п»ї 官僚依存という病―日本がもう一度輝くために(2)『翌檜Xの独白』第2回 | ニュース屋台村

官僚依存という病―日本がもう一度輝くために(2)
『翌檜Xの独白』第2回

9月 27日 2013年 社会

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翌檜X(あすなろ・えっくす)

企業経営者。銀行勤務歴28年(うち欧米駐在8年)。「命を楽しむ」がモットー。趣味はテニス、音楽鑑賞、「女房」

日本国民が自己責任を自覚し主体性を回復するに当たって構造面で何よりも優先すべきは、官僚依存からの脱却です。明治維新以来、わが国は優秀で強い使命感にあふれた官僚を中心に国づくりが行われてきました。世界の列強が虎視眈々(こしたんたん)とアジア諸国の領土化をもくろむ中、圧倒的に後進的立場にあった日本を世界の列強に伍(ご)するところまで持ち上げたのは、まさしく使命感に燃えた有能な官僚によるところが大であったと思います。その後、第二次世界大戦によって灰燼(かいじん)と帰した国土を復活させ、奇跡の高度成長を演出したのも官僚を中心とした中央集権的な枠組みであったと思います。

戦後復興を可能ならしめた官僚を中心とする中央集権的な資源配分の枠組みは、どれだけ評価してもし過ぎることはないと思います。しかし、どんなに良く出来た仕組みでも時代や環境に関わらず、普遍的に妥当することはあり得ません。

◆肥大化・部分最適化した官僚機構

これはわれわれ企業経営に携わる者にとっても同じです。過去の成功体験が大きければ大きいほどそれを否定し、新しい環境に順応する仕組みへと変容するのは難しいのです。追いつき追い越せの成長期には適切であった中央集権的資源配分の仕組みは、新しい発想やイノベーションが鍵となる成熟期の経済には適合しません。そのことはもう20年以上前から明らかでしたが、今でもその構造は変わっていません。

経済成長による国家規模の増大に伴い、官僚機構は肥大化・部分最適化の道を歩みました。今や、「省益あって国益なし」という言葉が広く国民の間に膾炙(かいしゃ)しています。各省の縄張り意識は強く、国の将来を考え大義に基づいた国づくりを目指すどころか、官僚特権を享受し、OB(自ら)の就職先を広げることに汲々(きゅうきゅう)としている感すら見えます。

その結果、日本国中に天下りを目的とする何の意味もない業界団体や価値を生まない組織が無数に存在するようになりました。財政支出についても予算を取ることが自己目的化し、それが国の将来とどう関わっているのかという本義が問われなくなりました。

膨大な借金だけが増え続け、今や国家財政は破綻の危機に瀕(ひん)しています。規制改革の必要性が国民の間でコンセンサスとなり、当の官僚自身が自分たちの矛盾に気づいているにもかかわらず、この期に及んでも予算の作成過程で自省の権益確保のみに執念を燃やす姿を見ていると薄ら寒ささえ感じてしまいます。

◆責任が問われない組織は腐敗する

官僚システムの最大の難点は、責任を問われないということです。企業経営でもそうですが、大企業の企画部や人事部といった部署は、大きな権限を行使する半面、責任が問われないため、まさに官僚化しがちです。権限だけが保証され、責任が問われない組織は腐敗します。

もっと問題なのは、国民が何か事故や問題が生じるたびにそんな官僚組織に頼ることです。結果として事あるごとに官僚組織が肥大化し、国民はさらに官僚組織への依存を高めるという循環が何の疑問もなしに働くことです。われわれ自身が、自己責任の意識をしっかりと持ち、自ら結果責任を負う勇気を持ってこの悪循環を断たない限り、官僚組織はさらに肥大化し、資源配分は歪み、この国の競争力はさらに減衰していくことになるでしょう。

この悪循環を断つためには、われわれが日々起こっている事象に関心を持ち、今の社会のありさまは、誰かが作ったわけでも偶然の所産でもなく、われわれ自身の選択の結果であることをしっかりと認識し、われわれ自身のあり方、意識を変える必要があります。

◆「痛み」の感じ方が違う消費税と所得税

われわれの政治意識が高まらない仕掛けの一つに納税のシステムがあります。

国家予算にはその国の将来形成のための思いが体現されていなければなりません。それでは、予算の構成やわれわれの納める税金の使われ方に真剣な関心を持ち、それをチェックしている人がどれほどいるでしょうか? なぜ人は税金の使われ方にさほどの関心を持たないのでしょうか? 原因はいくつも考えられますが、主な原因の一つは、多くの人が税金の痛みをあまり感じていないことにあると思えます。

今消費税が話題に上っていますが、3%上げることに関して世論が二分するくらい騒がれています。マスコミもここぞとばかりにはやし立てます。その一方で、所得税などについては富裕層の上限を上げることだけが議論され、ほとんど世の関心を引きません。当たり前のことですが、普通の人にとって消費税などよりも所得税のほうが圧倒的に大きいはずです。

では、なぜたくさん払っている税金が問題にならないのでしょうか? そしてその使われ方に関心が向かわないのでしょうか? それは、「痛み」の感じ方の差ではないかと思っています。

消費税は非常に分かりやすく、日々の生活の中で負担増の痛みをビビッドに感じることが出来ます。一方、所得税は、源泉徴収制度があるため「痛み」を感じにくくなっています。

多くの人にとって、給料とは税引き後の手取り金額と認識されています。つまり、手取りに至るまでの控除は勝手に計算されるため、関心の外に置かれてしまうのです。自分で税額を計算しないため、どれだけ税金を払っているのかとの実感(痛み)がわかないのです。

私自身、確定申告をするようになって税金の使われ方には大きな関心を持つようになりました。「源泉徴収を止めろ」と言うと、官僚からは徴税コストの議論が出てきます。それならば、少なくとも年末調整(確定申告)を各自が自分でやるようにすればどうでしょうか? それだけでも「痛み」を通して税金や国家予算に対する関心は確実に高まると思います。また、単に予算だけではなく、税体系全般へもその関心は広がるでしょう。余り議論になっていませんが、税体系こそが一国の資源配分の要(かなめ)で、その国がどんな国を目指しているのかという思想が現れているのです。

◆キーワードは「open & flexible」

今や全く機能しなくなった中央の官僚主導の資源配分から脱却し、これからの時代に順応していくためのキーワードは、「open & flexible」だと思います。古いモデルに依存するのではなく、自立した個人が中心となる運営形態に変えていくためにはどうすればいいのか? 次回はそうした点について考えてみたいと思います。

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