п»ї 第1次世界大戦開戦100年『タマリンのパリとはずがたり』第4回 | ニュース屋台村

第1次世界大戦開戦100年
『タマリンのパリとはずがたり』第4回

5月 23日 2014年 文化

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玉木林太郎(たまき・りんたろう)

経済協力開発機構(OECD)事務次長。35年余りの公務員生活の後、3度目のパリ暮らしを楽しむ。一万数千枚のクラシックCDに囲まれ、毎夜安ワインを鑑賞するシニア・ワイン・アドバイザー。

◆左手だけのピアニスト

今年は第1次世界大戦開戦100年なので、たくさんの本や写真集がパリの本屋の店先を飾っている。第1次大戦は、欧州にとって想像を絶する災禍であった。

犠牲者の総数が3700万人と言ってもイメージが湧かないが、開戦時に20歳から32歳であったフランスの男性の半数が終戦までに死亡したと聞けば、第1次大戦犠牲者追悼のモニュメントがフランス中至る所に見られるのも当然のことだと納得する。

直接の戦場にならなかった英国も、従軍した兵士の死亡率は12%、1913年のオックスフォード大学卒業生の31%が戦没した。さらに多くの戦傷者がいたわけだが、そのうちの一人がポーランド戦線で負傷し右腕を切断しなければならなかったオーストリアのピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタイン(有名な哲学者ルートヴィヒの兄)だ。

パウルは戦後左手だけのピアニストとして演奏活動を行い、左手のための作品を委嘱した。おかげで今でもラヴェルやプロコフィエフそしてコルンゴルドによる『左手のためのピアノ協奏曲』というユニークな作品群を楽しむことができる(病気で右手が使えなくなるピアニストは我が舘野泉やレオン・フライシャーなどかなりの例があり、左手だけの演奏を聴く機会は意外に多い)。ちなみに日本の犠牲者は軍人のみ415人である。

第1次大戦の歴史をひもとけば興味は尽きない。1914年夏のサラエボの事件が欧州各国を「夢遊病者のように」連鎖的参戦に導き、独・墺・土・露の四帝国を崩壊させる不可思議な過程、金本位制崩壊後の金融政策、タンクや毒ガスなどの新兵器、戦時下の市民生活など、山をなす書籍を前に舌なめずりしてしまうが、戦後の世界を規定したパリ講和会議の駆け引きも驚く話がいっぱいである。

ヴェルサイユ条約が戦後ドイツに過酷な賠償を課し、それによる経済的困難がナチス台頭の背景の一つとして語られるが、会議でドイツに巨額の賠償を要求した急先鋒は、実は最大の被害を受けたフランスではなく英国だった。

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