がよさそうだ。

ジャレド・ダイアモンドとナシーム・ニコラス・タレブは、それぞれ専門領域が異なるけれども、データ新時代に関する直感力は鋭いものがある。データに直接裏付けられていなくても、未知のデータの観点から、従来の言説にとらわれない推論を行っている。ダイアモンドは、歴史的サンプルとして7カ国の国家的危機を分析している。少ないサンプルで選択バイアスがあることを明言している。分析の観点に自国のバイアスが入りにくいように、個人的な危機から、危機の帰結に影響を与える12の要因を選択した。多数の個人の危機を分析すれば、もっと多くの要因が選択され、要因間の関係も複雑なものとなるだろう。タレブはデータサイエンスの専門家でもあり、平均値よりも分散を重要視する。ただし、タレブの関心は時系列データの分散であるため、変化のランダム性には、変動性や不確実性という経済的な意味が付与されている。多くの科学的判断では、地質学的時間の範囲では、時間に依存しない真偽が問題となる。それでも実験誤差や個体差、もしくは量子論的な不確定性によって、データはランダム性をともなう。ダイアモンドは個体差を意識しているけれども、統計モデルとしては記述していないし、タレブは統計モデル自体を信用していない。それぞれ、現時点では適切な記載ではあっても、人類新時代におけるデータ論としては不十分だ。

そもそも、人類新時代があるのであれば、それは力の論理ではなく、エネルギーの技術によってもたらされるだろう。人類は「火」という技術によって、新たな文明を切り開いた。最初の「火」は、焚(た)き火のようなもので、固体燃料だった。固体燃料によって、液体の「水」を気体の蒸気として、熱エネルギーを力に変換して産業革命が始まった。液体の石油を爆発させてエンジンとしたり、化学工業の原料としたりして活用し、今日の地球規模での炭酸ガス濃度上昇に至っている。このような文明観から考えると、未来の文明は「気体」のエネルギー技術、すなわち水素ガスの技術となるはずだ。実際に、宇宙ロケットは液体水素と液体酸素を直接燃焼させて推進力としている。水素ガスによる燃料電池発電も実用段階となった。水素を軍事技術とすれば、核融合の水爆となる。水素ガスは、量子力学によってエネルギー構造が厳密に解明された最初の分子でもある。人類新時代は、水素技術の新エネルギーを活用するのか悪用するのか、人類と地球環境の存続か破滅かの岐路となる。現在の行き詰った文明では、人類新時代を楽観的には見通せない。。

現在の日本の政治環境で、軍事予算を増額することは致し方ないとしても、その軍事予算の一部で、水素技術の包括的な研究に投資してもらいたいものだ。筆者は40年前に、水素ガス電極によって胃粘膜血流を測定する実験に関与したことがある。水素ガスは医学応用もありうる。市場原理だけでは大きな医学的な発展が望めないときに、軍事予算を国家戦略として利用することはありうる。実際に米国では、相当額の軍事予算が、感染症対策と精神医学に使われている。筆者はタレブの反脆弱性を学習して、弱頑健性というアイデアに気づいた。タレブはニューヨークの屋根裏部屋で反脆弱性を思いついたそうだ。筆者は農園の土を踏みしめて、弱頑健性について考えている。反脆弱性や弱頑健性が、軍事技術としてどのような位置づけとなるのか、特に水素技術との関連はあるのかないのか、全く理解できていない。こういった市場価値が不明な研究課題は多数あるはずで、少なからず国家安全保障として役立つものもあるだろう。日本においても、新文明を志向した実験的な試みが始まることを期待したい。

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『剰余所与論』は意味不明な文章を、「剰余意味」として受け入れることから始めたい。言語の限界としての意味を、データ(所与)の新たなイメージによって乗り越えようとする哲学的な散文です。カール・マルクスが発見した「商品としての労働力」が「剰余価値」を産出する資本主義経済は老化している。老人には耐えがたい荒々しい気候変動の中に、文明論的な時間スケールで、所与としての季節変動を見いだす試みです。

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