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ディストピア
『みんなで機械学習』第14回

1月 05日 2023年 社会

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山口行治(やまぐち・ゆきはる)

o株式会社ふぇの代表取締役。独自に考案した機械学習法、フェノラーニングのビジネス展開を模索している。元ファイザージャパン・臨床開発部門バイオメトリクス部長、Pfizer Global R&D, Clinical Technologies, Director。ダイセル化学工業株式会社、呉羽化学工業株式会社の研究開発部門で勤務。ロンドン大学St.George’s Hospital Medical SchoolでPh.D取得(薬理学)。東京大学教養学部基礎科学科卒業。中学時代から西洋哲学と現代美術にはまり、テニス部の活動を楽しんだ。冒険的なエッジを好むけれども、居心地の良いニッチの発見もそれなりに得意とする。趣味は農作業。日本科学技術ジャーナリスト会議会員。

◆制作ノート

前稿(『みんなで機械学習』第13回)では、集団の個体差を機械学習することが可能になった場合、わたしたちは機械から学ぶことができるのか、という仮想の話を考えてみた。例えば集団における経済合理性について、人間的な経済学ではなく、自然科学における熱力学の法則を応用した経済学、経済化学を機械から学ぶことができるのだろうか。経済化学によって、正確な予測が可能な市場(precision market)が出現するという考えは、正確な薬効予測が可能な薬剤(precision medicine)から借用しているので、わたしにとっては20年間考えている課題の応用問題でもある。この課題を、40年間考えた「個体差とは何か」という哲学的な設問ではなく、データの機械学習という技術的な課題として、社会・経済の文脈の中で、課題自体を再定義することから始めている。

◆正確な予測

薬効予測や価格予測は、未来の事象を予測するという意味では、正確に予測できるはずがない。近代の決定論的な世界観は、天文学ですら通用しなくなっている。時間は逆転しないし、カオスは初期値に鋭敏だから、個別的な事象を正確には予測できない。統計的な事象として、例えば平均値の変化として、薬効予測や価格予測を行うことは、すでに実現できている。「正確な予測」とあえて言う意味は、個体差を考慮して、個別的な事象を平均値よりは正確に予測する試みであって、場合によっては、リアルタイムに集積されるデータを使って、個体差を意識するよりも高速に予測することもありうる。ネット販売における価格予測は、個体差の評価と高速な価格調整の両方が、すでに実現できている。薬効予測であっても、大量の健康データを企業が独占できれば、ネット販売程度のことはできるようになるだろう。わたしたちが近未来に遭遇する「正確な予測」は、予測というよりも、現在の状態をシミュレートして、膨大な量のデータを生産することで、未来に起こる個別的な事象は、そのデータの部分集合となることを想定している。

◆タンパク質の立体構造予測

アルファ碁というAI(人工知能)プログラムが、世界最強のプロ棋士に勝ったことは、かなり昔のニュースで知っているかもしれない。しかし、アルファフォールドというタンパク質の立体構造を予測するAIプログラムのことが、日本経済新聞の記事(2022年12月23日付)になることは意外かもしれない。米メタ(旧フェイスブック)が、独自のAI技術を開発して、6億種類のタンパク質の立体構造を予測したという記事だ。アルファフォールドを開発したディープマインド・テクノロジーズは、イギリスにあるグーグル傘下の子会社で、最先端のAI技術は、英米が独占していることを印象づけた記事だ。最先端のAI技術は、最先端の科学技術でもある。グーグルとメタが、最先端のAI技術を競っている。科学技術は、企業の覇権競争の副産物に過ぎないのだろうか。画期的な新薬を開発する研究開発型の製薬企業も米国中心で、欧州企業がトップグループでがんばっていても、日本の製薬企業は周回遅れになっている。しかし、科学技術はビジネスに直結するものだけではない。基礎研究や偶然の発見が、破壊的イノベーションとなって、ひとびとの考え方や、社会の構造を変革する場合もある。数学における群論の発見、一人の天才から始まる数学全体の代数化はそのよい例だろう。

◆知的財産の商品化

数学的な発見は、高度な技術的著作物であっても、特許権では保護されない。しかし、最適化問題の新解法など、数学的な発見や発明であっても、技術思想として進歩性や実用性が認められれば、特許権が認められる例外はありうる。特に、コンピューターのソフトウェアとして実装されたAIプログラムは、特許権で保護される場合が多い。数学的な発見は、理論経済学者、宇沢弘文の社会的共通資本のような公共経済をめざすものではないけれども、独占が困難で、社会変革の原動力にもなりうるという意味で、科学技術政策として、特別の考慮が必要だろう。単純に言えば、数学的な発見や発明を理解できるようなひとびとのネットワーク、社会的関係資本、が充実して機能していることが、科学技術をビジネスとする社会的条件になっている。別の観点では、知的財産の生産と拡充(増幅)には、知的財産を単純な商品のように考えるのではなく、労働力商品とはまた別の社会的商品として、社会的関係資本の経済価値を評価する必要がある。知的財産の商品化の一般論は、表現行為の経済価値として、表現者の生活、作品の売買、表現の場の経済価値として理解しうる。知的財産権を売買する市場は未発達で、知的財産権を有する企業の買収や合併(M&A)として、知的財産権の経済価値が法律を介して評価される。表現者の生活は過小評価されて、労働者の賃金か生活保護の対象でしかない。

◆ひと、機械、場所

AI技術が実装された機械によって、ひとびとの仕事が奪われるという、ディストピアのイメージはおそらく正しい。未来への投資などと、聞こえの良いキャッチフレーズで、未来のディストピアをごまかせるはずがない。資本家と労働者の経済的格差が破壊的に大きくなった先進諸国では、労働者の勤労意欲が衰退している。日本では、おそらく別の理由で、ひきこもりが家族や社会の許容量を超えている。資本家だけでは、未来の知的財産を生産できない。知的財産を生産する表現者の生活や、表現の場が過小評価されて、もしくは政治経済的な無理解によって、病的な状況になってしまった。それでも、ひとは機械と共に生きてゆくしかない。ひとも機械も、居場所が無ければ生きてゆけない。未来への投資とは、ひとにとっても機械にとっても、安全で心地よい居場所を提供することから始まる。ディストピアを直視して、ごまかすことなく、生き延びるために、機械と共に多くの難題を解決してゆくしかない。ひきこもりや認知症と共に生きてゆく、地球環境問題や経済格差を是正して、予測可能な未来とするためのシミュレーションを繰り返すこと、それは知的自由エネルギー産業の、中小企業にしかできない仕事であることを論証してゆきたい。

『スモール・ランダムパターンズ・アー・ビューティフル』

1   はじめに; 千個の難題と、千・千・千・千(ビリオン)個の可能性

1.1 個体差すなわち個体内変動と個体間変動が交絡した状態

1.2 組織の集合知は機械学習できるのか

1.3      私たちは機械から学習できるのか(前稿、第13回)

2   データにとっての技術と自然

生物は、自然の一部でもあるので、自然と共に生きてゆくしかない。しかし人類は、技術を手に入れて、自然と対立しながら生きるようになった。機械は技術の産物で、特にAI(人工知能)技術を実装している機械は、データが機械にとっての自然であって、データと共に動作する。ひとびとと機械は、それぞれの自然と共に生きてゆく。機械にとっての自然をデータサイエンスといいたいところだけれども、現在のデータサイエンスは、金融市場などで、生活能力が問われない、特殊なひとびとのお手伝いをしている、先端技術でしかない。わたしたちは、特殊なひとびとが無視をして山積(さんせき)された大量の社会問題と共に生きているので、先端技術ではなく、みんなが使える生活に密着した技術を必要としている。それはスマホのSNS(ソーシャルネットワークシステム)かもしれないけれども、SNSも特殊なひとびとが経済的に支配していて、自然と共に生きてゆくための技術とは言いがたい。データが経済的に支配されるのではなく、データが自然の一部となって、経済活動の正確な予測ができるような社会を構想してゆこう。正確な天気予報が可能となったように、正確な市場予測や、正確な健康予測がほぼ無料で提供されるような社会では、技術も自然の一部となって、ひとびとや機械と共進化するようになるかもしれない。少なくとも、生活能力が問われない、特殊なひとびとが支配する現在の地球には、再生産が可能な未来が無いのだから、別の道を探して、見晴らしの良い地点で休息をしながら、新たな方向を見定めよう。

2.1 アートからテクノロジーヘ

人類の先史時代に、アートとしての技術からテクノロジー(技術)への進化または純化があった。アートは生活の一部として、火を管理し、道具を作って、教育にも役立っていたはずだ。さらに、直接的な役割が理解できないような、祭祀(さいし)の象徴のようなアート作品も生活の一部だったのだろう。脳や身体は、複雑な環境の中で、たくみに予測をしながら生きている。技術(テクノロジー)としても、筋肉のような運動能力を、機械として組織化するだけではなく、予測する脳機能を機械に求めるようになるのも自然な展開だ。しかし表現としてのアートは、表現の場を共有するわたしたちの未来に直接働きかけて、未来予測を実現する。もしくは、未来予測と現実との差異を直感的に理解して、能動的な修正行動を催促する。このようなアートの未来志向は、過去のデータに基づく予測以上に強力な脳機能であって、最先端のAI技術が、やっとアートに似たものを作れるようになった段階だ。すなわち、アートにはテクノロジーの全ての可能性が含まれていて、現代の生活と共に、アートも進化し続けている。

先史時代から産業革命まで、「火」をあつかう技術は、生活から乖離(かいり)して、ひとびとを支配する技術、武器として発展した。もしくは、鉄の発明によって、農業の生産性を飛躍的に向上させ、経済力で軍事力を支えた。多様な技術が、多様な文化や社会で発展していった。しかし、産業革命の蒸気機関は、軍事力においても、経済力においても、力の支配において、破壊的技術革新をもたらし、一極集中のテクノロジーの時代となった。精密な機械は、職人技を必要としていて、アートに近い。蒸気機関から始まる動力機械は、工学技術者(エンジニア)の組織によって生産・管理される。実際に動力機械を運転するのは、訓練を受けた労働者だ。テクノロジーはアートとは異なって、高度に組織化された社会を必要としている。

テクノロジーに満ち溢(あふ)れた現代は、高度に組織化された社会なのだろうか。先史時代の社会と比較すると、大企業や役所は、確かに組織化されている。しかし、家庭生活は必ずしも組織化されていないし、中小企業も組織というよりは、社員や顧客との人間関係で仕事をしている。エンジニアに限ることなく、わたしたちは組織のなかで生きることが得意ではない。エンジニアは機械の部品のようになって、高度な機械を作るけれども、管理職から経営者へ、もしくはテクノクラート(技術官僚)となるチャンスをうかがっている。エンジニアの仕事は、アーティストよりも非人間的で、生活から乖離した特殊な作業だ。エンジニアの仕事を、より人間的で、アートに近い仕事にすることは可能だろう。テクノロジーに、洗練されたデザインを融合すれば、新しい付加価値がうまれるし、エンジニアの仕事も、機械的な作業ではなくなる。テクノロジーを使う消費者の立場からも、直感的で容易に操作できる機械が望ましい。テクノロジーもアートとともに進化している。

進化したテクノロジーと共に生きる生活は、必ずしも進化した生活ではなく、退化した生活である可能性も大きい。生物の進化論においても、進化と退化は簡単には区別できない。しかし数学の理論の場合は、理論が進化することで、新しい展望が開けることが実感できる。テクノロジーの進化の場合は、経済効果によって自然淘汰(とうた)される。アートは生活に近いので、新しいアートと古典的なアートを区別できても、進化しているのか退化しているのかわからない。しかし、表現としてのアートの可能性は、テクノロジーの可能性の原動力でもある。テクノロジーは、軍事力や経済力だけではなく、印刷技術のように、文化的な影響力に破壊的な技術革新をもたらしたり、映像技術のように、表現活動の新たな可能性に直結したりする場合もある。情報技術やバイオテクノロジーのように、科学技術はテクノロジー(技術)から進化または純化した新しいトレンドなので、次章で考えてみたい。それにしても、科学技術のスタートが、E=MC2の核爆弾だったことは、わたしたちが蒸気機関のテクノロジーと同じ程度の想像力しか持ち合わせていないこと、もしくは国家組織におけるテクノクラート(技術官僚)の想像力も、先史時代のアーティスト程度としか言いようがない。最新の科学技術を考える前に、もっとたくさんアートとテクノロジーについて考えて、その新しい可能性を探検してみたい。しかし、大量の核爆弾のリスクが現実で、地球環境を破壊し続けているわたしたちには、時間が無い。科学技術の、核爆弾よりさらに新しいトレンドを、AI技術とともに概観してから、もう一度、アートとテクノロジーに戻ってみよう。進化でも退化でもなく、ぐるぐると廻(まわ)りながら、四季の移ろいのように、機械と機械にとっての自然(データ)と共に生きてゆく、新しいアートとテクノロジーを創造するために。

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『みんなで機械学習』は中小企業のビジネスに役立つデータ解析を、オープンソースの無料ソフトOrangeでみんなと学習します。技術的な内容は、「ニュース屋台村」にはコメントしないでください。「株式会社ふぇの」で、Orangeにフェノラーニングを実装する試みを開始しました(yukiharu.yamaguchi$$$phenolearning.com)。

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