п»ї 100本の橋を走って、渡って、考えて 『ジャーナリスティックなやさしい未来』第101回 | ニュース屋台村

100本の橋を走って、渡って、考えて
『ジャーナリスティックなやさしい未来』第101回

2月 15日 2017年 社会

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引地達也(ひきち・たつや)

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コミュニケーション基礎研究会代表。就労移行支援事業所シャロームネットワーク統括。ケアメディア推進プロジェクト代表。毎日新聞記者、ドイツ留学後、共同通信社記者、外信部、ソウル特派員など。退社後、経営コンサルタント、外務省の公益法人理事兼事務局長など経て現職。東日本大震災直後から「小さな避難所と集落をまわるボランティア」を展開。

◆10キロの日課

基本的に毎朝10キロのランニングを日課にしている私は昨年、目標を設定した。それはランニングの中で100本の橋を渡ること、そして居住する東京都江戸川区の橋の全てを渡ること、である。

走り続けること自体は、体と心の健康を保つのに有効であるだけではなく、悩みを抱える方々との関わり合いを仕事とする身としては、ストレスとの付き合い方や、ストレス解消の仕方を知っておく必要があり、ランニングを中心にしたフィジカル面でのアプローチと、ストレスの原因となっている脳内神経伝達物資セロトニンの不活性化への対応などは身を持って知っておくべきで、やはり欠かせない朝のセレモニーである。

従って、走ることは他者にとっても有益であると考えつつも、橋を渡ることは、完全なる自己満足である。

◆「はし」の機能

そうは言っても、ここに書いているのは、そこに面白い発見があるからで、まずはうんちくから。「橋」という言葉そのものは「端」という、物事の隅っこ、終わりから派生している。かつては「間」と書いて「はし」と呼んでいたから、その端を結ぶ意味であろう。

はしという音で考えれば、橋や端のほか、箸、嘴、梯などがある。食べ物をはさむ箸も、間を結ぶものとしての機能があるし、嘴は鳥の先端で食べ物をついばむ機能があり、梯は上下を結ぶ役割を果たす。つまり、それは「結ぶ」ということとなる。

さらに、大和言葉の音から考察すると、「は」は、花、鼻、晴れる、春、張り手などの言葉からもわかるように、出るもの、広がっていくイメージであり、「し」は「水」の意味とされ、したたる、湿る、占める、締めることとなり、まとめるイメージとなっていく。

つまり、「はし」がつながりを示していることが分かる。橋がつながりの象徴だとすれば、つながり、を仕事のテーマにしている自分にとって橋渡りは必然的なイベントだったのかもしれない。

◆「超えていく」面白さ

ただ実際に、この橋渡りは面白い。A地点からB地点まで行くにあたり、その間に何らかの障壁があって行けない環境を、人間の叡智(えいち)によって行ける環境にすることは、私たちが生きるにおいて、何かに助けられているという考えにもつながってくる。

私たちは「橋を渡る」と言うし、橋の下にあるのはほとんどが川であり、「橋で川を越えていく」とも言う。渡る、越える。こんな前向きな言葉に心も踊るから、ランニングのモチベーションも高まる。出張や旅先でも、事前にどこに橋があって、どんな橋を渡るかを考えると、本来の出張の仕事や滞在目的を忘れてしまうほど、ウキウキした気分になる。

「100の橋を渡る」

それだけなのに、自分が豊かな経験をしていると実感できるから、うれしい気分は連鎖して、楽しくなってくるのである。

100本の橋のうち、私の調べでは、江戸川区の橋は54を占めた。区の名前が示すように江戸川区は川が多い。南北を貫く川としては、西側の江東区との間に並行して流れる荒川と中川、区の真ん中に新中川、西側の千葉県との境には旧江戸川。新川や新左近川など、その間を用水路として造ったものもある。

橋の形も様々で斬新なデザインで最近出来上がった吊り橋もあれば、旧来のサイズで車が1台しか通れないようなものもある。江戸川区以外でも、都市に架かる橋やリゾート地、海や山などの各種の橋を渡ってきたが、すべて表情が違うし、何よりも自分の足で走るという行為の中で、その新しい橋と出会い、一歩を踏み入れ、結ばれたその狭間を駆けていくという感慨は、素敵な自己満足だと思っている。そんな快感を味わいに、今年も遠征先では積極的に橋を渡っていこうと考えている。

そして、ふと気がつけば、このコラムは100を超えていた。本号で101号。ここまで読んでいただき、心から感謝いたします。

※『ジャーナリスティックなやさしい未来』関連記事は以下の通り
第32回 受賞ならずとも、走り続けることについて(2014年12月12日)
https://www.newsyataimura.com/?p=3483

■精神科ポータルサイト「サイキュレ」コラム
http://psycure.jp/column/8/
■ケアメディア推進プロジェクト
http://www.caremedia.link
■引地達也のブログ
http://plaza.rakuten.co.jp/kesennumasen/

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