顧客を借金地獄に落とした変額保険
三菱UFJはなぜ取材を拒否するのか
『山田厚史の地球は丸くない』第314回

5月 29日 2026年 社会, 経済

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山田厚史(やまだ・あつし)

ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。「ニュース屋台村」編集主幹。

日刊ゲンダイ(5月26日付)に「いまだ残る変額保険の火種」というタイトルで以下のような記事を書いた。

◆日刊ゲンダイに書いた記事

メガバンクが史上空前の好決算に沸いている。とりわけ三菱UFJ銀行は純利益が2兆円を突破、3年連続の最高益を更新中だ。その陰で銀行の過酷な資金回収に泣く人が後を絶たない。

都内に住む板橋常夫さん(仮名、79歳)は、自宅を追われようとしている。35年前、三菱銀行から借りた1億3300万円が、いまや2億5000万円に膨れ上がった。返済を迫る銀行側は、問答無用で居住中の自宅を競売に掛けた。すでに入札が始まり、開札は6月3日。執行されれば板橋さん一家はホームレスになる。

「変額保険が危ないものだという説明はなく『相続税対策になる』と強引に勧めておきながら、返済が滞れば身包みを剥(は)ぐ。あまりにも酷(ひど)い仕打ちです」と板橋さんは憤る。

変額保険はバブル末期、銀行が生保会社とアイアップして売りまくった。形は生命保険だが中身は株式など運用する投資信託と同じだ。銀行融資の金利だけ払っていれが、借金の元本が節税対策になる、という触れ込みで三菱銀行は大きく融資を伸ばした。

板橋さんは1990年12月、三菱銀行から1億3300万円の融資を受け、同額の変額保険を買った。同時に「三菱マイカードビッグ」というカードローンに加入させられた。毎月、融資の利息はこのカードで支払う。銀行の説明では、支払利息より保険の配当は多額だから安心して、ということだった。

それは嘘(うそ)だった。株価の下落で保険の配当はほどなく途絶える。月40万円ほどの返済利息をカードで払えば融資残高は複利で増殖し、借金地獄が始まった。

カードローンの危うさに気づいた板橋さんは、自前の返済に切り替えた。病院の勤務医だったが開業医の応援診療を増やした。常勤以外に月40万円のアルバイトは重く、ストレスと過労で「うつ病」を発症した。

板橋さんは、信用保証会社に保証料(年25万円)を払い続けていた。返済不能になっても保証料を払っていたら、代わりに返済してくれる(代位弁済)、という話を銀行から聞かされていた。ところが「代位弁済」の恩恵を受けるのは板橋さんではなく銀行だった。

回収は困難と見た三菱銀行は、担保の自宅を系列のダイヤモンド信用保証会社に引き取らせ、融資を回収した。板橋さんの借金は消えず、ダイヤモンド信用保証が新たな債権者となり、返済を迫る。保証会社は、系列のエムユーフロンティア債権回収会社に委ね、行き着いた先が、自宅の強制競売である。

「貸したカネは返せ」と銀行はいう。返せない責任は顧客だけにあるのだろうか。必要もない融資を勧められ借金地獄に落ち、心身とも消耗(しょうもう)した顧客は、板橋さんだけではないだろう。

バブルにまみれた過剰融資が夥(おびただ)しい銀行被害者が発生させ社会問題になり、その反省から金融庁は、銀行に「顧客への説明責任」を求めるようになった。監督指針では「顧客との取引関係の見直しを行う時」は「顧客の理解と納得を得ること」と定めている。現実はどうか。

居住中の自宅を系列会社に引き取らせ、顧客の了解もないまま競売にかける。銀行は、すでに回収を終え、汚れ仕事は系列会社がやる。金融界の頂点に立つ銀行のやることだろうか。金融庁の責任も問われている。――(以上、引用終わり)

(※この記事は、日刊ゲンダイデジタルでも読むことができます)

◆広報の対応は「ノーコメント」

掲載に当たり、三菱UFJ銀行と何度かやり取りをした。

「記事にするときは『立場が違う人から』も出来る限りの取材する」というのは記者のイロハである。そこで三菱UFJ銀行に取材を申し入れた。

記事は板橋さんの証言をもとに書いたが、事実関係に間違いはないか、銀行としての言い分があれば聞かせてほしい、と尋ねた。

窓口となった広報の対応は「ノーコメント。取材に応ずることはできない」。

理由を尋ねると「個別案件について明らかにすることはできない」という返事だった。予想された回答である。

「個別案件がダメなら、融資回収についての基本方針を聞きたい」と申し入れたが「この件については意見を差し控える」。取材対応はしない、という断固たる「拒否」だった。

私が金融記者クラブに所属する現役の記者だった時、こんな対応をする銀行はなかった。「個別案件については言えない」という原則はあっても「一般論としては」という枕詞(まくらことば)を添えて中身を語ったり、「社会的な関心事になっているので」などと称したりして、銀行の言い分を語る、というのが取材現場の日常だった。

銀行の仕事は、全て「個別案件」で、その積み上げが「銀行としての営業」になる。銀行は企業の財務や資金繰りを応援している。融資方針ひとつで企業をはじめとする顧客の運命を左右する力がある。だからこそ、その力の行使には社会的責任が伴う。

「銀行にも言い分はあるでしょう。両方の意見を聞いて記事にするのが我々の仕事です。お答えいただけなければ、先方が指摘された事実関係に沿った記事になりますが、それでいいのでしょうか?」

念を押した。返答はなかった。代わりに質問された。

「山田さん、これを記事にされるのですか?」

「もちろんそのつもりで取材をお願いしているのですが」と答えると、「どちらの媒体にお書きになるのですしょうか」と聞いてきた。

今はフリージャーナリストなので、取材に応じた相手が「どこに載るの?」と聞くのは分かる。だが、取材を拒否しておいて「どこに書くのか」はないだろう。

どこに書くか分かれば、そちらの方に手を回す、というのかもしれない。

銀行に限らず、有力企業の広報は、雑誌やテレビだけでなく新聞にも影響力がある。金融、自動車などの業界で取材した当方には、さまざまな苦い経験がある。

◆金融長官あての申し立て

記事のきっかけになったのは5月13日、金融庁長官に提出された「株式会社三菱UFJ銀行およびダイヤモンド信用保証株式会社らに対する権限発動を求める申し立て」である。

三菱UFJ銀行が系列会社を通じ、金融庁の指導を踏み外した強引な債権回収を行っている。その事実がA4版で9枚にわたって綴(つづ)られている。

融資一体型変額保険による被害状況とその問題性も述べられており、監督官庁である金融庁は法令に従い、自宅の競売を取り下げるよう指導してほしい、という訴えだ。

申し立て人は都内に住むWさん(上記の記事には板橋さんという仮名で登場)。

融資一体型変額保険の被害は、今の国会でも取り上られている。4月2日から4日にかけて参議院金融財政委員会で、れいわ新選組の大島九州男議員が取り上げた。

片山さつき金融担当相は「自宅の強制処分は日常生活が営めなくなる。困窮する。こういうことがないように指導監督していくべきだと思っております」と答弁している。

同委員会に所属する上田清司議員は、埼玉県知事になる前、衆議院議員として金融機関の反社会的な営業を国会で問題にしてきた。参議院議員として再び国会に戻り、金融問題に取り組んでいる。Wさんの申し立てについて、次のように語った。

「三菱UFJ銀行による融資一体型の変額保険は、『融資の2大鉄則』を大きく踏み外している。融資は、正当な使途の確認、債務者の支払い能力の範囲内、というのが大原則だ。相続税対策と称してリスクの高い保険を買わせ、金利をカードローンで払わせて借金漬けなど、大銀行がやることではない」。

更に「平成5(1993)年に金融庁が定めた監督指針にも違反している。しかも変額保険被害が嘗(かつ)ての三菱銀行に多発していることも重大だ。6月の財政金融委員会で取り上げ、三菱UFJの頭取を参考人として呼ぶことも考えたい」。

頭取が国会に呼ばれるのはバブル崩壊後しばしばあった。提案型融資と称して顧客に多額の損害を与えたことは社会問題になった。頭取たちは、乱脈融資の責任者として責任を追及された。

◆「富裕層戦略」で成功した三菱

三菱銀行に「変額保険被害」が集中的に起きていることにはワケがある。融資一体型の変額保険は、三菱の「頭取案件」だった。

私は1985年から92年まで金融担当記者だった。バブルが沸き立ち、破裂する金融界を取材した。

当時、主要銀行は三菱や住友など都市銀行、興銀をはじめとする長期信用銀行、そして信託銀行、外国為替専門銀行など合わせて計21銀行がひしめいていた。

その中で三菱銀行は、「バブル融資から距離をおいた銀行」と一目置かれていた。「衆人皆酔いて、我ひとり醒(さ)めたり」ではないが、無軌道な融資競争を戒め、どちらかと言えば、金融の本道を歩もうとしていた。

その中心にいたのが、伊夫伎一雄(いぶき・かずお、1920〜2009年)という頭取だった。銀行員のモラルや社会的責任を大事にする人だった。86年から90年まで頭取を務めた。

当時、関西の住友銀行が首都圏に攻勢をかけ、迎え撃つ富士銀行との間で壮烈な融資合戦を繰り広げていた。長く続く金融緩和が過剰融資を後押しし、金融界は狂ったようにカネをまき散らしていた。

「金融の大原則」を大事にする伊夫伎のもとで三菱銀行は「抑制的は姿勢」で、その結果、融資競争から脱落し「融資残高業界5位」へと転落した。

「このままでは伊夫伎頭取の経歴に泥を塗る」「きれいごとを言っている場合ではない」という声が上層部で湧き上がり、「首位奪還」へと舵(かじ)を切った。

本格的に方針を変えたのは伊夫伎が金融界のトップ・全国銀行協会の会長(88年6月~89年6月)を退いた後の1990年である。

すでに過剰融資が社会問題になり、大蔵省は銀行融資に「総量規制」や不動産業など「3業種貸し出し規制」を始めていた。出遅れた三菱が力を入れたのが「規制の対象外」となっていた個人向け融資だった。

その頃すでにバブルは弾け、株価は下落に向かっていた。エコノミストを抱える銀行は、先行きの危うさに気づいていたはずだ。

そこで、自宅を担保に抑える万全の対策をとった。(住友などは自宅を担保にせず、買った保険を担保にした、その結果、被害はほとんど出なかった)

更に、返済資金まで貸し込んで、返しようもない巨額の融資を押し込んだ。銀行は、貸し出しを増やし、業績を伸ばし、リスクはすべてお客に押し付けた。

「個人融資拡大」の旗を振ったのは、常務だった三木繁光。伊夫伎直系で頭取候補とされていた。三木は取締役融資部長のころから富裕層への提案型融資を重視していた。その延長に変額保険があった。融資を挽回(ばんかい)し、会長となった伊夫伎の晩年に花を添えた。

総力を挙げた「富裕層戦略」で三菱は「融資額首位」に駆け上がり、三木は頭取の座を射止めた。

◆銀行による「セカンドレイプ」

筆者は1988年から3年間、ロンドンから「日本の加熱ぶり」を見ていた。91年に帰国して再び金融取材に戻ったが、景色は変わっていた。バブルは崩壊し、放漫融資が生んだ悲劇、不良債権を抱えた銀行の迷走、果ては大手銀行がバタバタ潰れ、経営破綻(はたん)と合併再編へと進んだ。

三菱の「富裕層戦略」は、銀行にとって優良なお客様だった人たちに大損害を与えた。問題は、そんな「銀行被害者」への対応である。

バブル崩壊で問題が噴出したころ、頭取たちは国会などで「反省の弁」を繰り返した。だが、時が経つと「のど元すぎて熱さ忘れる」である。「貸したカネは返せ」と顧客に迫る。

バブルから30年余が経ち、現場には当時を知る行員はほとんどいなくなった。債権回収を進めることが支店の業績となり、融資の経緯や銀行の落ち度などに目配りする「面倒なこと」は、誰もしたがらない。

取材に対応できないのは、正当化する理屈が見当たらないからだろう。下手なことを言ったら、昔の不祥事が蒸し返される。「ノーコメント」を貫き、逃げ切ろう、という態度がありありだ。

そんな中でWさんのような「見ぐるみを剥ぐ債権回収」が平然と行われる。もともとは「頭取たちの事情」で推進された、とんでもない融資から始まった悲劇である。

借金地獄に突き落とされた「銀行被害者」は、人生の末期に自宅まで取られ、路頭に迷う。銀行による「セカンドレイプ」ではないのか。(文中一部敬称略)

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