п»ї 4年ぶりのヨーロッパ訪問で感じたこと(下) 私のコーヒー遍歴 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第255回 | ニュース屋台村

4年ぶりのヨーロッパ訪問で感じたこと(下)
私のコーヒー遍歴
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第255回

12月 01日 2023年 社会

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住25年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

前回の拙稿第254回「4年ぶりのヨーロッパ訪問で感じたこと(上)―進行する地球温暖化」で、今年8月下旬に訪問したオーストリア、クロアチアの風景についてご報告させていただいた。両国はコーヒー文化が根付いた心豊かな国でもある。ウィンナコーヒーでもおなじみの音楽とコーヒーの都(みやこ)ウィーンを首都とするオーストリア。ここには「メラング(日本でいうメレンゲ)」と現地で呼ばれる、国民に親しまれたコーヒーがある。中世以降、このオ-ストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったクロアチア。この地の人々も、時間があればコーヒーとケーキを楽しむ。今回は私のコーヒー遍歴をご紹介しながら、これら両国のコーヒー文化について考えてみたい。

◆コーヒー専門店で修業した大学生時代

少し長くなるが、まず私とコーヒーの関わりを話しておきたい。

私が本格的にコーヒーと巡り合ったのは大学時代である。高校時代から渋谷を起点に遊び歩いていた私は、いつの頃か代々木公園近くにある「Zoo」(現在は閉店)というコーヒー専門店に行くようになった。木製のカウンターやテーブル、いすで作られた古き良き時代のパリを思わせる内装で、エディット・ピアフやシャルル・アズナブールといった古きシャンソン歌手の歌がかかっている。モカやキリマンジャロ、コロンビアにハワイコナなどの世界のコーヒー豆をそろえ、当時はとてもユニークな喫茶店であった。「ほかの人と違ったことをすることで自分のアイデンティティーを見つけたい」と思っていた私には、至極(しごく)居心地の良い場所であった。来店客も詩人、小説家、ミュージシャンといった芸術家たちと、Zooと職場が近いNHKの職員。夢を追いかけるボヘミアンたちは牧神の午後に芸術論を戦わせる。NHKの人たちもテレビ制作の裏側などを話してくれる。常連客の多い店内は、たばこやパイプの煙と会話の渦であふれていた。社会を知らない大学生の私にとっては刺激的な世界であった。

高校の10年ほど先輩であったZooのオーナー、加藤さんは「お店でアルバイトしてみない?」と私に声をかけた。勉強以外は何でも興味のあった私は、二つ返事で応諾した。Zooに数年通い詰めた私は、少しはコーヒーの味がわかるつもりでいた。しかし、プロとして食品を提供するのは初めてである。加藤さんから一から手ほどきを受けた。皿洗いやお客への配膳などの基礎的な修業を終えて、ようやくコーヒーと向き合うことになる。

ところが、次なる関門がコーヒーの豆当てクイズである。当時お店で提供していた10種類以上のコーヒーを飲んで、その豆の種類を当てるというもの。コーヒー専門店でコーヒーを提供するのである。コーヒーの味を知っていて当たり前である。ところが、これは相当な難関であった。酸味が勝っているコーヒーや苦みを感じるコーヒーなど漠然と違いがわかるが、微妙な違いがわかるほど洗練した舌は持ち合わせていない。

何とか7割程度当てられるようになり、加藤さんから“お情け”で合格のお許しが出た。ここからがコーヒーを点(た)てる作業である。Zooではお客に提供するコーヒーは、基本的に1杯ずつペーパードリップを使って作っていた。注ぎ口の細い小さなアルミのやかんでお湯をチンチンになるまで沸騰させ、少量のお湯をゆっくりと切れ目なく3回に分けてコーヒーに注ぎ込む。こうすることでペーパーフィルターの中でコーヒーが適度に蒸され、凝縮した味のコーヒーが出来上がる。

流し込むお湯の量や速度、3回に分けた注入時の待ち時間などで「苦味、酸味、うま味」に微妙な違いが出てくることが少しずつわかってきた。自宅でわざわざやかんを買い込み、お湯を注ぐ練習もした。最初は友人や親しいお客相手にコーヒーを作り、コーヒーの出来についてコメントをもらった。こうした修業期間を経て何とかお客にコーヒーを出せるようになった。

まだ腕に自信のなかった私はコーヒー豆の特徴を際立たせようとして、「苦味が特徴のコーヒーはより苦く」「酸味の強いコーヒーはより酸味がわかるように」コーヒーを点てていた。多分やりすぎていたのであろう。コーヒーを半分残して帰るお客に何度か遭遇した。まだまだ「中庸の味のおいしさ」がわかっていなかったようである。いずれにしてもこのZooでの2年以上にわたるコーヒー修業により、私は「いっぱしのコーヒー通である」と思い込んでいた。

◆スターバックスで飲めるコーヒーに巡り合う

東海銀行に就職したあと、最初の海外赴任地・米ロサンゼルスで勤務したのは1981年、私が28歳の時だ。当時の米国は喫茶店などなく、コーヒーは社内の食堂で無料で提供されていた。コーヒーがタダで飲める米国の豊かさに驚くとともに、いわゆる「アメリカンコーヒー」の味の薄さに辟易(へきえき)した。おいしいコーヒーが飲めるお店を真剣に探したが、巡り合えなかった。2回目のロサンゼルス勤務は1987年からである。偶然にもコーヒー豆の焙煎(ばいせん)業者であったスターバックスが、シアトルでコーヒー店を開業した年である。赴任して2年経過した89年に、妻がカリフォルニア州第1号店であるスターバックス・パサデナ店でコーヒーを買って帰ってきた。初めて米国で「コーヒーらしいコーヒーに出会った」と思った瞬間であった。

98年からはタイのバンコクに赴任。ここもコーヒー不毛の地であった。レストランでコーヒーを注文しても、インスタントコーヒーを濃く淹(い)れ、砂糖をふんだんに混ぜた甘いコーヒーが出てくる。とても飲めた代物(しろもの)ではない。ところが奇遇にも同じ98年にスターバックスがタイに進出。喫茶店のなかったタイでは、あっという間にスターバックスがバンコクの街中を席巻した。日本のコーヒーの繊細さはないが、ようやく飲めるコーヒーに巡り合った。とりあえずここでもスターバックスに救われた。

◆コーヒーの概念を変えたイタリア旅行

私のコーヒーの概念が全く変わったのは、2015年に始めたヨーロッパ旅行でイタリアを訪問してからである。「イタリアの主流のコーヒーはカプチーノ」。私はなんとなくそう思い込んでいた。Zooであれほど「世界の豆を使った微妙なコーヒーの味」に入れ込んでいた私も、いつの間にかスターバックスでカフェラテやカプチーノに慣れ親しんでいた。イタリアでコーヒーを注文する時は必ずカプチーノを頼んでいた。

ところが、ベネチアのレストランで夕食を食べた時のこと。「バーカロ」と呼ばれるベネチア独特のお店(スペインのバールに似て、おつまみがショーケースに並んだ飲み屋)でお客はベネチアの地元の人ばかり。奥には注文料理も頼めるテーブル席が用意されていた。お店のウェイターと楽しく会話しながら、ベネチア料理のムール貝のワイン煮と魚介類のパスタを堪能。食後のカプチーノを注文すると、ウェイターから言下に断られた。「カプチーノは子供の飲み物。大人も昼間はカプチーノを飲むことがあるが、夜はエスプレッソしか飲まない」。ベネチア風酒場バーカロで「イタリアの食文化を理解していない日本人」に腹を立てたのであろうか? けんもほろろの態度であった。

仕方なくその時はエスプレッソを飲んだが、薄味のコーヒーを飲みなれた私にはまだおいしさがわからなかった。しかしこの時の経験がトラウマになり、以降私たち夫婦はイタリアではエスプレッソしか飲まなくなってしまった。その年を含めて3回のイタリア旅行を通じて私たちはイタリアで10都市以上を訪問した。イタリアは土地が変われば料理もワインの種類も変わる。こうした料理の背景に、その土地の歴史と文化が垣間見える。本当に奥深い国である。私たちはこうした各地の料理を楽しみながらも、料理の締めには頑(かたく)なにエスプレッソを注文し続けた。

イタリアでは現地の人たちが気軽にコーヒーを飲む場所として「バール」と「カフェ」がある。日本ではお酒を飲む場所であるBar(バー)が、イタリアでは喫茶店に意味が変わる。バールとカフェの違いはコーヒーを立ち飲みするか、座って飲むかの違いであった。お店によってはどちらもお酒を提供する。

こうしたことを教えてもらったのは、満足に英語が通じなかったパロマの街外れの小さなカフェで夕食をしたときである。さらに各都市のカプチーノの違いを決定的に教えてもらったのがナポリである。

ナポリのエスプレッソは強烈に濃く、また量もほかの都市に比べて少ない。この濃いコーヒーにたくさんの砂糖を入れて甘くして飲む。それでもコーヒー自体に味があり、とてもおいしい。ナポリ人はこの濃くて甘いエスプレッソを日に7~8回は飲むという。またナポリ独特の焼き菓子パン「スフォリアテッラ」とこのエスプレッソで朝食を済ませることが多いとも聞いた。それ以来、私たち夫婦は食事のあとはデザートを食べず、甘いエスプレッソでおなかを整えることを覚えた。

◆機内で触れたオーストラリアのコーヒー文化

さて、いよいよ本題の今回のヨーロッパ旅行についてである。私たちは最初の寄港地ウィーンに行くにあたってオーストリア航空を利用した。11時間のフライトであったが、機内では最初の食事のあと特別なコーヒータイムが準備されている。ウィーンを代表するコーヒーである「メラング」をはじめとして10種類にも及ぶコーヒーが記載されたメニューが配られる。客室乗務員は乗客に一人ずつ注文を取り、コーヒーは1杯ずつ作られる。

私たちはオーストリアのコーヒー文化をよく理解していなかったため、とりあえず「メラング」と「カフェ・マリアテレジア」を注文した。日本のウィンナコーヒーが出てくることを想像していた私は「メラング」の味に驚いた。全くの別物である。日本のウィンナコーヒーはコーヒーの表面にホイッピングクリームを泡立て載せて飲む。これに対してメラングはエスプレッソコーヒー(ダブルエスプレッソ程度の濃さ)にミルクとミルクの泡立てたものを載せたもので、いわゆるカフェラテに近い。オーストリアにも日本のウィンナコーヒーに似た「アイシュベナー」というコーヒーが存在するが、コーヒーとホイッピングクリームを半分ずつ注ぎ、グラス容器で提供する。

一方「カフェ・マリアテレジア」もオレンジリキュールが入った大人の味で、オーストリアで人気あるコーヒーである。マリア・テレジアは18世紀のハプスブルク帝国の女帝で、歴史上有名なマリー・アントワネットの母親でもある。オーストリアがヨーロッパ最大の帝国であったころの女帝であり、今でもオーストリア人から尊敬を集める。この「カフェ・マリアテレジア」以外にもブランデー、モーツアルトリカー(チョコレート酒)、ラム酒、ウォッカなど様々なお酒が入ったコーヒーがある。

食事もすべて終わりゆったりとおいしいコーヒーを飲みたいと思い、お代わりのコーヒーを注文した。ところがもうコーヒーはできないという。1杯ずつ作るコーヒーの手間をこれ以上割けないようである。オーストリア人が真剣にコーヒーに向き合っていることが少しわかった気がした。

◆ウィーンでカフェ巡り

さて、前回もご報告したように、私たちがウィーンに到着すると、地球温暖化に伴う酷暑が待ち受けていた。気温36度を超える酷暑の中では名所観光にも出かけられない。仕方なく私たちはウィーンの街中で有名なカフェ巡りに明け暮れた。主目的はウィーンで有名なチョコレート菓子「ザッハトルテ」の味比べである。ウィーンの街中には数多くのカフェがある。ザッハトルテ発祥の地であるザッハやデメルなどは観光客で店の前は入場待ちの列ができている。観光ガイドに載る有名店はこれ以外にも数多くあるが、店の中は多くの客がいる。音楽家を目指す外国人留学生なども見受けられ、お客はコーヒーとケーキを注文して会話に忙しい。

ヨーロッパでは、レストランやカフェで携帯電話を見る人はほとんどいない。携帯電話で得られる世界の情報よりも、カフェで友人たちから得られる身近な情報のほうがヨーロッパの人たちには重要なようである。ウィーンではザッハトルテにばかり目が行って、オーストリアの種類豊富なコーヒーにまでは気が向かなかった。肥満気味の私は身体のことを考え、なるべく甘いものを食べないようにしている。そうこうするうちに、甘いものへの興味も減退していった。しかしザッハトルテだけは別である。5店以上のカフェでザッハトルテを食べ歩いたが、コーヒーはメラングばかり頼んでいた。

オーストリアには多くの種類のコーヒーがあることをすっかり忘れていた。そのことに気付かされたのは、タイ帰国時のオーストリア航空の機内である。食後にあのスペシャルなコーヒータイムがやってきた。ウィーン行きの飛行機でやってしまった失敗を2度と繰り返してはならない。私たち夫婦は客室乗務員に無理を言って、5種類の違ったコーヒーを飲み比べてみた。ミルク、生クリーム、アイスクリーム、ココア、洋酒などがブレンドされたコーヒーでそれぞれに特徴がある。

しかし何となく飲み慣れた味である。スターバックスの商品に似ているのである。いつの間にかオーストリアのコーヒー文化はスターバックスを通じて世界に伝搬していたようである。

◆コーヒーを楽しむことを再認識したクロアチア

一方、クロアチアはアドリア海を挟んでイタリアに対置し、海に面して南北に広がる風光明媚(めいび)な土地である。紀元前の時代からギリシアやローマの衛星都市として、南スラブ人を中心として栄えた。もともとヨーロッパとアジアを結ぶ交通の要所であったため、昔からビザンチン帝国やベネチア、オスマントルコなどの侵略にあえいでいた。中世以降はオーストリア・ハンガリー帝国の影響下にあり、食べ物や文化面でも共通するものが多い。その一つがカフェ文化であり、街のいたるところにカフェがある。ところが飲まれるコーヒーの種類はオーストリアと異なっており、メラングやカプチーノのほかエスプレッソやトルココーヒーも日常的の飲まれるようである。コーヒー一つとってみても、この国に複雑な歴史があったことがうかがわれる。

クロアチアの観光都市ドブロブニクは旅行客であふれ返っていたが、首都ザグレブは落ちついた都市で現地の人たちとも言葉を交わす機会を多く得た。ザグレブの人たちはおしゃべり好きである。カフェには昼間から人々がたむろして会話を楽しんでいる。「何をそんなに話をすることがあるのか?」と現地の人に聞いてみたが「いろいろな人に対する興味が尽きない」という。自分の父親たちもテレビやインターネットを見るよりも老人仲間でおしゃべりをするのが好きで、毎朝決まってカフェに出かけるという。田舎の町にもカフェだけは必ずあるようである。

ザグレブの街で夕方に妻とカフェでコーヒーを飲んでいると、母親と学校帰りの子供(たぶん中学生と小学生)の3人でカフェに入ってきた。親子3人でコーヒーやコーラを頼み、楽しそうに会話をしている。経済的には決して豊かではないクロアチアの人が、お金を払ってカフェで時間を過ごす。カフェ文化とは単にコーヒーの味を楽しむだけではない。カフェに集いながらみんなで会話を楽しむ。「コーヒーを楽しむ」ことの意義を改めて認識した今回の旅行であった。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第254回「4年ぶりのヨーロッパ訪問で感じたこと(上)―進行する地球温暖化」(2023年11月17日付)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-134/#more-14353

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