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ミャンマー・ダウェー開発は先が見えない計画
『バンカーの目のつけどころ 気のつけどころ』第150回

8月 23日 2019年 経済

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小澤 仁(おざわ・ひとし)

oバンコック銀行執行副頭取。1977年東海銀行入行。2003年より現職。米国在住10年。バンコク在住21年。趣味:クラシック歌唱、サックス・フルート演奏。

その記事は、7月8日付の日本経済新聞に掲載された。「ミャンマー特区、物流拠点に転換」「日本政府がインド向け念頭、中国に対抗」とある。この記事を読まれなかった方のために、その内容を要約すると――。

①日本政府はミャンマー、タイ両国政府と手がけるミャンマー南部のダウェー経済特区の開発改革について、従来の重化学工業の拠点としようとした計画から、インド向けの輸出を念頭に置いた、インド洋に面した港湾と物流施設の開発を優先する計画に見直し、2030年までの開発を両国政府に提案する。

②ダウェーはベトナム・ホーチミンからカンボジア・プノンペン、タイ・バンコクを通りインド洋まで通じる「南部経済回廊」の終着点で、この回廊が完成すればインドへの輸出拠点として、日本企業にとって利用価値がある。

③中国は「一帯一路」の方針のもとに、中国国境に近いインド洋に面したミャンマーのチャウピュー経済特区の開発を進めている。日本政府は、ミャンマーで経済支援を強める中国に対抗するためダウェー開発の具体化を急ぐ。

私はダウェー開発の専門家ではないため、開発計画の内部情報を持っているわけではない。またタイにいて、ミャンマーに関する情報も極めて限られている。しかし、タイに20年以上住み、日本とタイの政府関係者と話す機会も多い。私はかねて、日本政府が主導するこの「ダウェー開発計画」に疑問を持っていた。今回は、計画の推移を子細にたどりながら、私が感じている疑問点について述べたい。

中国に対抗するため日本に都合がよかった計画

1992年、インドシナ半島を構成するタイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジアの5カ国はグレートメコン地域として結束を強め、アジア開発銀行(ADB)との間で経済協力の話し合いを始めた。この地域のインフラづくりのために開発が始まったのが、中国・雲南省からラオスを経由してバンコクを結ぶ「南北経済回廊」と、ベトナムのダナンからラオス、タイを経由してミャンマーのモーラミャインに続く「東西経済回廊」である。92年はまさに当時の中国の最高指導者だった鄧小平が「南巡講和」を行い、経済開発に舵(かじ)を切った年である。当時の中国のGDP(国内総生産)は日本の10%ほどしかなく、日本は中国の経済発展にも資する「南北経済回廊」開発にも深くコミットした。

一方、96年、タイの3大ゼネコンの一つであるイタリアン・タイ・デベロップメント社(以下、イタルタイ社)は、ダウェー経済特区開発について、当時のミャンマー軍事政権との間で合意した。このころには「東西経済回廊」に並走する「南部経済回廊」という概念が出来上がっていたようである。しかし翌97年にアジア通貨危機が起きると、イタルタイ社は倒産の憂き目に遭い、ダウェー開発計画は頓挫(とんざ)した。

私は98年4月にタイに赴任したが、1ドル=25バーツの当時の為替レートが98年1月には1ドル=57バーツと100%以上切り下がり、タイはまさに国家存亡の危機の中にあった。この時、日本政府は「宮沢プラン」に代表される積極的なタイ支援策を実施。タイ経済はその後、徐々に回復していく。しかしダウェー開発計画を含む「南部経済回廊」のような新たな開発に取り組むような余力は当時のタイにはなかった。

前述の「東西経済回廊」は2006年に曲がりなりにも開通したが、タイ以外の道路はアスファルト舗装ではなく、かつ国境税関の通関手続きが煩雑(はんざつ)なため、実質的には機能しなかった。2000年代に入り、急速に力をつけた中国の支援を受け「南北経済回廊」が07年に完成。この頃には中国の国力が日本に拮抗(きっこう)し、日本政府も中国に資する経済支援には注意深く対応し始めた。しかし時既に遅く、10年にはGDPで日本は中国に追い越されてしまう。

08年、当時のタクシン派政権が率いるタイ政府とテイン・セイン首相のミャンマー政府により、ダウェー経済特区開発の再開が合意され、その開発権が再びイタルタイ社に付与された。当時のイタルタイ社はタクシン元首相と極めて親密な関係にあった。ところがタイが民主党政権に移行した08年から11年の間はプロジェクトが停滞。11年8月5日にはタクシン元首相の妹であるインラック氏を首相とするタイ貢献党政権が誕生。すると12年にタイ、ミャンマー両政府はこのプロジェクト遂行に関する特別目的会社を設立し、政府主導で開発を実施することを決定した。

ほぼ同時期に日本の経済産業省から高級官僚のA氏がタイ国家経済社会開発委員会(NESDB)に派遣された。極めて優秀かつ情熱家であったA氏は、このダウェー開発計画の必要性をあらゆるところで力説し、この開発に対する盛り上がり機運が日本とタイで徐々に醸成され始めていった。ダウェー開発計画とそれに続く「南部経済回廊」構想は、台頭する中国に対抗するため日本政府にとって都合のよい政策だったのであろう。この頃、日本政府関係者がダウェー開発計画の資金支援依頼のためバンコック銀行にたびたび来られた。私の眼には、このプロジェクトは日本側からタイ側に積極的に働きかけているもののように見えた。

開発計画に関心がなかった当時のミャンマー政府

ところが14年5月にタイで軍事クーデターが起こり、プラユット政権が誕生。すると、このダウェー開発計画はまた停滞する。軍事政権にとっては混乱したタイの政治の安定化と、低所得者層を中心とした民衆の所得向上が最優先課題であった。当時私は経済担当副首相だったプリディヤトーン氏やその後を引き継いだソムキット現副首相にお会いする機会があった。この2人の軍事政権発足当初の関心事は、タイの辺境部に新たに設置した経済特区をいかに活性化するかであった。このためには06年に形ばかり完成していた「東西経済回廊」の活性化が最優先課題だ、と私は聞いた。

この時、日本政府には間の悪い事が起こった。軍事政権発足当初、日本は官民あげて軍事政権反対の立場を強硬に訴えていた。この間隙(かんげき)を突いたのが中国政府である。中国政府は世界に先駆けていち早くタイの軍事政権を承認。中国はさらに14年に「アジアインフラ投資銀行」を設立すると、「一帯一路」政策を打ち出した。タイ政府に対しても、中国からバンコクへつながる高速鉄道計画を持ちかけていた。これに焦った日本政府は安倍首相の特使をタイへ派遣し、巻き返しを図った。当時の日本政府は「高速鉄道輸出計画」に固執していたため、中国に直接資することのないチェンマイ~バンコク間の高速鉄道敷設と、同じく中国に対抗しうる「南部経済回廊」のダウェー開発計画を軍事政権に再提案。15年7月には日本政府がプロジェクト遂行に関する特別目的会社に出資することを決定した。

それから間もない15年9月、私はバンコック銀行がミャンマーに新設したヤンゴン支店の支援のためミャンマーを訪問する機会を得た。ミャンマー政府関係者、在ミャンマー日本大使館、在ミャンマータイ大使館、ジェトロ(日本貿易振興機構)、日本企業の方々を訪問し、ミャンマーの事情を教えていただいた。

この時、これらの訪問先で「ダウェー経済開発計画」について質問してみたが、ミャンマーの日本人およびタイ人からは、このプロジェクトに対しては一様に否定的な見解ばかりだった。

第一に指摘されたのが「ミャンマー政府はこのダウェー開発に全く興味がない」ということである。ダウェーの位置するミャンマー南東部タニンダリー地域は、長らくミャンマー軍事政権と内戦を繰り広げたカレン族の本拠地である。カレン族はミャンマーが英国に統治されていた時代、英国の手先となって多数を占めるビルマ族を弾圧した。カレン族の多くが英国の意向でキリスト教に改宗。ビルマ族にとってカレン族は恨み骨髄の相手のようである。この地域の開発をしてもカレン族に資するだけであり、ミャンマー政府にとっては何のメリットもないという主張である。

当時のミャンマーは、長期の軍事政権に対する欧米諸国の強硬な経済制裁により国内経済が疲弊しきっており、とてもそれ以上大型の経済開発の資金的余裕がなかった。仮に日本やタイが支援するとしても、ティラワ経済特区の開発などに比べかなり優先度が低いようであった。ミャンマー政府関係者にも会ったが、その人は銀行担当者で経済開発は専門外とは言え、ダウェー経済開発計画のことは全く知らなかったことも私にとっては驚きだった。

「工業道路の開発は難易度が高い」とジェトロ報告書

せっかくの機会だったので、ヤンゴンを訪問した翌日、私はちょっと足を伸ばしてダウェー特区を視察したた。バンコック銀行ヤンゴン支店からダウェー訪問の連絡をしていたため、イタルタイ社の副社長やダウェー開発責任者ら10人弱がわざわざタイから出張して待ち構えていた。私にとっては、まさに「飛んで火に入る夏の虫」とはこのことである。大規模開発計画が頓挫状態にあり資金繰りに窮していたイタルタイ社にとって、バンコック銀行からの訪問は期待に胸をふくらませるものであったのだろう。

ところが、現地で見るダウェー地区の開発状況は私の予想を大きく裏切るものであった。驚くほど広大な土地があり、また未開発の状態で残っていることは予想通りだった。しかし、イタルタイ社の副社長はこの開発地を「日本が購入した」と私に説明したのである。日本政府がこの土地をいきなり購入することはありえないと聞き流したが、イタルタイ社側はこのプロジェクトは「日本がコミットしているから大丈夫だ」と何度も繰り返した。

次に海岸線に行って再びびっくりした。白くきれいな砂浜がどこまでも続く美しい海岸線がある。この遠浅の美しい海岸にどのようにして水深20メートルの深海港を造るるのだろうか。詳しく聞いてみると、内陸に位置するラグーン(潟湖)に港湾設備を造る計画のようである。そのラグーンまでは沖合から船舶が航行できる水路を造成するという。

ところが、遠浅な砂浜海岸のため水路を10キロ以上掘り進む必要がある。これだけでも大変な資金が必要である。更にこの掘り進んだ水路の中に、水中にある大量の砂が入り込むに違いない。よほどまめに水路の清掃をしなければ、あっという間に水路は砂で埋まり、船舶の航行は不可能になりそうである。海岸線の端に出来ていた簡易桟橋を見学したが、コンクリートで固めた基礎の土台を構成している砂浜が崩れ落ち始めており、工事が容易でないことがうかがい知れた。

さらに私たちはダウェーからタイ国境に続く道路を走ってみることにした。舗装された道は最初の2~3キロで、その後は未舗装の悪路となってしまった。訪問した9月はミャンマーの雨期である。しばらく走ると道路は雨でぬかるみ、ついには水没している箇所に遭遇した。これ以上奥に進むことは困難である。5キロも走ったところで、私たちは諦めて、来た道を引き返した。

私たちがダウェーを訪問した2年半後の18年2月にジェトロのバンコク事務所とヤンゴン事務所が「ダウェー視察ミッション」を組織したようである。このミッションの報告書を読むと、この時点でもミャンマー側の道路は未舗装のようである。このほか、崖の切り立った危険な山道や勾配(こうばい)16度の急な山道があり、工業道路の開発は難易度が高いと書かれてあった。土木工事の専門家に話を聞くと、この山の岩盤は極めて硬く、トンネルを掘り進むことも難しいようである。

 経済的合理性が読みにくい計画
16年に入ると、タイのソムキット経済担当副首相は国内経済の高度化を図るべく「タイランド4.0」を打ち出した。農業(1.0)・軽工業(2.0)・重工業(3.0)に続く新たな産業を4.0と位置づけ、ロボット・航空機・医療などの産業を積極的に誘致しようというものである。こうした高度産業を誘致するためには一定程度の産業集積が必要であり、この誘致先として選ばれたのがラヨ-ン県、チョンブリ県、チャチュンサオ県などの東部工業地帯である。タイ政府はこの地域を「東部経済回廊」(EEC)と位置づけた。従来の「南部経済回廊」の一部を切り出したものである。

この地域のいっそうの活性化を図るためにはインフラ整備が必要である。タイ政府によって、①ラヨーン県~バンコク間の高速鉄道敷設②ウタパオ空港の再開発③レムチャバン港の港湾設備拡張――の三つの大型プロジェクトが承認された。日本にとっては千載一遇のチャンスである。地形的には日本に有利な東西を結ぶ経済回廊である。また自動車産業を中心に日本企業の集積が進んでいる地域でもある。高速鉄道輸出は日本政府の悲願であり、人口の多いこの地域は採算予想が立てやすい。また、ウタパオ空港はもともとタイ海軍の航空基地で、ベトナム戦争時には米軍に使われるなど日本との親和性が高い。空港運営は日本にとってもこれから力を入れていく分野である。

ところが、これらのプロジェクトの入札企業の名前を見てびっくりした。残念ながらプロジェクトのメインプレーヤーの中に日本企業の名前は見られないのである。日本企業はプロジェクトのリスクを取らなくなっているように見受けられる。資金の出し手として、わずかに国際協力銀行(JBIC)の名前があっただけである。これでは、プロジェクトに積極的に入札応募している中国企業や親中国のタイ企業のために、日本政府は金を出してあげているだけのように私には見える。

こうした状況の中で日経が報じたのが、冒頭で紹介した突然の「日本政府によるダウェー開発計画」の提案である。

15年に私がダウェーを視察した時とは状況は変わっているかもしれない。しかし現在のミャンマー政府にこのプロジェクトを遂行する妥当な理由やメリットがあるのだろうか。ミャンマー政府にはこのプロジェクトを遂行する資金的な余裕はないであろう。また民主化のもとで新政権を樹立したプラユット首相やソムキット副首相にはこのダウェー開発を成功に導くための強固な政治基盤があるだろうか。東部経済回廊のインフラ開発の入札状況を見る限り、日本企業は大型プロジェクトのリスクを取らなくなった。そんな日本企業が、タイの東部経済回廊より経済的合理性が読みにくいダウェー開発計画についても積極的に参加するとも思えない。

日本政府は本当に、このプロジェクトに多額の資金負担をする覚悟が出来ているのだろうか。私には、このダウェー経済開発計画が「先の見えない開発計画」に思えて仕方がないのである。

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