効果ない韓国への経済制裁 日本は振り上げた拳をどう下ろすのか
『山田厚史の地球は丸くない』第142回

7月 05日 2019年 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

日本が韓国に貿易戦争を仕掛けた、と見られても仕方がない。政府は4日から韓国に輸出する半導体などの素材3品目に厳格な輸出手続きを課した。3品目は化学品で、電子部品などハイテク機器に必要な素材である。この措置で輸出手続きに約3カ月かかり、韓国の電子産業への影響は避けられない。日韓でこじれた「徴用工問題」で日本側が発動した事実上の制裁措置だ。政治対立を貿易に絡めたことに「自由貿易に逆行する」という批判が海外からも上がっている。

◆「トランプ大統領の手法を踏襲」と米紙

米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は「安倍首相は相手国の中核産業を経済制裁するトランプ大統領の手法を踏襲した」と指摘、「日本企業は韓国で仕事を失うことになるだろう。日本は自ら墓穴を掘った」と論評した。対象となった3品目は日本メーカーが世界市場で圧倒的なシェアを持つ素材で、半導体やディスプレイの製造に欠かせないレジスト、フッ化ポリイミドとフッ化水素。いずれも半導体やディスプレイの製造に使われるフッ素系化学品だ。
今回の制裁は、インターネット上で昨年11月から取りざたされていた。夕刊フジ系のネット配信「ZAKZAK」は今年1月19日、「韓国制裁、官邸決断か……23日に日韓外相会談 半導体原材料『フッ化水素』禁輸の声も」という記事を配信。「日本はたった一つの戦略物資で韓国経済に甚大な打撃を与えることができるのだ」と指摘した。
同日付の夕刊フジに次のような記述がある。
「元徴用工をめぐり、新日鉄住金に賠償命令が出た昨年10月ごろ、韓国では日本からのフッ化水素の輸入が急に止まったような状況が生じた。実は、日本企業の輸出管理に不備が見つかり、経産省から『たまたま』指導を受け、韓国で在庫不足が生じたのが理由だったというが、ネット上では『日本政府がついに制裁を発動したぞ!』と大騒ぎになった」
ネットには、1月23日に予定された日韓外相会談で河野外相が「フッ化水素禁輸」に触れることを歓迎する書き込みが目立った。だが、そうはならなかった。制裁に踏み込めば日本にも影響が出る。米中が貿易戦争に突入する中で、日本が韓国と激突することは得策ではない、と外務省は判断した模様だ。

◆「貿易戦争には勝者はない」を翻した日本

一度は思いとどまった対韓制裁を決断した理由は三つ考えられる。
一つは対韓外交の手づまり。徴用工問題で日本は1月に政府間協議を求め、5月には仲裁委員会の設置を申し入れたが韓国は動かない。河野外相は「大阪で開かれるG20までに対応策を」と求めたが、返事はなかった。
二つ目は安倍政権の支持層に広がる「韓国を痛い目にあわせろ」という強硬論の高まり。自衛艦へのレーダー照射、国際観艦式での自衛艦旗の掲揚拒否、天皇陛下に謝罪を求めた国会議長の発言などで怒りが充満していた。
第三は参議院選挙だ。嫌韓ムードが広がる中で強い姿勢を印象付けた。再選を目指すトランプ大統領が支持層向けに過激な発言を繰り返す、あの手法を見習ったかのようだ。
「フッ化水素で韓国を追い詰める」という作戦は官邸主導で進められたという。所管は経済産業省の安全保障貿易管理課で、軍事転用の恐れのある輸出品に認可を与える窓口がここだ。フッ化水素系の化学品は経産省の管理下にある。サムスンをはじめとする韓国の半導体メーカーが日本からの輸入に頼っていることを熟知しているのが経産省である。
「経産省内閣」といわれるほど首相は経産官僚に頼っている。中心は「知恵袋」とされる今井尚哉(たかや)首相秘書官。今月まで事務次官を務めていた嶋田隆氏と同期の経産省OBで、今や官邸から経産省人事を左右する立場にある。産業政策の要である新原浩朗(にいはら・ひろあき)経済産業政策局長は、去年8月まで内閣府政策統括官として加計学園の医学部新設や働き方改革に汗をかいた。今井首相秘書官の信任が厚い官僚である。
韓国で使われているフッ化水素系素材の80%超は日本からの輸出だ。経産官僚は「生産に欠かせないフッ化水素を締め上げれば韓国は悲鳴をあげる」と考えたようだが、メーカーにとって韓国の半導体メーカーは「お客さま」だ。営業努力を重ね「買っていただいている」関係にある。巨大企業であるサムスンとの安定した取引が企業の経営を支えている。
日本のフッ化水素業界は、技術力が支えではあるが、規模の小さな「ニッチマーケット」として存在している。専門的で間口が狭い市場なので、新規参入がない。競争が激しいハイテク業界にありながら、特殊技術を生かし競争を免れる。顧客と共存共栄の平穏な関係が欠かせない。優越的地位を使って相手を困らせ、「ならば自前で生産するまで」とことを荒立てられるのだけは避けたい、という業界だ。
日本が圧倒的なシェアを維持できたのは、暗黙の国際的分業があったからだ。政治が介入し平穏なすみ分けを破壊しケンカが始まればどういうことになるか。「貿易戦争には勝者はない」と言ってきたのは日本ではなかったか。

◆政策に滲む首相の「好き・嫌い」と届かぬ助言

安倍首相は都内で3日にあった与野党7党による党首討論会で、「国と国との約束をたがえたらどうなるか、ということだ」と韓国への制裁という考えを滲(にじ)ませた。だが経済制裁で相手国の政策が変わるのだろうか。
むしろ逆効果になる恐れが強い。徴用工問題でも韓国がこだわるのは日本の支配時代の清算であり、国と国民の尊厳である。経済制裁に屈したら政権は見放されるだろう。
日本の干渉は韓国のナショナリズムを刺激し、窮地にたつ文在寅政権への求心力を強めかねない。
素材の供給がひっ迫し、韓国の半導体産業は当面厳しくなるが、それで韓国が白旗を掲げることはない。愛国主義を刺激し、厳しさに耐え、乗り越える方向へと制裁は働く。韓国は毎年1兆ウォン(約1兆1千億円)の予算を投じてフッ化水素素材の技術開発を始めるという。
厳しいのは日本も同じだ。素材メーカーの売り上げが減るだけでなく、韓国製半導体に頼る日本の電子機器メーカーに影響が出る。米中貿易戦争で中国向けの輸出が鈍化する日本の業界にとって韓国との紛争は重荷でしかない。
余波は日本だけではない。韓国の半導体産業は世界を相手にしている。自由貿易を主張し、通商問題では穏健な振る舞いをしてきた日本が、韓国に強権を発動する姿は、国際的なイメージを毀損(きそん)したのではないか。
制裁に効果が無ければ「第2弾」が用意されている、という。屈しなければ上げた拳は下せない。制裁を重ねるという泥沼に足を踏み入れる恐れがある。
一強支配が長くつづき、首相の「好き・嫌い」が政策に滲むようになった。思い通りにならない韓国へのいら立ちは分かるが、経済制裁はあまりにも稚拙である。
「こんなことをしたら日本は困ったことになりますよ」という当たり前の助言が、安倍首相に届かなかったのだろうか。

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