п»ї ザッパとその時代 『WHAT^』第43回 | ニュース屋台村

ザッパとその時代
『WHAT^』第43回

6月 17日 2022年 文化

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o株式会社エルデータサイエンス代表取締役。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

2022年5月21日 シネマート新宿 筆者撮影 

フランク・ザッパといっても、マザース・オブ・インベンションといっても、1960年代ロックに興味のない方々には、縁(えん)が無いだろう。それでも映画「ZAPPA」は、ザッパが生きていた米国の、西海岸と東海岸の社会状況をふり返るドキュメンタリーとして、とてもよくできている。ロサンゼルス郊外の高級住宅地における、チャールズ・マンソンの仲間たちの映像は、日本でのオウム真理教のようなもので、直感的に「危険すぎる」。しかし、少年期のザッパも、自宅で爆発物の化学実験を行う、危険な化学好きで、家族で毒ガスマスクをつけて遊んでいた、危険なベトナム戦争の時代だった。

ザッパが音楽に目覚めたのは、フランスの現代音楽作曲家ピエール・ブーレーズ(1925~2016年)の音楽を聴いてからだそうだ。ザッパの頭の中には、この時のブーレーズの音楽が一生鳴り響いていたものと思われる。ザッパはイタリア人家系だった。ジョン・ケージのような米国人現代音楽ではなく、ヨーロッパの現代音楽が、ザッパの頭脳に住みかを見つけたのだろう。ザッパはロック音楽で生計を立てて、演奏される見込みのない、現代音楽の楽譜を書き続けた。自分の頭の中にある音楽を、自分の耳で聞きたい、その願いは死期が迫ってかなえられた。そして、ザッパの死後も演奏されている。映画の中で、ザッパの死後に演奏された「The Black Page」という現代ピアノ曲は、ザッパとその時代の音楽として、特に美しかった。

映画では、政治に興味を持ったザッパが、冗談ではなく、「米国大統領になる」ことを語っていた。もっとも、自身の死期を悟っていなかったとしても、実現されることは誰も期待してはいない。俳優のレーガンが大統領となった米国なのだから、ザッパが、せめて大統領候補になっていたら、トランプと競い合って、米国らしい米国になっていたかもしれない。ザッパはソ連から独立した東欧で熱狂的なファンが多く、米国の経済的に自己規制された「自由」よりも自由な、音楽的に自由な生き方が、ザッパとその時代における共感を得ていたのだろう。

ザッパとその時代はノスタルジアの対象ではなく、危険な時代だった。デジタル音楽の時代となり、ザッパとその時代は終わったけれども、私たちはもっと危険な時代を生きている。小林正樹監督の映画「東京裁判」における武満徹の音楽は、ザッパの音楽と同時代を生きているようで、危険な時代の音楽を感じる。ロックは平和を歌うけれども、現代音楽は不協和音と不安定なリズムで、危険な時代を直接音楽にしている。ホラー映画に音楽が無かったら、不気味な映像だけで、恐怖感をともなわないだろう。音楽は画像よりも身近に感じられる。ザッパの時代よりも、さらに危険な時代の音楽は、どのような音楽なのだろうか。筆者の好みというだけの話だけれども、坂本龍一の「BLACK MIRROR : SMITHEREENS ORIGINAL SOUND TRACK」はデジタルな位相を意識した、秀逸なサウンドトラックだ。心地よいメロディーやリズムの裏側に、空間のどこから音が鳴っているのかわからない、不安定な位相が隠れている。ホラー映画であれば、3次元空間のどこからゾンビが出現するかわからない、そんな不安感であり、危険な音楽になっている。武満徹の時代には、既にそこにある危険(前稿「WHAT^」第42回の大竹伸朗を参照)が音楽となっていた。もっと危険な私たちの時代では、デジタル技術で、いつでもどこにでも危険を作り出せる。その危険が、ゲームや映画であるとは限らない。位相制御された妨害電波は、軍事技術にもなりうる。

私たちは、とても危険な時代を生きている。デジタル技術がアナログ技術よりも、より危険というわけではない。技術の問題ではなく、私たち自身が、人間がより危険になっているのだ。なぜ、安全な時代にならないのだろうか。ザッパのような、多くのわけのわからない人びとを、社会から除外してきた。アーティストとして特別扱いしてきた、その結果、反逆的なアーティストはいなくなり、従順で経済的な理由だけのために人殺しができる、危険すぎる人間になってしまったように思われる。チャールズ・マンソンもウラジーミル・プーチンも、自分たちの問題に、本来無関係な人びとをまきこんで、危険すぎる人物であることを自覚していない。多くの人びとが、無関係に生きていけるような世界、小さい社会をより丁寧(ていねい)に運営すること、アーティストから学ぶことはたくさんある。映画「ZAPPA」は、自主学習のような、反教育映画かもしれない。

WHAT^(ホワット・ハットと読んでください)は、何か気になることを、気の向くままに、イメージと文章にしてみます。

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