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ASEANの舞台で歴然とした日中の外交力の差
『記者Mの外交ななめ読み』第13回

7月 29日 2016年 国際

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記者M

新聞社勤務。南米と東南アジアに駐在歴13年余。年間150冊を目標に「精選読書」を実行中。座右の銘は「壮志凌雲」。目下の趣味はサイクリング。

「世の中にはいろいろな人がいて、あなたの好きは、だれかの嫌いかもしれない」。この夏、東京都内を走るJR山手線の車内広告でこんなキャッチコピーが目にとまった。広告主はJT(日本たばこ産業)。ごくごく当たり前の内容だが、真っ白な紙の上に黒い文字でただこれだけ書かれていると妙に気になる。

このコピーを目にしたのは、東南アジア諸国連合(ASEAN)の外相会議がラオスで開かれた7月25日。ASEAN域内各国の思惑や、最悪期こそ脱したとはいえ相変わらず冷え切ったままの日本と中国の関係をそのままコピーの中の「あなた」と「だれか」に置き換えてみると、今回の外相会議で最大の焦点だった南シナ海の領有権をめぐる問題の解決は、なかなか一筋縄ではいきそうにないと改めて思えてきた。

◆仲裁裁判所判決に一切言及せず

ビエンチャンで開かれたASEAN外相会議は25日、中国の南シナ海での主権主張を否定した今月12日の仲裁裁判所(オランダ・ハーグ)の判決には一切触れず、判決を無視する中国に配慮した内容の共同声明を発表した。

声明は、中国による人工島造成などを念頭に「南シナ海での最近の動きに深刻な懸念」を表明し、「国連海洋法条約などの国際法に従い、平和的に紛争を解決する必要性を再確認」することなどを明記した。だが、南シナ海のほぼ全域に権益が及ぶとの中国の主張を退けた仲裁裁判所の判決にはまったく言及せず、中国を名指しすることもなかった。

フィリピンの提訴を受けて審理していた仲裁裁判所は12日、南シナ海のほぼ全域を囲い込む中国独自の境界線「9段線」に歴史的権利を主張する法的な根拠はないと断定。その上で、南沙(スプラトリー)諸島の人工島に排他的経済水域(EEZ)や大陸棚は生じないなどとする判断を示していた。

EEZとは、沿岸から12カイリ(約22キロ)までの領海の外側で、200カイリ(約370キロ)までの海域で、接続水域も含まれる。国連海洋法条約は、EEZでは沿岸国が魚などの漁業資源や地下の鉱物資源などを独占する権利を有していると定めている。南沙諸島は中国のほかフィリピンやベトナム、マレーシアなどが領有権を争っているが、中国は人工島建設などで軍事拠点化を進めており、結果的にASEANの分断を一段と加速させる要因の一つになっている。

◆「全会一致」原則という足かせ

ASEANには「全会一致」と「内政不干渉」の2大原則がある。2015年12月に創設された「ASEAN共同体」の基本法となる「ASEAN憲章」の中にも明記されている。しかし近年、皮肉にもこれらの原則がASEANの地域共同体としての結束を乱したり、その存在そのものの形骸(けいがい)化に拍車を掛けたりする足かせになっている。

「外交巧者」の中国は、今回の外相会議でもその点を突いて、加盟10カ国の分断・切り崩し工作に成功した。

カンボジアは最初から、共同声明の中に中国が不利になるような文言を盛り込むことに強硬に反対した。ASEAN各国はとくに外交分野においてなかなか旗色を鮮明にしたがらないが、カンボジアはいまや紛れもない「親中派」と見る向きが多い。

2000年代の初めごろまで、フン・セン首相は日本寄りだと見られていたし、日本外務省もそう判断していたはずだ。

フン・セン氏については例えば、こんなエピソードがある。フン・セン氏は1970年代の反ロン・ノル闘争当時、北京亡命政権である王国民族連合政府軍にポル・ポト派の下級部隊指揮官として従軍。その際、負傷して左目を失明した。最初の義眼手術は当時のソ連で受けたが、重い義眼で苦痛だったという。このため、日本の働きかけにより東京の順天堂大学病院で再手術を受け、軽くなった義眼をとても喜んだという。

しかし、フン・セン氏は「札束外交」に目がくらんでしまったのか、近年の中国の強力な経済支援の前に潮目はすっかり変わってしまったようだ。報道によれば、中国はカンボジアに対し今後3年間で約570億円に上る無償資金協力を行う予定だという。

中国の経済支援は、2020年までの「最貧国脱却」をめざすラオスにとっても無視できない頼みの綱だ。ビエンチャン近郊には、巨大なスタジアムや文化ホール、病院など中国が無償支援で建設したハコモノが建ち並び、上海資本による「ラオス永住権」付きの巨大なコンドミニアムの建設計画が着々と進んでいる。

ビエンチャン在住の友人によれば、造成計画などに絡む各種許認可業務に携わる公務員の多くは袖の下に慣れっこになり、いまや賄賂を受け取らない者は出世・昇進の道が閉ざされかねないほど贈収賄の風潮は公務員社会全体に蔓延(まんえん)。「中国の進出による明らかな弊害の一つだ」と指摘する。

アウンサンスーチー国家顧問兼外相を事実上のトップとするミャンマーも、実利を優先する形で中国との関係再構築に動いているようだ。スーチー氏は今年3月末に国民民主連盟(NLD)主導の新政権が発足してからラオスとタイを訪問。報道によれば、8月中旬にもASEAN域外では最初の訪問国として、中国を訪れる計画だという。

中国はインド洋に面するミャンマーを重視し、NLDを弾圧した軍事政権を支援してきたが、政権交代の観測が強まるとNLDに接近。新政権発足直後に王毅(ワンイー)外相が首都ネピドーを訪れ、スーチー氏の最初の外相会談の相手になった。京都大学に留学経験のあるスーチー氏は知日派だが、親日派かどうかは日本のミャンマー専門家の間でも確信がもてていない。

日本外務省は後手に回った自らの外交責任とはいえ、ASEAN各国に「日本にとってかわいくない」と思わせる指導者たちが増えていることをどう思っているのだろう。「いや、いつかわかってくれるときが来る。必ず振り向いてくれる日がくる。いまは気づかないだけ」。失恋男の恨み節のような声が、霞が関方面から聞こえてきそうだ。

◆「雁行形」は雲散霧消

ASEANは「CLMV」と呼ばれる後発の4カ国(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)を加え、1999年4月に現在のような10カ国体制になった。その地域協力機構の枠組みは当初は、ちょうど雁(かり)の群れが飛んでいるような形状から「雁行形(がんこうがた)」と呼ばれ、シンガポールとタイが群れを先導し、そのあとにインドネシア、マレーシア、フィリピンなどが続き、最後尾に「CLMV」が付いて進んでいくという形態の一団だった。

しかし、域内の格差をみると、1人当たりの国内総生産(GDP、2013年)でシンガポールの5万4776ドルに対し、ミャンマーが869ドル、カンボジアが1016ドル、ラオスが1400ドルと大きな隔たりがある。さらに政治体制をみても、クーデターによって軍政下にあるタイ、共産党一党支配のベトナム、民政移管からまもないミャンマーなど多様で、ひとくくりにはできない。

ASEANはその後、域内の経済的・政治的な違いに加え、域外との関係の温度差、さらには米中ロの大国の綱引きのはざまで、親和的に映った雁行形の形状がいつの間にか跡形すらなくなり、その枠組みはいまや形骸化の危機に直面している。

このタイミングで、中国の経済支援で裏打ちした外交攻勢は抜群の効果がある。その巧者ぶりは憎々しさを通り越して、脱帽したくなるほどだ。

それに対して、日本はどうか。ASEANが原加盟国の6カ国体制当時、そして「CLMV」が加わって10カ国体制になった最初のころまで、日本とASEANの関係は日本の政府開発援助(ODA)などを背景に、友好かつ緊密だった。

しかし、中国は1994年に創設されたアジア太平洋地域の安全保障分野などを話し合う場であるASEAN地域フォーラム(ARF)への参加などを足がかりにASEANに急接近。さらに、2001年のWTO(世界貿易機関)正式加盟を弾みにしてASEAN各国・地域との自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)の交渉を積極的に進め、ASEAN域内での影響力を着実に強めてきた。中国はいまや、ASEANにとって最大の貿易相手国である。

その間、日本は「対ASEAN関係」という文脈で中国が猛追し始めていることがわかっていながら、ASEANの対中関係が対日関係より緊密になるとは思ってもいなかったのではないか。「ASEANは日本の言うことを聞いてくれる」という慢心があったのではないか。中国が日本を猛追していた当時、私はバンコクを拠点にASEAN域内や中国で開かれた国際会議や交渉の場を取材したが、日本政府関係者の多くは過去の蜜月時代の遺産の上にあぐらをかいていたのか、中国の台頭を警戒する質問に対し、「自虐的になる必要はない」と自信満々だった。

ASEANを舞台にした、日中の影響力のあれよあれよという間の逆転劇。いったん逆転されてしまった力関係は拡大する一方だ。インドネシアでの高速鉄道受注競争での敗北、中国の主導によるアジアインフラ投資銀行(AIIB)発足などはその象徴的な事例だろう。

◆王毅氏の「胆力」

日本と中国の外交力の差はどこにあるのか。多角的な分析は識者に任せるとして、かねてからの私の持論だが案外、個々の外交官の属人的な部分にも関係があるような気がする。

王毅外相は今回のASEAN外相会議でも、なぜあれほどまでに高慢で憎らしげな態度を取るのか。日中外相会議でどうして、けんか腰ともいえるような高圧的な言葉を繰り返すのか。日本人も顔負けするほどの日本語がきわめて堪能な王毅氏は、駐日中国大使を務めた知日派として知られる。しかし親日派かといえば、明らかに違う。

外相というポストはふつうに考えれば一国の外交を指揮する実力者だが、共産党一党支配の中国にあっては党内序列がすべてであり、王毅氏といえども204人いる党中央委員のうちの1人にしかすぎない。反日派・嫌日派が依然多いとされる党内にあって、「知日派」は批判の目にさらされやすい。うがった見方をすると、王毅氏の日本に対する一貫した強硬な姿勢は、党内での地歩を固めるための布石とも取れよう。

岸田文雄外相は今回の外相会議で、南シナ海問題にからんで「法の支配」を繰り返し強調したが、迫力は感じられなかった。王毅氏の「胆力」とも言うべき強い外交力の前に、完全に勝負あり、という感じだった。

素朴な質問だが、岸田外相に聞いてみたい。「あなたはASEANの中でどこか思い入れのある国はありますか。アジアは本当に好きですか」と。そして同じ質問を、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を標ぼうする安倍晋三首相にも投げかけてみたい。

さて、冒頭に紹介したキャッチコピーには、ポスターの端っこに小さな文字でオチのような言葉が書かれている。

「ひとつずつですが、未来へ」

なんとなく日本外務省が喜びそうなコピーだが、そんなやわなことを考えていると、日本の外交はいよいよ中国の後塵(こうじん)を拝することになりかねない。

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