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AI時代を生き抜くためにやるべきこと
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第190回

3月 26日 2021年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住23年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

前回の拙稿(3月12日付第189回「AIと人間は何が違う? AIを正しく恐れよう」)で、AI(人工知能)と人間の脳の構造に焦点を当て、それぞれの機能の違いについて私の考え方を説明させていただいた。人間の脳の構造はAIに比べてきわめて複雑であり、非効率な作業を行っている。しかし、こうした非効率性が「分類認識」「因果関係を伴う論理」「創造性」といったAIが持ちえない人間独特の能力をつくり出している。一方で、脳構造の非効率性ゆえに「大量データ保有」や「計算速度」については、人間はAIにかなわない。現在のAIは、人間と「似て非なるもの」なのである。

◆操っているのか、操られているのか

しかしここで安心してはならない。「似て非なるもの」であってもAIが計算された合理的秩序に基づき、人間を支配することは可能である。これまでの生物の歴史をみても、食物連鎖の頂点に立った生物は、新たな時代に全く異なる種族のものが取って代わってきた。人間とは機能が異なるAIが、人間に代わって生物界の支配者になる可能性はゼロとは言えない。だが、最も現実的に起こりうるシナリオは次のようなものだと私は考える。

すなわち、大量データやコンピュータプログラムのプラットフォームを持った一部の人間が、AIを使って他の多くの人を支配する構図である。2月12日付の拙稿(第187回「あなたは誰かに操られている」)でご紹介した通り、こうした事態は既に進行しているのである。グーグルやアマゾンに代表される「GAFA」と呼ばれる巨大インターネット企業は、私たちが行う検索や画面閲覧を通して私たちの好みを分析し、私たちの行動を誘導する。私たちは「便利さ」という彼らの武器の前ですべてをGAFAにさらけ出す。私たちは既にAIに操られているといっても過言ではない。いや、私たちを操っているのがAIそのものなのか、その背後にいる人間なのかは不明である。しかし私たちは操られている。ここから逃れる術(すべ)を私はまだ知らない。

また、前回の拙稿でご紹介したが、東京大学入試を目指したAIソフト「東ロボくん」は全国模試において上位20%に入る成績を収めた。すなわち、8割の知識労働者の仕事はAIに取って代わられる可能性すらあるのである。イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、AIとバイオケミカルの発展により世界の何十億もの人たちは将来、職に就けない「無用階級」になると予想する。こうした人たちは酒や麻薬、ゲーム中毒になり、一生を無為に過ごすことになる可能性まである、としている。こうした状況が近い将来に本当に出現するかはわからない。しかし残念ながら、AIとバイオケミカルの進化は止まらない。

◆無用階級にならないための自衛策

私たちは少なくとも無用階級になることを避ける努力をしたほうがよい時期に来ている。それでは、AI時代に無用階級にならないためにはどうしたらよいのであろうか? AIの開発を強制的にやめさせるなどの方法もあるが、既にAIに取り込まれた人間の欲望を止めることはまず不可能であろう。心ある人たちがそれぞれの自衛策を講じるしかない。

こうした自衛策として私が最も現実的だと考えるのは、現在のAIが機能的に習得困難な領域の仕事に就くことである。すなわち、AIが習得困難な「分類認識力」「論理力」「創造性」の三つの能力を高め、これを生かした領域の仕事に就くことであろう。これはあくまでも個人レベルの防衛策であるが、なるべく多くの人たちがこの事態に気づき、この三つの能力を高めることである。それでは、これら三つの能力はどのようにしたら向上させることが可能なのであろうか?

近年の脳医学の研究によって、人間の行動の8割以上(97%という調査結果もある)は無意識による行動であるとわかってきている。私たちは日常の生活の大半において「意識的な判断」を行わずに行動している。朝起きて、あくびをしてベッドから起き上がる。洗面室に行って歯を磨き、顔を洗う。私たちのこうした行動には、いちいち意識的判断が加えられていない。しばらくしてから、「朝ごはんは何を食べようか?」を考える。ここで初めて自分で判断を行う。「けさはハムエッグにしよう」。自分の行動をよくよく振り返ってみると、自分の意識を使って判断を下す行為が一日のうちにいかに少ないか驚愕(きょうがく)する。一度ハムエッグと決めてしまえば、私はほぼ無意識に料理を作り、それを食べる。

しかしここで、さらに恐ろしい事実がわかってきている。私たちは自分たちの「自由意志」で朝食にハムエッグを食べると勝手に決め込んでいる。だが実際には、脳内では自分の思考以前に「反射」があり、ハムエッグを食べることが決定されているようなのである。人間は自分たちが意識的に行っているという行動すら「反射」という脳内反応で決まっているようなのである。

食べものに関する自分の嗜好(しこう)、過去1週間の朝食メニュー、冷蔵庫内の食材、前夜の食べたものの分量、朝食を作って食べるために使える時間などを加味して、AIに朝食として食べそうなメニューの候補を二つ出させると、87%以上の確率で実際に食べたものはその二つの中に含まれていたという調査結果があると聞いた。こう考えると、私たち「人間の生きざま」も何とも味気ないものに感じてしまう。

◆とにかく多くの経験を積む

しかし、ここで簡単にあきらめるのは早すぎる。私たちの判断の源泉である脳内の「反射」作業をより健全で良好なものに変える方法がある。それが「経験」である。

朝食メニューとして「ハムエッグ」と「オムレツ」しか知らなければ、反射の結果で導き出される食べものはこの二つしか出てこない。しかし卵料理一つとってみても「スクランブルエッグ」「ポーチドエッグ」「エッグ・ベネディクト」「温泉卵」「生卵」など何種類も料理法がある。さらにオムレツの中に入るものもチーズ、ベーコン、トマト、ジャガイモなどさまざまな食材が使える。こうしたものを多く経験し、よりおいしいものを知れば「反射」による決定だとしても人生はより豊かなものになる。朝食メニューという単純なものを引き合いに出して考えてみても、人間の経験はきわめて重要なものである。

この「経験」こそが、私たちがAI社会の中で無用階級に陥らないための一つの鍵になる。人間がAI対比で優れている能力に「分類認識力」がある。人間はより多く経験を積むことによってその経験を多くの要素に分類し、記憶する。この分類のパターンと分類される項目数が人間の多様な価値観をつくり出すことになる。これは朝食のメニュー選びで見てきた通りである。

ところが、最近の日本はリスクを取らないことが奨励される。「マニュアルを遵守(じゅんしゅ)し、何もやらないこと」が社会人として最良の策として推奨されているように見受けられる。これでは判断を行う上での人間の脳内「反射」活動の選択肢が狭まってしまう。これは子供の教育についても当てはまる。けがをすることを恐れ、子供に危険な遊びをさせない。危険を経験しなければその子供は「危険」という分類認識が脳内ではなされず、将来その危険を察知し回避する行動をとることができない。経験がなければ判断軸の幅が狭まり、AIに取って代わられることになる。

AI時代に無用階級にならないためには、とにかく多くの経験を積むことである。世界中を旅行したり多くの場所に住んだりして、多くの異なった考えの人たちと交流する。スポーツや芸術にもトライし、あらゆる種類の食べものを試してみる。とにかく従来と異なった経験を試してみることである。

◆勉強を通した新たな発見・出合い

しかし、残念ながら人間には限られた時間しかない。すべてのことを経験し、すべての真実を知ることなど不可能である。こうしたことを少しでも可能に近づけるのが「勉強」である。人間は勉強することによって、他者が経験したことを疑似体験できる。現代は科学の進歩によって急速な勢いで「新しい事実」が発見されてきている。こうした発見に自分が直接関与していなくても、この事実を勉強すれば新しい認識や価値軸を獲得することができる。

人間の歴史を振り返ると、私たちホモサピエンスは共同社会をより大きく拡大することで「繁栄」を享受してきた。大きな共同体が人間社会の繁栄を生み出した要因としては、まずは「規模の経済性」が挙げられる。規模が大きくなれば何事も効率的な作業が期待できる。さらに大きな共同体になったことにより、多様な考え方の人が出会う。この多様化が誘発したイノベーション(革新)の創造も人間の繁栄に大きく寄与してきた。

オーストリア出身の著名な経営学者であるピーター・ドラッガーは「異なる考えや価値観の融合が新たな革新の原動力である」と見抜いていた。異なる考えや価値観に出合うのは、何も人を通してだけでなくてもよい。新しい科学の発見や古い過去の事実に出合うことでも十分にことが足りる。勉強を通した「新たな発見」や「新たな出合い」により私たちの脳内の価値軸が増加し、「創造性」へとつながることであろう。「創造性」はAIが持ちえない人間特有の能力である。

◆論理力を磨く

AI時代に無用階級にならないための3番目の能力は「論理力」である。人間の脳がどのような動きをすることによって論理を構築するのか、残念ながら私には理解できていない。それにしても「人間にはわずか2歳で文章を理解して、言葉を操る」のに対し、AIは文章の意味が理解できずにいる。人間の脳の特徴である「分類認識」やそれに基づく「パターン記憶」がこうした人間が持つ「論理力」や「意味づけ」の源泉だと私は考える。なぜならば、このパターン記憶があるからこそ、私たちは「現在」と「過去」という識別ができるからである。

「論理力」も人間の特徴的な脳の構造に由来するものであるとするならば、「分類認識力」や「創造性」と同様に「経験」と「勉強」によりいっそう能力が高まるものと推測される。AI時代に無用階級に落ちこぼれないためには、不断の「経験」と「勉強」が要求されるようである。

※『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』過去の関連記事は以下の通り

第189回「AIと人間は何が違う? AIを正しく恐れよう」(3月12日)

AIと人間は何が違う?-AIを正しく恐れよう 『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第189回

第187回「あなたは誰かに操られている」(2月12日)

https://www.newsyataimura.com/ozawa-48/#more-11585

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