アルゼンチンから学ぶ“円安地獄”の恐ろしさ
ヘッジファンドの餌食になる日本
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第327回

9月 25日 2026年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

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バンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住27年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

◆「遠くて近い国」

今年の夏休みは息子家族が住むアルゼンチンへ行ってきた。初めてのアルゼンチンである。タイからはアムステルダムで飛行機を乗り継ぎ、飛行時間だけで25時間かかる。

アルゼンチンは私にとって「遠くて近い国」である。1982年に米国から戻った私は、東海銀行国際部米州室に配属となった。南北アメリカとの取引を推進する部署である。その配属日当日の2月14日にメキシコの債務危機が発生した。メキシコが世界各国から借りた資金の「返済停止」を宣言したのである。その後ブラジル、アルゼンチンなど中南米諸国は次々に債務不履行を宣言し、私はアルゼンチンなどの中南米債権の回収作業に忙殺されることになる。

80年代初頭はまだ世界経済が分断されており、日本は米ドルの調達もままならなかった。そのため東海銀行など都市銀行の国際業務の中心は、米国・欧州の有力銀行とのパイプを深めてドルの調達を増やすことにあった。一方、余ったドル資金は中南米などの開発途上国の銀行に貸し出し、運用利益を狙った。前述のとおり、東海銀行もメキシコやアルゼンチンの銀行に少なからぬ金額を融資していた。そのアルゼンチン銀行向けの貸出金が回収不能となり、その後数年にわたり、私は国際銀行団を通してアルゼンチンと交渉することになる。当時はインターネットもなく、世界の情勢は新聞などでもほとんど入手できない。ましてやアルゼンチンは地球の裏側に存在する国である。日本語や英語の経済情報誌を読みあさって、なんとかアルゼンチンの置かれた状況を推測した。

当時の経済情報誌には――

①債務危機以降アルゼンチンは猛烈なインフレに襲われ、国民生活は困窮を極めた

②具体的には1983年340%、 84年 636% 、89年3000%という驚異的なインフレ率となり、毎日商品の値札が貼り替えられた

③国民は猛烈なインフレにより物が買えなくなり、街中には浮浪者が増加。商品の略奪が日常化した

④給与所得者はインフレによる貨幣価値の下落防衛のため、給与を直ちに使い切って商品を購入。また国外に資産を移し替えた

⑤闇市場で米ドルが取引され、いよいよアルゼンチン・ペソの信用が落ちた

――などの記事が掲載されていた。

こうしたアルゼンチンの経済混乱はその後10年ほど続くことになる。残念ながら東海銀行がアルゼンチンに貸していたお金はほとんど返ってこなかった。こうした苦い経験から「アルゼンチンは約束を守らないとんでもない国である」というイメージが私の中にこびりついていた。当然のことながら、それだけの経済混乱を起こしたのだから「アルゼンチンは未開で貧しい国だ」と勝手に思い込んでいた。

◆「未開で貧しい国」ではなかった

ところが、今回訪問して、私の持っていたアルゼンチンに対するイメージは大きく変わった。

スペイン植民地時代に建てられたヨーロッパ風の古い教会や市庁舎などの建物がいたるところに残っており、街中は荘厳な雰囲気である。観光ガイドを見ると、首都ブエノスアイレスは「中南米のパリ」と称されるほどの趣を持った街である。国民の大半はヨーロッパからの移民で、イタリア系36%、スペイン系30%、ドイツ系20%と完全なる白人国家だ。

食べ物も豊かである。「アルゼンチンの牛肉は世界一おいしい」と言われているそうだが、私は今回このおいしい牛肉を毎日堪能した。肉牛は草原に放たれ、牧草地の草だけを食べ育つ。脂肪が少なく引き締まったアルゼンチン牛は、毎日食べても飽きない。

牛肉と合わせるワインも極上である。アルゼンチン特産のマルベック品種のワインは、産地と作り方によってその味が変幻自在に変わる。フルボディからライトボディまで、料理によって何でもありだ。産出量こそ世界のトップクラスであったが、長らくアルゼンチンのワインの品質は二級であったようだ。それがこの20年で世界に誇れるワインに変貌(へんぼう)した。

前菜から始まってフルコースで食べるアルゼンチンの料理は、極上のワインと相まって西洋料理に勝るとも劣らない。またそうした料理を提供する立派なレストランが、ブエノスアイレスやメンドーサ(ブエノスアイレスから西へ約1000キロ。アンデス山脈のふもとに位置する都市)の街中にはたくさん存在する。

アルゼンチンは決して「未開で貧しい国」ではなさそうである。

◆アルゼンチンの「不都合な真実」

しかし「アルゼンチンはまだまだ問題を抱えている」と思わせることもいくつかあった。私が滞在したブエノスアイレスのサービスアパートは、米国の銀行にドル建てで宿泊代を支払う仕組みになっていた。また日系人のトラベル会社に現地観光を依頼したが、代金の支払い先は日本の銀行口座であった。

このほかワインや高級食材の値段は米ドル建てで表示され、当日の換算レートを使ってペソで払う。ペソ建てで金額を固定しないのは、ペソの為替レートが毎日のように下落するからである。実際に現地の日系企業関係者から話を聞くと「アルゼンチンではいくら業績を拡大しても、通貨の変動が激しくドル建てでは赤字になってしまう。本社からはアルゼンチンの法人はお荷物扱いされている」という。

通貨安や高率なインフレを抱えた国家経済では、継続的な事業活動は困難を極めるのであろう。「長らく続いたペロン党のばらまき政策によって国家財政は恒常的に破綻(はたん)。そのためアルゼンチン・ペソは下落を続け、それに伴う極端なインフレで一般大衆の生活は困窮。その一般大衆の不満を解消するために、さらにペロン党政権はバラマキ政策を推進してきた。ところがペロン党の支持基盤である30%の富裕層は、不動産や鉱物資源に投資。また国外に資産を持ち出すことでさらに裕福になっていく」。在アルゼンチン日本大使館やジェトロの関係者からこうしたアルゼンチンの「不都合な真実」を聞いた。

◆ペロン党政権下のばらまき政策

アルゼンチンが1982年に債務不履行を起こしたのは、1970年代にばらまき政策を推進し国家経済を破綻させたペロン党の経済失策に起因する。ファン・ペロン大統領(1946~55年、73~74年)とその妻のイザベル・ペロン大統領(74~76年)は社会主義を標榜(ひょうぼう)し、国民に金をばらまき続けた。

しかしその一方で、政府債務は急膨張。1980年に入ると米国の金利が20%に急上昇。アルゼンチンは多額の対外債務を抱えていたため、金利支払いさえできなくなり82年に債務不履行に追い込まれたのである。その後、同国は10年間にわたりハイパーインフレに襲われ、一般国民は「食うや食わずの生活」に苦しむ。92年にブレディ債券方式で債務再編を行ったが、慢性的な財政赤字や構造問題が解決されず、2001年に再度デフォルトを起こす。

その後23年12月のハビエル・ミレイ大統領の誕生まで、引き続きペロン党政権は対外的には輸出税の設定や外資規制の導入、国内的にはばらまき政策を続行。このため15年から再度アルゼンチンのインフレ率は急上昇を始め、19年53%、23年133%、24年には219%と国民生活を圧迫した。

経済学者で自由主義者のミレイはばらまき政策を続けたペロン党勢力を「特権階級」と批判。大統領に就任すると、緊縮財政・省庁大幅削減・公務員削減・民営化・規制緩和などを次々に推進。徹底した歳出削減により16年ぶりに財政黒字化を達成するとともに、インフレ率も25年31.5%と抑え込みつつある。急激な政策変更により国民の間では軋轢(あつれき)も生まれていると聞く。

ミレイの経済政策を評価するのはまだ早いかもしれない。しかし、ばらまき政策をやめて緊縮財政政策をとったことにより、アルゼンチンがハイパーインフレを抑え込んだのは事実である。

◆政府債務残高が断トツに高い日本

翻って日本。「債務不履行やハイパーインフレを起こす前のアルゼンチン」に状況が酷似していると思うのは私だけであろうか? 米国のベッセント財務長官が現在、高市ニッポンに対して強硬に「金利に引き上げと野放図なばらまき政策の廃止」を迫っているのは報道のとおりである。

他国の政府首脳が日本の政策にモノ申すこと自体は、日本の独立性の危機である。しかしベッセントは「日本の置かれた状況が危機的である」と確信しているに違いない。ジョージ・ソロスの下で「通貨のデストロイヤー(破壊者)」として英国中銀やタイ中銀などに対して通貨戦争を仕掛け、大儲(もう)けしたベッセント。アベノミクスによる円安誘導下でも、直物で円を売り先物で安く円を買う「円ショート」で2013年には数十億ドルの利益を上げたとされる。

当然ヘッジファンドの手法は熟知しており、現在も彼らとコンタクトがあるに違いない。そのヘッジファンドが日本を狙っているのである。ベッセントが警鐘を鳴らさなければいけないほど日本の状況は追い詰められているのである。

まず、下表1を見ていただきたい。

表1.世界主要国の名目GDP、政府債務残高などの推移

出所:IMF資料などによりバンコック銀行作成

 最初に気づくことはGDP(国内総生産)対比日本の政府債務残高比率が236.7%と他国対比突出して高いことである。26年6月時点では日本国の借金は1346兆円となっており、世界主要国の中では政府債務残高が断トツに高い国になっている。IMF(国際通貨基金)をはじめとする国際機関が日本政府に対して何度も警鐘を鳴らしてきたにもかかわらず、改善するどころかより事態はより深刻化しているのは、表で見るとおりである。26年6月時点では、国民1人当たりで割り戻した国の借金は1000万円以上となっている。世界中の投資家は日本のこうした弱みを知っている。

他国との比較でみると、日本の財政支出増加額はそれほど大きくない。それでもドル建てで41%も増加している。ここで深刻なのは、24年にわたる財政支出が全く名目GDPの成長に寄与しなかったことである。逆に名目GDPは19%も減少している。すなわち政府が使った財政支出は全くのムダ金であったということだ。理論的に考えても、財政支出の増加分が単純に消費に回っても、その分GDPが増加するはずである。国家の財政資金が関係者の利権として配分され、貯蓄もしくは海外流出したとしか考えられない。

◆日本の衰退は今や世界の常識

タイの知識人やマスコミの間では最近「ジャパタイズ(Japatize)」「ジャパニフィケイション(Japanification)」という言葉を使われることがある。「経済停滞」や「デフレ下でのマイナス成長」を揶揄(やゆ)する言葉である。日本人はあまり気づいていないかもしれないが、日本の衰退は今や世界の常識となっている。そして衰退する国はヘッジファンドの餌食となる。これは歴史の教訓である。

いまや世界中のヘッジファンドは、日本を虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。日本の株式市場の約7割の取引は外国投資家によって行われている。ヘッジファンドなどの外国投資家は日本の株式市場の弱みを突いて、莫大(ばくだい)な利益を上げている。ヘッジファンドは高速コンピューターを使い、市場のゆがみを突いて利益を上げる。株式市場においても直物・先物で売り買いを行い、株価を操作する。一方、日本の投資信託などは預かり資産の運用方針を明示している。こうした明示された運用方針の虚を突きながら、ヘッジファンドは損失を日本の投資家や株式上場企業に付け回す。

円・ドルなどの外国為替相場も似たよう状況である。円・ドル取引でも市場規模の8割は海外で取引される。すなわちヘッジファンドなどの外国人投資家が、市場を支配しているのである。こちらも日本側は情報を開示して不公正な競争にさらされている。

まず日本の大企業である。業績予想において「想定為替レート」を公表しており、通貨への投資行動が容易に想像ついてしまうのである。さらに問題なのは、アベノミクスによって積み上げられてきた「日本銀行(日銀)の脆弱(ぜいじゃく)性」である。26年3月期の日銀決算を見ると、日銀は530兆円にも上る低金利の中期国債(残存期間10年未満)を保有している。国内金利の上昇によりこの国債の評価損が45兆円に上っている。この時の金利が2.345%であったが、現在は3%を上下する水準となっており、国債の評価損はもっと膨らんでいる。

一方で国内株式を中心としたETF(上場投資信託)投資の含み益が57兆円あったため、バランスシート上の実質債務超過状態は避けられた。しかしもっと深刻なのは、単年度決算における経常利益である。26年3月期の日銀の経常収入4.8兆円、経常支出が2. 8兆円で経常利益は2兆円となっている。しかし経常収入のうち2. 1兆円はETFからの分配金である。

すなわち日銀の収益が成り立っているのは日本の株式市場次第なのである。さらに問題なのは530兆円まで積みあがってしまった利益をもたらさない日本国債である。この日本国債の調達源として、日銀は国内銀行から430兆円の当座預金を保有する。もし日銀が基準金利を1%引き上げれば、日銀は保有する当座預金430兆円に追加金利1%を支払うことになり、単純計算で4. 3兆円の支出増加である。

こうなれば日銀はたちまち赤字に転落する。日銀の現在の収益構造を考えれば23年3月期から0.5%程度しか基準金利の引き上げ余地はない。日本円の発行主体である日銀が期間損益で赤字に陥れば一挙に円売りが始まるに違いない。日銀はアベノミクスによって、金融政策の最も重要な施策である「金利に引き上げ」という手段を封じられてしまったのである。ヘッジファンドはこうした日銀の実態を先刻承知している。こうした状況を利用してヘッジファンドは日本取引でボロ儲けしているのである。

◆暗躍するヘッジファンド

ヘッジファンドにとって「まだ日本のマーケットはしぼり取れる余地がある」と考えている節がある。ベッセントの口先介入によって一時的に円高に振れた外国為替相場。しばらく様子見が続いているのも、ヘッジファンドが出方を探っているからに違いない。

しかし徐々に円安に為替相場が動くのは、ヘッジファンドが日本の動きを読み切っているからである。そして徹底的にしぼり尽くした後、ヘッジファンドは一挙に日本を崩壊させるような攻勢はかけてくるであろう。そのとき日本にはかつてのアルゼンチンのような悲劇が待ち受けている。

そして当時のアルゼンチンでもっともダメージを受けたのは、何の抵抗もできなかった「一般市民」であった。これも歴史の教訓である。(文中一部敬称略)

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