「格差と貧困」という視点:「社会保障改革について」その4
『視点を磨き、視野を広げる』第35回

10月 23日 2019年 経済

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古川弘介(ふるかわ・こうすけ)

海外勤務が長く、日本を外から眺めることが多かった。帰国後、日本の社会をより深く知りたいと思い読書会を続けている。最近常勤の仕事から離れ、オープン・カレッジに通い始めた。

はじめに:本稿の狙い

厚生労働省で「社会保障と税の一体改革」(*注1)を取りまとめた香取照幸の著作『教養としての社会保障』を指針にして、3回にわたって社会保障の特徴と課題を考えてきた。要約すると――日本の社会保障は、皆保険・皆年金制度を中核に据え、「日本型企業」による雇用の安定と経済の成長に支えられて拡充されてきた。しかし、少子高齢化とデフレ・低成長といった社会・経済環境の変化によって、当初の前提条件が崩れつつある。また高齢化の急速な進展は、社会保障費の膨張をもたらし、その結果としての財政赤字の累積が皆保険・皆年金制度自体の持続性を脅かす状態に陥っている。その一方で、格差の拡大によって、従来型の社会保障制度では十分に対応できない貧困層対策や雇用の不安定化に対応したセーフティーネットの拡充が求められている。社会保障の財政面での制約が強まっているにもかかわらず、むしろ出番が増しているといっていいだろう。国際比較をすると日本の社会保障支出の対GDP(国内総生産)比率は先進国の中位にあるが、租税負担のそれは最下位に近い水準にある。現在の社会保障の水準を維持するためには応分の負担が必要であるし、それは可能である―――というものだ。

では社会保障をどのように改革すればよいのであろうか。本書の提言は下記にまとめたが、制度に精通した著者の現実的な案が並んでいる。しかし著者は、むしろそうした改革の前提となる「目指すべき社会像」を明確にしなければ社会保障制度の「取捨選択」による再構築は困難だと考えているようだ。同感である。改革には制度維持のために負担を分かち合う「共助」の精神が大切であるが、「共助」を納得性のあるものとするためには、目指すべき社会のイメージの共有が不可欠であるからだ。

本稿では、『教養としての社会保障』における著者の「目指すべき社会像」を確認したうえで、社会保障改革への具体的な提言をみていきたい。

目指すべき社会像

著者の問題意識は、日本の社会を覆っている「不安」に向けられる。年金や医療に対する不安、雇用をめぐる不安、将来の生活に対する不安である。そして、そうした不安の背景に社会・経済の大きな変化をみる。高度成長の終焉と低成長時代の到来、少子高齢化による人口構成の変化、世界的なグローバル化の潮流と終わりのない構造改革の圧力などによって日本社会は大きな転換期にあるというのが著者の現状認識である。そうした環境変化の中で、社会保障制度も改革を迫られているのであるが、転換期における改革は、目指すべき社会像を明確にすべきだとして次の四つの方向性を示している。

安心社会の基盤を作る(社会保障は「排除」から「包摂」へ

資本主義を前提にするが、「競争」より「共生」を目指す社会を作るべきだとする。新自由主義的な勝者独り占めを許さず、勝者は社会的責任を果たし、敗者は敗者復活戦に挑むことができる仕組みが機能している社会だ。また、過去の構造改革・規制緩和では、市場原理を導入することで古いルールや慣行を壊したが、新しいルールを確立できなかったために格差や貧困を生み出したという反省から、社会からの「排除」ではなく「包摂」を社会保障の役割として求めている。

持続可能な社会を作る少子化対策ではなく家族政策が必要

人口が減少する中で持続可能な社会の仕組み作りが重要である。例えば「一億総活躍」で女性や高齢者に働いてもらうことが必要になってくる。ただし、働くか働かないか、結婚するかしないか、子供を産むか産まないかは究極の個人の選択の問題であるため、少子化対策という上から目線的な政策ではなく、家族政策という視点を入れることで施策への共感を得ていくことが必要だとしている。

社会経済の変化に対応できるシステムへ自己改革する政策の優先順位付けを恐れない

財政面で制約がある中で持続可能性を追求するためには、思い切って政策の優先順位付けを行うべきだという。そして最優先されるべき課題は、社会保障の給付の現役世代へのシフトであるとする。

成長に貢献できる制度を作る社会保障の雇用創出や消費下支え効果を積極的に活用する

社会保障支出は年間120兆円を超え、GDPの2割を占める巨大産業となっている。社会保障による雇用の創出や給付による消費下支え効果を積極的にとらえて地域経済の活性化を図り、経済成長に貢献できる制度を目指すべきだとしている。

社会保障改革の提言

年金・雇用

・年金と雇用を一体とした制度設計:就労期間の延長や(退職年齢引き上げ)、年金受給開始年齢の弾力化が必要。また、所得格差が大きい高齢者の世代内所得再配分の仕組みの導入も求める。

・雇用の流動化に対応した現役世代の安定的・良質な雇用保障:ワーキングプア―対策として職業訓練、能力開発を拡充する。女性の就労継続支援として保育サービスと育児休業の一元化を図る。また、障碍者雇用や母子家庭の母親就労支援強化を挙げている。

・被用者保険の適用拡大:非正規労働者は正社員と同じ働き方になっているにもかかわらず、適用される保険制度が違うなど福利厚生に大きな差がある。こうした職場での「身分」差が階層意識を生んでいる。雇用格差をなくすためには、同一労働同一賃金と並んで、被用者保険の適用拡大が必要だと強く訴える。

・雇用調整重視から人材育成重視への政策転換:終身雇用の正社員を中心とした雇用の安定から、転職を前提とし、職業訓練や能力開発によって成長産業の労働者として働ける技能を習得する機会を提供し、有益な人材として新たな生産の現場に送り出す、といった方法での雇用・所得の保障へと転換していく必要があるとする。

医療・福祉・介護

・実体ニーズの増大を踏まえた提供体制の効率化:医療・介護の需要はサービス需要であり、かつ実体的な需要である。公的負担が大きいからと言って給付を抑制しても、公的なサービスでカバーしない範囲を増やすだけで需要そのものが減るわけではない。日本の医療・介護費用は先進国の中で決して大きくないので、増大していく医療・介護ニーズを支えられるサービス提供体制をつくるべき。そのためには、人的・物的資源の更なる投入が必須になる。

・医療介護提供体制の改革:資源に限りがあるので「選択と集中」が不可避である。具体的には、病院機能の高度化・最適化・資源の集中投入が必要だ。また、高齢社会では、治療よりも看護や介護・生活支援のニーズが大きくなっていくので、治療中心から生活支援中心へ、施設中心から在宅中心へと提供体制を改革していく。さらに、地域における医療・介護サービスのネットワーク化、地域包括ケア体制の整備(医療・介護・福祉の一体的提供)が必要だ。

・サービスを支える人的資源とインフラの整備:専門職の役割分担の見直しが必須である。

・診療報酬体系・介護報酬体系の改革:伝統的な医療機関単位・医療行為単位での報酬体系は、構造的な再構築・再構成が必要とする。

・なお、以上は中長期的な課題であるが、この他、短期的な施策として、高齢高所得者の医療費の現役並み負担や介護保険の費用負担見直しは不可避としている。

北欧モデルという選択肢

・著者は、新自由主義的な市場原理万能主義には批判的で、社会民主主義的立場に近いといえるだろう。ただし、社会保障の機能拡充のためには、ある程度の経済成長が必要だと考えており、一つの可能性として北欧モデルを紹介している。

・北欧モデルとは、充実した社会保障を維持しながら経済成長を達成することを目指す政策モデルを指す。北欧諸国は、国の政策として産業構造を知識産業に転換することを目標として、教育、労働、社会保障政策を変えたとされる。すなわち、労働力市場を弾力化する一方、雇用保障を手厚くし、失業して社会保障給付を受けている人に職業訓練を義務付ける制度を採り入れ、職業能力開発などの人的投資を行った。「積極的労働市場政策」と呼ばれる政策への転換を行ったのである。

・このように「給付から能力開発型」に重点を移した北欧の社会保障制度は、「日本にとって新たな成長モデルのヒント」になるというのが著者の考えである。その背景にあるのは、日本の社会保障の所得再分配が現役世代に薄く高齢世代に厚いので適切に機能しておらず、現役世代に重点を置いた給付システムに転換することが必要だという問題意識がある。低成長時代に求められる社会保障は、格差の拡大に歯止めをかけ、貧困や社会の分裂を防ぐことで民生の安定を図ると同時に、経済成長に貢献することが求められているという著者の思いが反映されている。

・ただし、北欧モデルはよいことばかりではないと釘を差すのも忘れない。企業競争は市場原理に委ねられ厳しい。効率性重視の非常にドライな社会であり、企業に対して保護という観点はない。競争力を失った企業は容赦なく社会から撤退させる(本書ではスウェーデン政府が自動車会社のサーブ社を救済しなかった例を挙げている)。労働者に対しても同様で、企業は原則解雇自由だ。政府は十分な失業手当を保障するが、その代り公的職業訓練を徹底して行い、再び労働市場に返す。「能力があるのに何もしないで遊んでいる」労働者はつくらない。著者は、「厳しい社会だ」として、日本が簡単に移行できるとはしていない点にも留意が必要である。

おわりに

本書は、現在の日本が直面する「格差と貧困」に立ち向かうために、社会保障の所得再分配機能の強化と社会福祉の拡充が必要だとする。少子高齢化の進展と財政赤字という制約要因を考慮しつつ、負担と給付の問題の再検討を促す。そこから導き出される社会保障改革の提言は、厚生労働省の官僚として社会保障にかかわってきた著者らしく、オーソドックスなものといえよう。

こうした著者の立場は中道・リベラルであり、財政再建を図りつつ、社会保障を時代の要請に合うように変革していこうというものである。目指すべき社会像という意味では、自由と平等のバランスを取りながらも平等を重視する社会民主主義的な福祉国家を理想としていると思われる。

こうした立場に対しては、左右両派からの批判が可能であろう。左派からは、格差や貧困の問題はもっと深刻であり、従来型社会保障モデルの手直しでは不十分だという異議がでるかもしれない。また、保守派・経済界からは、経済成長があってはじめて社会保障の充実が可能なのであり、企業負担軽減や規制緩和が不可欠だという要請があるに違いない。こうした批判を念頭に置いて、著者は北欧モデルを提示する。同モデルの、福祉国家を目指しながら経済成長も志向するという「安心と成長の両立」は魅力的に映る。しかし同時に、(左派に対しては)市場原理を導入した雇用の弾力化や、(保守派・経済界に対しては)企業の自由競争の厳しさを伴うことを説明して、北欧モデルの導入には、思い切った社会変革の覚悟がいると言い込むことを忘れない。

さて、こうしてみてくると、社会保障改革は避けては通れないことは明らかであるし、それが正論だと思う。ただし、世の中には全く別の視点からの選択肢を考える人達がいる。その代表が、ベーシックインカムである。ベーシックインカムとは、「就労や資産の有無にかかわらず、すべての個人に最低限の生活に必要な所得を無条件に給付する社会政策の構想(コトバンク)」である。本当にそんな事が可能なのか、次稿で考えてみたい。

<参考書籍>

『教養としての社会保障』香取照幸著 東洋経済新聞社(2017年)

(*注1)社会保障と税の一体改革:社会保障の充実・安定化とそのための安定財源確保と財政健全化の同時達成を目指すもの。2012(平成24)年8月に関連8法案が成立し、それに従って改革が進められている。(内閣府ホーム・ページ)

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